169話 遺物の意思

 まただ。

 また、色のない裏庭に私はいる。

 以前と違うとすれば、前回と違い私は無視されていないという点だろうか。向かいに座った女性は本を閉じ、手を膝の上に置いてこちらをひたりと見据えている。

 少し古い例えだけれど、時折、旧式テレビの砂嵐のように視界がざわついた。変な気分だけれど、相手から拒絶されていないだけ、やるべきことがはっきりしているのは良かったのかもしれない。


「あなたの縺ョ險?隱槭↓に蜷医o縺帙※縺ソ縺溘、縺ゥ縺かしら」


 今度はいくらか聞き取れる単語が存在していた。声の質もそっくりで、一瞬この子が彼女かと思ったけれど、そこに潜むささやかな違和感がこの子は『エル』ではないと見抜いた。

 エルじゃない、私の親友はもうどこにもいない。この子はエルに似た何かだ。

 そう確信を得ると、胸の内に言いようのない苦しさが満ちていくのだ。死んだ人間にまた再会できるなんて幻想などあるはずないのに、勝手に期待しておいてこのざまだ。


「ちょっとは聞き取れるけど、まだはっきりとは聞き取れない。ねえ、あなたは学習しているの?」

「――そう。縺セ縺?莨夊ゥア縺ッ髮」縺励>縺ョ縺ュ。あなたの筝??複雑で、繧上◆縺励↓譖ク縺九l縺ヲ縺?k縺?縺代?險?隱槭〒縺ッ解5p6Q44GX44GN44KM44Gq44GEの」


 困ったように呟いて、悩ましげに息を吐く姿は自然体とはかけ離れている。まるであらかじめ教え込まれたような演技的な動作だが、会話を行おうという意思は感じ取れた。

 けれど、私が彼女の言葉を聞き取れない。向こうはこちらの言葉をきちんと理解しているようだけれど――。


「一部が$B6a$/$K5o$k$+$i(B、モウ$B>/$7$@$1BT$C$F$A$g$&$@$$$J(B。コGyRCJHMbKEI=度ハまともに隧ア縺帙k縺ィ縺?>繧上??」


 ここで気付いたのだが、目の前のこの子が声を発し、一部を聞き取れる間だけ裏庭の景色に色がついた。閉じた世界に時間が到来した……といってはおかしな表現だが、それしか例えようがないのだ。

 ともあれ意思の疎通は不可能だ。それがわかると目の前の女性は再び本を開き、机の上に淹れたての紅茶が出現するのである。


「また会いましょう」


 最後だけはっきりと聞き取れた。

 けれど返事をする前に身体は闇に呑まれていった。




「侵食されたところは痛まないのかい」

「痛みはないな。いまはせいぜい違和感を感じる程度だ」

「普通だったら気持ち悪くて吐くくらいするはずなんだけどなぁ」


 知っている声だった。緩やかな目覚めは倦怠感をもたらし身体にのし掛かる。鈍重な腕を動かすと、視界を覆う手を掴んでいた。


「や、おはよう。気分はどうかな」

「……良くはない、かも」

「だろうね。ああ、まだ寝ていた方がいいよ。魔力が吸い取られてる。加減を覚えたんだろうけど、気絶ぎりぎりくらいだ」


 シスの顔が近いと思っていたら、どうやら膝枕されているようだった。憂鬱な私とは正反対に、興味一杯にみひらかれた瞳が子供みたくきらきらと輝いている。

 そんなシスにライナルトが苦言を呈していた。


「シス、こうなることが予見できていたのならなぜ言わなかった」

「君がこの子に甘いからだよ。侵食された者同士が近づけばこれまでにない反応が起こるかもしれないけど、どうなるかは私にも予測できない。そんなこと言ったら原因がわかるまで接触を避けるかもしれないだろう?」

「もう少し信用してほしいものだがな」

「信用してないのはお互い様だろ。私は私の解放を優先している、人間が一人二人死んだくらいで止まるのは困るんだ。時間がなくなってしまったいまでは特にね」


 会話は聞こえているし、シスが楽しそうなのもわかった。けれど会話の内容は半分以上も頭に入ってこない。ともすれば再び眠りに落ちてしまいそうだったからである。

 

「解放を望むのなら慎重に動け。彼女にもしもがあってはお前の望みは叶わなくなる」

「慎重も過ぎれば機を逃すんだよ。……ライナルト、君は無自覚だけど本当にこの子にだけは甘いんだ。人らしくなっていくのは構わないけど、そんなことで計画を止められては困るんだよ」


 胸の上では黒鳥がべったりと張りついていた。ぴくりとも動かないけれど、多分生きてはいるのだろう。


「シス、あなた、私に何が起きているのか説明できるの?」

「うん? ま、憶測程度でよければでいいならだけど」

「話して」

「元々そのつもりだったけど、もう少し休んだ方がいいと思うけどね。どうせ今日は暇だから君たちに付き合うつもりだし」

「付き合うなどと、拗ねて塔に閉じこもっていた奴の台詞ではないな」


 ライナルトがはっきりと皮肉を言うと、シスは子供っぽく唇を尖らせた。


「いちいち五月蠅いな。君の手を煩わせたのは悪かったって言ったじゃないか」


 モーリッツさんの姿がない。シスが来たからどこかで見張りでもしているのだろうか。そしてシスを見ていて気付いたのだけれど、私と彼の髪の色はそっくりだ。シスもしきりに髪を一房掴んでは持ち上げる仕草を繰り返していた。


「……シス、私の髪は元通りになりそう?」

「半々かな。いまは彼女の遺物が侵食して君の魔力を奪ってる最中だからこうなってるわけだけど、それが終わったら元通りになるかもだし、ならないかもしれない」

「魔力と髪の色に何の関連性があるのかしら」

「さあね。ただ言えることがあるとしたら、いまも奪われ続ける君とボクの状況が酷似している。髪の色がお揃いなんて最高に皮肉がきいてるって思わないかい」


 口角をつり上げて笑うシスの瞳に憎悪に似た悪意が宿った。彼が何を思い出したかは知らないけれど、シスが私に自分を投影しているのは見て取れる。そして彼を見ていると、ふとこんな言葉が口をついて出ていた。

 

「……言っておくけど、私はエルを恨んでないから」


 残念そうにされると腹が立つけれど、いまは文句を言っている状況ではない。

 膝枕が楽ではあったのだけど、寝てようが座っていようが怠いのも眠いのも変わりない。ならば起きているくらいが、せめて睡魔からは逃れられそうだ。


「この、眠いのはどうにかならないの。考えることがままならないのは、すごくきついのだけど」

「ライナルトが近くに居る限りはしばらくこうなんじゃないかな。見たところ二人が近くにいると君の消耗が激しくなるし、ライナルトも疲れが出るみたいだから」

「ライナルト様も……?」


 決してそうは見えないけれど、ライナルトも同意していた。


「カレンほどではありませんよ。疲労がある程度で仕事に支障は無い」

「ライナルトの負担は一割くらいだからね。でも分割したのは幸いだったんじゃないかな。丸ごと侵食されてたら、最初の時点で受け入れきれずに死んでたよ」


 運がいい、とシスは言うけれど、そこに待ったをかけた。


「シス」

「なに」

「話が見えない。……わかるようにちゃんと説明して」


 わかっている人はいいのだろうが、置いてけぼりにされた方はたまったものではない。それにいまならシスから全容を聞けるはずだ。私はライナルトに全てを明かすよう要請し、それを彼も認めたのだから。


「それとさっき時間がなくなってしまったとも言っていたけど、あれはどういう意味なの。確か箱は壊れかけだったはず。エルとなにか関連があるはずよ」

「……お嬢さま。一気に求められても私の口はひとつしかないよ」


 肩をすくめてお手上げの形を取るけれど、目は笑っていなかった。


「まず必要なのは君の状況説明じゃあないかな。自覚はないようだけど、自分がどれだけ危ないかは理解しているかい。もちろん魔法的な意味でだ」

「いいえ。死にかけたことがわかる程度だし、はっきりしたことはなにも」


 隠しても仕方ないだろう。少なくとも知ったかぶりをするよりはずっといい。

 シスは机の上に置いた黒鳥を指さした。鳥の形をしたなにかは相変わらず眠りこけている。


「まずそれだけど、間違いなく彼女が残した遺物だ。それが君とライナルトを侵食した後に、奪った魔力を使って存在している。知性が低そうなのはおそらく魔力量が足りないからだと私は見ているよ」

「断言はしないのね。シスでもわからないの?」

「わからないね」


 意外にもはっきりと答えられた。魔法に関しては万能かと思っていたけれど、シスにもわからないことはあるらしい。


「私が万能に見えるのは常人と違ってできることが多いからだよ。ボクが他の人間より物知りなだけで、知らないものは知らないんだ。それに本当に万能だったら権力者がありきたりに願う不老不死なんてとっくに叶ってるはずだろ」


『箱』があれば大抵の願いは叶えられるけど、とシスは述べる。それにしても私とボクがごちゃ混ぜなのはどういった由来があるのだろう。


「話を戻そうか。ライナルトに聞いた侵食時の感じと、君たちに移植されてる紋様からみて、珠から溢れたのは染料と魔力で描いた特殊な文字だ。彼女はこの文字を用いた上で「何か」を残したんだろうけど、そこが問題だ」

「どんな問題?」

「作り出した遺物に意思がある。もっと言ってしまえば意思を感じる」


 そもそも魔力で文字を描くといった技術が不明なのだが、これ自体は魔法使いがたまに行う手段らしい。エルのは魔法文字のを圧縮した塊だったけれど、従来は物に魔力を込めて知識を残すようだ。

 つまり出力機器を必要としない、触るだけで発動する記録媒体と思えば間違いなさそうだ。けれどその記録自体が意思を持つとはどういう意味だろう。


「普通は触れたくらいじゃ簡単に開かないんだ。私のような魔法使いや指定された人間が触ることで発動するはずで、それだって簡単に読み取られないよう個人なりに工夫している」

「だったらエルが私を指定してたってことにならない?」

「それなら君が死にかけるなんて起こるはずないだろ。解放時に吸い取られた魔力量が異常だし、そこまで考えつかなかった馬鹿ではないはずだ。あれはどちらかといえば、宿主の君が死にかけたから慌てて魔力を戻した、くらいの意思を感じたね。ライナルトが近くにいたから九と一で分割されたけど、そうじゃなかったら即死だ」


 極めつけは黒鳥である。シスは黒鳥と私たちに刻まれた紋様から同じような気配を感じるといった。ライナルトに懐いている様子からみても間違いないという。


「何故私じゃなく君に対して発動したのか、こちらが知りたいくらいだ」


 だとしたら何故私が……と言おうとしたところで思いだした。

 シスが遺物に意思があると言ったのなら、夢の話は決して無関係ではないはずなのだ。

 

「君が寝ている間、微かにだけど君のものではない魔力の揺らぎを感じた。その様子だとなにかあったね」

「ええ、あった。会話を出来たわけじゃないけど……」

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