216、静かなる胎動

 ライナルトの帝都不在は一月前の話に遡る。

 あのときは私がシスに呑まれかけて話を遮ってしまったが、あの時点でライナルトは遠征の話が決まっていた。 彼に言い渡された三つの課題のうちの一つ、ヨー連合国との国交回復と城塞都市の奪還だ。

 一つの課題に二つ入っているが、これは何も間違っていない。国交の回復は交易の再開が目的であり、これを目指すことで城塞都市の奪還あるいは返却が成されると考えられている。交易と都市の奪還がセットになっているのはこのためである。

 だからライナルトとしては今回の命令に背くわけにはいかなかった。下手を打てば命は危ういだろうに、手勢を連れて城塞都市へ赴いたのである。


「……お前は呑気ねぇ」

 

 足元からぽん、と湧いて出た黒鳥が横たわるシャロのお腹に顔を埋めた。元からだけど、別段ルカとセットで登場するわけではないから単体で現れる。シャロも黒鳥に絡まれるのは慣れたのか、動じもせずにうつらうつらと眠たそうだ。


「というか一体何なのかしらね、いい加減正体現しなさいな」


 相変わらず真っ黒だけどお尻あたりをツンとつつけば、なんとなく羽毛の感触がした。

 いやまあ黒鳥はただの黒鳥なのだろうけど、ルカもこの子がなんなのかよくわからないといってるので、なんとなしに出た言葉である。

 シスと目を交換してからだけど、私もなんとなく魔力の流れというものがわかるようになってきた。魔法使いとは対面してないからまだわからないけれど、シスと対峙していると「あ、なんかやばいわこいつ」くらいは察知できるのだ。これは彼の性格がどうこうの話じゃなくて、単純に存在そのものが人にとってよくないものと捉える認識。魔法といえばその人から湧き上がる蜃気楼みたいなオーラみたいな、もっとわかりやすいものを期待していたのだけど、そう簡単な話でもないらしい。魔力の放出に伴い色を伴う場合はあるが、余程の量が放出されない限り目に見えるものではない、とルカ大先生に教わった。つまり真っ黒を越えて闇に近い『箱』のレベルは段違いなのである。


「……最近ルカが現れるとき紫の花びらが舞うけど、あれも魔力?」

「花びらは演出。その方がワタシの可愛らしさが際立つでしょ?」


 最近可愛いを学びだしたので学習したいようだが、私の件もあってあまり時間はとれないようである。

 ……シスといえば、ここのところ会う度に微妙な顔をされるのは何故だろう。最初に彼の記憶を覗いてしまった件は不可抗力だし、仕方ないと嫌々ながら納得されたのだけど。

 イェルハルド老への手紙をしたためながら、改めてライナルトの置かれた状況を思う。

 地下水路の解明はともかく、そもそも彼が行うのは皇帝カールの尻拭いである。

 これは皇帝カールが皇位を引き継いだ際に前皇帝から引き継いだ負債とも言えるのだけど、皇帝カールの即位前からオルレンドルとヨー連合国は仲が良くなかった。

 なにせ帝国は好戦的だ。領土を広げるべく周りの弱小国を潰しては吸収していたし、もとより頭を悩ませる国だった。砂漠を挟んでいても虎視眈々とヨー連合国の土地を狙う気配はあったのである。

 それともう一つの理由としては、おそらく政治体制だ。ヨー連合国は弱小国や民族が代表を選出し、彼らが全体の方針を定め統治を行う方式を採用している。他にヨー連合国の仔細を聞く限りなら、彼らの思想は民主主義的傾向にあるとも言えなくはない。 

 一応前皇帝の在位中は多少なりとも国交があったらしいが、現在は完全に途絶状態。この状態を作ったのがカールである。

 皇帝の失策について簡潔に述べると――当時、両国の交流促進のため設けられた席で親善大使、ヨー連合国の首長の一人を殺害した。それも相手は当時の連合国内で最大勢力を誇った部族であり、これに連合国は激怒。以後国交は断絶し、この時の諍いが原因で城塞都市が丸ごと奪われたのである。

 皇帝カールは城塞都市の返却を求めているが当然没交渉、このせいで国同士の交流はないに等しい。

 それでも時々露天でヨー連合国の人や珍品を見かけるのは商人がかの国と帝国を行き来しているおかげだが、こちらは事実上の黙認といっても差し支えないだろう。大体彼らを潰してもヨー連合国で産出される薬剤や香辛料を求める人は絶えない。利益が大きければ大きいほど裏取引は増えるだろうし、取り締まるのも労力が増えるだけ。ならば黙認して商人から税を集る方法を皇帝カールは選択したのだとクロードさんは語っていた。

 なんだかんだで彼らがもたらす利益を馬鹿にできないのだ。

 この黙認を鑑みるに、皇帝カールも一応は国交を回復した方がいいと思っているのかもしれないけれど、それで割を食ったのがライナルトなのである。

 城塞都市だが、ヨー連合国と帝国を繋ぐ中継都市だ。役目でたとえるなら昔のコンラートだろうか。位置的には砂漠近くでヨー連合国近く。ただし規模はもっと大きいと考えていいだろう。帝国領土に近くヨー連合国からは遠くあり、地理的には帝国に有利。おそらく大規模な軍を展開すれば奪い返すこと自体は可能だった。

 いままで度々都市の返還を求めてはいた。だからこのあたり、どうして帝国が都市を奪還しなかったか、本当の理由は定かではない。憶測だけでいいならファルクラム陥落に集中していた、実はヨー連合国と裏取引をしていた、国内の平定に集中していたなどと人々の口に上るけれど、誰も真実を知らないままいままで放置されていたのが現状だった。

 今回はヨー連合国内のある一派が帝国との国交復活を望んできたようだ。これに応えるため、皇帝カールは皇太子ライナルトを大使として派遣したのである。外交官ではなく自らの跡継ぎを送ることが帝国の本気を匂わせるのだが、エレナさんとヘリングさんはあまりいい顔をしていなかった。

 ライナルトの派遣前、うちでお茶をした際に愚痴っていたのだ。


「何も向こうに言われるまま、城塞都市にライナルト様を派遣する必要はありません。都市から距離のある場所に天幕を設けたっていいじゃありませんか。皇帝陛下は城塞都市の民だから殿下を害することはないといったようですが、あそこが奪われてもう二十年ですよ」

「長い間彼らに統治されていれば主義主張も変わる。そのうえ帝国に見捨てられたと恨んでいる民もいるだろうし、殿下になにが起こっても構わないつもりで送り出したようにしか見えないな」


 二人は復職を希望したようだが、モーリッツさん直々に「休暇」の継続を言い渡された。私の知り合いの中ではニーカさんだけを連れ、手勢を引き連れて向かったそうである。現在帝都内はモーリッツさんが残ってライナルトの公務を遂行している。


「夜遅くはあまり出かけない方がいいかもしれませんね。夜遊びは駄目ですよってヴェンデル君に伝えてください」

「なんでヴェンデルですか」

「……子供の時って冒険したくなるでしょ? 夜遅くに家族の目を盗んで友達のところにいったり、廃屋に肝試ししにいったり」

「ヴェンデルは黙って夜遊びするような子じゃありません」


 いや、それもどうなんだろう。もしかしたら将来こっそり出かけるくらいやらかすかもしれない。あの子だって思春期だし、いつ家族と一緒は恥ずかしい! なんて言い出すかわからない。

 ……ヴェンデルが非行に走ったらうちの人達みんな動揺しそう。それともどーんと笑って構えてるかな?

 無意味な想像をしてしまった。

 エレナさんが夜の帝都を危ぶんでいるのは若干理由がある。ライナルトが帝都を出てからヴィルヘルミナ皇女派が熱心に活動しているのだ。この働きかけにライナルト一派が殺気立つ最中、今度はリリー・イングリット・トゥーナ公爵が新たな風を呼び込んだ。

 なんと一度は自治領に引っ込んだトゥーナ公が堂々と私兵を連れて帝都に乗り込んだ。はじめトゥーナ公の軍勢をみた文官は仰天し彼女を問い詰めたのである。


「トゥーナ公! 貴公、その軍勢は何事か。ま、まままさか皇帝陛下に仇なすおつもりか!」

「あら面白い誤解ですこと。あたくしは帝国の忠実な僕ですから、常人ではとても思いつきそうにない素敵な提案ですのね」

「貴公、馬鹿にしているのか! 陛下の命なくこのような軍勢を動かすなど、謀反の心ありと疑われても当然だろうが!!」

「ご冗談あそばせ。あたくし、喧嘩をするときにいちいち殴りますわね、と声をかけるほど可愛らしい性格はしていませんの。あたくしの可愛い兵を動かす理由などひとつしかありません」

「大勢にかしずかれて旅行したくなったからに決まってるでしょう」


 これは文官が真っ赤になって怒鳴ったらしい。対応した文官はお気の毒である。

 このあとは物見遊山だ実地訓練だ、帝都外の治水工事の一環だの、のらりくらりと言い逃れをし、本格的に帝都内に居を構えたのである。駐留軍は帝都郊外に天幕を構えており、彼女が睨みをきかせたおかげでライナルトへの支持は再び一定を保ったのであった。後に正式なお呼び立てを食らったようだが、そこではライナルトが行っている治水対策の一つ、帝都湖に繋がる河道の浚渫・拡張の一部を任されたとトゥーナ公は主張した。ライナルトもまたこれを認める書状を発行していたため、厳重注意で済まされたようである。

 ライナルト、トゥーナ公ともに敵愾心を煽る行動に他ならないが、リスクを取ってでもトゥーナ公の兵を置くことを選んだのは、やはりいま帝都を離れたくなかったからなのだろう。

 そういうわけだから、帝都内はおよそライナルト派とヴィルヘルミナ皇女派で二分されている。皇帝派は静観。市民にはさして亀裂は入っていないが、兵の上官が派閥の影響を受けているといった手前がある。郊外からは頻繁にトゥーナ公の兵が入ってくるし、加えて最近は憂い目に遭っていた反帝国派が精力的だ。兵士がピリピリしているともっぱらの噂であり、それを警戒しての忠告なのである。

 ヴェンデルの学校でもなるべく早く家に帰るように、とお達しがでたほどだ。この後継争いが本格的になると学校も授業を切り上げ、生徒を早く帰す可能性が出てくるようだった。

 考えにふけりながら、イェルハルド様への手紙を書き終える。

 

「贈り物など……以上の経緯で、リューベック家には大変困っております。お手を煩わせるのは本意ではありませんが相談に乗ってもらえないでしょうか」


 署名の後、封に蝋を落とすと一息ついた。


「元気にしてるかなぁ」

「気になるなら会いに行けば?」

「……断りもなく部屋に入るのはやめてと何度言ったらわかるのかしらね、シス」

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