236、彼女の苦労

 ライナルトと戦ってみたいと言ったキエム。無論彼は自身が剣を持つようで返答を求めたのだが、これに対しライナルトは即答だった。


「帰る前に済ませてしまおう」


 ニーカさんが仲裁に入るより早い返事である。この思い切りの良さは予想していなかったのか、キエムも目をまん丸に見開いたものの、頷いたのである。


「では酒も入ったし一休みしてからにするか。食べるものを準備させるが、必要なら他の部屋を用意させよう。どうする?」

「ここで構わん」

「ではそこで待っていてくれ。私は場を設ける準備をしてこよう」


 そう言って身を翻してしまったのだから、手合わせは避けられなくなってしまった。ハサナインさんたちがハーゲンさんたちに伝言を伝えるためいなくなると、ここまで我慢していたらしいニーカさんが爆発したのである。


「殿下! 皇太子ともあろう方が御自ら剣を取るなど、ああいう申し出への返答はもっとお考えになってもらえませんか、御身になにかあればただでは済まないのですよ!?」

「戻ってからまた手合わせも面倒だろう。これから忙しくなるのだから、早急に終わらせられるものはやっておくべきだ」

「ですから! そう思い切りが良すぎては我らが困ると申し上げている!!」

「そうか。だが怪我をしたところでお前がいるだろう、あの様子ならキエムも間違えて私の首を飛ばすなどとはやらかすまい」

「ライナルト!!」


 言っていい冗談と悪い冗談がある。この場合は後者の方で、ニーカさんの怒号がライナルトを直撃した。鬼気迫る様子で、この形相で怒られたらたいていの人は身をすくめそうだけど、彼の方は可笑しそうに笑うのだ。それは部下というより、親しい友人に対する眼差しである。


「ニーカ、カレンが驚いている」

「彼女を理由に話を逸らすのはやめてもらいたい!! これだから貴方という人は……」

「なんだ、ではお前は私が負けると思うのか」

 

 私が知らないだけで、彼らからしたら日常茶飯事なのかもしれない。ニーカさんのいまにも歯ぎしりしそうな表情は、ちょっとした見物でもあった。


「……そうは言いません。だがここに私がいる意味をきちんと考えてもらいたい、主であるならば私か、さもなくばニルニア領伯あたりが代理で立てるよう説得すべきだった」

「代理などキエムは認めないだろう。あれは自分の認めた相手しか信用しない男だ」

「そんなことはわかっています。だから貴方は口先で詭弁を弄するべきだったんだ。大体貴方の戦い方は……」


 ライナルトの戦い方ってなんだろう。気になっていると、こちらを気にしたニーカさんが口を噤んだ。


「……失礼しました」

「あ、いえ。お気遣いなく」


 どちらかといえば、ニーカさんが私を気にしないで感情を露わにするようになってくれたのが嬉しい。そう伝えると、照れたらしく目をそらされた。


「ほだされたな」

「黙っててください」


 ぶっきらぼうに一言放ってすぐ、キエムの用意してくれた軽食や飲み物が運ばれてきたのであった。宴で用意された彩りや見栄え重視のつまみより、すぐに力になりそうなご飯の類である。特に貝を使った温かいスープは酔い覚ましに最適で、誰よりもこの恩恵にあやかったのは私である。


「……お二人とも、私よりもたくさんお酒飲んでましたよね。食事もほとんど手を付けずに飲んでた気がするのですけど、酔ってないんですか」

「え? ……少し強いなとは思いましたが、あのくらいなら」

「特には」

「あっそうですか……そうなんですね……」


 私とライナルトの要望もあって、ニーカさんも寛ぐことにしたようだ。そこで改めて二人の食事風景を観察したのだけれど、二人とも結構な量を食べる。湯水のように焼豚、野菜のソテー、スープ、パンが消費されていくのだ。

 いまは人目を気にしなくていいからだろうか、以前ご飯を共にした際とは違い、数口でお肉の塊が消えていく。しかし食べ方は綺麗なので、これまで一緒に食べた軍人さん、たとえばロビンたちのように不快感はない。

 これを見るに、前の食事はコース料理みたいになってたし量を調整していたのだろう。ニーカさんはたくさん食べるイメージがあったのだけど、ライナルトも大食漢……なんだなぁ。毒すら警戒していないのは豪胆だった。

 ゆうに四人前はあった食事。きっと残されるのが前提だった量はあっという間になくなって、それでいて二人とも腹七分目くらいだといってのけたのである。

 私もしっかりご飯を食べる方だけど、この二人には敵わない。

 そうして体感一、二時間程だろうか。ゆっくり休めたところでキエムから準備が整ったと使いが走ったのだった。

 なお、この間に盗み見の件はばれた。

 幻だの後遺症だのといった発言を詰められたあたりで白状させられたのである。ライナルトは叱らなかったけれど、ニーカさんにデコピンをもらったのでちょっと痛かった。

 ジルケさんやハサナインさんも戻ってきて、いざ決闘! の流れなのだけど……。

  本音を言わせてもらうと……。

 

「……なんで話し合いで済んでたのに、わざわざ決闘もどきなんてするのかしら」

「力を示せる機会ですから」

「サゥの首長の言ってること、わからないでもないですけどね」

 

 出身の違いからか、ハサナインさんやジルケさんはサゥ側に理解を示しているようだ。

 案内されたのは建物の中央、天井を大きくくり抜いた一画である。普通なら植栽等で彩り飾る場所は硬い土で踏み固められている。弓用の的、藁と布で作られた等身大の人形に、端に置かれているのは木刀や刃を潰した剣であるとジルケさんが教えてくれた。

 二人はニルニア領伯達にライナルトがキエムと一戦交えると伝えたようだが、戻ってきたのはマイゼンブーク卿と、シャハナ老のお弟子のバネッサさんだけだ。ニルニア領伯は城塞都市返還に伴う仕事ができたし、シャハナ老も用事があるらしい。見届け役としてのマイゼンブーク卿、怪我の治療薬のバネッサさんである。一度目があったけれど、会釈されただけで話すことはできなかった。

 で、手合わせすることになった二人だが、既に準備を始めている。ライナルトは外套こそ外さなかったが、飾りばかりの分厚い上着は脱いだ。腰からは二本の直剣を下げており、いまは手首をぐるぐると回している。キエムは元から軽装だから装飾品を外したくらいだけど、こちらの得物は刃が曲線を描いた特徴的な形だ。

 どちらの剣も刃は潰されていない。怪我をしたらひとたまりもないだろうに、鎧を着るのを拒んだのである。ニーカさんとマイゼンブーク卿はすでに諦め気味だが、キエムの側近は満足げな彼の傍で、危険だと訴え続けているようだと通訳してもらった。


「……案外、キエム様の傍の方も無茶に苦労されているのかもね」

「だとしたら同情します、心の底からね」


 はぁ、と心底疲れた様子のニーカさんである。

 見物人はそう多くない。キエムはああいったものの、観戦させる相手は厳選したようだけれど、その分屈強で、どことなく貫禄のある人が多い気がする。ただどの人もこちらとすれ違う際は距離を空けたり、大きな身体を縮めたりと気を使ってくれ、怖い感じはしない。

 キエムが女性は守る対象と言ったのは嘘ではないらしく、マイゼンブーク卿によればサゥ氏族は特に女子供、そして年寄りには親切な部族なのだそうだ。戦えない男性はどうなのか気になったのだけれど、苦労するそうだけど後方支援役として救済措置はあるらしい。かなり弱い立場から成り上がった氏族だから、成り立ちを考えれば戦士に力を求めるのは当然だ、との話である。

 ここでちょっと疑問が浮かんで首を傾げた。ついマイゼンブーク卿に質問していたのである。


「……戦士が必要なら戦える女性も立たせれば良いのではありません? ニーカさんみたいに強い人もいるのですから」

「ヨー連合国に名を連ねるのはサゥや五大勢力だけではない。一部には極端に女性を蔑視する部族もあれば、女というだけで約束を反故にし、また人さらいに躊躇しない者も多い。女に家を任せるのは彼らなりに家族を守る手段なのですよ」


 知識の偏りだと思い知らされて、顔が赤くなった。その国にはその国の文化と環境があってのいまなのだ。要反省である。


「サゥ氏族の前では不用意な発言を行わない方がよろしい。ささいな疑問であろうと、自らの文化と立場に誇りをもっているものこそ目くじらを立てる場合がある。不要な諍いは避けて然るべきだ」

「歴史の違い、というものですね。……はい、次から気をつけます」

「……ただ、恥ずべき質問ではない。我が帝国、ひいては影響下にあった地域においては、歴代皇帝陛下の威光が余すことなく行き届いていた。疑問を抱くとは、すなわち知識の現れなのだ。女性の身であろうと、平等に知識を得られる身を誇りたまえ」


 あら。もしかしてマイゼンブーク卿、慰めてくれてる?

  

「マイゼンブーク卿……私やジルケにもそれくらい親切にしてほしいです」

「黙れ。同じ騎士相手に親切など不要だ」


 ハサナインさんもこう言っているので、どうやら正解のようである。会話はおろか目を合わせることすら避けられているから嫌われていると思ったのだけど、違ったのかな。


「そうそう、連中が我々に親切なのは、その御髪のお陰でしょうな。たった一日だというのにこちらも随分恩恵にあやかった」


 ただ皮肉においてはモーリッツさんの方が上なので、申し訳ないが怖くない。言葉はともかく、あからさまに「こっちに来るな」と言いたげな、かつ視界に入れるのも嫌と態度で語る雰囲気はあの人が群を抜いている。

 ……そういえば、なんであれだけモーリッツさんに嫌われてるのかな。

 ライナルトのいない帝都を任されて大変だろうし、戻ったらご飯でもお誘いしてみる……?

 などと考えていたら、いつの間にか両者のウォーミングアップは終了していた。どちらからともなく中央に向けて歩き出すと、それぞれが構えを取ったのである。


「勝敗はどう決める」

「知らん。腕が上がらなければ負けだ」


 なんてことだろう。審判役がいない理由がこれである。

 ただここにはニーカさんや、さっきからハラハラし通しのキエムの側近さんもいるので、本当に危険な場合は止めに入るだろう。その証拠に、先ほどからニーカさんは腰元の柄から手を離さない。


「まあ、言いだしたのは俺だ。こちらから行かせてもらおう」


 審判がいないから合図もない。

 片手に持った細身の片刃刀が手首の動きで一度くるりと翻ると、その右足は地面を蹴っていたのである。

 その剣先の鋭さ、凄まじさときたら尋常ではなかった。

 まるで狼だ。牙を剥いた若い狼が獲物めがけて爪を振り下ろしている。

 ファルクラムで決闘は見たことあるのに、距離が近いぶん迫力も桁違いで、思わず身をすくませ息を呑んだくらいである。

 普通の人ならとっくに血しぶきを上げて倒れているだろうに、ライナルトは違った。

 落下する曲刀を帝国式の長剣が受け止めていた。刃が鳴りひびくと、全力の力を込めてその身を圧しようとしたけれど、ライナルトの剣は巧みに重心をずらし刃を滑らせたのだ。

 一刀を逃れたけれど、それを許すキエムではなかった。地表に亀裂を走らせながら走る切っ先は服をかすめ、金髪を僅かにすり抜ける。避けては到底逃れることの適わない姿勢だ。さらなる斬撃を見舞おうとした瞬間、ライナルトが長剣を突き出した。

 どうやら体躯が大きいと全身が固いと考えるのは偏見のようだ。のけぞった状態の無理な姿勢から右手を振るい、キエムが寸前で避けた隙に体勢を整えたのである。

 感嘆すべき一瞬だ。

 まさに目が離せない試合の幕開けだけど、私は言わずにいられない。


「……ニーカさん」

「はい」

「私、ああいう試合に詳しくないからはっきりとは言えないのですけど」

「ええ」

「ライナルト様だけじゃなく、あの二人、ぎりぎりを攻めすぎではありませんか」

「……そうですね」

 

 遠い目をしていらっしゃる。

 向こうの側近さんは目を剥いて、いまにも死にそうな顔をしている方もいる。

 哀愁漂う姿にそっと寄り添うと、深い深いため息が漏らされたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る