第210話 リクトからのご褒美とエミリアの懸念
「遮断」
ハルカとリクトの間にマキアスが降り立つと同時に、彼は足で床を鳴らすように軽く叩きながら魔法を唱えていた。
いつの間にかハルカが掛けられていた魔法は解かれていたようで、体に自由が戻る。
「ハルカちゃんの精霊獣の炎、面白いっすね。隊長が気を付けておけって言ってた理由が、これかぁ」
白を基調とした部屋の中で、真っ黒な髪と瞳のリクトは悪びれもせず、にこにことしていた。
「何の為に、リクトがこんな事……。それに隊長って、クロムも、関わってるの?」
「まっさか、ハルカちゃんにおれの魔法が通用しないなんて、驚きっす。まぁ、そんな事もあるかもしれないと思って、別のご褒美を考えてたんっすけど」
ハルカの質問には答えず、リクトがすたすたとこちらに歩み寄ってくる。
だからハルカは思わず、武器を手にする為、腰回りにある装飾品へ触れようとした。
その瞬間、リクトの姿が消えた。
えっ!?
どこに——。
「でも、2人っきりで話したいから、変な事はせず、精霊獣も帰してね」
ぞくりとするほど優しい声が、ハルカの後ろから耳元を掠める。そしてハルカの意思とは関係なく、その言葉通り装飾品から手を離し、行動した。
「マキ、アス、かえっ、て!!」
振り向いたマキアスの瞳は悲しみに満ちていて、胸が苦しくなるほどの悔しい気持ちも同時に感じ、ハルカも唇を噛む。
そして抵抗するように暴れていたマキアスが、生誕石のある場所に吸い込まれるように消える。
「さっ、お姫様。何なりとご質問を」
「ふざけないで!!」
ハルカの前に回り込むと、リクトはわざとらしく膝をつき、ハルカの手の甲に唇を落とす。
「女の子ってこういうの、好きなんじゃないっすか?」
「こんな状況でそんなおかしな事されて、好きも何もないよ! 早くこの魔法を解いて!!」
ハルカは身動きが取れず、声だけでリクトに威嚇していた。
それなのに、立ち上がったリクトは首を傾げた。
「わっかんないなぁ。何がいけないんっすかね。あ、魔法は解かないっすよ。ごめんね。その代わり、いくらでも怒鳴っていいっすよ」
そう言いながら、リクトは何かを閃いたような顔つきになった。
「緑の騎士くんだったら、いいって事?」
「何言って……」
「じゃあもう1度、なってあげようか?」
その言葉通り、リクトの顔がゆっくりと変化する。
「やめて!!」
ハルカの怒鳴り声にきょとんとした顔になったリクトが、今度はぶつぶつ言いながらソファへドカッと座った。
「女の子、難しすぎる……。あ、ハルカちゃんも隣へどうぞー」
勝手に足が動き出し、ハルカは倒れそうになりながらも、リクトの横に座らせられた。
「質問に答えて。リクトは何の為にこんな事をしてるの? それにクロムは、この事を知ってるの?」
何を考えているのかわからないリクトへ、ハルカは低い声で尋ねる。
本当ならまたマキアスを召喚したいが、リクトから目的を聞き出せなくなるかもしれないと思い、ハルカはタイミングを見計らっていた。
すると、難しい顔をしていたリクトが笑顔を向けてきた。
「そうだった。おれだけの魔法を見破ったハルカちゃんへのご褒美がまだだった。質問はそれだけでいいっすか?」
「ご褒美って、何なの……」
「本当はもっといろいろ考えてたんっすよ。でもね、もうすぐハルカちゃんとお別れだから、ちゃんと真実を教えてあげるべきだよなぁって、思ったんっすよね」
そういえば、さっきカイルの姿で元の世界へ帰れって言ってた。
帰る方法が、あるの?
もしそうだったとしても、ハルカはこの世界で大切な人達と生きる事を決めている。未練がないと言ったら嘘になるが、もう両親のいない地球に帰るつもりはなかった。
「よくわからないんだけど、もし帰れたとしても私は帰らな——」
「ハルカちゃんの意思は関係ないっすよ」
リクトはさきほどまでと変わらぬ笑みを浮かべているのに、瞳の色は冷たさを増した。
「全ての罪は、異世界の人間と、それを喚び寄せた者にあります。3年前の戦争も、私達のせいで起こってしまった出来事でした。ですから、異世界の人間が今後この世界へ入ってこないよう、聖王様に神からの助言を託して、私はこの世界を去ります。そして喚び寄せた者にも、罪を償ってもらいます」
先程言わされそうになった事を、リクトがまた言い始めた。
「これ、もう決定事項なんっす。だからハルカちゃんの言葉が必要だったんっすよ。声にもその人の魔力が含まれるっす。運良くハルカちゃんはキニオスに登録されてるから、同一の魔力と鑑定されれば、聞いた人は信じるしかないっすからね」
人差し指を左右に揺らしながら、リクトは得意げに説明をする。
そして今度は腕を組むと、難しい顔つきになった。
「でね、3年前の戦争の真実を明るみに出したら、聖王様が失脚させられちゃうんっすよね、きっと。あんなクズの血を引いているせいで、責任を問われて。けれど、これからの新しい世界に聖王様は必要だ。だからね、ハルカちゃんと緑の騎士くんには、それを背負って消えてもらうんっすよ」
「何を、言ってるの……?」
戸惑うハルカへ、リクトは悲しそうな顔を向けてくる。
「ごめんね。罪もないのに……、なんて言えないけど。ハルカちゃんもさ、やっぱり異世界の人間だから、この世界にいらない。そして緑の騎士くんの『約束』がハルカちゃんを喚んだんでしょ? そうするとさ、やっぱりいらないっすよ、2人とも」
そう言い切ると、リクトはゆっくりとハルカに顔を寄せてきた。
「『異世界の人間がもたらした歪みは、異世界の人間を使って正してもらう』ってのが、おれらの目的っす。異世界の人間の存在を憎み、異世界の力を求める気を起こさせないようにすれば、もう異世界の人間がこの世界に紛れ込む事はない。そうしたら、どんな人も傷付かない、優しい世界に戻るはず、なんっすよ」
悲しそうな顔のまま、リクトはハルカを見つめていた。
その悲しみは先程のカイルの姿で口にしていた、異世界の人間が与えた影響の事に繋がるのだろうと、ハルカは感じ取る。
「リクトや……クロムは、私が消える事によって、この世界が、昔のように差別のない世界になると思ってるの?」
「そうっす。だからこんな手間のかかる事してるんっすよ。あ、エミリアも聖王様もっすよ」
そんな……。
クロムの名前ですら、自分で口にしたとはいえ信じられなかった。それなのに、エミリアさんもルイーズまでもがそれを望んでいた事を知り、ハルカは絶句する。
「びっくりした? 隊長も人が悪いっすよね。わざわざ仲間のフリするなんて」
「……待って。仲間のフリって、それなら、カイルも?」
「緑の騎士くんは違うっすよ? 隊長は緑の騎士くんと出会う前から、おれら側っす」
そんな、そんな……!!
カイルと共に生き延びた人で、カイルの大切な人達とも一緒に過ごしてきたはずなのに。
カイルの心を支えている人が、カイルと出会った時から仲間のフリをし続けていたって事!?
そう思った瞬間、ハルカは自分の意思でリクトの胸元を掴む。
「カイルに、何をする気なの!?」
「おっと。やっぱハルカちゃんは特別な黒だから、余計に同じ黒の魔法が効きにくいっすね。それとも、緑の騎士くんの事が大切すぎるから、かな?」
怒りに震えるハルカの肩を押し返しながら、リクトは顔を覗き込んできた。
「捨てられたのに、もう大切に思わなくていいんじゃないっすか?」
何の感情も浮かんでいないリクトの真っ黒な瞳に見つめられ、ハルカの心が一瞬にして冷える。
「な、何か、事情が……」
「本当に? それに、ハルカちゃんの仲間からも、通信がないっすよね?」
「えっ?」
「可哀想に。まだ気付かないなんて」
ハルカの頬にそっと触れながら、リクトが口元だけで笑う。
「みんなに、見捨てられたんっすよ」
「そ、そんな事あるわけない!!」
「じゃあ、みんなに通信してみていいっすよ」
リクトの手を払い除け、ハルカは通信石を取り出して名前を呼ぶ。
もしかしたら、繋がらないかも、しれない。
「カイルへ」
エイダンくんが大変な時だから、出られないかも、しれない。
「サンへ!」
お父さんとの話し合いで、気付かないかも、しれない。
「ミアへ!!」
ミアに付き添っているから、また後で、通信をくれるかも、しれない。
「リアン、へ……」
ハルカは声をかけながら、通信石が反応しない事に気付く。
「ほら、登録すら、消されてる」
信じられなかった事をリクトから口にされ、ハルカの通信石を握りしめる手が震えた。
私、いつ、通信石、使ったっけ……?
どうして使ってないのに、登録が……。
登録を消すのだって、通信石同士を触れ合わせなきゃいけないはずなのに。
必死に記憶を探り、ハルカは思い出した。
あ……。
キニオスに帰ってくる時、定期便の中でクロムの登録をした時から、使ってない。
それって——
「あの時から、みんなはこうなる事を、知ってたの……?」
考えをそのまま口に出し、ハルカの手元からオレンジのガーベラの形をした通信石が滑り落ちる。
「こんなに大切な事を教えないなんて、本当に仲間だったの?」
リクトがハルカの通信石を拾い上げると、ハルカの手にそっと戻す。
「やっぱり、ハルカちゃんは元の世界に帰るべきだ。だってほら、誰もこの世界に居てほしいって望んでない。それにもう、こんなに傷付いたハルカちゃんを、見てらんないっす」
ゆっくり近づいてきたリクトが、ハルカを優しく包み込む。
「おれならこんなに酷い事なんてしないよ? だから、おれの言葉だけ信じて。あ、でも、さっきの続きはするね。あと、孤児達がどんな目に遭ったのかは、教えておいてあげる。それが終われば、ハルカちゃんが元の世界に帰るまで、傷付く事なんてしないっすよ」
優しく優しく囁かれ、ハルカは自分が泣いている事に気付いた。
「私は……」
何の為に、この世界に来たんだろう。
少しずつ元に戻り始めていた大切なカケラが、今度こそ元には戻らないように打ち砕かれた気がして、ハルカの目の前が真っ暗になった。
***
「エーミーリーアー!」
リクトの声が聞こえ、エミリアは内心で舌打ちをしたくなる。
そして急ぎ扉を開き、ソファに座り込む異世界の少女の元へ行く。
彼女の闇のように深い黒の瞳はいつもキラキラと輝いているように見えていた。それなのに、今はその光が見えない。
「ハルカ様の心は壊すなと、言われていたはずですが?」
「壊すつもりなんてなかったっす。もっと強い子だって思ってたんっすけど、違ったみたい。でもさ、真実を隠したままハルカちゃんを利用する方が、よっぽど酷いっすよね?」
あぁやはり、同席すればよかった。
リクトの悪い癖が出たと、エミリアは顔をしかめるしかなかった。
「おれらの目的も伝えたし、あと、お仲間のみんなと通信を取れない事も伝えた。聞こえてるかわかんなかったっすけど、おれ達が見てきた拷問の内容も伝えておいたっすよ」
「何故そんな余計な事を」
「だって、元の世界に帰りたがってなかったから。心から帰りたいと思えるように、優しいおれが、その気持ちを消してあげただけ」
当初の予定では言葉を記録させ、リクトが約束の民の姿のまま、異世界の少女を見送る日まで寄り添う予定だった。
けれどリクトは元の姿に戻っている。
だから、エミリアは確認した。
「ハルカ様に魔法を見破られて、そんな事を?」
「正解! だからおれなりのご褒美をあげたんっすよ」
そう言いながら、リクトは言葉を記録したであろう小さな白い箱を、エミリアの目の前に掲げてくる。
「でもきっちり言葉はもらえたんで、問題ないっすよ。やっぱり心を折った方が従わせやすいっすね。じゃ、おれはこれを隊長に渡してくるんで、ハルカちゃんをよろしくね、エミリア!」
エミリアの返事など待たずに、リクトは慌ただしく部屋から出ていった。
「ハルカ様……」
力なくソファに身を任せている異世界の少女の頬は涙に濡れていて、哀れみを感じる。
「今はどうか、夢の中へお逃げ下さい」
ゆっくりと抱き抱えるとベッドまで移動し、そっと横たわらせる。
そして涙に濡れた瞳を覆い、エミリアは眠りの魔法を掛けた。
「ハルカ様はご自身で答えをおっしゃっていましたね。あの時のわたしの質問に答えたあなたは、こんな状況でも希望を見出せるのでしょうか?」
異世界の少女の内に秘められている強さを、エミリアは感じていた。
だからこそ、きっと彼女はまた前を向くだろうと、そんな考えが浮かんだ。
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