雪待ちの森

 クイは、こごえる谷をゆっくりと歩いている。

 ゆっくり、ゆっくり歩く。


 クイは、白の斎文ユーミを探している。


 今年、クイの住んでいた黒崖タシンの里には一向に雪が降らない。

 雪のない冬は不吉だ。

 雪は大地に降り積もり、一年のけがれを恵みに変えて土に沁み込ませる。その恵みによって次の春、芽吹いた草木が育ち、花を咲かせ、やがて実をつける。

 雪のないまま冬が終われば大地の穢れは抜けず、次の年は不作になる。山の獣たちも食べ物が足りなくなり、やがて人里に来て人間を脅し責め立てるだろう。なぜ雪のない冬を見過ごしにしたのかと。血肉によってそのむくいを受けよと。

 そうなると、里は何重にも苦しむことになる。

 雪が降らないのは、その土地の祈りにより生まれるはずの白の斎文ユーミがないからだ。雪の神さま白冽姫アーキラは白の斎文ユーミのある所だけに雪をもたらす。

 白の斎文ユーミの生まれなかった土地に雪を降らせるには、よそから持ってきて里に置くしかない。

 そういうわけで、クイが送り出された。

 他の里から奪えば争いになる。だから、人のいない山奥に探しに行く。人里離れた山々にも雪が降るのは、山の生きものたちが祈っているからだ。その斎文ユーミを探し出して持ち帰れば黒崖タシンの里にも雪が降る。


――しっかり探すんだよ。来年の恵みがおまえに掛かっているんだからね。


 村外れの門のところで見送ってくれた里長さとおさの声が、クイの耳に残っている。

 クイには分からない。広く大きな山から一つくらい貰ってきても大丈夫だというが、斎文ユーミを横取りするということは、森の動物たちの祈りを横取りすることではないのだろうか。自分たちの祈りによらない斎文ユーミで雪を呼ぶということは、白冽姫アーキラを騙すことなのではないだろうか。

 人は、盗んだり、神さまを騙したりして、赦されるのだろうか。そう思うが、問う相手はいない。


――私は、よその祈りを盗もうとする泥棒だ。恐らく、死んでもき死者の国へは入れない。


 家族も縁者もいない『岩地のクイ』なら、貧乏くじを引かされても誰も文句は言わないだろうと選び出されて、道もない冬の山に送り出された。

 斎文ユーミを探しに行くよう告げに来たとき、古老はこうも言ったのだ。


――おまえには済まないが、日頃の恩を返すと思って行っておくれ。


 確かに、十二で二親ふたおやをなくしてから岩地の家に一人で暮らすクイを、里の人たちは追い出したり奴隷扱いしたりはしなかった。身寄りのない子どもは里長や古老の家の下働きにするか、つてを探して別の土地にやるのが普通だが、クイは今日まで里の一員として扱われてきた。それは本当に例外の大人扱いだし、珍しく火種石エペを見分けられる子だから特別に親のあとを継いで岩売りもさせてやった、クイが飢えていそうな時には気にかけてやったはずだ、と里の大人たちは考えているに違いなかった。

 クイなら危ない役目に送り出しても、嫌がる親も縁者もいない。例え死んでも家族がなければ里長たちが恨まれることはない。あと腐れなく棄てられる。そういうことだ、とクイは思う。


――きっと、もう二度と里に戻ることはない。


 骨の芯まで冷えるような気持ちでクイは、森の枯れ葉や霜を踏んで歩き続ける。

 斎文ユーミを探しに出たら、見つけるまで戻ってはいけないのだ。見つからなければやがて山の中で死ぬだろう。

 実際、これまで帰って来た者はいないという。


 クイは、こごえる谷をゆっくりと歩いている。雪はない。

 ゆっくり、ゆっくり歩く。

 それはまるで、死にに行くようでもあり、自分の墓場へ入るまでの時をわずか伸ばそうとしているようでもあった。

 山の昼は短い。もう日が暮れた。

 どんどん暗闇に満たされていく森、そのどこか遠くで、狼の遠吠えが聞こえる。



――白冽姫アーキラ、本当にいるのなら。

――雪さえ降ってくれたなら、こんなことには。



 クイは、白の斎文ユーミを探して歩いた。

 決して見つかるはずのない希望を。

 それは、クイ自身の望みというわけではない。黒崖タシンの人々の望みがクイに負わされているのだ。



 クイ自身の望みは、ただ――




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