214、過ぎる時間+新規イラスト

「ん、まぁどんなやつかは知らないけど、お友達になりたい感じじゃないもんな。違うんだったら断るの頑張れよ。あそこ名家だし断るのも一苦労だろ」

「……ええ、本当に大変」


 咄嗟に怒鳴ってしまったのがちょっとはずかしい。場を取り繕うべく咳払いをしたけれど誤魔化せた気はしない。


「お前なんか嫌いだーって頬でもぶん殴ってやりゃあいいじゃん」

「それで引き下がってくれるならいくらでもやるけど」

「うん??」

「あなたの提案、こうなったら、と思って悪評覚悟でやろうとしたのよ」


 ……いまでも思い返せる。リューベックさんの求婚から数日後、ちょっと買い物に出かけた先で「偶然」にもあの人と再度出くわした。この時はガルニエ店みたく上流嗜好向けの店が連なる通りだったのだが、私をみるなり破顔したリューベックさんはこの手を取った。この瞬間あがったのは絶叫か黄色い悲鳴。前者は「何故リューベックともあろう者が、あんな娘の汚い手を取るのか」ではないだろうか。

 この瞬間、私は拙いと思った。

 理屈なんてどうでもいい。とにかくなんでもいいから対応せねばならない。

 咄嗟に思いついたのは「嫌われてしまおう」である。致命的な何かを間違う前に、この際相手に恥をかかせても構わないから非礼を働く決意をした。周囲から「コンラート辺境伯夫人はリューベックに相応しくない」と止めてもらうのだ。右手を引き抜き、傷ひとつないなだらかな右頬に握った拳を打つべく力を込めた。

 が、相手はそんなのお見通しだった。

 抵抗より早く拳はそれとなく押さえられ、左手の甲は掴まれる。


「これは我が愛しのコンラート伯夫人、このようなところでお会いできるとは僥倖。まさしく皇帝陛下のお導きですな。言わずとも心通わせられるとはこのことかもしれません、流石私が見込んだ運命の人だ」

「――ひ」

「仕事の途中ですのでひとまずこれで退散しますが、またお会いできる日を楽しみにしている。次はもっと雰囲気の良い場所が良いですね」


 そう言って左手の甲に唇を落として去っていった。去ったあとは控えめに申し上げると地獄である。

 正直、私個人の帝都の評判はあまりよろしくない。少なくとも私にとっては、だけれど急な出世や世間の評判等を鑑みると、噂が一人歩きしている感は否めないのだ。

 ともあれその後、リューベック家から正式な申し込みが届いた。こちらはクロードさんを派遣……といきたかったが、この頃はトゥーナ地方に出向いていたのでウェイトリーさんを代理派遣。お断りを入れたものの、リューベック家には呑んでもらえず、あろうことか将来の嫁認定である。家族の誰か反対しなかったのかと思うのだけど、どうやら現家長のヴァルター・クルト・リューベックの総意は絶対らしく反対意見は黙殺されている様子。人間簡単に諦めてはいけないと思う。

 リューベック家を見てきたウェイトリーさん曰く、こうだ。


「あり得ない話でしょうが、もし両家に縁ができた場合、カレン様はさぞ窮屈な日々をお過ごしになるのだろうと存じます」


 などと控えめながらも大変分かりやすい感想を伝えてくれた。以来、リューベックさんの意思とは関係ない「らしい」贈り物の類が届くようになり、我が家は数日に一度すべて返却しに行くといった不毛な図が完成している。たとえ一品でも受け取るわけにはいかないから、すべてリスト化しての返却だ。余計な仕事を増やさないでもらいたい。


「ちょっと大変なのよ。こうなったら誰でも良いから助けてくれないかしら」

「ふーん、じゃあうちの爺さまに頼めばいいじゃん」

「ご迷惑にはならないかしら」

「基本的に暇人だし、構わないんじゃないか。むしろやり過ぎないよう注意しておいた方がいいだろうな」

「まさか、イェルハルド様がやり過ぎるだなんて」


 するとロビン、私に思いっきり憐れみの視線を送ってきた。まるで無知とは幸福だとでも言いたげな面差しで言ったのだ。


「お前な、いまじゃ大人しいけど、爺さまは現バーレの当主だぞ? 昔は他の候補者蹴落として座について、いまじゃ三人も養子取った挙げ句、競わせて高みの見物決め込んでる人だからな?」

「それはわかってるのだけど、私の知ってるイェルハルド様って、美味しいもの教えてくれるって印象が強いのだもの」

「オレはしょっちゅう叱られてるけどな」

「バーレの名に関係なく接していい身内が少ないから、かもしれませんね。ロビン、貴方は軍の入隊を決めたときに色々と言われたでしょう?」

「まーそうだけど……」


 ただ見たままを信用してはならないのは、ベルトランドの例もあって深く心に刻んでいるけれど。

 ここでゾフィーさんが入室してきた。クロードさんの午前の予定に変更があったらしく伝えにきてくれたのである。


「ありがとうゾフィーさん、行き来が大変なのにごめんなさいね」

「歩くくらいなんともありません、お気になさらず」


 本来ならマルティナに任せる仕事をいくらか彼女に負わせてしまっている。それなのにクロードさんから渡された仕事はもちろん、何食わぬ顔ですべてこなしてしまうのだからすごい人なのであった。数回ゾフィーさんのお子さんとも会ったけれど、全員がお母さんを尊敬しているのも納得の理由である。

 そしてマルティナといえばだが、彼女は現在コンラート家に顔を出していない。彼女の両親の話、本人の希望があって、ウェイトリーさんと私とで使用人一人一人と話をしたためだ。話をした感触としては、皆、ひとまず予想よりは落ち着いていただろうか。マルティナとうまくやっていたからか「彼女が悪いわけではない」と声だけは出ていたけれど、やはり複雑な思いはある様子。すぐに笑って顔を合わせられる自信はないとの声が多く出た。では酷な話だがクビにするかどうかを尋ねれば、微妙な面持ち。ヴェンデルからもいまさら職を追うのも……と意見が上がり、ウェイトリーさんやクロードさんと協議を重ねた結果、しばらくのあいだ彼女にはトゥーナ公とコンラートの中間役を兼ねる文官の補佐を任せた。いわゆる地方出張である。公的には皇帝カールを介しトゥーナ公から譲渡されたとしている土地関連、そしてトゥーナ地方との交易を盤石にするためのお仕事だ。マルティナにとってはやや難しい仕事になるのだが、本人は「やります」の一言で早々に帝都を発ってしまったのである。

 庭師のベン老人は「子供が悪いわけではないさ」と言っていたので、時が来ればまた彼女と話をする日が来るのだろう。

 肝心のベン老人といえばウェイトリーさんと同じく休養を言い渡しているのだけど、順調に回復しているウェイトリーさんとは反対に、最近は目に見えて身体の衰えが目立ち始めた。それでも庭いじりは生き甲斐だと言って憚らず、また好きなことを無理矢理取り上げるのも酷なので、定期的に医者に診せながら経過を観察している。このところは隻腕の護衛ヒルさんがベン老人の弟子として土を弄り、めきめきと腕を上げている。護衛としての役目はハンフリーに譲りつつあるようだ。ベン老人がチェルシーと休憩しながら、ヒルさんに土の作り方を説く姿が様になってきた。

 こうした背景は、もう一人の腕利きジェフがコンラートに馴染んだのもあるだろう。ジェフはヒルさんを心配しており、いつまでも片腕で剣を持ち続けるよりはいいはずだ、としみじみ感想をもらしていた。

 ハンフリーは、コンラートの時と比べれば随分と逞しい男性に成長した。一度はヴェンデルと私を置いて逃げようとしたが、いま話をしているともうあの頃の弱気な青年はいないのではないかと感じ始めている。とはいえヒルさんにしてみれば手の掛かる弟子であり、彼を監督する誓いは変わらないから、相変わらず厳しく指導されていた。

 使用人の女性二人は、恰幅のいいおばさまの方が良い人とお付き合いを始めた。お相手は早くに奥さんを亡くした金物屋の主人だが、料理人のリオさんに「誰かを騙すような人じゃない」とお墨付きを戴いているので、見守っている最中である。もう一人、怪しい男性に言い寄られていた使用人さんは件の男性を振った後、立ち直るとバリバリに仕事をこなしている。

 エミールは兄さんのところで元気にやっているし、手紙をもらう以外の様子は一緒の学校に通うヴェンデルから教えてもらっている。

 お隣のエレナさん、ヘリングさんも頻繁に尋ねてきて夕食をご一緒する機会が増えた。エレナさんとマリーは完全に趣味が合わないようだが、女三人でお茶をして盛り上がったのはいい思い出。おかげでエレナさんとは公事より私事の方で仲良くなりつつある。

 そうそう、お隣といえば頻繁に『友人』を家に招いているのも忘れてはいけない。

 ルカと黒鳥は気紛れに出現しては家の中をうろついているけれど、家人はすっかり慣れてしまった。いつだったかお向かいのクロードさんからお小遣いをもらって珍しがっていた。家にはエルにあげた帽子を残しているのだけど、あの帽子小さな頭に被って庭ではしゃぐ姿には、やや私の涙腺が緩んだりした。

 ロビンとはしばらく談笑を続けたけれど、あまり長居しては……とメイジーさんにつれていかれてしまった。

 お客様の相手が終わった私にはお仕事が待っているが、その前にいったん食後の休憩である。どのみちこの日も自宅でお籠もりなので、ゆっくり仕事に取りかかっても問題ないのだ。……あとでお向かいに行くか、気晴らしに花壇の手入れくらいはするけど。

 シスとの目の交換以降、私は意図的に面会や談合の参加を減らしている。遊んでいるわけではなくて、体に影響が及びにくい範囲の魔法の練習をして体を慣らしているためだ。それに目の交換で、いつ目眩ましを破る魔法使いに見られるかわからないからその対策も兼ねている。

 ……リューベックさんといつ出くわすかわからないから……も少し、いやかなり理由としては含まれている。

 世間様あたりには体調が芳しくないと思われているのではないかな。

 猫のクロはいまごろ一階でのんびりしているはずで、シャロは机に向かう私の目の前に寝転んでいる。イェルハルド老あての手紙を準備する中、万年筆の尻軸を柔らかい腹毛に埋めながら、ふと思った。

 

「ライナルトに相談してたら助けてくれたかなぁ」

 

 本来だったらイェルハルド老よりも助けを求めやすいはずのライナルト。彼に相談をしなかった理由は他でもない、単純に彼が帝都を不在にしていたためであった。



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イラスト:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1432630462950694917

 イラスト(おむ・ザ・ライス先生(@mgmggat)

 ※書籍イラストレーターさんではありません。特別に描いてもらった今回限りのイラストです。

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