第106話 小さな悲劇とある奴隷商人の末路

 深緑色のお風呂を堪能しているからか、疲れが取れ、頭がすっきりとしている。

 そして、プレセリス様の『心が揺れる時、何かに触れた時、不思議に感じた出来事があるはず』、という言葉を思い出したせいか、深緑色のカケラが還る瞬間が頭の中に浮かんだ事に疑問を感じた。


「えっと、あの時は確か……」


 その疑問の答えを探るべく、ハルカはその時を再現しようとしていた。


「そうだ! 両手ですくって、声をかけたんだよね」


 両手でそっとすくい、あの時の言葉を言う。


「あなたはどんな言葉がほしいかな?」


 しかし、今回は何も浮かばなかった。


「な、なんか、間違えたのかな? うーん、一応最後まで言ってみよう」


 そしてハルカはめげずに、浮いているお湯に浸かりながら、使い終わったと考えつつ、声をかけた。


「また会おうね」


 その瞬間、ハルカはお湯と共に落下した。


 ベチャン!


「いったぁーーーーい!!」


 かなりの大声を出してしまったが、それを気にするどころではない痛みに、涙がにじむ。

 使い終わった、と考えて声をかけたら、水が元の場所に還る為に消える事はわかっていたのに、やってしまった。

 そして、そんな声が聞こえたら、すぐに動くであろう人物が浴室に入ってきた。


「何があった!?」


 なんでそんなに早いの?


 そう思いながらも、ハルカの口からは違う悲鳴が上がった。


「みっ、見ないでーーーー!!」


 ***


「悪かった。本当に悪かった。お願いだから、何か話してくれ」

「…………」


 打った場所が痛むので、椅子に座る事ができないハルカは、ベッドに腰掛けながらうつむいていた。


 無理。ほんと、無理。

 だって、お湯もなかったし、全部見られたはず。


 そう考えたハルカは、恥ずかしさのあまり叫び出したくなった。


「これだけは教えてくれ。どこが痛む?」

「だいじょうぶだから、ほおっておいて」


 ハルカは極力感情が出ないように、平坦な声で返事をした。

 すると、カイルの声と指を鳴らす音が聞こえた。


「癒しを」


 この言葉で、痛みが引いていった。


「……ごめん。ありがとう」

「一応、全身にかけてみたが、もう痛みはないか?」

「うん」

「とりあえず、俺も温浴をしてくる。その間、ゆっくりしていてくれ」


 そして、カイルは浴室に消えていった。


「戻ってきたら、ちゃんと謝ろう……」


 1人部屋に残されたハルカはそう決意しながらも、先程の恥ずかしさをまた思い出し、呻き声を上げていた。


 ***


 ——地下牢


 光が差す事のない無機質な部屋の中を、壁の小さな石の明かりだけが照らしている。



「ぎゃあぁぁあ!!」

「うるさいっす。黙るっすよ」

「ねぇ、そちらの目じゃないのだけれど……」


 いたいいたいいたい!!

 椅子に縛り付けられて、目を押さえる事もできねぇ!

 

「えっ? なんでもっと早く止めてくれなかったっすか?」

「速すぎて。ではもう1度、やり直しましょう」

「もういいっす。初めから、どっちも潰しておけばよかったっすよ」


 こいつら、尋問する、なんて言いながら、何故目を潰してきた!?


 そう考えた瞬間、自分の右目から、何かどろっとしたものが飛び出したのがわかった。


「ぐぅぉぉおお!!」

「『右目でウインクするのが発動動作』とか、ふざけてるからこんな事になるっす。さぁ、全部吐くっすよ」


 こんな状態で何が話せる!

 やっぱり黒はイカれてやがる!!


「わかっていて、間違えたのですね。まぁ、問題ありませんが」


 もう目は見えないが、この女が、汚物を見るような目つきで俺を見ていた事は覚えている。一緒にいる男もそうだ。

 これが正義なのか? ちくしょう……。


「よく聞きなさい。あなたが生かされているのは、主の慈悲。その慈悲に報いるのです」


 ふざけるなよ、女!


「ぐぅぅっ……! だ、誰が、慈悲をくれ、なんて、言った。いっそ、殺せ」

「返事はそれじゃないっす。その耳は飾りっすか? ちゃんと質問に答えるっすよー」


 さっきからこの男の、癪に障る話し方が気に食わねぇ。

 話さない事で、一泡吹かせてやる。


「何も、話す、ことは、ねぇ」

「意外に根性あるっすね。もっとまともな人生を歩めたはずっすよ」

「時間の無駄です。から情報を抜き出して、処分します」


 女は痺れを切らしたようで、そう宣言しやがった。


「一応、人の姿をしている人もどきっすよ。だから、ちゃんと聞き出しましょう、って言われてるっすよね? 勝手な事したら隊長から大目玉っす」


 俺は人だ。人じゃねぇのは、異世界の血が強く出ている化け物達の事だろう?

 それじゃこの世に生まれた意味がねぇから、人様にうまく使ってもらえるようにしてやったのに……。

 裁かれる理由なんかねぇだろ。


 そして、何かで口を塞がれた。


と一緒にいるこの空間が、耐えられません」

「じゃあなんで立候補したっすか……」

「あなた、見張っていないと、でしょう?」


 なんだ? 遊ぶって。


「だって、こいつは人じゃないっす。だから、人に味合わせた苦しみを同じように与えて、教えてあげなきゃ。それが、おれの魔法の意味だから」


 意味がわからねぇよ。

 俺はそこまで酷い事なんてしてねぇ。

 なんなんだよ、こいつら。


「じゃあ、情報を抜き出したらお好きにどうぞ。ちょうど穴を作り出せる場所ができそうですし、そこからでも」


 穴? 何が始まる?


「これ、汚れるからあんまり好きじゃないっす。まぁ、隊長がそろそろ戻ってくるはずだから、やるっすかね……」

「猿ぐつわをしていたのだから、やるつもりだったのでしょう?」


 そう考える俺の目が、引き抜かれたのがわかった。

 そして、激痛が走るそこへ、何かが入ってきた。


「————!!」

「はぁ。こんな事している場合じゃないんっすよ。早くハルカちゃんに会いに行きたいのに」

「そのうち、嫌でも会う事になるでしょう。今はまだ、その時ではありません」

「まだ待つっすかぁ。この切ない感情が恋、ってやつなんっすね」

「何を馬鹿げた事を……。さっさと始めて下さい」


 今まで味わった事のない凄まじい痛みに悶えながらも、訳の分からない会話を聞かされた。

 そして、何かが始まると同時に、俺の思考がごちゃ混ぜになるのと、全身が勝手に震え始めたのだけがわかった。

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