173話 悪意の栄典
「エルのこと、ねぇ」
この質問をした途端、シスが纏う空気がガラリと変質した気がした。とげとげしい様子で、シスの中にあるひねくれ者の一面が顔を出したようだった。
「私は鈍い男ではないから、きみがなにを聞きたいのか察してはいるさ。だからまあ、なんのことだい? なんてとぼけるつもりはないが、きみの気に入る回答はできないぜ」
「そう、話が早くて助かるわ。元々あなたに気遣いなんてものは求めてないから安心して。それで、エルのことはどう感じたの」
「その前に私からも一つ質問がある」
「なに?」
シスの身体が宙に浮いた。逆さまになった青年は至近距離で私の瞳を覗き込み、せせら笑うように問うたのだ。
「私はカールの手伝いをした。あの子が力を行使できなくなるよう長老達に力添えし、その死に力を貸した。これについてきみはどう思っている」
「殴ってやりたいと思ってる」
自分でも躊躇うことなくはっきり言っていた。
ほう、と目を見開く人外は、私が「あなたを責めない」なんて言葉を期待していたのだろうか。興味深げな呟きだった。
「私は命令だから仕方なく力を貸したんだ。それをきみは考慮してくれないのかい。自殺を望んだのは彼女だろ。手を下したのは友人でありきみなのに私に怒りを抱くのか」
「そうね。撃ったのも命を奪ったのも私。あなた風にいえば「仕方なく」となるんでしょうけど」
エルの件に関しては……一概にはなにもいえない。なにせ色々な感情が渦巻いている。
考えてしまうのだ。
これら一連の事件は様々な要素が積み重なった結果だった。皇帝が悪いとも思うし、エルが引き金を引かせたのだから……なんて気持ちもある。彼女を止められなかった自分への苛立ちも当然あった。シスについてもそのうちの一つだろう。彼は皇帝に逆らえないのだから悪くないと考える一方で、どうして反抗してくれなかったなんて勝手な想いもある。
うん。我ながら身勝手で、我儘で、そしてなかなか理不尽だ。
「いまは多分、その言葉で締めくくりたくなくて抗ってるところ」
この回答に彼を満足させる中身はなかったようだ。顔を離すとおどろおどろしい雰囲気はなりを潜め、優男風の青年が口角をつり上げていたのである。
「実に人間らしい、凡庸でつまらない答えだ」
「シス」
「ああはいはい。……馬鹿な娘だなぁと思ったよ」
「それじゃない、わかってるでしょう」
「恋愛感情かい? あるわけないだろ」
小馬鹿にしたような響きすらあった。いや、軽蔑すらしていただろうか。もし彼に思いを寄せる人がいたとして、こんな態度を取られてしまったら一生ものの傷を負いかねない蔑みが含まれていた。
「彼女の成長には目を見張るものがあった。実際魔法使いとしては一目置いたし、あの程度の性格も可愛いくらいさ。実力は精霊並みの、下手したらそれ以上の才能があったけど、私へ恋だ愛だの謳うのは愚かさ」
私も多分、彼の正体を知らなくて、あの結末がなかったらこの言い草には腹を立てていただろう。けれど拳を握らず「そう」と物わかりのいい様子で頷いたのは、この返答を予測していたからである。
「結論としては「残念だった」だな。これでいいかい」
「ええ、ありがとう。おかげで私も気持ちが固まった」
「へぇ? どんな気持ちなのか、よかったら教えてもらえるかい」
「秘密」
シスの言葉は私にある決意を固めさせた。……もちろん、彼の言葉がなくたって箱は壊すつもりだったけれど、それと同じくらい重要な目標だ。
相手の頬を両手で包み込んだ。この宣戦布告はシスへ、なにより自分に対して向けた言葉である。
「いつかそのすまし顔を歪ませてやるから、首を洗って待ってなさい」
「きみも彼女と一緒で変な言い回しを好むね。洗うような首はないが楽しみにしていようじゃないか。そのためにも早くすべてを解明してほしいところだけど」
後は私の頑張り次第なのだろう。眠りこける黒鳥を掴んで弄り始めた頃にライナルトが戻ってくるとあとは他愛もない話に戻ったのだが、シスが一緒にいろ、と言ったからだろうか。予想よりライナルトは長居したし、久しぶりに穏やかな時間を過ごせたのではないだろうか。
ただ夜までとはいかなかったようで夕刻前には引き返したけれど、帰る間際に細長い箱に入った包みを渡された。迎えに来たライナルトの小姓が持ってきたのである。
「ようやく完成したので。渡せてよかった」
短い一言と共に渡されて彼は去って行った。
「……なにかあったかしら」
「殿下はなにをお渡しになったんでしょう。みたところ装飾品でも入っていそうですが」
「あ。もしかして」
リボンを解いて蓋を開くと、天鵞絨生地に埋もれていたのは腕輪だった。金細工の細い鎖に嵌まった碧色の宝石は見るからに繊細で職人の技が光る逸品だ。その腕輪は以前ライナルトが贈り直してくれるといった宝飾品である。
「約束通り同じものを作ってくださったのね」
深いため息が出た。コンラートで紛失したあの腕輪は本当に私好みで、お気に入りだった。同じものではないけれど、二度と戻らないと思っていただけに再び手にできたのは嬉しい。
「カレン様、それ、は」
「ああ、これね。マルティナもコンラート領が襲われたのは聞いているでしょう。その時に賊に盗まれてしまって……。宝物だったし、どうしても欲しかったからライナルト様に細工師の紹介をお願いしたのよ。でもまた贈ってくださると言ってくれたからお言葉に甘えたの」
あの時はコンラートへ嫁いだお祝いとしてくれたのだっけ。
向こうでは土仕事といったお手伝いも兼ねていたからしまい込んでいたが、こちらでは常時身につけていてもおかしくないだろうか。この間は一隊の家捜しなんて許してしまったし、付けていた方が安心できるかもしれない。
「……できれば指輪も作りたかったけれど、あれはお二人が持っていたからこそのものだしね」
「指輪、ですか」
「ヴェンデルが首から下げて身につけているの、見たことないかしら。あれ、あの子のお父さまの形見なの。本当はお母さまが身につけていた対の指輪があったのだけど、それもコンラートで盗まれてしまったらしくて。あ、これはヴェンデルには言わないでね。なにも言わないけど、形見の件は簡単に割り切れてないから」
腕輪を早速手首に巻いて留め具で装着すると、わけもなくお洒落になった気分である。マルティナに見てもらうべく顔を上げると、顔から血の気が失せているのに気が付いた。
「マルティナ? どうしたの、顔色が悪いけど体調が悪い?」
「い、いい……え」
声が震えている。呼吸は浅く、視線は腕輪に向かって注がれていた。彼女が驚いているのは理解できたけれど、どうして――怯えているのかがわからない。
「カレン様、それは、他に見かけない意匠です。……一点……ものでしょう、か」
言葉が上手く紡げないようであった。喘ぐように吐かれた疑問だった。マルティナの様子がおかしいのは明らかだが、答えという名の救いを求める姿を放ってはおけなかった。
「こちらの宝飾品店を巡ったわけではないからはっきりとは言えないけど、多分……そうあるものではないと思う。ライナルト様が作ってくださった品物だし」
「嗚呼」
言うなれば絶望の吐息だ。心臓の辺りをぎゅっと掴んだマルティナは泣き出しそうな面持ちで呼吸を繰り返す。呼びかけには答えてくれず、いよいよ誰か呼ばねばならないかといった時、ゆっくりとかぶりを振っていた。
「大丈夫、大丈夫です。どうか……わたくしは平気ですから」
「平気って、そんなわけないでしょう。いまにも倒れそうだし、自分がどんな顔してるかわかっているの」
「これは……少し休めば落ち着きますから。本当に申し訳ございませんけれど、少し一人に……」
言うなり、おぼつかない足取りで遠ざかってしまったのである。用事があると言って仕事を終わらせると早々に帰ってしまったし、理由は不明のままだ。翌日になると普通に姿を見せてくれたけれど、マルティナが険しい表情を垣間見せるようになったのは全員気付いていただろう。彼女自身の問題はともかく仕事に影響がないのはウェイトリーさんの教育の賜物だろうか、それとなく気にかけるようにしていたある日である。私はとうとう、どう足掻いても逃れ得ない日を迎えたのである。
「コンラート家のカレン」
仰々しい催しの割に演説は長くなかった。名前を呼ばれると垂れていた頭を持ち上げ、膝を持ち上げる。段差の上部には玉座で足を組む男が座しており、傍らにはその男を補佐する、所謂宰相と称される男性が功労を称える感状を広げていた。
「此度の逆賊討伐における働きぶり、まこと見事である」
周囲は物々しく荘厳だ。煌びやかに着飾った人々の間に立つ私は、世間一般的に見れば、帝都に移住したばかりの身でありながら帝国に多大な貢献を成した忠臣者とでも称されるのだろうか。ファルクラムの時とは比にならない人数と好奇の視線に晒されながら、神妙な表情を装うのは想像以上に根気が必要だった。
宰相が感状を読み上げるけれど、言葉は一切胸に響かない。これは帝国にとっては慶事だけれど、私にとっては弔事と同じだ。
この日のために用意した新しい衣はガルニエ店に仕立ててもらった一品だ。急ぎであったにも関わらず引き受けてくれたのは彼らにとって上客になる予感があったからだろうか。おかげでとても美しい仕上がりになった。生地の一部に黒を取り込んだ意図を知るのは私だけだが、やる意味はあったと思う。
「コンラート家の活躍に際し皇帝陛下から下賜品が与えられる。つつしんで賜り、これにより益々の忠誠を尽くされることを期待する」
従者が玉座に座る男……皇帝カールの前に勲章の乗った盆を掲げた。私も段差を上がると、皇帝カールが勲章を取り私の肩より少し下……胸元当たりに勲章を引っかける。
「よく働いた。今後も我がオルレンドルのために励むがよい」
声が張った宰相と違い気の抜けた声音だ。皇帝がどんなに腑抜けた態度を取ろうが咎める者はいない。真向かいに立った私だけは瞳の奥底に存在するおぞましい毒心に気付いたけれどそれだけだ。
型通りの儀礼を済ませ段差を下がるとどこからともなく拍手と皇帝カールを称える声が場に響くが、この中に新参のコンラートが気に入らない声がいくつ混じっているのか。
この日のためにわざわざ、必要以上の人々を集めて私を晒し者にした皇帝の悪意にだけは頭が下がる思いだ。
私の友人の死を称える栄典は色のない景色としか映らなかった。
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