172話 『箱』は思いを馳せる
「とーもーあーれーだ!!」
「ちょ、今度はなにっ」
異世界アレコレに思いを馳せていたせいか反応が遅れた。立ち上がったシスが私とライナルトを交互に差すと声高らかに告げたのである。
「いいからきみたち、なるべく行動を共にしろ。いいかこれはシスじゃなくシクストゥス、いや『箱』の魔法使いからの助言だ」
「だから私にも都合というものが……」
そりゃあ悪名が高くなったって今更なところはある。私もだし、聞いた限りだとライナルトも同じだ。だからといって新参者の貴族が皇太子とほとんどの時間を共有するのは、どう考えたって良い案とは思えない。
ところがシスは私の意見など必要としなかった。ある意味それよりもとんでもなかったのである。
鼻っ面に人差し指を押しつけて、こう言ってのけた。
「きみなど私とライナルトの目的に比べれば糞と同じだ。いいや肥料になるだけ肥やしの方がマシだな。何故ならコンラート程度の小……いまじゃ中か? ともあれこの程度の貴族じゃ少々間違えた程度じゃ血は流れない! 一方で私たちが間違いをおかせばどうだ、ちょっとの間違いで数百は軽い命が失われるだろうよ。帝都を包む湖は赤く染まり、病を生み続ける。地は穢れ作物は実りを失い、そうすれば人心も荒れる。ここまで言ってもきみは自分のちっぽけな矜持を優先するのか。そんなことするはずないよな、だってきみは聡明な女性だ!」
「けなしたいのか褒めたいのかはっきりして!」
「両方さ、私は素直だから!」
どちらにせよ最低である。
「きみは悪運が強く情の厚い馬鹿だと思ってるが、同時に賢い選択をすることもできる人だと信じている」
「……ライナルト様」
「ここは聞いておいた方が賢明ですよ。吐かせておいた方があとがしつこくない」
頭に血が上ったとみえるシスの勢いは止まらなかった。ライナルトが発言したのでシスの標的が彼に移ったのである。
「ライナルト、お前も現実的じゃないなんていいながら頭の中ではそうするしかないってわかってるだろ。彼女の体面なんて気にしてる場合か。いいから遺産の意思がなんなのか判明するまで、なるべく一緒に行動してくれ、そうでないなら私がこの娘に魔法をかけてやる」
「……興味本位で聞くけど、例えばどんな魔法をかけられるの?」
「勝手に離れると腹を下すとかどうだい、死霊が見えるようになるでもいいな」
本気で嫌だ。
「こんなのはどうだ、男達にはきみがいたく魅力的に見える。話しかけるだけで部屋に誘われてると勘違いしてしまうような人に見えてしまうとかね。大丈夫、人間の認識なんて馬鹿も同然だ、私の手にかかればどんな不細工だって服をはだけさせた絶世の美女に見させてやるくらい可能だ」
「最っ低!」
そんな魔法あるかどうか定かではないし聞いたこともないけれど、相手が人外であるだけで一蹴するのも難しい。そしてなにより、実際使われたら最悪な認識災害だ。この脅迫にはライナルトもお気に召さなかったようだが、シスは鼻を鳴らしただけだった。
「嫌がらせってのは低俗であるほど効果的なんだ」
嫌がらせされる方はたまったものじゃないが、シスの様子をみるに、いま述べたような内容はともかく、なにかしらやらかしてくるのは間違いなさそうだ。
「わかった、提案は呑みます。だけどこちらも家のことがあるし、いますぐにってわけにいかないのは理解して。理由をつけてライナルト様の元に通うから、それで手を打って」
「……ふむ。まあそのくらい誠意を見せてくれるなら許してあげるけど」
何様なのか、この箱は。お箱様か。
「訪ねるといっても、こちらにきてもカレンは暇でしょう。貴方が退屈でもしないよう考えておきますよ」
シスが五月蠅いので、二人して示し合わせたように話を締めくくったのである。
あとはヴィルヘルミナ皇女の現状や、国内情勢をいくらか聞くことができたのだが、こちらについてはまた纏めて話を行うことになった。理由としては話の途中、飛び出してきたジルにシスが騒ぎ始め、事態の収拾に一騒動起こったためである。話の中身もきな臭かったし、ライナルトの執政館あたりで話した方が良さげだったので、それはよかったけれど……。
「そういえばさー、きみのところの家令、あまり調子が良くなさそうだったけどどうしたの」
「あら、気付いたの? いまちょっと体調を崩してるから休んでもらってるの」
それに庭師のベンも以前から体調を崩している。大事を取って休んでもらっていると話すと「ふーん」と気のない返事が返ってきた。興味ないだろうに何故そんなことを聞くのか不思議に思っていると、急に声を落として喋りだしたのだ。
「あんまりこんなこと言いたくないんだけどさぁ」
「なに、どうしたの」
「お年寄りが弱ってるなら帝都からしばらく離した方がいい。ああ、これは親切心からの忠告だよ。意地悪でもないし他意はない」
急に変なことを言い出すのである。テンションの落差に調子が狂うが、シス相手にその程度で騒いでいられない。話の内容の方が気になったのだ。
「どういうこと? 体調が悪いのなら家で休んでもらった方が確実じゃない」
「帝都にいるほうが治りが遅いさ、きっとね」
「シス?」
これにはライナルトも訝しんだ。答えには渋っていたようだが、ライナルトの威圧が加わると渋々語り始めたのである。
「いいか。これは確証のある話じゃないんだぜ、だからいままで誰にも言ったことないんだけど」
「待て、それは私にも話していない内容か」
「当たり前さ。言ったところできみに対処は出来ないし、どうしようもない。もちろんカールであろうともだ」
はっきりと断言した。しかし皇帝であろうと対処できない話とは何だろう。
「帝都、いや他の国も含めたこの大陸は魔法文化が進んでるだろ。だから外傷の治療はそれなりに容易だ。患者に体力さえあればまあ大体の傷は塞げる。大体はね、けどその魔法でも癒やせないものはある」
「病気って言いたいの? それくらいなら私も知ってる」
「そう、そして貴族といった上流の人々はともかく、市民に近しい立場にあるのは医者だ。風邪や熱といった病気の類は彼らの分野になる」
シスの言いたいことはなんとなくだが伝わった。おそらく彼は外的要因による組織または臓器の損傷とは正反対の、所謂内科について話したいのだ。
「そうね、そちらはお医者様の領域だわ。薬草を初めとして薬を処方してくださるもの」
医者に薬学の知識が求められるのはこのあたりにある。かつてあったコンラートのように魔法使いがいない地域としては当然だけれど、帝都内で薬草が求められる理由はこれである。
有り体に言ってしまえば、病気に対し魔法は無力だ。
正確には『ほぼ』無力だ。
以前から述べている通り治癒魔法は傷は容易に塞ぐけれど、代わりに患者の体力を消費する。繰り返すが魔法は細胞を活性化させて傷口を塞ぐものだ。
極端な話、病気に倒れた若者が癌を発症させていたとしよう。とても幸運なことに患部すら判明している。そこに治癒魔法をかけるとどうなるだろう。
癌は快癒するかと問われたら答えは否。
むしろその逆で癌細胞は活性化して若者の死期を早める。
もちろんこれは悪い例だ。魔法が有効な病気もあるかもしれないが、この世界はレントゲン技術や、まして細胞といった概念は浸透していないのである。この区別は非常に難しく、治癒魔法を施したからといって病気が治りはしないのである。
いまのは私なりにかみ砕いた話だが、シスもおおむね似たような話を行った。その上でこう言ったのだ。
「これは長年オルレンドルを観察して抱いた感想だけれど、この帝都内じゃ極端に弱った病人や、特に体力の衰えはじめた老人はあまり回復しないような気がするんだよ。ゆるゆると弱って、不自然……ではないけれど、大半は亡くなる」
冗談でも聞きたい台詞ではないけれど、シスに嘘を言う理由はなかった。
「……どういうこと」
「これは普通じゃ気付けないくらいの微細なものだ、だから統計でも取らない限り、はっきりとは誰も気付けないのだろうけど」
病人は帝都内では長生きできない、とはっきり告げられたのである。肝心なのは帝都内と断言したことだ。外に出せば回復は早いだろうと告げるシスに、ライナルトが反応する。
「初耳だ、何故黙っていた」
「さっき言ったろ。きみに話したところで対処できる問題じゃない。繰り返すがカールの仕業でもないし、歴代皇帝だって気付いているか怪しい。いや、知ってたら勲章ものさ。おそらく帝都……というより地下遺跡の問題だ」
シスの言い方に引っかかりを覚えたのか、ライナルトは一瞬考えたようである。
「……箱か?」
「ご名答。いまだ私を捕らえ続けるくそったれな容れ物は稼働しているけど、きみたち疑問に感じなかったか。私は思ったぞ。『箱』とはいまでこそ私を指すが、箱が『私』となるまでは『僕』を閉じ込め続けた忌々しい遺跡だ」
シスの言い回しは時折ややこしいが、『箱』として振るわれる彼自身の力と、彼を閉じ込め続ける動力源は別だと説明したのだ。そして彼を閉じ込める『動力源』たるものが未だ稼働しており、帝都に住む人々から極々わずかだけれど吸い上げられているのではないかと語ったのである。
「容れ物と同化して箱にまでなったんだぞ。それなのに私はここに囚われたまま動けない」
あくまで推測の域を出ないと説明されたが、シス自身は確信を得ているようだった。『箱』とは彼のことなのだから明瞭な答えがあってもよさそうだが、これには肩をすくめるばかりだ。
「私は囚われの身なんだ。この場合の看守とは地下遺跡だが、囚人に看守が脱出情報を与える間抜けかと思うのかい。……調べたくとも私には無理だ」
「自分の救出には使えない?」
「当たりだ。この力は他の対象にならいくらでも向けられるけど、皇族や遺跡に対しては向けられない。もう何度も試そうとしたが、どうやってもこの不可視の鎖だけは千切れなかった」
遺跡を作った人間はもう存在しないし、資料も残っていないとの話だった。これにはライナルトも苦々しい形相を隠せないし、帝都の民を案じている。皇太子として見過ごせないのだと思ったのだけれど……。
「念のために確認するが、普通に生きる分には問題ないな」
「当然だろ、帝都には人が住んでいて、現にいまも国として成り立っている。私が話しているのは老人や病人になると、遺跡からの微量な徴収すら負担になる場合があるよってことだ。回復できるだけの体力が残っていたらいいけど、残ってなかったら危ないかもってね」
詳細を確認したが、徴収の範囲的にはオルレンドル帝都を囲む湖を越えはしないようで、その点だけは一安心である。私が知っている中ではもっとも年配のうちの一人に相当する離れた場所に住むイェルハルド氏は安全ということだ。
ただ、その話が本当ならうちのご老体方をどうするかが問題だ。ウェイトリーさんは回復の兆しが見えるけれど、ベン老人が――。
「シス、これ以上隠し事はないか」
「隠し事って、そんなおおげさな――」
「あってみろ、皇帝にしばらくお前を使うよう進言する」
ライナルトの一声にげえ、と心底嫌そうな声が発せられた。ライナルトは冷ややかな眼差しでシスを射貫くのだが、どうやら彼に話していなかったことにご立腹らしい。シスはあれこれ説明していたのだが、ライナルトはそのどれもに心を動かさなかった。
「真実、手を尽くしようがないのか判断するのはお前ではない、私だ」
これで締めくくってしまったのである。もっと他にあってもよさそうなのだが、帝都民の魔力或いは体力を吸い上げている件について感想を求めても、彼は揺らがなかった。
「不愉快なのは認めますが、それは箱に対しても言える話だからいまさらだ。箱を壊し止まるのであればそれで良いではありませんか」
「……こんなことを聞くのは失礼ですが、もし止まらなかったらどうなさるのです」
「暇ができれば取りかかりもするが、いま優先する必要が?」
これは本当に民の心配をしていない。こんなことを言われては戸惑ってしまうが、もしウェイトリーさんとベン老人を移すのであれば帝都から少し離れた場所にある町を紹介すると言ってくれるのだ。
これを聞くと根っから冷たいわけではなさそうなのだけど……。
「……失礼、少々席を外す」
ライナルトは一時的に席を立った。おそらく裏を取るためにモーリッツさんに調べさせるのだろう。残ったシスと二人きりになると、彼は憮然と腕を組みつつ空を仰ぐのだが、横顔に問いかけた。
「ねえ、なぜいままで黙っていた秘密を教えてくれたの。いままで誰にも話したことなかったのでしょう」
「別に」
「別にって顔には見えないけど」
「これは作り物だ。知ってるだろ、本体はあの箱で、僕自身はとっくに存在してない、これは人っぽく見せた魔力の塊だ」
「作り物だろうが、そんな風に見えるんだもの」
「そんな風って?」
「話を聞いてほしいって顔。そうじゃなかったら話し相手に飢えてる」
嫌がられるかなと思ったけれど、会話を厭うならいますぐ消えてもよかったはずだ。去らないのなら人との対話を望んでいるのではないか。気持ちを率直に伝えたけれど、当たっていたようだ。皮肉も飛んでこないし、彼の疲れた老人の如き眼差しは遠くを見つめている。
「これは愚痴だけど、私はもうすぐ封じ込められて自由がなくなるかもしれないんだ。いや、こんな縛りだらけの生活なんて自由とはほど遠いけれど、それでもいまの私にとってはこれだけが癒やしだ」
「だから伝えておこうって思ったの?」
「私は気紛れだからね。でも、そうだな。きみの家令には美味しいお茶をご馳走になってるし、庭師のご老体は話しかけると切り花をくれるから、はじめに言ったとおり親切心だ」
見えないところで交流があったようだ。
一拍おいて、ぽつりと呟かれた。
「人は嫌いだが、気のいい爺さんが弱っていく姿はもっと嫌いだ」
不思議としんみりとした響きだった。普段だったらこのまま放っておいて思い出に浸らせるけれど、ライナルトが不在でシスに話しかけられるチャンスはいましかない。
「シスはエルのことをどう思ってたか知りたいの。聞かせてもらっていい?」
聞かなきゃならないだろう。
そして、知っておかねばならないだろう。
私の覚悟に必要な問いを待って、固唾を呑んで『箱』の化身を見据えていた。
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