150話 その嘲笑が示す意味

 エルはこの世界で火薬に代わる物を製造した。そこまでは聞いていたけれど、拳銃の存在は何も聞いていない。正直信じがたい話ではあるのだけど、以前のエルの態度を鑑みればいくらか納得できる部分もある。彼女が私に話し辛そうにしていたのは、爆発物だけではなくこれの開発も行ってしまったのだ。


「な、なんだいまのは!?」


 誰かがそう悲鳴をあげ、驚愕が波のように広がっていく。

 拳銃を知らない人からしてみたら、まさに魔法じみた出来事だっただろう。音が鳴ると同時に派手に食器が割れたかと思えば、女軍人が飛び出したのだ。

 テディさんはニーカさんに押さえつけられていたのだが、やがて叫びは啜り泣きへと転じていった。彼女を押しのけ代わりの人がテディさんの身柄を拘束したけれど、地面に押さえつけられた彼が解放される気配はない。

 戻ってきたニーカさんは怪訝そうな面差しである。

 皇帝の命が狙われたとあって周囲はまだ騒々しいけれど、皇帝は早くも落ち着きを取り戻したらしかった。バルドゥル隊長に付き添われながらテディさんの前に立つと、重々しく呟いたのである。


「まったく救いがたい馬鹿者よ。親の嘆願もあって生かしておいてやったというのに、自らその機会を投げ捨てるとは愚かにも程がある」


 ……なんだろう。テディさんに語りかける声は少し優しかった。さっきまでの態度とは打って変わっており、心境の変化がまるで掴めない。

 彼らの様子が気にならないわけではなかったが、ここでふと思いついた。ライナルトが壁になってくれているし、リューベックさんたちの注意は皇帝に逸れているのだ。エリーザに向かって何度か手招きすると、蒼白になっていた少女は私の腕に飛び込んできたのである。


「ライナルト様」


 目配せした相手は、エリーザを連れて行くことは反対のようであった。咎めるような視線を向けられたけれど、彼女を抱きしめて首を横に振る。まるで言うことをきかない子供のような我が儘だとわかっていても、彼女を置き去りにするのはできなかった。婚約者がいると嬉しそうに語る女の子が、あのバルドゥル隊長の元に嫁がされるのは不憫でならなかったのである。

 ライナルトとの無言の攻防は一瞬だったが、こちらが折れないのは伝わったらしい。小さな嘆息と共に了承された……と信じたい。

 他の人達にも目配せをしてみたけれど、立ち上がったのは『目の塔』で一緒になった青年だけだった。ただ、彼はエリーザとは違った。皆の注意が逸れているのをいいことにこっそり近寄ると、ライナルトやニーカさんにおっかなびっくり怯えながら小声で話しかけてきたのである。


「塔では助けてくれてありがとう。あ、僕はそ、それだけなんだけど、その子は助けて行ってあげて」

「あなたはどうするの?」

「僕は平民だし、無理だよ。お礼を伝えそびれたから言っておきたかっただけなんだ」


 どうやら礼を言いたかっただけらしく、さっと席に戻ってしまったのである。呼び止めたかったけれど、それはライナルトに阻まれてしまった。


「カレン、あまり目立つ行動は避けてもらえますか」

 

 小声の忠告と皇帝が片手を挙げた瞬間は同時であった。テディさんはきっと牢に運ばれるのだろうと思っていたら、リューベックさんが鞘から剣を抜いた。

 吃驚して固まっているとライナルトの背中によって視界を塞がれたのである。金属が地面に叩きつけられる音が耳に届くと、それっきりテディさんの啜り泣きは聞こえなくなった。

 テディさんの反逆は、命と共にあっけなく終わってしまったのだ。

 主の息子を処刑したというのに、誰も動じていなかった。バルドゥル隊長など淡々とした調子を崩そうともしない。


「陛下。この賊めの親族はいかがいたしましょうか。仮にも一度は陛下の寵愛を受けた者もおりますが……」

「処刑せよ」

「はっ。……リューベック」

「かしこまりました。すぐに向かいます」


 みるみるうちにテディさんの家族の処遇が決まってしまった。バルドゥル隊長が方々に指示を飛ばすため城の使用人は大慌てなのだが、逆に身動きが取れないのは招待客達だ。各々どう動いたら良いのかわからず、ただ身体を強ばらせて動向を見守るほかなかったのである。テディさんの死を目の当たりにしたらしい一部の青年や少女は口元を押さえて涙ぐんでいた。

 そんな各々を尻目に、拾われた拳銃を懐にしまい込んだ皇帝は大仰に嘆いた。

 

「ああ、それにしても腹立たしい」

「心中お察しいたします」

「だがな、腹立たしいと同時に、こうして目の前であれを亡くすと愚かすぎて悲しくなってくる。バルドゥルよ、余はいまはじめてあれを、我が子として可愛く思っているぞ」

「残念な結果でございましたが、死して陛下のお気持ちを得られたのであれば本望でございましょう」

「うむ。そういえばあれは愚直であったが、蛮勇ではなかった。余を殺すほどの勇気があったとは思えぬ。やはり仲間がいたと考えるのが一番だろう。バルドゥル、他にも反乱者がいないか捜索せよ。見つけ次第投獄し、情報を吐き出させるがよい」

「御意」


 この二人のやりとりに関しては、もうなにも言うまい。

 皇帝はテディさんが乱入する前と変わらず、椅子に座り直した。悲しげな表情を浮かべているけれど……そこではっきりと違和感を覚えた。

 元々演技じみた仕草ではあったが、口元を覆った一瞬、その口角が三日月形に歪んだのを見逃さなかったのである。腹の底から湧き上がる嗤いを隠せない。そんないびつさを感じ取ったが、正体を掴むことはできなかった。涙ぐむエリーザの手を握りしめることしかできなかったのである。

 己の世界に浸ろうとする皇帝を引き留めたのはライナルトだった。


「……陛下。御身自らの配下を動かすようですが、陛下の命が狙われたとなりますと私が動かないわけにはいかないでしょう。ヴィルヘルミナにも私が報せを飛ばしますが、問題はありませんね」

「だろうな。貴様も兵を動かし、宮廷の捜索に当たれ。余の治世を乱すものを捕らえてくるが良い。ああ、反乱者のみならず、貴様が一向に成果を上げられん賊共でも構わんがな?」


 後半は皮肉めいた響きがあった。そういえばライナルトは反乱勢力の討伐を命じられているのだったか。これに対し、ライナルトは無言を貫いた。ただ頭を垂れたのである。

 

「私はこれで退散させてもらいますが、この騒動では呑気に朝食とはいかないでしょう。コンラート夫人はこちらで引き取らせていただきます」

「うん? 待て、それは余が……」

「陛下。陛下は豪胆であらせられるが、だからこそ特別であり皇帝でいられるのです。誰もが皇帝陛下のように強靱な心臓を持っているわけではないのだとお忘れくださいますな。どうやらここにいる者にも無理難題を下されたのでしょうが、ほどほどにされませんとまた宮中に敵を増やされますよ」


 地味にライナルトも嫌みの応酬を忘れない。朝からずっと皇帝への同意しか耳にしていなかったので、彼のような嫌みは少しばかり新鮮だ。

 皇帝に口を挟む余地を与えない、しかし不快にならない速度で続けたのだった。 


「それとこちらのご婦人も気分が優れない様子ですので、ついでではありますが面倒を見ておきましょう。それからバルドゥル。貴公、今度は情報を独占せず各将軍や私にもしっかり報告をしてもらえるか。以前は行き違いでヴィルヘルミナと諍いに発展しかけたが、貴公が伝達を怠らなければ避けられたはずだったのだ」

「善処いたします。しかし我が隊は陛下の御身を第一に考え動いております故、殿下のお望み通りにはままならない場合もございます。その点はご留意いただきたい」

「その忠節は買うが、味方の争いを助長させるのはどうかと思うがな」

「ご冗談を。私はライナルト殿下やヴィルヘルミナ皇女の敵ではございません」


 知らない間にヴィルヘルミナ皇女とも大変な事になっていたようだ。表沙汰になっていない騒動の数々、きっと調べれば他にも諸々出てくるに違いない。

 言うだけいってライナルトは踵を返し、私もそれに続こうとした。不満そうな皇帝が口を開こうとした瞬間「わあ!」と悲鳴と食器が割れる音が響いたのである。


「あああっ。すみませんすみません……!」


 『目の塔』で一緒だった、ややふくよかな青年だった。皆がライナルトと皇帝たちのやりとりに注視していたから、派手な音を立てた青年は注目の的だっただろう。周囲に謝り通しの青年に注意が逸れ、おかげで呼び止められることもなくこの場を後にできたのである。

 前を歩くライナルトの足は速かった。

 周りから見たらおかしな光景だっただろう。脇目も振らず通路を進む皇太子や近衛はともかく、その後ろを歩くのは貴族の娘と、殆ど半泣きの少女。それに兜を被った奇妙な護衛だ。人目のつかない場所に移動すると、今度は緊張から解き放たれたエリーザが泣きじゃくるためろくに話ができなくなった。混乱状態に陥った彼女はニーカさんの部下に託したのだが、エリーザに関してはなんとかなるかもしれないと言われた。それというのも彼女がトゥーナ地方出身だと伝えると、渋い顔ながら言われたのである。

 

「トゥーナ地方出身となれば、公爵に取り次げば相談に乗ってくれるかもしれません。良い意味でも悪い意味でも独占欲が強い人柄ですし、陛下とも真っ向からやり合える御方です。まだ帝都に滞在されていますし、エレナに走らせましょう」

「先輩、わたしあの方苦手なんですけど。……あっ、なんでもないです」


 なお、ここでエレナさんと会うことができた。彼女はこちらの姿を確認するなり安堵の息を吐いていた。やはりライナルトに報せを持って行ってくれたのは、エレナさん夫妻だったようである。


「よかった。朝方、ノアに宮廷の馬車が来てるってたたき起こされて、何事かと思ってたらカレンちゃんを乗せて行っちゃうし、ほんっと焦りました」

「エレナさんがしらせてくれたんですね、ありがとう」

「いえいえ、走ったのはノアですよぉ。あ、いまは方々走り回ってるのでいないですけど、カレンちゃんのこと心配してましたよ」

「落ち着いたらお礼をさせてください。本当、本当にもうどうしたらいいのかわからなくて……!」

 

 ノア、とはヘリングさんの名前になる。エレナさんは奥さんになってから呼び方を改めたのだった。


「ひとまず執政館に移動して、そこで話をしましょう。ウェイトリーさんもお待ちですよ」

「……いえ、いいえ。せっかくなのにごめんなさいエレナさん。それにニーカさんに、ライナルト様。悠長に話している時間はないかもしれません」

「カレンちゃん?」


 話さなければならないことはたくさんある、聞かねばならないこともだ。だがいま優先すべきなのはひとつである。


「私はエルに会いに行かないと」


 彼女に会わないとならない。

 なぜなら皇帝の元を脱したといっても胸騒ぎは治まらないのだ。残してきたエリーザ以外の人達も気がかりだし、自分たちだけが逃げ出せた罪悪感もあるけれど、どうにもこの状況に甘えているだけではならない。そんな気がしてならないのである。

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