岩地の娘

――ただ、自由になりたい。



 もう何もかもどうしようもないけれど、とクイは思う。

 これからは誰が種火石エペを探して売るのだろうか。近隣の産地はなく、里にはクイの他に目利きがいない。里で使う種火石エペは食べ物などと交換で渡していたが、今後はそれができなくなる。

 よそから買ってくるとなると、はるかに高くつく。それでも里はクイを送り出した。他の子だと家から文句が出るからだ。




   *   *   *




 里の中で、岩地に住んでいるのはクイの一家だけだった。代々続くの血筋で、クイも幼い時から岩地を駆け回り種火石エペ拾いを覚え、火にまつわる物語を聞かされながら育った。

 岩売りとは、岩地や荒れ野などから種火石エペと呼ばれる特別の岩の欠片を探し出して売る仕事だ。種火石エペはその名の通りの種火で、一度火をもたせると炎を上げずに長い間燃え続ける。里の小さな神殿には火の屋があって種火石エペを絶やさず、人々は必要になるとそこから火を分けてもらう。また、裕福な家は自前の火の屋を持っていることもあった。

 この世のあらゆる新しい火は十夜火姫エペフィヤの恵みによって生まれる。

 まきからまきへ火が移るとき、それは十夜火姫エペフィヤの恵みが移って増えたのだ。火打石カリヨプを打ち合わせて火を起こすときは、うまく火がけられるよう火の十夜火姫エペフィヤと火花の天裂姫スールカに祈る。次に使うまで火種石エペを保存しておくをするときも、どうかこの火をお守りください、と十夜火姫エペフィヤに祈るし、火を消してしまうときは恵みの拒絶でないことを示すために感謝の祈りを唱える。


――『十夜火姫エペフィヤ』とは、最上の火種石エペなら一粒で十夜は燃え続けることを讃えて言うんだよ。


 クイの父は、集めた火種石エペを選別しながらそう教えてくれた。


――本当に良い火種石エペなら、水の中でもおきのまま十夜を越せるんだ。そんな上物は近頃では全然見付からないが、じいさんのひいじいさんが見つけて都の大神殿に献上したことがあるそうだ。


 百回も二百回も聞いた話だが、クイはその物語が好きだった。見たこともないような素晴らしい火種石エペを箱に入れ、大切に捧げ持って遠い都へ行き、火の大神殿に献上する。神官が祈りを唱えると、神殿のあらゆる火が神の恵みを意味する金色に輝いて。


――そして不思議な声が、こう言った。『よくぞ私の祈りを探し当てた。おまえの血筋には私の目がある。後裔すえには私が生まれるであろう』と。


 とうさん、わたしのめって? クイは何度でもそう聞いた。この物語が好きだったし、父がこの話を誇りにしているのを知っていた。そして、この問いかけに父が何と答えるか知っていて、それが嬉しかったからだ。

 父はいつもこの話のとき、火種石エペを扱い続けて真っ黒になった大きな手でクイの頭を撫でてくれる。そしてこう答えるのだった。


――火の神さまの目とは、クイ、おまえのように上手に火種石エペを探し出せる目のことだよ。火種石エペを見分けられる人はとても少ない。おまえは貴重な目を持ってるんだ。


 けれども父は、『後裔すえには私が』という部分についてはあまり語らなかった。


――特別優秀な子が生まれたら、神さまに拾い上げられてしまうのかもしれないから、父さんはいやなのよ。クイ、おまえを神さまにとられたくないと思っているんだよ。


 母はそう言ってクイを抱き締めたものだった。


――あたしだって、おまえを手放すのはいやよ、可愛いクイ。子どもの子どもの、ずっとまた子どもが、いつか神さまに拾われるかもしれないけれど、おまえはずっとここで、父さんや母さんの可愛いクイでいてちょうだい。


 あたたかい胸、優しい両腕、身体に染み込むような母と父の声。

 クイは、母の言うとおりになると思っていた。

 両親とずっと一緒にいると思っていた。

 父が自慢するような目利きの岩売りになって、誰かと夫婦になり両親と一緒に暮らし、その子がまた岩売りになるのだと。


 ある晩、里の男が家に忍び込み、両親を刺し殺してしまうまでは。




 その後、まだ子どもの年齢にも関わらずクイが、岩売りを続けることや家長扱いで里の会合に参加することを許されたのは、両親を殺した男が里長の義理の弟だったからだと噂されていた。

 その男は小さい頃から頭が弱く、生まれた家に住み続けて簡単な野良仕事をし、姉の夫が里長であるために何くれとなく保護されていた。時々訳の分からない悪さをしたが、『分からないのだから、しかたがない』と言われてろくに罰せられない。

 岩売り夫婦殺しもそのようにして不問にされた。

 結果、クイはひとりになった。


 前の日まで一緒に遊んでいた友だちの女の子は、親に言われてクイには話しかけなくなった。

 淡い初恋の相手だった男の子は、『女はふつう商売なんかしない。おとこおんなだ』と言い、クイを避けるようになった。

 またその男の子の親はこう言った。『まだ十三、四の子が遠方からの商人たちと取引をするなんて、そんな頭があるわけないのだから、なぐさみものにでもなってるに違いない。そうまでして金がほしいものか。浅ましい、恐ろしい子だ』と。


 例外的に、里の大人として認められはした。

 けれどもクイは、岩地の種火石エペと商いのほかのすべてを失い、ひとりになった。




   *   *   *




 そうして今は、もはやどこかも分からない山の中で、誰にも知られずに倒れている。

 黒崖タシンの里を出て何日歩いたか、もう覚えていない。最後に口にしたのは草だったか水だったか。始めの頃は感じていた足の痛みや寒さも、暗闇に対する恐怖も、今は薄れてどこか遠い。

 横倒しになってかすんだ視界の中に白い狼たちが現れた時、自分は今から喰われて死ぬのだ、とクイは思った。

 けれども狼は、クイに触れる直前、悲鳴を上げて飛び退いた。

 どうしたのだろう、と思っているうち地面と沢の水があっという間に凍りつき、土には目に見える早さで霜柱さえ立ち上がってきた。

 そしてクイのかすんだ目に、信じられないものが見えてくる。



 粉雪。



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