蝕む月

不死身バンシィ

第一話 ムーンライト

「オラッきたねえフロー者がよぉ!ニンゲン様の街をウロチョロしてんじゃねえよ!」


 程よく酔っ払ったスーツの男の爪先蹴りが、蹲った私の脇腹に食い込む。ここで言う「程よく」とは「気が大きくなり普段出来ないことをやってしまう」位の酔い方だ。これは個体差もあるので見分けが難しく、鋭い観察眼と蓄積された経験がモノを言う。


「うぐぅっ、あぅぅ」

「おぉ?まるでニンゲンみたいに鳴くじゃねえかこのブタは。ノラになる前はヒトに飼われてたのか、よっと!」

「ぎゃあっ」


 私の悲鳴に気を良くしたスーツ男が更に蹴りを加えてくるが、これは演技だ。

腹筋、特に脇腹を鍛えている私にダメージは無い。この時のリアクションが最も重要で、大袈裟過ぎず、しかし相手の嗜虐心を煽る程度に悲鳴を上げる。それにより「手応え」を感じた相手は安心して同じ箇所を蹴ってくる。


「オレ達がよぉ、毎日働いてゼーキン払ってこの街をキレーにしてんのによぉ、テメーらはゴロゴロしてやがって、ムカツクんだよオラァッ!」

「ぎぃっ」


 少し溜めが入り、今までより一際強い蹴りを打ってきた。つまり飽きてきたという事だ。この瞬間を見逃さず仕上げに入る。


「もぅ、もうやめてぇぇ」

「うわきったねぇ!さわんじゃねえよブタぁ!」

「ひぃっ」


 振り払われ、地面に転がり再び蹲る。ついでに啜り泣きも添えておく。


「チッ、もうこの辺うろつくんじゃねえぞ。次見たらコロスぞクソが!」


 スーツが足早に立ち去っていく。不思議なもので、一通り暴力を振り終えると何故か皆急いでその場を離れたがるのだ。スーツが居なくなったのを確認してから立ち上がり、スーツとは逆方向に歩いて公園を出る。


「さて、今日のアガリはと」


 少し歩いて別の公園に辿り着き、ベンチに腰掛けて右手に握り込んでいた財布の中身を確認する。さっきのスーツ男からくすねておいた物だ。即ち、これが私の商売。

非合法の「蹴られ屋」だ。


「よしよしかなり残ってるな、鑑定通りだ」


 あのスーツは私を「たまたま目についた浮浪者」だと思っているだろうがそうではない。私はあの男を飲み屋街から尾行していたのだ。一軒目を出る所から、ハシゴして三軒目を出るまでずっと。スーツや腕時計、革靴から収入を推定し、店外で連れと割り勘する所から財布をどこにしまうのかを確認する。あとは連れと別れてからの道行きで帰宅ルートを算出、先回りして如何にも邪魔そうな位置に陣取るだけだ。

 

「いちち、最後のはちと受け損なったかな。それとも、そろそろ歳なのかねえ」


 鍛え込んであるはずの脇腹がじくりと傷んだ。まあこの仕事をしていればこれもよくある事だ。だが、このところミスの回数が増えてきた気もする。いい加減、体にガタが来ているのかもしれない。


「そうは言っても。そうは言ってもなあ……」


 思えば、新卒で入った会社を上司と喧嘩して辞めて、派遣、バイト、日雇いを転々とすること五年。ついに雇用先が無くなり、ホームレスに落ちて三年。何とか生き延びようとこの商売を思いつき、何年経ったか。もはや自分が何歳なのかも分からない。西暦を確認すれば分かるかと思ったが、自分の生年月日が全く思い出せなかったので諦めた。何故私は自分の誕生日も覚えていないのだろう。


「なあ、お月さん。私はどこで間違ったんだろうなあ」


 夜を見上げれば、ただ一つの満月が煌々と浮かんでいた。満月の光は、普段の月よりも少し黄味がかって見える。その黄色い光を見る度、思い出す光景がある。


 同じように満月が浮かぶ夜の下、私は母に連れられ道を歩いていた。最も鮮明に残っているのは、私の手を握る母の手と腕。母のコートのクリーム色が未だに記憶に焼き付いている。何故そこが残っているのかと言うと、顔が思い出せないのだ。母の顔が。月と並ぶように私を見下ろしていた母の顔が。あの時、母は一体どんな顔で私を――


「……はぁ」


 この光景を思い出す度、私は立ち止まってしまう。その時何をしていようが、私は手を止めて茫然自失してしまうのだ。思えば上司ともそれを咎められて喧嘩になったのだったか。あのあと、私はどうなったのだろう。しばらくしてから母は再婚した事は覚えている。しかし母と義父の間に子が生まれると、少しずつ家に私の居場所はなくなって、それで家を出て……


「ああ、いかんいかん。さっさと飯でも調達するか」


 財布から金を抜き、札を確認すると20万近く入っている。随分と景気の良いことだ。一体どこのお大尽かと、免許証を抜いてみる。


「ん?この顔、どこかで」


 顔写真で改めて確認すると、何か記憶に引っかかる顔だ。

 はて、どこで。首を捻っていると、ふと公園外のカーブミラーが目に入る。


「……ああ」

 

 鏡など、もう何年も意識して見ていないから忘れていた。

 あの男は、私の顔に似ていたのだ。まあこれだけ汚れていれば向こうには分からなかっただろうが。


「あいつ、確か親とは反りが合わないとか言ってたよな」


 飲みながら連れにそう愚痴っていた。もう一生家に帰る気はないとか。


「ふぅん、そうかそうか……」


 何が私に囁きかけたのか、脳裏にある閃きが浮かんだ。まずは身支度だ。久しぶりに風呂に入って、服を買って、床屋にも行かなければ。それから――


「戸籍を確認しに行かないとな」

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