《第四章》

家に帰るとまたあの靴。もうこれで何度目か。毎回毎回赤いヒールの靴であいつはやってくる。いつもいつも桃やようかん、ぶどうなどと一緒にやって来る。だけど僕は1度も顔を合わしたことがない。あいつの顔を見ずに「帰れよ」とだけ呟いて自分の部屋へ行く。

机に立てかけてある母さんと僕が2人でピースしている写真に目をやった。こんな笑顔

もう何年もしていない。

「なぁ、母さん。僕はどうすればいい」

その問いに反応を示したのは僕のスマホだった。

ピロンと音を立ててLINEを受け取った。

泉だ。LINEなんて珍しい。入部した時に交換して以来1度も連絡をとっていなかった。

▶今日、変な話してごめんね。

▷気にしてない

▶そっか。良かった。

その返信に既読だけ付けて返さなかった。

誰かと繋がっているのは怖いから。

明日も早く行ってみようかな。

誰も居ないというのは心地いい。

早起きする為に早く寝よう。


また僕はあの女から逃げる。

言い訳に言い訳を重ねて。



翌日、朝早く学校へ行くと前とは違った。前のような心落ち着く静寂ではなく少しの騒がしさが廊下をこだましていた。女子トイレから女が4人大きな笑い声を上げて出てきた。うるさい。

ため息をついて女子トイレの前を通りかかった時。

ずぶ濡れの女が1人。俯いてのそのそと出てきた。僕に気づいてパッと顔を上げたそいつは、

「泉...?」

確かにそいつは泉永遠だ。泉はこちらを一直線に見つめてくる。この世に失望したような虚ろな目で。

「どうしたんだよ。なにやってんだよ」

「...水遊び」

泉がぼそっと答えるがそんなの嘘に決まってる。僕は泉の手を引いて美術準備室向かった。誰か先生が授業の準備のために開けたのをそのままにしていたのだろう。幸運にも美術準備室は空いていた。

泉を椅子に座らせもう一度どうしたのか聞いた。いつも顔を隠すマスクもびちょびちょだが一向に外そうとしない。

「虐められてるの?」

「うん」

「なんで」

「そんなのこっちの知ったことじゃないでし

ょ」

「いつから」

「ずっと前から」

でも、と泉が顔を上げる。

「どうでもいいの。こんな事。別に初めての

事じゃない。虐められやすいのよ。私」

「じゃあ、なんで手首切るんだよ」

やっぱり嘘だとバレてたかとてへっと笑いあの傷が自傷行為によるものだとすんなり認めた。

「これいいでしょ?だれも傷つけないもん。

それに切ればなんだかスッキリするの。誰

かを殴ったり、愚痴をこぼしたりするより

よっぽどマシなストレス発散だと思わな

い?」

「知らないよ。切ったことないし、切ろうと

思ったことないんだから」

「でも圭太くんはイライラしたりすると絵に

ぶつけるでしょ?それと同じ。別に死にた

いわけじゃないの。これをすればなんとか

生きていけるの」

ねぇ、知ってる?と泉は続ける。

「人には神様から与えられた役職があるの。

完璧で皆の憧れの的となる仕事。スポーツ

万能で皆を元気づける仕事。勉強が出来て

皆の目標となる仕事。ドジで皆から笑われ

る仕事。圭太くんは努力しなくても大抵の

ことなら普通にこなせて皆から羨ましいと

思われる仕事」

「じゃあ、泉はなんだよ。泉の仕事は?」

私?私はね、

「何も出来なくて、努力してもダメで皆に

''あぁこいつがいるから自分は大丈夫なん

だ''って安心させる仕事。つまり何してもダ

メなのよ。私。勉強しても結果はでない

し、絵を描いても上達しない。皆と仲良く

なろうとしてもダメ。顔面偏差値も高くな

いし運動神経も良くない」

泉は淡々と自虐を並べる。まるでそこら辺に落ちている石を見るような目で。

''神様から与えられた役職''

そんなの考えたこともなかった。

「皆は''じゃあ努力しろ''って言うけどさ、私

なりに努力してるつもりなの。でもさ、努

力しても何も実らない人間がいったい何を

モチベーションにして頑張ろうと思うの?

勉強はやった分だけ結果がでるなんて綺麗

事にしか聞こえない。スポーツはやっただ

け達成感があるなんて嘘。いつかは上手く

いくってそのいつかはいつ?結局皆やれば

やった分だけの成功を得てるからそんな事

言えるの。何も出来ない私がそんなの知っ

たこっちゃないないでしょ!」

泉は息をするのも忘れて、我も忘れて、言い切った。こんなに沢山喋る泉を初めて見た。

何も言うことができない僕を置き去りにしてまた泉が口を開ける。

「いいよね。圭太くんは、ルックスもそこそ

こいいし寝てても成績いいし、絵も上手い

しスポーツもできる。同じ人間とは思えな

い。神様は残酷だよ。私も圭太くんみたい

になんの努力もせずいい人生を送りたかっ

た」

「ふざけるな」

おもわずこぼれてしまった。泉は驚いているがすぐにこちらを睨んできた。

「なによ。何か違うことでもあった?」

1度口から出てしまったものは抑えられない。

「あぁ。大間違いだよ。確かに僕は成績いいし、絵もそこそこ上手いと思うよ。あと女子にも何かとモテる。でも、」

「でも何よ」

でも、

「僕の母さんは父さんに殺されたんだ。その

せいで僕は酷いイジメ、近所からの白い

目、マスコミの対応。人生がめちゃくちゃ

になったんだ。この、飯食って学校行って

勉強して部活して帰る。休日は友達と遊ん

だり家で呑気にゴロゴロしたりするってい

う''普通''を取り戻すのにどんだけ時間がか

かったと思う?

なにがなんの努力もせずいい人生だ。

ふざけんな。ふざけんな!」

凄い剣幕で言う僕に泉は目を丸くしていた。

しばらくの沈黙が流れた後、僕はハッとして我に返った。

「ごめん。こんな事、言うつもりじゃなかっ

たんだ。ほんとごめん」

泣かれるかな。

怒るかな。

気まずくなるかな。

でも、泉は笑っていた。笑って、

「ありがとう。言ってくれて。圭太くんの事

ちゃんと知れて良かった。私こそごめん

ね。情に任せて酷い事言っちゃって」

僕もなんだかその笑顔に安心して2人で笑った。

その後泉と沢山話した。チャイムがなってしまったので1度分かれ、部活でも帰り道の公園でも沢山話した。泉の過去の事、自分の過去の事、最近の学校での出来事、ニュースの事や好きな食べ物とかテレビとかそんな他愛もない会話も沢山した。なんだか泉が凄く近い存在に感じた。こいつにならなんでも話せる。泉もきっと同じだと思う。今日の泉はなんだか素で笑ってくれていうような気がした。楽しかった。

「暗くなってきたね」

「そろそろ帰らなきゃね」

「また、話そう」

「うん」

そう言って座っていたベンチから立ち上がり帰ろうとした時

「今日はありがとう。とても楽しかったよ。

こんな風に人と話したの初めて」

泉が言った。

「僕も楽しかった。また明日ね」

泉はふふっと笑った。

僕も笑い返して泉に手を振った。

でもなんだか自分の中にモヤモヤがある気がして泉の方を振り返った。

「泉!生きろよ」

もう遠くにいる泉は頷いたかよく分からなかったが

「圭太くんもね!」

と言う声は聞こえた。

明日はどんな話をしよう。そうだ、泉の家族のこと聞いてみよう。学校が楽しみだ。


なのに、


次の日学校に行くと泉は来ていなくて、


担任の先生から発せられた言葉は



「隣のクラスの泉永遠さんが...」



「亡くなりました」

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