宮下礼菜②

 去年の夏以降、公園には行っていない。中学卒業して高校に入ってからも欠かさずここでシュート練習を二人でやっていたけれど、私はぱったりとやめてしまった。

 バスケをやめた。

 それを達海に知られたくなくて、また自分が情けなくて、とても行く気になれなかった。達海を避けていた。だから、多分一年ぶりだと思う。

 行こうかやめようか迷っていたら、部活が終わる時間を大幅に越していた。まあ、学校で会ったらなんか怒鳴られそうで怖いし。

 そっと公園の近くまで行くと、ボールの跳ねる音が響いてきた。入り口からそっと覗く。

 砂が詰められた地面だから、ドリブルの音はなんだか軽い。背が伸びても器用なところは相変わらずで、ボールを自在に操っていく。大きな動きで透明な相手をかわして、そのままゴール下のシュートを放つ――と思ったら違う。

 スリーポイントのラインでキュッと止まり、そのまま背筋を伸ばして跳ぶ。

 高く、跳ぶ。

 右手首だけでボールを弾いた。ワンハンド。

 伸び上がった彼の腕から離れていくボールは、弧を描いてゴールの中へ吸い込まれ……なかった。

 ガシャンッと大きな音を立ててボールは呆気なく遠くへ弾かれる。それを片手で軽々拾うと、そのままゴール下からひょいっと投げ込んだ。ナイスリバウンド。

 すると達海は、私の視線に気がついた。コートの外に置いていたタオルを取って汗を拭きながらこっちへ手招きする。

「おせーよ、バカ」

 そろりと近づけば、すかさず悪態。でも、これには文句が言えない。

 近づけば、シャカシャカした音楽が足元から這い上がってきた。それが無言な私たちを冷やかす。達海のスマホから流れているらしいその音楽が邦ロックかなぁと予想してるほどに私は現実逃避。

「その曲、何?」

 聴いてみると、達海はぶっきらぼうに「練習用BGM」と答える。「ふーん」と私はそっけない。

「好きなの?」

「まぁまぁ。兄貴がよく聴くからパクった」

「へぇ」

 確か、達海のお兄ちゃんは私より一個下の高校二年生だ。学校は違うけど、中学の時は陸上部のエースだった。今はどうなんだろう。

 そんなことをぼんやり考えていると、思考を遮るように激しい歌が流れる。夕焼けの空へ熱い詞を、いや、雄叫びを目一杯上げて。

『しょっぱいも 苦いも

 飲み干してしまえばいい

 ぜんぶぜんぶ飲み干して

 自分のものにすればいい

 お前がお前を諦めんな!!!!』

 爽やかなボーカルの声なのに、歌詞はどうにも荒っぽい。なんだか達海に似てる。

 しばらくその曲と歌詞を聴いて、私は黙りこくった。

 だって、後ろめたい。この砂埃舞うコートに立つのも許されない気がして逃げたい。

「おい」

 ギターとドラムのサウンドをバックに達海の低い声。彼は私にボールを放って寄越した。

「投げろ」

「えっ……いや、でも……」

 動揺のあまり、胸の鼓動がドキリと跳ね上がる。

「いいから」

 久しぶりに触るボールの感触は手に馴染むけれど、これを持つ資格がない気がして放り出したい。

 達海はもう走っていて、パスのサインを出している。仕方なく、思い切りバウンドパスを送る。彼はボールをキャッチしてその場からロングシュートを放つ――外れた。ボードに当たって跳ね返る。

「次、ライナ」

 ボールを取って達海はぶっきらぼうに言う。

「いや……いい、私は」

 後ずさりながら言うと、達海が一歩詰め寄った。

「なんで」

「だって……バスケ、やめたし」

「かんけーねぇだろ。じゃあ、体育の球技もそうやって避けんの? やめたからバスケすんなとか誰も言ってねぇじゃん」

 それはそうだけど。

「なんでやめたんだよ。オレ、お前のプレーが見たいから同じ学校に来たのに。練習にも来ねぇし。怪我したからって別にやめるほどのことじゃねぇだろ」

 たたみかける言葉に、思わず息を飲んだ。

「怪我、知ってたの……?」

「バカにすんな。見りゃ分かんだろ、それくらい」

 そう言って達海は私の右手首を握る。じわっと優しい握り方なのに、私は怯えたように肩を上げる。

「もう治ったんだろ、手首」

「うん……」

 去年の春、予選前に私は手首をねんざした。足の故障ならまだしも、利き手の故障はやっぱりダメージが強い。何度も怪我してきたけれど、右手首のねんざは私の得意を奪った。

「もったいねぇんだよ。点取のお前が消えるのは」

 イライラと言う達海。その悔しげな声に、私まで苛立ってしまう。

「私だってやめたくなかったよ。でも、また手首使えなくなったら今度はねんざじゃ済まないよ。私は足遅いし、身長もないから点稼ぐしかないんだよ。それなのに……」

 シュートを打つのが怖くなった。怪我が治ってもその恐怖心に縛られてフォームが乱れる。あんなにキレイに決まっていたのに、あちこちに跳ね返されていく。

 どうやって入れてたっけ。思い出せなくなる。そうなると、もうコートに私の居場所はない。

 達海の手を振り払って、私は右手首を守るように握った。

 私からシュートを奪ったら何も残らない。そんな空っぽな私を見せたくなかった。だから、バスケも達海も避けるしかなかった。

 スマホから流れる音楽は、気休めな詩をうたう。何が「諦めんな」だよ。諦めるしかなかったんだ。

「……泣くなよ」

 達海は頼りなく言う。困ったように。

「泣いてないし!」

「じゃあ……怒んな」

「怒ってない!」

「それは嘘だろ」

「……どうでもいいよ、そんなの」

 面倒くさいな、まったく。

 達海を睨むと、こいつは眉をひそめて項垂れていた。どうにもしおらしくて、私はまた気まずい思いを抱く。

 達海がため息を吐いた。まくっていたTシャツの袖を下ろしながら。

「――オレ、お前のプレー好きだった」

「え?」

 思わぬ言葉に驚くと、達海は口角を上げた。

「速攻の場面なのによ、止まってフェイクかけてボール打ってさ。そのフォームが誰よりもキレイだった。中学のときも、ここで練習してるときもいつだって。ずっとお前のフォームを盗んでやろうと思ってた」

 達海は人差し指のてっぺんでボールを回した。バランスを取ろうとよろめいて地面に落ちる。テンテン、と転がるボールは私の足元で止まった。

「シュートの打ち方、忘れたんならオレが教えてやれる」

「え……?」

「何年見てきたと思ってんだよ。お前のフォーム、コピーするためにずっと見てきたんだ」

 達海はタオルで私の頭を覆った。その上から大きな手でくしゃくしゃと撫でてくる。

 恥ずかしいからタオルに隠れたままで私は口を尖らせた。

「……何それ。一回も決まらないくせに」

「うるせぇ。一応入るようになったし」

「率は?」

「……20%パーくらい」

「入んないじゃん」

 相変わらずシュートは下手だった。ずっと私を見て練習してるくせに。

「うるせぇ」

 達海はぶっきらぼうに声を投げた。

「言うとおりにやってるけど、やっぱ試合中は入らねぇ」

 止まったままでボールを放つ。達海の手から離れるそれはきれいな軌道を描いた。パスっと網に落ちる。

「でもさ、諦めたらそこで終わりだろ」

「出た、名台詞」

 古いバスケ漫画のワンシーンを思い出す。私はタオルを頭にかけたままフフッと笑った。

「まぁ、それもだけど」

 達海はちらりとスマホを見やった。ずっと流れているそれは応援歌。「諦めんな」とかそういう歌詞がつらつらと流れていく。

「お前の居場所はそこじゃねぇだろ、って歌詞がある」

「へぇ」

「オレはお前にそう言いたい」

「うーん……」

 お前の居場所はそこじゃない、か。

 まったく、二つも下のクソガキにここまで言われちゃ敵わない。

「パス、投げて」

 息を大きく吸い込んで、達海のパスを受ける。狙いを定めて、手首ではらう。

 スッと離れるボールは弧を描いてゴールへ向かう。でも、その手前で呆気なく落ちてしまった。かすりもしない。虚しさが転がる。

 私は「ほらね」と苦笑を向けてやった。でも、達海は一切笑わない。ため息を吐いてボールを拾って、手のひらで転がす。

「今度の試合」

「ん?」

「オレがスリー入れたら、お前、大学でバスケやれよ」

 その声には少し意地がある。

「俺もすぐに追いついてやるから」

「……何それ」

 試合でシュート決まったら、とか。どっかの青春漫画かよ。

 私はやっぱり苦笑。でも、なんだか心地良い。むずがゆくて、恥ずかしい。でも、嬉しい。

 やめてよ、そんな真剣な顔で。チビだったくせに。クソガキだったくせに。生意気すぎ。ほんと、ありえない。

 顔が熱くなってくる。赤く火照ってきそうだから、今が夕方で本当に良かった。

「……まぁ、入ればの話だよね」

「ぜってー入れてやる」

 照れくさく笑う私に、達海は機嫌よくボールを地面に叩きつけた。空へと跳ね上がる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る