今度の日曜
バタバタと日々を過ごしている間に「今度の日曜」は来た。演劇なんて小さい頃に校外学習で見てから縁がなかったし、東京に来てからバイトと家の往復だったボクは嵐のごとく去っていった彼に困りつつも、満更でもなくこの日を楽しみにしていた。劇場は大通りにはなく、路地を行かなければならなかった。まだ土地勘がないボクは携帯のマップとチラシを交互に見ながら迷い歩き、結局開演5分前に到着した。その劇場はボクが想像していたよりずっと小さくて、ほんのりカビ臭かった。チケットを劇場のスタッフに渡して、ロビーを抜ける。客席はほぼほぼ満席で、ボクはチケットに指定されていた1番後ろの席に座った。少し薄暗かった場内は観客達の気持ちの昂りを巻き込んで、照明を落とした。開演ブザーが鳴る。ボクはどうしようもなくソワソワしてしまって、カビの匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。
今回の演目は推理モノで、舞台は現代。主人公の探偵が警察や世の中の圧力と対立しながら令嬢であるミサトを殺した殺人犯を探し出すといったストーリーだ。特別珍しい展開ではないが役者一人ひとりが丁寧に世界観を作っているのが素人ながらに伝わる。
『えー!事件かよ?!探偵とか初めて見た!なあなあ、手伝わせてくれよ!』
ピンク髪のあの時の男(ハタナカソラ、だったっけ)はコバヤシという近所の大学生の役だった。普段の性格と変わらないせいか、まるで舞台に立っているとは思えない自然な演技だ。物語は緊張感を保ちつつ滑るように進んでいき、ついに佳境に入る。
『犯人がわかりました。ミサトさんを殺したのはあなたですね。……コバヤシさん。』
主人公の探偵がばっとコバヤシを指さした。
えぇっ。コバヤシが犯人だったのかよ。というか、アイツに殺人犯の役なんてできるのか?つい手に力が入り、前のめりになってしまう。 でもその瞬間、ボクは呼吸を忘れる。
コバヤシもといあいつが驚いたように主人公を見、目線を伏せる。その刹那、劇場の空気が変わったのがわかった。コバヤシが殺人犯に変わった瞬間だった。ついさっきまでここにいたはずの犬のように素直で、明るかった大学生はもうそこにいなかった。こいつは人を殺した。ボクは実際に殺人犯を見た事はなかったけど、確かにそう感じた。ぬるりと舐めるようにこの空間に渦巻く冷ややかな殺意と残虐な眼差し。演技とは思えない。それがさらに怖かった。
『アハハ、いつから気づいてたんだよ、探偵さん』
『最初からですよ、コバヤシさん。トリックは単純だったのさ、……』
探偵は朗々と根拠を披露した。その間もボクは、ずっと豹変してしまった殺人犯から目を離せないでいた。
コバヤシは手錠をかけられ、探偵と警察が軽く会話を交し、終幕。一瞬で過ぎてしまった時間にボクは半ば置いていかれたようにぽかんと座っていた。
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