十夜火姫の歌

鍋島小骨

神さまの子

 斎文ユーミを探して歩くことは、祈ることであり、捧げることそのものだった。

 人々の祈りが形となった神への供えものを斎文ユーミと呼ぶ。それを探すため里から送り出された子どもは、ただひたすらに歩いた。

 見付からないからだ。

 存在するかどうかも分からないものを探して歩く彼らは、様々な苦しみや、すべきことを果たせない無力感を一身に背負う。そして、時に逃げ出し、時に倒れて誰かに救われ、あるいは倒れたまま死んでゆく運命さだめだった。

 それゆえ、元いた里に斎文ユーミたずさえて戻る者はいない。

 送り出されることは、故郷との永遠の別れと孤独な死を意味していた。


 旅する子どもたちの心には初め、たくさんの感情が渦巻いている。苦しむ故郷を見た悲しみ、その故郷を出されて二度と帰れないであろう悲しみ、見たこともないものを探す役目を果たせるかどうかの不安、神なるものやその恵みや、恵みの欠落が起こすわざわいに対する恐れ、旅して傷つく痛みと飢え、そして死に対する恐れ。

 しかし、歩き続ける子どもの中には、やがてそのような重荷もすべて道々に落としてゆき、最後にはただ、斎文ユーミを求め、歩き、神にまみえることだけを願うひとかたまりの命となる者がある。

 森や荒れ野や砂漠では、時に、そのような者の足跡だけが現れては消えることがあった。

 人々はそれを、『神さまの子』が通った、と考え、水や酒、少しの穀物や花などをわずか持ち寄り足跡の一つに供えて祈る。

 次の日、供え物と足跡が消えるのは、それらと祈りが融け合って斎文ユーミとなり天を駆け風に乗り、遥か先を歩いているであろう『神さまの子』に届くのだと信じられていた。


 もちろん、誰も斎文ユーミを見たことはない。

 ただ、神さまの子がやがて無事にほんものの神さまになり、自分たちとその土地を助けてくれることを祈ってお供えをする。

 まだ見ぬ未来の恵みを願って、形ないものに祈る。

 神々の恵みがあるように、祈りが届いてわざわいが起きないように、皆、自分と自分につながる土地のことを願う。

 祈れば、神はきっと応えると信じて。


 子どもがどこへ歩いていくか、追う者は誰もいない。




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