152話 切望される死
やられた。
誰かはわからないけれど、魔法院の様子が変わらなかったからと安心するには早かった。
「エル、聞いて。さっきまでジェフが傍にいたの。扉を潜るまでは一緒にいた」
パニックになるのは後回しだ。混乱は事態を悪化させるだけ、いまエルと話が出来るのは私しかいない。はじめは何事かと首を傾げていたエルも、私の慌てようと説明にすぐさま頭を切り替えたようだ。
「まさか、わたしに感知させずにそんな真似――」
「ジェフも気になるけど、その前にもう一つあるの。テディさんが銃を使って皇帝を撃った。皇帝に怪我はなかったけど、エルなら言ってる意味わかるわよね」
落ち着けと自分に言い聞かせるそばから声が震えている。さしもの彼女も言葉の意味を理解するのは時間を要したのである。
「テディが銃を持ち出した!?」
「そう。この際あなたがなにを作ったかは置いておく。とにかくテディさんはもういないの。なんにせよ彼が引き金を引いたのなら、次はきっとエルに疑いの目がかかる。急いで私と一緒に来て」
「カレン、ちょ、ちょっと頭を整理させて」
「時間がないわ。いますぐここを出てライナルト様に保護を求めるの。そうしないと……」
「行くのはわかった! だけど確認させて!」
壁に向かって走ると、絵画を外した。簡素な風景画の下には壁に埋まった鉄製の箱が嵌まっており、ポケットから取り出した鍵を差し込む。
カチャンと簡素な音を立てて分厚い戸が開くと、その中から設計図らしき紙片と一丁の拳銃を取り出す。こちらはテディさんが持っていたものと違い、片手で持てるような代物ではなく、新品同様に綺麗であった。
「試作で作ったやつが入ってない。鍵は誰にも渡してない、テディにだって取り出せるわけないのに……!」
「エル」
「わかってる。考えるのは後にする。……殿下に庇護を求めればなんとかなる。そう信じていいのね?」
「うん、エルから来てくれるなら体裁を整えるって」
全てを説明する必要はなかったようだ。
「わかった。いますぐ発ちたいところだけど……ジェフと一緒に来たっていったわね。どこあたりまでは一緒だった」
「サミュエルさんと別れて扉を潜るまでは一緒だったはず。……だけど離脱を優先して。ジェフは強いし、エルよりも手を出す理由は低いと思うから」
「探そうと思えばできるわよ。いいの?」
「……ここで時間を食いたくないの」
ジェフなら大丈夫だと信じるほかない。決断を下す際、胸にわずかに痛みが走ったけれど、優先順位をはき違えてはならないと出発時に決めたのだ。それにこれで下手を打てばジェフに叱られるだろう。
「……エル?」
納得してくれたと思ったエルだが、一向に動こうとしない。不審に思い名を呼ぶと、腕を掴んで引き寄せられた。
「ちょっと騒がしくなるかも。もしもの時は頭を低くして、机の下に隠れてなさい」
見た目からは信じられない力で後方、エルの机の方に向かって押しのけられた。同時に扉が開く音と間延びした男の声が聞こえてくる。
「ありゃあ……センセ、茶ァ飲んでなかったんですか」
サミュエルさんであった。がりがりと乱雑に頭を掻きながら入室すると、半眼で私に視線を移す。
「その様子だと間に合っちまったようで……。お友達が来なけりゃ、眠ってるうちにサヨナラできたのにまぁ……」
「サミュエル」
エルの声はすでに冷え切っている。感情の籠もらない面差しを目の当たりにしたサミュエルさんは両手を振りながら
「あ、そんな目で見ないでもらえますか。俺だって戻りたくて戻ってきたわけじゃないんです。ホントならさっきので最後の顔合わせになって、俺ぁ格好良く退室の流れになってたんだ。なのに連中、確認してこいって追い返しやがった」
「この期に及んでまだふざける余裕があるわけ」
「んなわけないでしょう。俺ぁいつだって大真面目で、仕事熱心な男だってセンセ知ってるでしょ」
「……ええよく知ってるわよ。大真面目にわたしを苛立たせる糞野郎ってことをね!」
窓も開いていないのに室内に風が渦巻いた。びゅう、と大きな音を立て、部屋中を見えない渦が荒らしていく。窓はガタガタと合唱し、机に乗っていた書類、本、雑貨類が舞い落ち、花瓶が倒れて水が床に染みを作る。エルの両親が持たせてくれたサンドイッチ類が見るも無惨に散らばったのだ。
飛び交う書類が身体にぶつかってくるのを避けようと、壁際に下がって身をかがめた。これまでも魔法とやらは目にしてきたが、こんな風に攻撃的な現象をまともに見るのは始めてだ。
エルの怒りに呼応するように轟々と風が鳴るのを、サミュエルさんは心底嫌そうにしかめっ面を作っている。
「ひっでぇなぁ。俺がセンセと戦って勝てるわきゃねえのに。あーあー……センセ、俺はやる気はねえんで、ちょいと話し合いで穏便に……」
「五月蠅い」
見えないはずなのに、鋭い刃が空間に走ったように視界が錯覚を起こしていた。サミュエルさんが立っていた位置に風の刃が走ったのだが、寸前で躱されたのだ。舌打ちを零すと立て続けに音が走り、サミュエルさんは床のみならず壁まで使って縦横無尽に逃げ回る。決して広くはない室内で逃げ回っているのだ。その過程で壁に亀裂が入ったけれど、エルはお構いなしである。
これがただの遊びだったら眺めているだけでよかったが、頭を抱えて縮こまり続けるわけにはいかない。外に出るべく窓の鍵を開けようとしたのだが、鍵はびくとも動かない。ならば転がっていた掃除道具の柄を掴むと先端を窓に向けて突き刺したけれど、窓は一枚たりとも割れてくれなかった。私がひ弱なわけでも、硝子の強度が異常に強いわけでもない。机に置いてあった金属製の道具を投げても結果は変わらなかったのである。
もしかしたら、これが退出できない理由なのかもしれない。
唯一出口があるとしたらサミュエルさんが開けた扉だが、彼は扉を閉じていないのにいつのまにか閉じられていた。そしてこのおかげでジェフを探しに行くか、助けを求めに走る試みも不可能となったのだった。
逃げ回っていたサミュエルさんだが、不意に攻撃が止んだ。エルが怪訝そうに片手を握っては開くのを繰り返しながら、指を見つめているのである。
「あ」と嬉しそうな声が上がる。
「お、お? やっと効いてきました?」
「……サミュエル、あんた」
「や、俺じゃねーですよ。センセが弱ってきてるのは箱野郎だったり、長老連中が時間をかけて作り出した術で、雁首揃えながら必死こいて封印を試みてるからです」
箱野郎。その言葉にわずかながらにエルは動揺を見せた。私も同じ気持ちである。だってシスを動かせるのは……。
「いやでもこっちに来てからずーっと試みてんのに普通に魔法使うから焦りました。いつ気付かれるかヒヤヒヤもんで……。やっぱ化け物すわセンセ」
「……べらべらよく喋る裏切り者だこと。いい加減その舌引っこ抜きたくなってきたわ」
もう一度風が走った。奇妙な悲鳴を上げて避けるサミュエルさん、否、サミュエルは回避を失敗したようで、腕と顔に傷を走らせたようである。ただ致命傷には至らず、皮膚を浅く裂いただけのようだ。痛い、と呟きながら自らの血でシャツを汚していた。
「やめてください、裏切り者はセンセの方でしょ」
ここまで来るとサミュエルは不気味である。彼は初めて会ったときから、いままでずっと調子が変わらない。ねっとりした口調も、ゆるりとした態度も一貫しているのだ。いま新たに発見があったとしたら、瞳の奥に爬虫類のように鋭い、しかし獲物を決して逃がさぬような眼差しが存在していたと気付けたくらいだろう。
どうやらサミュエルはエルに質問があったらしい。そういえば確認と呟いていたが、彼は何の目的があってこんなことをしているのだろう。
「俺が戻ってきた理由はソレなんです。……どうせいま、頭ン中で必死に封印破り考えてる最中でしょ? だったら時間稼ぎついでに付き合ってくださいよ。俺はこう見えて優しいんで、お友達には極力手出ししませんよ。ええ、ええ。弱い者イジメ好きじゃないんです」
「……助手のあんたなら大概のものは見てきたはずだけど?」
「や、これは俺にも教えてくんなかったでしょ」
朗らかに笑うと、指を一本立てた。
「誰に命じられました」
「は?」
「とぼけんでくださいよ。俺って魔法が使える上に諜報活動も得意なんです。だからセンセがこっそりアレの破壊を企てていたのは知ってます。……最初はまさかとは思いましたけど」
だけど、とサミュエルは肩をすくめる。ちらちらとこちらの表情を確認するのが嫌らしい。多分「アレ」が何を指すのか、私が知っているのか見極めようとしたのだろう。極力表情は崩さずにいたつもりだが、彼がどう感じたかは掴めない。
「けーどー……センセもどこかの誰かさんもやたら慎重で、そのあたりはさっぱり。お陰で俺は自信喪失、上にも叱られてばっかりだ。進捗が悪いせいで親友まで使わなきゃならなくなっちまった」
「なんのことかさっぱりわからないんだけど、テディのことは聞いたわ。体よく利用するだけしといて親友とはご立派ね。あんた頭の沸き具合は皇帝といい勝負ってもんよ」
「冗談は止してください。俺は仕事をしてるだけであって、あそこまでいかれちゃいない。テディを失ったのだって本気で悲しいんだ」
だが利用したのは否定しない。先ほどのお茶発言といい、サミュエルに躊躇はないようだ。
「俺はあいつの最期を見てませんがね、せめておかしいままで逝けるよう努力したつもりだ。……苦しまなかったらよかったんですが」
「……苦しんでましたよ。少なくともずっと泣いていた」
口を挟むつもりはなかったが、なぜか悔しくなって反論のつもりで呟いた。サミュエルは耳聡くも聞き取ったようで、残念そうに嘆息したのである。
「残念です。やっぱり一夜漬けはよくない、躊躇すべきじゃありませんでしたね」
ここまで来ると、おのずとサミュエルに命を下した相手について見当がついてくる。彼は他の長老に付けられた助手と聞いていたが、どうやらさらに上の人間も絡んでいたようだ。
問い詰めたい気持ちをぐっとこらえて質問を選んだ。
「私からも質問が。私の護衛をどこにやりました」
「……さぁ、そいつは丸投げしたんで他の長老が知ってますよ」
教える気はないようだ。
「話を戻しましょ。センセは答えてくれる気がないようですけど、そこのご友人の後見人サマが依頼人です? それとも意外性で皇女殿下。もしくは帝都に潜む溝鼠共? ――センセの独断の線はないと思ってるんですが」
エルが本調子でないためか、サミュエルはべらべらとよく喋っていた。エルとしては時間稼ぎになるから助かるのかもしれないが、それにしたってお喋り好きにもほどがある。エルはいつまで経っても魔法を行使しようとしないが……。
「喋る必要はないわね」
「……これでも弟子なりの気遣いだったのに、ほんとセンセってひでぇよな。……んじゃいいですよ、脳みそ弄くり回されて死んでください」
「あんたがね!」
彼女も当然引くつもりはない。
見ることしか出来ない歯がゆさに知らず奥歯を強く噛みしめていた。
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