170話 心の理解は求めない
エルに似ているようで似ていない何か。これについて話し終えると、シスは机に肘をつきながらぼやいた。
「私の考えを述べるとしたら、それは間違いなく彼女じゃないし作り物で間違いないだろう。死して後、魂を保持したまま転生するって逸話がないわけじゃないけど、おとぎ話みたいなものだからね。大体彼女が残っていたとしたら友人を殺しかけるとは思えないな。きみの生存は事故みたいなものだ」
……ん?
「それで、どうして『彼女』が学習しているなんて思ったんだい」
「あ、ええと……。なんでかしらね、はっきりと確信を持てたわけではないのだけど、本を読む仕草とか……彼女をみていたらそんな風に感じただけなのだけど」
「なるほど。ま、きみは遺物にとって宿主だから、無意識に通じるものがあったのかもしれないな」
意外にもシスはすんなりと受け止めたようだ。もうちょっと違う意見が出ると思っていたから拍子抜けである。
「その様子だともうしばらくしたら意思の疎通が図れそうだな」
「ええ、それは構わないのだけど、ずっとこの眠気が続くのかしら。ライナルト様が近いと睡魔が強くなるのは、とても困るのだけど」
「そうだな、彼女は近々宮廷に上がらなくてはならないはずだ」
「ライナルト様の言うとおりよ。こんな状態で宮廷に上がるのは……」
「そう言われてもなあ、内部に巣食ってるものだし、私には理解できない仕組み、いや言語が使われてるんだ。どうしようもないよ。人前では常に太ももでもつねってるしかないんじゃない?」
「理解できないって、エルがそんなものを?」
「そうそう。もしかしたら想定外の人間に読み取られるのを警戒しての仕組みかも知れないけど、ねぇ。せめて元になった文字なりわかれば私にも読み取れるけど……」
わからないとぼやくシス。
なんでも私たちが近くにいると、微かにだが魔力の揺らぎを感じるらしいのだ。このときシスが私の袖をめくったのだが、蠢く紋様の速度が早くなっていた。その揺らぎは水の上に垂らされたインクのようだけれど、時折文字の形も取っている。
「この文字が意味不明なんだ。多分だけど複数の言語が混じってるから、一から言語を作ったんじゃないかな」
「そんなことまでわかるの?」
「だってきみたち、学生時代に変な言葉を作って遊んでたんだろ。彼女なら尚更そういうの得意なんじゃないか」
……なるほど? もしかしてファルクラムに住んでいた頃話した、ジャパニーズとかそういう言葉のことかな。思春期特有の造語とかいって誤魔化した覚えがあるけど、しっかり覚えていたらしい。
「……そうね。エルはそういうの得意だった」
「魔法使いが記録を残すのは当たり前だし、自分の研究成果を奪われない手段として造語を作るのもよくやるけど、大体は文字列の改変あたりがせいぜいだ。どこかの国で使われていた特殊文字も入ってるし、ここまで凝ってるのは初めて見たよ」
シスはそう言ったが、私はなんとも返事がしにくい。なぜならその時々作られる文字列、私にとっては懐かしい代物だからだ。以前珠が解放された際に見かけたものだけれど、微かに漢字や英語、他言語が混じっているのが見える。しかし全体的に文字の形を保っている時間の方が少なく、比率的には私にも読めない言語の方が圧倒的に多い。
紋様をじっと眺めていたシスだが、あることに気付いたようだ。
「以前に比べると読めるようになってきてるな」
「そうなの?」
「前はもっと複雑だった。これは活性化してるんだろうな。きっと『何か』魔力が消費しているから、身体が回復を求めて休眠しようとしてるんだろうね」
「私が倦怠感程度で済んでいるのは一割だからというわけだ」
「そう。大半をカレンお嬢さんが担ってるからね。とはいえ分かたれた二つが近いと、消費も早くなるわけで……」
「……解析が終わるまではこのままなのね」
「ふぅん。その言い様だと、なにかわかったのかな?」
「いいえ、なんとなくそう思っただけ」
多分、あの子は「解析」と口にしていたと思うのだけど定かではない。けれどもし間違っていないのなら、解析が完了すれば元通りになるのだろうか。
「そうなると、ライナルト様には近寄らない方がいいのかしら」
眠気に耐えられない……わけではないが、いま起きていられるのは多少なりとも一眠りしたからだ。何もない状態で会ったとして、意図せず眠ってしまえば醜態を晒すだろうと口にしたのだが、これにシスは目を剥いた。
「はぁ? 冗談だろ、きみたちにはなるべく一緒にいてもらわないと困る」
「……あなたなに言ってるの?」
「きみこそなにをふざけている。きみの中のソレについては、一刻も早く詳細を聞き出してもらわなきゃ困るんだ。宿主がカスみたいな魔力しかもっていないせいで遅れが生じてるんだぞ」
「カスって、ねえ。そりゃああなたに比べたらぜんぜん足りないだろうし、事実かもしれないけど」
「寝食共にするぐらいでちょうどいいんだ。その方が早く完了するかもしれないし、きみだって意思の疎通が図れたのなら他の手段が見つかるかもしれないだろ」
「ば……っ!」
「互いに不利益しか被らない。現実的な意見ではないな」
あっ、ばっさり切られた。
ライナルトはにべもないが、シスは引き下がらない。それどころか口調に籠もる熱は増すばかりで、いままでにない感情の昂ぶりを晒している。
「現実的だろうがなかろうが、やってもらわなきゃ困る。いいから彼女をきみの元に置くか、そうでなきゃきみがここに通うんだ。どうせ浮世話なんていまさらだ、外面なんて気にするような人間じゃないだろ」
一体どうしたのか。椅子から立ち上がったシスは明らかに焦っている。それはライナルトが動じないから、いっそう彼の中の苛立ちを募らせるようだ。閉じこもっていた、と言っていたし、もしかしたら隠していただけで、シス自身は気を逸らせていたのかもしれない。
「シス、熱くなるな」
「熱くならずにいられるか!」
いつになく感情的だった。叫び声に黒鳥が垂直に飛び跳ね起きるのだが、そんなのもおかまいなしに、髪を掻きむしらんとする勢いである。
「あいつら、僕を再封印する手立てを見つけやがったんだぞ。このままだと私はまたあの中でひとりっきりだ! 感覚なんてなにもないんだ。みえない、触れない、匂いすらない、なにより死ねない……あるのは孤独だけだ! 有限の者に無限であらねばならない私の何がわかる!!」
それは、いままできいた中でなによりも深い嘆きと憎悪だったかもしれない。あの、常日頃脳天気に振る舞うシスが瞳に怯えを宿している。人が憎い、殺してやりたい、ありありと描かれた憎しみを真っ正面から受け止めたライナルトだけれど……。
「わかるものか。お前が私を理解しないように、私もお前など理解しない。だからこそ利用し合えるのだと忘れたか」
取りつく島もなかった。
シスの嘆きに対しても顔色一つ変えず、むしろ睥睨するように言ってのけた。煩わしげに眉をひそめたのである。
私からすればシスはかなりライナルトをわかっているように見えるし、親しげに見えるのだけれど、実際はどうなのだろう。シスがライナルトを同胞と呼んでいた時があったのだけれど、あくまで『箱』を壊す同志としての意味なのか。
ライナルトの眼差しにシスは悔しそうに視線を逸らすと、忌々しげに舌打ちしたのである。
「急げと言ったのは嘘じゃない。徐々にだけど箱の封印が成されているってことは、本来の機能が回復しているってことに他ならないんだ。僕がカールを騙せなくなるのも時間の問題だぞ」
「わかっている。ヴィルヘルミナもきな臭くなってきているからな」
「きみがカールに反抗的なのはあいつが一番よくわかっているはずなんだ。このうえ真意がばれてみろ、明日にでもヴィルヘルミナを後継に据えて、元皇子は良くたって永久投獄だぞ」
「まったく恐ろしいな。あの男のことだから生きたまま解……」
私の視線に気付いたのか、軽口を叩こうとした口を止めた。私も彼の言葉の先を考えるのはやめておく。
シスは机の上に転がった黒鳥を捕まえると、横に掴んで伸ばしはじめる。……現実の鳥ではないためか、お餅みたいに伸びるなあ。
「きみが隠れて集めてる兵と鉄の在処。本来の私はそれすらも暴けるのを忘れるなよ。いいから急いでくれ」
気になるキーワードが目白押しである。シスの意趣返しにライナルトが目尻をつり上げたけれど、今度はシスの方が余裕を保っていた。。
「口が軽いって? ……あの忌々しい箱を壊す手段がこのお嬢さんにあるんだ。引き入れるって決めたのなら、いずれ話さなきゃならないことだろ」
私にばらしたことじゃなくて、軽々しく口にするなって意味だと思うけど……。
それにしても、ここにきて本当に色々明らかになってくる。質問はたくさんあるけれど、ここは一つずつ明かしていくべきなのだろう。
「……いままで気になっていたのだけど、シス、あなたは皇族に逆らえないと聞いていたけど、それってどの程度逆らえないの」
「全部だよ。何もかも逆らえない」
一応教えてくれるようだ。だが彼の答えは完璧ではなかった。
「嘘。それだったらこうして箱を壊すなんて相談できるわけないじゃない。いまだってそうよ」
それにいつだったか、ライナルトは自分にとって都合の悪い話を聞かれても、シスは皇帝に話さないようなことも言っていた。秘密裏に地下水路を見つけたときもそうだ。もし本当に逆らえないのなら、例えばだが皇帝が「誰か箱の破壊を目論んでいるか」と質問すれば答えないわけにはいかないだろう。
この質問に対し、シスは頷いた。
「箱から出た当初はそうだった。隠し事をしていても詳細を尋ねられたら、たとえ私がどう考えていようとこの口は嘘をつけず、ありのままを声にしていたさ」
「いまは違うのね」
「私は容れ物が壊れ、次第に機能を失いつつあるからね。相変わらず命を狙うような行為はできないが、嘘をつくくらいなら可能になったさ。もっとも、その嘘をつくのだって結構苦痛なんだ。もう痛みなんて存在しないはずなのに、わけもなくなくした四肢がもがれるような幻覚を味わう」
この事実をシスは皇帝に隠しており、ライナルトにだけ明かしたのである。
隠した理由は簡単だ。シスがいくら帝国に反抗的でも嘘をつけない、命令には逆らえない前提があるからこそ現状が維持できている。万が一ばれてしまえば、今まで以上に箱の修繕に取り組むだろうから、時間稼ぎとして、そしてなにより己を利用し続ける皇族への意趣返しとして黙っていたのである。
地下からの塔侵入を「シスが招いた」なんて形にしたのは、思っていたより単純な理由だった。『箱』は「ライナルトの部下が目の塔に侵入したか」に対し「侵入者はいない」と嘘はつけるけど痛いのは嫌だとのたもうたのである。
「気になってたんだけど、皇帝の命令だったら遠くにでも行けるの?」
「もちろん。現にファルクラムまで出張ってたじゃないか」
「……昔の話になるけれど、コンラートあたりを旅してたのは?」
「よく覚えてるなあ。きみの兄さんと会ったときだっけ? ああ、そりゃもちろんカールの命令さ。時々戻ったりもしてたけど、基本こんな国にいなくてよかったし、なによりあいつの顔を見なくて済んだから、そりゃもう快適だった!」
……確か夜中にごちゃごちゃと話していた記憶があったのだが、あれはなんだったのだろう。尋ねてみると、答えは簡単だった。
「教えられる範囲の情報を流してあげてたんだよ。あのときのライナルトは皇族の範疇ではなかったから、詳細は大分伏せてたけどね」
「……あれ? じゃあライナルト様の麾下にいたのは」
「偵察があったからライナルトに協力しろって命令はあったけど、それ以上に僕の単純な親切心」
この返答に、ライナルトが渋い表情になった。
「玩具ではなかったのか」
「遊ぶくらいしないとカールに怪しまれるだろ。ファルクラムの偵察が理由だけじゃ足りない。きみたちを振り回すくらいしないと、それこそバルドゥルが出張る。きみの身柄を守ってたくらいは察してほしいよ」
「……信じないとまでは言わないが、そのせいで何人か死んだが」
「私も腕を切られて散々だったよ」
……腕?
腕といえば、エレナさんがたしか――。
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