153話 栄光の代償

「おお、こわいこわい」


 皮肉なのか余裕なのか、あるいは両方か。先ほどと同じように風が渦巻きはじめるが、今度はサミュエルも黙ってはいないようだ。突然エルが後ろに下がると、突如床が黒い影を伴い沸騰する。沸きだした黒い影が幾重にも重なり襲いかかるのだが、エルは一笑に付すのである。


「遅い」


 声と影の爆発は同時だった。

 音もなく影が弾けたかと思えば、次の瞬間には壁に血飛沫が飛び散っている。あれは一体何なのか、幻覚かと思えば鉄錆の臭いが鼻についた。

 ふと視線を落とすと犬の首が転がっており、サミュエルの笑い声が響いた。


「大事に育ててたのにひでぇや」


 先ほどからサミュエルを見えない刃が追いかけているが、細かい傷を作りながらも致命傷を避けている。押されているはずなのに、その余裕は何なのか。エルは最低限の動きでサミュエルを追っているのだが、目に見えて変化が生じ始めたのである。


「そろそろ無詠唱で魔法行使できなくなってきたんじゃないですか。俺ぁ逃げ回ってるだけで勝てる勝負なんですが」

「最低でもあんただけは殺すわ」

「殺す、ねえ」


 その声には、何処か人を小馬鹿にしたような響きがあった。すかさず殺意の乗った衝撃がサミュエルを襲う。

 エルを抑える封印は、おそらく順調に起動しているのだろう。いままで彼女が詠唱じみた動作をする姿など見たことなかったが、いまは早口で何かを呟いたり、光らせた指先で文字を描いている。動作に呼応するように風が走り、部屋を裂いているのだ。


「センセはさ、俺から見ればちょいと頭が良くて強がってるだけの可愛い女の子なんですよ」


 豪風に巻き込まれた硝子瓶が私に向かって飛んできたが、次の瞬間には目の前で割れている。エルの影が不自然に伸び、そこから猫のような動物がせり上がっていたのである。

 人間大に膨れ上がった猫ががっぽり大口を開けると、椅子や書類を呑み込みながらサミュエルに走って行った。

 

「だってあんた、兵器だなんだと開発してるが、本気の殺し合いなんて一度もしたことないだろ?」


 彼らの戦いを目で追いながら考えていた。この超常合戦に割り込んで戦う勇気や実力を持ち合わせていないけれど、足手まといの私に出来るのは彼らの意図を汲み取るくらいだ。おかしいのだ。

 なにが、とははっきり断言できないけれど、これはあまりにも不自然だ。

 サミュエルが戻ってきたのは「質問」があったからだとして、エルは回答を拒否した。だったら彼の用事は済んだはず。無論エルが逃がしてくれない可能性も充分にあったけれど、だからといって彼が留まる理由がわからない。

 彼の言葉が本当なら、さっきの言葉通りわざわざ対峙しなくてもエルを放置するだけでいい。それだけでエルを無力化できるのだから。

 先ほどからサミュエルがエルを挑発するような言動ばかりとっているのもそうだ。


「エル待って! なにかおかしい、彼から距離を……冷静になって!!」


 瞬間、硝子が割れる音が辺りに響く。私の横……違う、後ろだ。割れるはずのなかった硝子窓が吹き飛んで、細かな破片が肩や背中がかするのだ。

 思わず目を閉じて頭を抱え込んだが、次に瞼を持ち上げたときには、目の前にエルが転がっている。

 状況は理解できてない、頭が追いついていない。

 けれど名を呼ぶより早く彼女の上に覆い被さった。サミュエルの一撃が何処から降ってくるのかわからず全身で庇ったけれど、衝撃はいつまでたってもやってこない。

 部屋は既に静まりかえっていた。

 おそるおそる顔を上げると、笑うことをやめたサミュエルが黙って私たちを見下ろしている。


「実戦慣れしてないからこうなる。俺ばっかに集中して、外に注意してないから負けるんですよ」


 淡々と語る様は、出来の悪い教え子にがっかりするような響きがあったかもしれない。目が合えばわずかに口元をつり上げ肩をすくめたのである。


「センセを動けなくさせる、までが俺の仕事なんで……まああとは……俺なりの慈悲みたいなもんです」

「……この、糞野郎」

「エル!」


 意識はあったらしいが、起き上がろうとして失敗した。よく見れば右足が血で滲んでいる。脇腹の部分からも動くたびに血が滲み、彼女の衣類はじわじわと赤に染まってゆくのだ。


「エル! だめ、動かないで……!」

「ほらほら、身体に穴空いてんだから傷口塞がないと死にますよ。体力は削れる一方、もう滓みたいな魔法しか使えないんだから、下手に攻撃なんかしてたらすぐにこの世からサヨナラだ。少しでも長生きするには治癒をかけないとだめですって」


 エルの目は怒りに燃えている。視線だけで相手を射殺せるならいまごろサミュエルの身体は吹き飛んでいただろうが、相手は微塵も揺らぐ気配はない。

 身体に穴とはどういうことか、答えはすぐにもたらされた。


「わたしの、銃、を、複製したわね……!」

「違いますよ。金庫に設計図はちゃんと残ってたでしょ。いまのは試作品を見てこちらで一から作ってみたんです。まだ実用化には至ってないですが、こわいこわい長老相手なら試用試験にはぴったりだ」

「この……」

「センセの悪いところは、凡人がなにもできないって思い込んでるところだ。そうやって油断してるから後ろから撃たれるんです」


 その言葉に、どうしてサミュエルがずっと室内に留まっていたのか理解した。エルは外から狙撃されたのだ。彼女が満足に動けないのを見て取ると、静かに背中を向けたのである。

 もう室内に異常はない。気負わない足取りで扉を開けたサミュエルは振り返ろうとしなかったが、そうそう、と空とぼけた様子で呟いた。


「これは独り言なんですけど、もう少ししたら回収班がやってきて、センセの身体を持って行く予定なんですよね。頭以外は箱の封印に使うって言ってたような気がするなあ」


 ふう、と息を吐いて。


「……あとはセンセが決めてください。それじゃ」


 今度こそ本当に姿を消した。残されたのは血まみれのエルと、かすり傷くらいしか負ってない私だけ。サミュエルの発言に呆然となっていたが、エルの身体が崩れ落ちて我に返った。


「エル!」


 頭が真っ白だった。そこからの行動はほとんど条件反射的なもので、いつだったかコンラートで教わった、エマ先生の教え通りに身体を動かしていた。エルの傷口を確認すると、散らばっていたタオルで傷口から上を縛り上げたのである。


「足はこれで……ああええと、身体、身体はどうしよう。お腹の辺り……!」


 傷口を手で押さえつければ、湿った感触と共に「ぐう」と苦痛の声が届いた。驚くくらいに出血が少ないけれど、これが治癒の効果だとしたら充分助かる見込みはあるが、傷が完全に治る気配はない。

 エルに意識はあるだろうか。普通だったらこの時点でとっくに気を失っていておかしくないが――。

 

「カレン」

「エル……!」


 意識ははっきりしているようだが、全身に力が入らないようだった。


「……参ったわ。治しても半分も塞がんないし、魔法が使えなくなってきてる。これじゃそのうち……」


 声はいつになく弱々しい。生きているのは喜ばしいけれど、いっそう死の足音が彼女に迫っているようで、恐ろしくて身体が震えてしまいそうだった。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせるのは、使命感が残っているからだろう。


「エル、ちょっとだけ我慢できる? いまから助けを呼んでくるから、治せるひとを見つけてくるから」


 我ながら現実を見ていない台詞なのはわかっていた。けれど言わずにいられなかったのは、手に感じる生温かくてぬるりとした感触と、絶え間なくついて回る血の臭いに耐えられなかったためである。

 冷静でいられない私に対して、エルは奇妙なまでに静かだった。サミュエルに向けていた怒りはとっくに消失していて、瞳は穏やかさを取り戻しつつある。

 瞼を下ろすと、三度、深く息を吐いて吸う行為を繰り返した。

 次に目を開けたとき、彼女の瞳はとても澄んでいた。目の錯覚かもしれないが、息を忘れてしまうくらいに引きつけられたのだ。


「……ね、あんた、ライナルトが好きよね」


 怪我人が言う台詞じゃない。意味のわからない質問だった。

 わけがわからない、こんな時に何を言っているのだ。


「エル、馬鹿! なにを言ってるの。いまはそんなことどうでもいい、お願いだからうんって言って。そしたら私、走って助けを呼んでくるから……!」


 ふざけていないのは、その穏やかな眼差しをみれば一目瞭然だ。刻々と失われていく彼女の時間が惜しくて、ほとんど半泣きでかぶりを振った。


「好きよ、好き! 否定したけど、違うって言ったけど、あの人が好きよ! これでいい!? 答えたんだから、そんなことより早く治療を……」

「……そ、よかった」

「よくない!! 全然、よくない!!!」


 お願いだから、そんな美しい目をしないで。何もかも諦めてしまったような顔をしないで。あとちょっと耐えてみせる、そう言ってくれたら私は走り出す。彼女のためなら土下座でもなんだってしよう。私が治療できる人を連れてくると言ってるのに、エルは優しい言葉を一つもかけてくれない。


「これ、保たないから」

「やだ」

「後を任しちゃうけど」

「やめてよ!!」


 絶叫に近い叫びだった。本当はわかっている。身体に穴が空いていて、なお意識を保っているいまの方があり得ないのだ。これを治療する方法を私は持たない。みんながエルを殺しにかかっていて、だから助けなんか求められない。

 わかっているけど認めない、認めたくない。


「死なないで、エルが死んじゃうなんてやだぁ」


 子供みたいにみっともなく泣いていた。泣きたいのはエルの方だろうに、私の方が顔をぐちゃぐちゃに歪ませながら泣いているのだ。

 なのにエルは笑う。聞き分けの悪い子供を見守る母親のように優しい目をしているのだ。


「あのね……わたし、あんたを助けるって、言ったじゃない……?」


 静かな語り口だった。これが本当に傷を負っている人の声音なのだろうか。魔法で傷口を塞いでいるといっても、痛くないわけはないだろうに。


「いまは、そんなのいいから。エルがいてくれたら、そんなの!」

「聞いて」


 ぐぅ、と喉が変な音を鳴らす。とうとう騒ぎ立てる逃げ道も塞がれてしまった。エルの顔は既に蒼白を通り越して土気色に近く、口元に顔を寄せて聞き取った。


「わたしのこれは、しかたない、けど……もし記憶が読まれたら……壊せなくなっちゃう」

「そんなこと言わないでよ! 間違ったのならやり直せばいいの、だから私が傍にいるんじゃない。私が……」

「うん……」


 言いたいことはわかっている。エルはこのまま命を落とし、連れ去られるのだろう。おそらく脳吸いの研究を完了させていた彼女は、今度は自ら被検体となって知識を暴かれるのだ。願うなら『前世』の記憶は脳ではなく魂に染みついたものだと信じる他ないが……。


「ああ、箱はまだ壊せるから、心配しないで。カレンにも……」


 その言葉で確信した。シスをはじめとした者達が彼女の力を封じたのに、エルはシスを恨んでいない。ほんの少しだけ寂しそうに微笑んだけれど、他にはなにも語ろうとはしないのだ。

 

「だから、ね」

「え?」


 私の指がエルのお腹から離れる。自分の意志ではない動作に意識がなにもかももっていかれて、間抜けな声をあげていた。

 違う、私はエルから手を離そうなんて思っていない。なのに指が、腕が勝手に動き出す。エルの懐をまさぐると、固い金属を探り当てるのだ。

 ……うそ。


「エ、エル……?」


 身体が勝手に動く感覚は覚えがある。むしろ忘れる方が難しいだろう。だってこれは誕生祭で踊るのを失敗しかけた私を助けてくれた……。


「エル、やめて。血が出てきてる。こんなことに魔力を使わないで」


 怖い考えが頭を過った。

 意志とは裏腹に、身体は操り人形になって銃を握りしめている。塞がっていたはずのお腹の傷口は出血を開始し、みるみるうちに血だまりを作り出していく。


「……わるいまほうつかいを、とうばつした、えいゆうなら」

「なんで」

「きっかけくら……なら、カレ……やくにたて……」


 段々と弱っていく。死にゆく様を見せつけられている。いますぐ彼女に触れて手を握りたいのに、どうして私の指は拳銃なんて握りしめているのだ。

 ――彼女の額に銃口が押し当てられた。何を隠そう、他ならぬ私の手によって。


「やめて。そんな栄誉なんてほしくない。エルと引き換えにしていいものじゃない、そんなの……」


 エルは栄光を失って、私が名誉を得る、なんて。

 声が震える。これから何が起こるのかわかってしまうから、何度もやめてと繰り返す。それしかできなくても、ただひたすらお願いした。だってエルの唇は細かく震えている。死を目前に、怯える心を隠して穏やかに振る舞っている。

 エルは死にたいわけじゃない。自ら掴んだ栄光をこんな形で終わらせることになってしまったから、心残りを託せる相手が私しかいないから、こんな選択をするしかなかったのだ。


「やだ、いや。いやよ、止めて。私はこんなのは望んでない! エルをなくすのはいや! 殺すくらいならこんな国どうなったって構わないから!!」


 彼女の呼吸がどんどん浅くなっていく。もう先は長くない、引き金を引く前に思いとどまってくれと願って叫んだ。


「やめてよ! ねぇ、お願いだから!! エル!!!」


 怖い。そう言った彼女の目端から涙が零れる。弱音を吐いてくれたっていいのに、最後の力を振り絞って、不敵に微笑んだ彼女は、間違いなく私のよく知る友人だったのである。


「大好きよ、ごめんね、ありがとう」

「エ」


 バン、と無慈悲な銃声が響く。

 それが転生仲間である、エルネスタとの今生の別れであった。

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