220、それはまるで典型的な


 しかし城塞都市エスタベルデ行きを決めたとはいえ、問題は山積みだ。

 特に話を聞いていたルカなんて、顔を上げたときには不満そうに足を組んでいた。花びらを出すのも忘れ、むくれっ面で座していたのである。

 シスはまた夜に来ると言っていたから、それまでに済まさねばならないことが多いのだけど、まずは彼女の説得が必要なようだ。


「ワタシは反対なのだけど」

「……でも、私は行った方がいいと思う。このことは早く伝えておかないと」

「そのこと自体は反対じゃないわ。けどマスターがいくことは賛成しにくいの」

「行きはシスが送ってくれるっていうし、帰るやり方はひととおりシスに教わった。ルカの助けがあっても難しい?」

「あの箱男にしては、正直マスターの身体をよく考えた術式だったと思う。悔しいけどワタシではすぐに考えつかないだろうし……」


 ぎり、と親指の爪を噛む。認めたくはないが現実を見据えなければならない、そんな表情だ。


「いいえ、よく考えたどころか真剣に貴女を慮って術を練ったのよ。だってこれ、ワタシがいなくても発動できるもの」

「……え?」

「あいつが実行しようとしてることをマスターに分かり易く伝えるのならね、これは地脈を通って移動できる、とびきり早い水平型エスカレーターよ。肉体を一度魔力の粒子に溶かして再編成するってあたりが人間業じゃないけどね」


 これだけなら出発点と着地点、それから肉体を元通りに戻す術だけを編めば良い。シスは簡単に術を編んだが、普通は再編成にすら至れず地脈に呑まれてお終いだとルカは語る。


「肉体を戻す方法もほとんど……ええと、地脈の魔力で賄えるよう自動化にしてある。これならマスターが魔法を行使しても、きちんと手順さえ踏まえていれば平気だとは思うけど」

「ルカ、違う。そうじゃなくて」


 ……ワタシがいなくても発動できる?

 それに彼女の物言いは、まるで自分は共に行けないと言ってるようだった。ルカも私との間に存在する認識の違いを認めたらしく、重々しく頷いたのである。


「ワタシは行けないわよ。というか、あの箱男もそのつもりなんだと思う」

「なんですって」

「行けないのよ。だってワタシはここでマスターの補助を続けてる傍らで、ずっと遺跡についても残された資料と合わせて外側から解析を続けてる。本番に向けて、遺跡を壊すためのウイルスを作りながらね。離れてしまったらそれこそ解析精度が落ちてしまう。ただでさえ遺跡を守る水路のせいで解析が遅いのに、もっと間に合わなくなってしまうわ」

 

 え、いや、それは……それは考えもしなかった話だ。魔法転移を実行するための意気が一気に消沈し、次いで疑問が脳裏を占める。

 だってシスは、ルカがいないと私がろくに役に立たないことを知っているはずなのだ。散々へっぽこだの、役立たずだ、ゴミを再利用した方がましだの言われ続けているくらいの、みそっかす疑似魔法使いがいまの私。ルカの重要性はシスが誰よりわかっているはずなのに、なぜ彼女を引き剥がすような真似をするのか、答えは少女からもたされた。


「荒療治ってところかしら」

「荒療治?」

「思ったより時間がなかったってこと。ゆっくり教えている時間もないし、かといって教えこもうにも箱男がつきっきりってわけにもいかなくなった。いつ眠ってしまうか、行動を読まれてしまうかわからないもの」


 だから私にやる気を起こさせるため、そうせざるを得ない状況に追い込んだ。


「……でもマスターが必要って話も事実だと思うわ。現状、地脈を使った転移なんて人間では難しいもの。それこそ精霊に近くないと難しい」

「ルカでも厳しいってこと?」

「ワタシは所詮魔力の塊。本体のエルネスタが居たのならともかく、地脈に溶けたらあちらに呑まれて自分を見失う可能性の方が高いでしょう。マスターという殻に潜り込んで一緒に……なら可能性はあるけれど、やっぱり遠慮したいわね。あとさっきも言ったけど解析が優先よ。それがワタシの生まれた意味として植え付けられているのだもの」

「だとしても、私がルカなしで、一人で城塞都市に?」

「そうね。……反対とは言ったけど、本心ではマスターを行かせるべきだとはわかってる」


 ルカが不在となっても魔法が使えるようにならなければならないのは、来たる日に備える身としては大前提だ。避けられない課題とも言える。けれど現状彼女に頼りっきりの身としては心細いどころの話ではない。彼女なしの魔法の行使、闇に呑まれ自分を見失いそうになる感覚。底なし沼の恐怖に怯えながら、しかし足下からずぶずぶと埋もれていくしかない気持ち悪さは泣いても叫んでも拭えない。壊れた映像みたいに繰り返し追体験したある青年の狂い行く姿、全身で認識を拒んだ女の体温、生きながら溶け腐るしかない牢獄の残酷さは、あれが現実ではないと知っているからなんとか耐えている。

 ひどいことになるまえに正気に戻してくれるのは大抵彼女だった。ストッパーとして欠かせない存在がいない不安に指に力を込めると、ふと頭上から名前を呼ばれたのである。


「カレン様、もしやご気分が優れませんか」


 ウェイトリーさんとジェフだった。いつの間にか部屋に入っていた二人が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。そこにルカの姿はなく、二人は彼女に呼ばれてやってきたと言った。


「カレン様からお話があるそうなのでと呼ばれました。久方ぶりに姿を見せたと思えば、すぐに消えてしまいましたが――」

「呼ばれたはよかったものの、返事がなかったので入らせてもらいました」


 困惑を隠せないウェイトリーさんと、女性の部屋に勝手に入ったと申し訳なさそうなジェフ。どうやらルカが姿を消したことや、二人の入室にも気付かなかったようだ。そのせいで二人に心配をかけてしまったのである。


「あ、いえ、ぼうっとしてたみたいね。次からは気をつけます。あと返事をしなかった私が悪いのだから、すまなさそうにしなくていいから!」


 大体私室は見られて困るようなものも置いてないし、普段はどちらかといえばこざっぱりとしていて女の子らしい部屋とは無縁なのである。いまは本が散らかっていてなおさら見た目が煩く、さらには埃っぽいし、女性らしさが残っているのは机の一角に置かれた小道具箱くらいだ。

 その点ではマリーやチェルシーの方がよほど女性らしい部屋で、後者は特に少女らしい趣だ。こちらは使用人さん達が彼女が喜ぶからと飾っていった結果だった。

 ……あ、そうだジェフにチェルシーのことを伝えないと。


「あのね、ジェフ。チェルシーのことなんだけど」


 妹の名にジェフはすぐに反応を示した。兜越しに、続く言葉を一句も逃すまいといった佇まい。言葉を紡ごうとし喉元で声がせき止められた。

 ――死を感じ取る神秘は、人にお別れの時間をあげるためだとシスは言っていた。

 事情が様々絡んでいるが、ジェフはチェルシーのために剣を振るえる人である。家族のために共に出奔し、守り、放浪を続けて最後まで彼女を見捨てない兄だ。その人が「近いうちに妹が死ぬ」ときいて黙って死を待っているなどできるのだろうか。彼女を救うためにあらゆる手を求めない理由はあるか。突拍子もない予言だが、私の言葉だからはなから否定はしないはず。忠誠と家族愛の板挟みにまた苦しみはしないだろうか。

 なにも知らない方が、彼にとっては良いことなのではないのか。

 ……そんな考えが頭を駆け巡ると、とてもこんな場で言い出せる話ではなく、声が出せない。


「お……医者様に看てもらったのは、いつだったかしら」


 絞り出せたのはこんな質問だけ。握った右拳が震えているのを見られないよう、左手でそれとなく覆っていた。


「たしか……そろそろ一月前ですね。ウェイトリー殿の定期検診と併せてですので」

「そう。今日は元気なようだったけど、ちょっといつもと違うかなって感じてしまったのよね。……なんだか気になるから、しばらく半年に一度にしてもらいましょう。一度薬の見直しもしてもらって」

「検診はこちらもありがたい限りですが……」

「あ、私が言い出したことだから、もちろん余分な診察代は私が持ちますし、そこは気にしないで。ウェイトリーさん、一緒にベンさんのお薬も一度見直しましょう」

「もちろん構いませんが、また突然ですな」

「あー……まぁ、その、気休めです。なんだか夢見が悪かったので」

「そういえば顔色が悪い。わたくしどもは退散しましょうか」

「いえ、いいの。用事もあるのは本当だし、下に行って話しましょう!」


 いまは、いまは心が決まらない。聞いてしまったからには彼に話すべきなのかもしれないが、人の死を予言するだけの勇気が咄嗟には持てなかった。ジェフなら大丈夫とわかっているはずでも、せめてあと少しだけ心を決める時間がほしかった。

 移動した先は広めの応接室だった。

 窓からは裏庭が一望できて、ベン老人に見守られるチェルシーが手遊びに興じている。その傍らでは老人に師事を仰ぐヒルさんが土と格闘しながら、麦わら帽子の下の汗を拭っていた。使用人さんと一緒に冷たいお茶と茶請けを差し入れるリオさんの後頭部が見えたところだ。もしヴェンデルがいたら皆がこぞって世話を焼いていただろうが、いまは若者はおらず大人達だけの時間。彼らを取り巻く空気は静かで、そして慎ましやかだった。

 人によっては、貴族が使用人に庭を明け渡すなんて……と揶揄されるかもしれないけど、私は結構この光景が好きだった。


「……カレン様?」

「なんでもありません。ええと、ルカがあなた達を呼びに行った理由なのだけど……」


 私が城塞都市に行かねばならない理由をかいつまんで説明する。詳細は方法は伏せるが私がしばらく帝都を空けること、だがこの不在は秘密裏であること、表向きは病気にしてほしい旨を頼んだのである。


「なるべく早めに帰ってくるつもりだけど、どうやっても七日は空けると思って欲しいの。それと使用人さんにも私の不在は伏せてちょうだい」


 知っている人は少ない方がいい。ルカを残していくから誤魔化すことはできるだろうが、特にジェフとウェイトリーさんの協力は不可欠だ。クロードさんにはウェイトリーさんから話が伝わるだろうし、あとは彼らが厳選した人間が事情を知っていればいい。

 二人にとっては寝耳に水だ。はじめこそおどろいていたものの、私がシスから聞いた話や、それにモーリッツさんや隣の夫妻と連携を取って欲しい旨を伝えると、ウェイトリーの目の色が変わった。


「……確かにその話が事実であれば有事でございましょうな。しかしそのような兆候があったなどとは……」


 この『兆候』についてはあとで説明させてもらおう。ともあれ、予想通り二人の協力を取り付けることができたのである。ただジェフに関しては、最後まで同行を望んだ。


「お一人で行かせるわけにはいきません。私も連れて行ってもらうことはできませんか」

「今回ばかりは難しいみたいなの。向こうにはライナルト様達もいるし、そんなに心配する必要はないと思う」

「しかしルカ嬢を置いていかれるとの話、不在は仕方ないにしても到底容認できる話ではありません」

「こればっかりはどうしようもないもの。それより家の皆を見ていてあげて。……特にチェルシーが気に掛かるから、彼女と一緒に」


 ……それと、家を空ける前には彼にきちんと話をしないと。

 夜頃に私の部屋に来るよう彼には伝えていったん解散すると、ばくばくと脈打つ心臓を押さえた。人の生死に関わるのは色々と思い出すことが多く、彼をなるべく刺激しないよう話せるか不安で仕方がなくなる。

 そもそもこの選択が正しいのかすらわからないのにと、落ち着かない心を静めようと奮闘していると、あっという間に時間は過ぎていった。夕飯も終えて、あとはジェフと話を終えてシスの来訪を待つだけ。傍らには荷を詰めた鞄に、ポケットには託された腕飾り。


「ジェフです、入ります」


 ノックのあとにドアノブが捻られるのを視界に納めた瞬間、世界が一変した。


 ――へ?


 間抜けな声があがったけれど、音になったかは定かではない。

 ひゅんと視界と世界がひっくり返る感覚、自室から真っ白な世界、そして極彩色にきらきら煌めく粒子の粒が視界いっぱいに飛び込むと、足下でド派手な音がした。お尻が痛い、足が痛い。というか全身が痛い。

 見知らぬ壁にタペストリー、見慣れぬ装飾品の類。なにより目の前で驚いているのは青みを帯びた艶やかな黒髪の男性。

 ……えっと、うーんと。

 ――…………いや、その、あの。


「…………どちらさま?」


 これ誰???

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