違和感の夏
ソラの舞台はその日の3週間後、8月になった頃だった。
最初と同じようにソラがボクがバイトをしているコンビニの裏口に来て、チケットとフライヤーだけ渡して帰っていった。
前回は適当なパーカーを着て行ってすこし後悔したので、新しくシャツを新調して劇場に向かう。道には迷わなかった。
涼しい客席に座って汗を拭う。そして、カビ臭い空気を肺いっぱいに吸った。開演のブザーが鳴って、幕が上がった。
『さて、今夜も詠い語りましょう、どんな夢をご所望かしら?』
今回は最初からソラが真ん中で、台詞を言っていた。
物語の舞台は、10年後の日本。夢を金で買える時代。『夢屋』として生きる少女カオルが男たちの夢を通して人生を振り返る物語だ。
仕草や雰囲気は完璧でも、少し不安だったのがソラの体格だった。だけど、ソラが言っていたように周りの男達はみんなマッチョだしソラより遥かに大きくて、ソラはちゃんと華奢な女の子に見えた。
『辛かったのね、悲しかったのね。大丈夫、私はあなたの望む夢を見せてあげるわ』
『何を言っているの、すべては貴方のその怠惰のせいじゃない。』
『私には関係ないわ。私にはもう…夢なんて…』
主演なのもあって、ソラの台詞がほとんどでずっと舞台に出ずっぱりだった。だけど、セリフひとつひとつが生きたカオルが発しているようだった。
優しい顔から厳しい顔、冷たい顔、カオルの全てを見た気持ちになった。時折見せる幼い表情までもが本物で、本当にソラなのか?と何度も何度も目を擦った。
…夢を見せた少女は自分の夢を見失い、また探し出す。カオルは切なくもスッキリした顔で闇に消えた。そして幕が降りる。
はぁ、と息を吐き当たり前のように前のめりになっていた体を背もたれに乗せる。ソラからは「また打ち上げしようぜ、客席で待ってて」と連絡があったので、あの時みたくぼうっと人の居なくなった客席を眺めていた。そして、暑さで疲れきってしまったボクは、寝落ちてしまった。
ふと視線を感じ、気味が悪いな、と思う。あれ、今どこにいるんだっけ、家じゃないよな、確かソラの舞台を見て、それで………
ハッとボクは自分が劇場の客席で寝てしまっていたことに気づく。ぱっと目を開けると空調が効いていたせいか、少し目が乾いていた。
軽くぼやける視界。ぎゅっと強く瞬きを繰り返す。
もうすっかり暗くなってしまった劇場に、月の光が差し込んでいた。その月光に照らされた綺麗な顔。
ソラだ。
だけど、ソラじゃない?
その顔についたふたつの目はまるで悪夢に怯える子供を見つめているような様子だった。
ボクは、知らない。
こんなソラは、知らない。
「ソラ……?」
不安になっておそるおそる口を開く。
ソラは表情を変えずにボクのおでこをするりと撫でる。
『おはよう、可哀想な夢のひと』
ソラはさっきまで演じていたカオルの声色で呟いて、もう一度ボクのおでこを撫でた。
声はカオルのものだけど、そんなセリフは劇中に無かった。ボツになってしまったセリフなのかな、どうしても言いたかったのかな、ソラなら、そんな意地悪もボクをびっくりさせようって、するのかもしれない。
『こわい夢を、見たのね』
ソラはボクの身体を起こしてぐっと抱き寄せた。
『だけど、もう大丈夫よ。私がまた、甘い夢を見せてあげるから』
その感覚が、へんに柔らかくて、そこにソラがいなくて、ボクは気持ちが悪くなった。
「ソラ、もう、びっくりするなぁ、ほら、はやく打ち上げしようよ、ボク、喉乾いたよ」
半ば引き剥がすようにソラから離れると、ソラは驚いたようにボクを見た。
「あ……あぁ、悪い悪い。さすがにしつこすぎたか、ごめんな」
いつもの声に戻って、舌を出して笑った。
「本当だよ。そういう意地悪は、ボクが冷静になる前にネタばらししないと。」
ボクはほっとしてソラの背中を軽く叩いた。
ソラの背中は、前よりもずっと細く、骨が目立つようになっていた。
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