《第二章》
1週間ぶりに部活にでた。でもなんだか気が乗らなくて椅子に座ってぼーっとしていた。
するとそーっとドアが開いて泉がちょこっと顔を出した。そして僕がいることに驚き、でもうるさくしないように声はださずマスクの上から手で口を塞いだ。久々にきたせいで泉がいつもマスクをしていたことを忘れていた。
「なんでそんなそーっと入ってくるの」
そう聞くと少し恥ずかしそうに目を泳がせてから小さな声で
「こないだ怒らせちゃったから」
と言った。驚いた。じゃあ僕がいない1週間ずっとそーっと扉を開けてたの?と聞くとこくんとうなずかれた。なんだか想像すると面白くてフッと笑ってしまった。
「笑った」
泉がつぶやく。ちょっと嬉しそうだった。
「酷いな。僕だって笑う時は笑うよ」
「だって、いっつも真顔でボソッとなんか言
って真顔で絵かいて真顔で帰ってくもん」
ぷぅと頬を膨らませる泉に絵を描いてる時は真剣なんだと言いながらキャンパスを立てた。それにつられるように泉も準備を始める。
「ねぇ、なんでいつも独特な絵を描くの?」
急にそう聞かれたので戸惑ってしまった。なぜ。確かになんでだろう、今まで意識していなかったがいざ考えてみると理由はひとつしかない気がする。
「5年前、ちょっとした事件があったんだ。
きっと僕の絵が変わったのはそこからだと
思う」
「事件?なんの事件なの?」
「たいした事件じゃないよ」
はやく描こと僕は話を逸らした。あまり人には言いたくない。というより言ってしまったら僕は友達が居なくなるどころか居場所さえも無くしてしまう。あの地獄のような日々をもう過ごしたくない。だから口が裂けても言わない。
5年前のあの日、父さんが母さんを殺したなんて。
僕の両親はとても仲が良かった。ひとりっ子だった僕は両親からの愛を沢山受けて育ったと思われる。父さんは普通のサラリーマンで母さんは専業主婦。僕もいたって健康に生まれてきたからほんとにごくごく普通の家族だった。2人の愛を大いに受けてスクスク育った僕は普通の幼稚園を卒園し、普通の小学校に入学した。なにもかも普通だった。なのに、
父さんの帰りが遅くなる日が多くなった。いきなり、いつも8時くらいに帰ってくる父さんが10時、11時、時には帰ってこない日さえ出てきた。
「ごめん。今日も遅くなる」
「また?最近多くない?」
「仕事なんだからしょうがないだろ」
この会話は何度も聞いた。この会話がない日がほとんどないくらい。毎日。
父さんの帰りが遅くなる日が続き、3ヶ月がたった頃、ついに母さんが爆発した。すごい剣幕で父さんに怒鳴り散らし机にあるリモコンを父さん向かって投げつけた。母さんはハッとして父さんに謝ったがもう遅かった。父さんは黙って家を出ていき、帰って来なかった。母さんはその日から笑わなくなり家事もてきとうで僕の問いかけにも”うん”とか”あぁそう”としか答えなくなり、僕達の普通は崩壊した。さらに母さんに追い打ちをかけるように知らない女の人が毎日のように家に押しかけては「わかれろ」「いなくなれ」と大声を出して帰っていく。母さんに誰なのか、なにとわかれるのか何を聞いても返事は帰ってこない。小学生の僕は混乱した。毎日押し寄せる疑問。何も出来ない劣等感、母さんが日に日に壊れていく焦燥感、幼いながらにもこの普通じゃない毎日に頭を抱えていた。父さんが家を出て2ヶ月後久々に父さんが帰ってきた。僕は嬉しくて父さんに飛びつき、
「母さんが大変なんだ!父さん助けてよ、変
な女の人も毎日来るんだ。僕、どうしたら
か分からなくて...」
泣きながら言う僕を「大丈夫。母さんはすぐ楽にさせてあげるから」と宥めてここで待ってなさいと僕を寝室に連れていきリビングに入っていった。僕は父さんが来た安心感から普段の緊張が解けたのか寝室で眠りについてしまった。次に目を覚ますと、知らない天井があり、体を起こすと看護婦さんがいた。僕が目を覚ましたことを確認すると口だけ笑ってちょっと待っててねと言った。目は笑っていなくてなんだか怖かった。そして医者が入ってきて次の瞬間言った。
「お母さんね、亡くなったよ」
...くん ...君 ..太君 圭太くん!
ハッとした。
「何ぼーっとしてんの?部活の時間終わっ
ちゃったよ。何も描かないでどうしたの」
時計を見ると部活終了時間を5分過ぎていた。
ごめんと短く返し片付けを始めた。
「どうしたの?」
「ちょっと考え事してだけ。ほんと何ともな
いから」
「わかった。何ともないなら聞かない」
うん。と返し準備室を後にする。他の生徒は帰りの時間だけ無駄にテキパキと動くので5分も過ぎると誰もいない。美術室を通って鍵を閉め、泉にじゃあねと言って鍵を返しに行く。なんか今日は帰りなくない気分だ。でも帰らなければおばあちゃんが心配する。はぁとため息をついて重たい足を引きづった。あの日の事を思い出すのはすごい久々な気がする。あんまり思い出したくない。あの後僕はしばらく殺人犯の子供としていじめられた。仲良かった友達は手のひらを返したようにいじめに賛同した。机の落書きから始まり、無視、トイレに閉じ込められる。水をかけられる。道具箱の中に虫や泥団子を入れられるなど小学生なりのいじめが小学生なりにエスカレートしていった。毎日皆のランドセルを背負って歩くのはほんとに辛かった。冬の寒い日はコートを取られて水をかけられ、何度も風邪をひいた。そんな僕を心配しておばあちゃんとおじいちゃんは引っ越しをしてくれた。それからはいじめも近所のヒソヒソ話もなくなりとても生きやすくなった。だからもう一生あんな思いはしたくない。父さんはよく僕の絵を褒めてくれた。だから描く絵を変えた。殺人犯に褒められた絵なんて描いててもしょうがない。こんな事を考えているとなんだか笑えてしてしまった。くだらない過去は忘れよう。そう切り替えて帰る足をすこし早めた。早く帰らないとおばあちゃんが心配する。おじいちゃんにも迷惑をかけたくない。
「ただいま」
家に帰ると見慣れない靴があった。女の人が履くような赤いヒールのある靴。なんだか嫌な予感がして靴を脱ぎ捨て勢いよく扉を開けた。
「おばあちゃん!」
おばあちゃんの家は広いので廊下を走るだけで息が切れる。そこにいたのは見覚えのある顔。思い出したくもない憎い顔。父さんの不倫相手。当時はよく分かっていなかったが今ならよく分かる。こいつのせいで僕達の普通は壊されたんだ。こいつさえいなければ。お前さえ、父さんの目の前に現れなければ。
「なんでこいつがいるんだよ!どの面下げてここに来てんだよ、さっさと帰れよ!」
久々に怒鳴った。こんなに大声を上げたのはいつぶりか。
「圭太、よしなさい。皆圭太が帰ってくるの
を待っていたんだよ。さぁ座って」
なんでだよ。なんでおばあちゃんもおじいちゃんもそんな冷静でいられるんだよ。こいつのせいなんだぞ。
でも僕は見てしまった。正座をしていて膝の上に置かれてるおばあちゃんの手が強く握られ震えていることを。おばあちゃんも我慢していた。きっとおじいちゃんもそうだ。僕は黙っておばあちゃんの隣に座った。
「圭太も来ましたよ。どうしましたか」
おばあちゃんがゆっくり女に話しかける。女もまたゆっくり口を開いて
「私は協力者ということで下野さんより早く
出所致しました。あの時はほんとに下野さ
んに夢中で、周りが見えなくなっていたん
です。謝って済む話では無いことは分かって
います。ですが一言謝りたくて、」
女は涙ぐみながら言った。流れる涙をハンカチで抑えながら言った。僕は黙って聞いているつもりだったが口が勝手に動いた。
「なんで殺したんだよ」
3人が僕に顔を向ける。おばあちゃんもおじいちゃんも止めなかった。多分これは僕に聞く権利があったんだ。
「殺そうと言ったのは私です。殺せば、いな
くなってしまえば私は彼のものになれると
思いました。でも自分で殺すのは怖くて彼
に頼みました。下野さんはまだ小さな子供
がいると最初は言っていましたが私がしつ
こく頼むとわかったと言ってくれました」
それだけ聞き終わると僕はバンっとテーブルを叩いてあとは静かに部屋を後にした。
圭太...!とおばあちゃんが呼び止めたが無視して部屋を出た。むしゃくしゃする。自分の部屋に入りキャンパスを立てて殴るように絵を描いていった。怒りを込めて筆を動かした。目の周りが熱くなってくる。ぐっと堪えて絵を描き続けた。その後ベッドに倒れ込み気づいたら朝になっていた。
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