149話 来てくれたのが嬉しくて

 ちょ、ちょっとまって。状況が早すぎる。テディさんのお父さんが皇帝カールって……。

 ああでも、でもそうだ! 確かエルの話じゃテディさんはいいところの家柄だけど「あいつの家柄で二部に参加できるとは思わなかった」と言っていた。それがもし父親の縁で参加したのだとしたら……。

 改めて見ると、テディさんの様子はおかしかった。頬は痩せこけ、目は虚ろ、髪もぼさぼさで身にまとう衣類もあちこちよれてまるで病人みたいだ。

 あ、でもテディさんの言い間違いって線も……。


「余の種ではあるが、皇帝を父と呼ぶ権利を与えた覚えはないな。疾く去ね」


 ……なかったようだ。

 皇帝は息子の登場にもつまらなさそうな表情をするばかり。バルドゥル隊長やリューベックさんに動揺は見られないから、やはり彼を知っているのだろう。

 皇帝とテディさんの容姿に似通ったところは一つもないけれど、私にもわかるのはただ一つ。彼は縋るような瞳で皇帝カールを見つめていたという点だ。けれどはっきりとした拒絶に唇を噛みしめ、俯いてしまう。その様を鼻で笑う皇帝は興味をなくしたようにこちらを見るのだ。


「それで、だ。コンラート夫人よ。そなた未だ席に座る気がないようだが、もしやオルレンドルの臣民でありながら余の信仰を否定するのか」


 再びこちらに矛先が向いてしまった。テディさんを無視するのはどうかと思うが、かといって皇帝から逃げるのは難しそうだ。

 だがこの問い、とんでもない、と答えたところで気付いた。

 このまま席に着けばこのろくでもない計画を肯定する、それは私にとって一番最悪な返答になるが、このまま「あなたの信仰なんてとんでもない」と答えるのは難しい。相手が皇帝でなければ即座に帰路を辿っているところだが、先ほどからずっとライナルトの忠告が頭を占めている。

 どう答えればいい。肯定も否定も駄目だなんて――。

 いっそ誰かが騒ぎを起こしてくれないか。


「陛下。わたくしが陛下の信仰を否定するなどあり得ません」


 深々と頭を垂れた。若干緊張気味になったのは言うまでもない。


「ならばなぜ立っている。余を否定する気がないのであればいますぐ席に座り、我が意を受け入れるのが道理であろうが。他の者もそうであろう」


 そう周囲に同意を求めたが、これにはっきりと返答を返したのは、実は数名だけだった。それも皇帝をよく知らない参加者の一部のみで、給仕といった人々はじっと佇むのみなのである。

 

「はい! 私は神の御心を信じておりますっ。その御意に逆らうなど……」


 こう答えたのはやや強気そうな、最初宮廷の待合室に入った際に睨み付けてきた青年である。彼は相づちに返答しただけだろうに、理不尽にも睨めつけられた。


「貴様余の前で神を語ったか」

「は!? いえ私は、ただ……!」


 まったくもって理にかなわない行動である。青年は可哀想だったが、この行動で少しばかりピンときたのも確かだ。ただし推測に過ぎないため、調べている時間はない。とにかく、下手を打てば命が危うい青年からも気を逸らさなくてはならないからだ。


「皇帝陛下。わたくしは陛下の神を信ずる心を疑ってはおりませんが、それはいずれわたくしにも神のお言葉が届くものなのでしょうか」

「それはありえぬ。神の信奉者、御使いはこの世においてただ一人である。すなわち余だ」


 私の問いでさらに機嫌が悪くなったけれど、なるほどこういう人かとも得心した。

 発言を聞いてからずっと違和感はあったのだ。帝国は宗教を許していないのに、肝心の皇帝が神とやらを信奉し謳っている。そして他の人が同調したり、私の質問にも不機嫌になる心理はなんだろう。

 これは熱心な愛情が行き過ぎて他人の同調同意すら許せない、やっかいなファン心理なのではと思うのだけれど……。

 ファン、などと言葉を使ってしまうと柔らかい印象になってしまうけれど、笑い事ではないのだ。相手はなまじ権力をもっていて、おまけに人殺しに躊躇がない。どれだけ理解の範疇外にある人物なのか、私は現場を目撃しているのだから嫌でも緊張する。


「そなた神を疑うか」

「いいえ、オルレンドル帝国の頂点にして至高の冠を頂く皇帝陛下を疑う二心はもちあわせておりません。天の御心を知る陛下がおっしゃるのですから、神はいらっしゃるのでしょう。ただファルクラムからきたばかりのわたくしには、神の試練、そしてそのお心は遠すぎるのです。そんなわたくしが名誉を頂戴するのはあまりにも早すぎます」

「つまり余を信じられぬと申すのだな」

「重ねて申し上げます。陛下のお心を疑っているわけではありません。ですがどうかお考えください。わたくしはコンラートの地で、夫を亡くしたのでございます。それが如何ほどの顛末であったかは、全てを知る皇帝陛下であればご存知でしょう」

「ふん。……つまりそなた、ファルクラムの件が気に入らぬと?」

「陛下のお心は信じております。ですがわたくしが神の愛を知るには、あの光景は悲惨すぎました。……信ずるために、どうか時間をいただきたいと申し上げているのです」


 もういやだ。

 とにかく「神様は否定しない」だけの方針で言葉を回しているけれど、相手がぶちっと切れてしまえばお終いだ。こればかりは逃げ切れる気がしないし、本当に気が気ではないのだ。

 皇帝にとって私はどの程度の存在なのだろう。市民が道ばたの石ころだとしたら、それと同等か蟻や芋虫程度? 指先一つで殺されてもおかしくないから本当に怖いのだけど、ここで折れたくない。口が動く間に打開策を見つけなくてはならないのに、会話の糸口が見えなさすぎて――。


「陛下」


 バルドゥル隊長が呟くと、皇帝の目が別方向に逸れた。遅れて視線を動かすと、次の瞬間にはなんともいえない気持ちで胸がいっぱいになる。 

 助けなんてこないと思っていたのに、見慣れた金の長髪が見えたからだ。

 赤毛の女性軍人を連れたその人は、相変わらず何を考えているかわからない表情だけれども、この状況を打破できる唯一かもしれない人だ。

 彼がこちらを見たのは一瞬だけだった。不意の登場に泣きそうな顔をしていたかもしれないから、すぐに表情を引き締めた。


「ライナルトか。何しに来た」

「私が後見を務める家に興味を持ったと聞いたので、これは何事かと考えるのが当然です。……本来なら乱入するつもりはありませんでしたが、見知らぬ御仁が入室されたと聞いてしまえば御身が心配にもなりましょう」

「そなたの臣民は余の臣民だろうが」

「ファルクラムからの縁続きです。私が慎重になるのも察していただきたいですな。……それで、そちらは」


 ライナルトが顔を向けた方向にはテディさんが佇んでいる。皇帝は彼の存在を完全に喪失していたようで、ライナルトに言われて目を丸めた。


「そなた、余の命令を聞いていなかったのか。なぜまだここにいる」


 親子として以前に、人としてあんまりな台詞であった。これにテディさんはぼろぼろと涙を零すのだが、こちらは完全に情緒不安定である。

 よくよく観察すると、テディさんの様子はおかしいをこえて異常だ。身体は小刻みに震えているし、上半身にも力が入っていないから何度かふらついている。


「余は帰れといったはずだが、かように簡単な命も聞けなんだか。実力で魔法院に入ったと聞いたから目をかけてやったというのに、その恩も忘れたか」

「陛下。私からもお尋ねするが、その男とはどのような関係だろうか」

「どこぞの貴族の娘が生んだ余の子だ」

「……なるほど。私が聞いている名前の中には入っていない人物だ。ヴィルヘルミナにも知らせていませんね?」

「名を覚えるにも値せぬ存在などいちいち覚えているか阿呆め。余の役に立つならともかく、いまとて小娘にうつつを抜かすだけの腰抜けぞ」

 

 小娘と聞けば、現状思い当たる人物は一人しかいないのだけれど……。

 皇帝は動こうとしないテディさんに深い溜息を吐く。

 

「貴様と違い役立たずだ、もういらぬよ。……それよりも余は大事な話をしている最中なのだ、お前達に構っている時間などない」

 

 そのときであった。「いらない」と言われたテディさんは大きく目を見開き、鬼気迫る様子で駆け寄り、机を叩いたのである。

 招待客が座っている長机だ。力任せの叩きつけに食器が揺れ、女の子からは小さな悲鳴が漏れた。

 

「あ、ああ貴方までもが僕をいらないと言うのですか! 僕が、貴方のせいでどれほど……! それでもお力になれると聞いたから頑張ってきたのに!!」

 

 もはや私の知るテディさんの姿はどこにもなかった。この一瞬で皇帝を庇うように傍に立ったのはバルドゥル隊長とリューベックさんである。

 

「陛下のせいでどれほどのことを諦めねばならなかったのか、貴方にはわからないでしょう!」

「落ち着け。このような場で喚いたところで貴公の……」

「皇太子になれたお前になにがわかる!!」


 いつの間にかライナルトが近くにいた。テディさんには厳しい目を向けているが、これは彼がなにをしでかすかわからない故の警戒だろう。本来なら落ち着かせてあげるべきだが、そんなことまるで考えもしない人物がここにいる。

 

「そなたの無能を余のせいにするでないわ」


 言わずもがな皇帝だ。

 テディさんと皇帝カールの間にどんな問題があったのか私にはわからない。けれどこの人物が親に向いていないのだけは断言できる。

 子ではなく、もはや塵芥を見る目であった。犬猫を追いやるように手の一振りだけで存在を拒否された息子はぎりぎりと歯ぎしりをするのだけれど、その姿はどう見ても異様だ。けれどその正体をはっきりと見極める前に……。

 

「……貴方さえいなければ」

 

 腕を腰の後ろに回すと、なにかを取り出したのである。

 両手くらいの大きさのソレを皇帝に向けるのだが、人々はそれぞれ不思議そうな表情で見つめる。剣を取りだしたわけでもなかったから当然だろう。

 だからソレを見た瞬間、動けたのは一部の人間だった。

 私は反応が遅れた方だった。ソレの危険性を理解してなかったのではなく、どちらかといえばテディさんが持った『ソレ』の存在が信じられなかったからである。日本人であったときでさえ、見たのはテレビや映画の中くらいだ。

 

「嘘」

 

 呟き終わる前にライナルトに引き寄せられ、彼の背後に回された。皇帝を守護する人たちも似たような動きをしていたが、だとすると彼らはソレの危険性を――。

 

 パン、と冗談みたいな乾いた音がした。

 

 食器が割れる音、遅れてやってくる悲鳴、怒号があたりに響く。

 中でも特徴的だったのは皇帝の怒鳴り声だ。

 

「貴様余の命を狙うとは乱心したか!!」

 

 いつの間にかニーカさんの姿がなかった。ライナルトの背中からテディさんの姿を確認すると、ちょうど彼女がテディさんを押さえつけている場面である。捻り後ろに回された手からソレが抜け落ち、カラカラと音を立てて地面に転がるのだけれど、何度見てもやはり見間違えようはない。

 

「なんで」

 

 声が震えていた。

 だって、本来これはこの世界にあるべき代物ではない。あるはずではない。存在しないものであることはとっくに知っていた。

 私が知っているものより大分古くさい形だけれど、筒状の先端から繋がる弾丸を装填する形状、手の平に収まるように作られた持ち手に、人差し指で引き金を引くこのデザイン。

 ――これは、これは拳銃、だ。

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