148話 理想と愛に掲げる情熱

 私も青年も、語る言葉はなかった。

 お互い青ざめた顔をしていたのだろう。朝食会場へ案内されると促されるまま着席したが、なにもしらない四人は不思議そうに首を傾げるのである。

 唯一、質問してきたのはエリーザだった。


「コンラート夫人、あの女の子がいらっしゃらないようですけど……」


 予測していた問いを恐れて青年が肩をふるわせる。私はうまく笑えていただろうか、まさか「あの子は殺されました」なんて答えるのは不可能で、ちょっと、と表情を取り繕うのだ。


「彼女は朝食会には参加されません。……事情が、あって」

「まあ。具合でも悪くされたのでしょうか。ところでお二人とも顔色が優れませんが、なにかございましたか」


 なんでもない。そう答えようとした際に青年が「き」と発した。


「きっ、緊張してるんです。お気遣いなく、ええ、本当に大丈夫なので……!」


 露骨すぎてなにかありましたと訴えているようなものだが、ここが会場であったのが幸いした。エリーザは私と青年を交互に見るだけで終わったのである。他の人も物言いたげな様子ではあったが、口を出してこなかったのは幸いだった。


「そう……ですか? 三人とも、きっと素敵な散策になったでしょうから、感想をお聞きしたかったのですけれど……」

「……また、今度の機会にいたしましょう。よろしければ今度うちにお招きしますよ、エリーザ」

「本当ですか! コンラート夫人にお招きしてもらえるなんて、とても嬉しいです。あっ、実は夫人のことを教えてくれたのは婚約者なんです。彼は幼馴染みなんですけれど、さる貿易商の元で働いていて、夫人のお名前を出したらびっくりしていたんですよ」

「でしたら婚約者様も連れてお越しくださいな。トゥーナ地方でしたら今後はいくらかご縁が出てくるでしょう。是非お会いさせてもらいたいと思います」

「彼も喜びます。ありがとうございます、夫人」


 飛び上がるように無邪気な笑顔が、毒々しい光景を目の当たりにしたばかりの心に染み渡る。同時にどうか何事もなく終わって欲しいと願うのだが、どうやら思うようには進まないらしい。

 急にお腹でも壊して朝食会が潰れてくれないだろうか。ささやかな願いも虚しく、着替えた皇帝が登場すると、深いため息を誤魔化さねばならなかったのである。

 皇帝が席につくと、十秒もおかずにお茶が運ばれてくるからここの給仕たちもとんでもない。熱すぎず冷めすぎず、飲みやすいちょうど良い温度になっている。


「さて、始めるか。……ああ、そなたらに作法は期待していないゆえ、好きに食すがいい。それは後々覚えていくだろうからな」


 発言がひとつひとつ気がかりすぎるのだが、意味を問うにはまだ早いようだ。目の前に大皿に乗った料理が運ばれてくるのだが、朝からこれだけ食べきれるか! と叫びたくなる量である。好きなものを食べろといいたいらしく、無論完食を前提にしているものではないが私とエリーザ以外は静かな動揺を浮かべているようである。

 給仕によって食事がより分けられ各々に配膳されるが、私は少なめに指定させてもらった。あんなものを見せられた後でろくな味もしないし、実際美味しいとは感じなかった。切りたてのハム類、卵料理、焼きたてのパンに様々なチーズ類。野菜をコトコト煮込んだスープはきっと料理人が腕によりをかけた一品だったろうに、うちで食べるご飯が恋しくなってくる。

 早々にフォークを置いてもよかったが、一応食べ続けたのはわけがある。皇帝は作法を気にするなと述べたが、参加者の方からちらちらとこちらを窺うような視線を感じるためである。こういった場での作法に慣れていない人達からすれば、食べ方ひとつすら気を配らねばならない事項なのだろう。それを考えると手を休める気にはなれなかった。何処で皇帝の気を引いてしまうかわからなかったし、なによりこれ以上の人死にを見たくない。

 さて、食事の間に皇帝は一人一人に質問して回った。皇帝はやはり全員になにかしらの恩賞を与えており、皆それに謝辞を述べるといったのがお決まりの流れとなっていたように感じる。

 喋る間も皇帝はよく食べた。

 焼いたハム類だけでは飽き足らず、目の前で肉まで焼かせる始末だ。血の滴るような赤身肉にこれでもかと塩胡椒を振りかけると豪快にかぶりつき、ごくりとひとのみである。その食べっぷりは気持ちいいものかもしれなかったが、私は直視を避けた。この食欲が少女の死に直結しているようで、とても見ていられなかったためである。

 ひとしきり話を聞き、腹を膨らませると菓子が運ばれてきた。エリーザが小さく「わぁ」と呟いたのは、流行のチョコレート菓子が皿に乗っていたからだろう。この甘味を知らない者も一口含むと驚きに目を見張り、味わうように口を動かす様を皇帝は満足げに眺めている。


「夫人は先ほどから陰鬱な表情を隠しもせんな。このような菓子など食べ飽きたとでも言いたげだ」

「とんでもございません。この菓子はわたくしにとっても簡単には手の届かぬ品。緊張で固まっているのだとお思いくださいませ」

「口が回るのはベルトランドに似ている。まあよかろう、子らの可愛らしい姿に余は大変気分が良いのでな。後で浴びるほどの量を持ち帰らせてやるとしよう」


 対面数時間にも満たない人に似ていると言われても困る。

 皇帝が椅子に座り直すと、自然と全員が背筋を正した。全員を見渡した皇帝は口角を持ち上げつつ語りかけたのである。


「さて、愛しき我がオルレンドルの子らよ。わざわざそなた達を集めたのは理由がある」


 とうとう始まった。さてこの先何が待ち受けているか、膝の上で拳を握る。


「何故そなた達が選ばれたのか、それは無論、あらゆる場所で伏した余をそなた達が助けたからだ。だが余に手を貸したのはそなた達だけではなくてな、幾人もの中からそなた達を選び抜いたのが余である」


 ここまではエリーザの話や皇帝の言葉からも推測できる話だ。肝心なのはここから、なぜこのように面倒なことをする必要があったかなのだが……。


「そなた達は余のことをどれだけ知っているだろうか」

「……近年希にみる在位の長さを誇っており、オルレンドルを平和に治めていてございます」


 参加者の男性がぽつりと呟く。

 

「そうだ。そして本来余は皇位にありつけるはずの者ではなかった。先の皇帝の跡継ぎを称する者も多く、どいつもこいつも醜い権力にしがみついていたためだ。だが神がその争いを許さず、者共は罰を与えられた。神の御業により余が皇位の座を得たのである」


 これを皇帝カールは「神意」だと言った。


「神の御心であれば余が帝国を治めるのは当然である。神の心と余の知が合わさり、長らくオルレンドルを統治しているが、残念ながら余は人だ。神の如く途絶えぬ者ではなく定命が定め、永遠には生きられぬ。故に後を託すため後継を定めたが、これらですら余亡き後は争いが起こるのは必定であろう」


 父として皇帝として娘息子を心配している様子だった。皇帝の言葉に飲まれかけている招待客達であるが、こちらは苦々しい気持ちは隠すためにせいぜい神妙な態度で俯くばかりだ。少なくとも公の場で後継をきちんと定めない男の言葉ではない。


「故に、余の定めはつとめて長く生き世を平定することだ。近年はファルクラムもオルレンドルに下った。オルレンドルの民も順調に増え、我が都はますます栄えるばかりであるが、都内はいまだ反乱軍と称する賊軍がはびこるばかり。これではまるで休まらぬ」

「なんておいたわしい……」


 嘆く姿にエリーザが同情を示す。さもあらん、と皇帝も頷くのだ。


「そのために、そなた達には未来に備え我が帝国をいっそう強固にするための民を育ててもらいたいのだ」


 どうやら一瞬の間に話が十か二十くらいすっ飛んだようである。

 私は言葉の意味をかみ砕くのに時間がかかっていたし、他の人に至っては首を傾げるばかりだ。全員を代表するようにエリーザが疑問を声に出していた。堪らず質問する彼女を皇帝は咎める様子はなく、また周囲も押し黙って口を噤んでいる。


「はい? あの、陛下……。いま、私共が呼ばれた理由をお話になられたでしょうか。ええと、民、とは」

「難しかったか? 分かり易く説明するとだ、そなた達には国のため余のために働く、優れた民を育ててもらいたいと言った」

「え…………あ、は、はい。もちろん御国のためであれば、私たちは働きます。将来は私も……えっと、子供を産むでしょうし、きっとオルレンドルのために尽くすでしょう」


 まだ年若いためか、エリーザの頬がぽっと赤くなる。普通であれば年頃の女の子になんてことを言わすのだと咎める場面だけれど……。

 『目の塔』とは比較にならない胸のざわつきがある。そして、こういうときほど当たるのだ。

 皇帝の呼び出しなんて無視して帰ればよかった。いまからでも遅くない、礼儀なんてどうでもいい。ライナルトのところに逃げ込もうと席を立った瞬間だ。


「そなた達は余が見込んだ勇者達の伴侶に丁度いいと思ってな」


 聞くんじゃなかったと心底後悔した瞬間だ。

 質の悪い冗談だと信じたいのに皇帝は平然と続ける。


「余には第一隊や近衛といった配下がいるが、国のために純粋に働ける兵士が足りておらん。以前神に近い、より純粋な子を作ろうと励んだことがあった。人の手に極力触れさせぬよう赤子から育てたのだが、一年も経たず死んでしまってな。やはり人の手がないと子は育たぬようだが、かといって半端者同士ではここにいるバルドゥルやヴァルターの如き勇者はそうそう誕生せん」


 皇帝は人差し指で第一隊隊長バルドゥル、それと副長のリューベックさんを指し、そのまま招待客達へ腕を動かしたのだ。


「長期計画ゆえ、選抜には余自ら出向いて行った。オルレンドルの民であれば出自は問うておらぬ。……夫人も、ファルクラムより出てきたばかりのそなたが選ばれたのであれば名誉であろう」


 視線を合わしたくない。人権どころか人の将来性を丸ごと奪う計画を立てておいて、皇帝はこの上なくご機嫌なのである。

 名誉と言われたが、こんな話「はい承りました」なんて了承できるはずない。無理だ。気持ち悪くて吐き気がしてくるし、もしこれが冗談でないとしたら、もしかして皇帝の想定する私の伴侶とやらは――。


「座れ、コンラート夫人。余はまだ帰っていいとは言っておらん」

「できません。皇帝陛下、わたくしはいまのお話を聞かなかったことにいたします。何卒そうさせてくださいませ」

「余の決めごとに逆らうと申すか」


 冷たい一言だったが、大人しく言うことを聞くのは難しい。


「――陛下。皇帝陛下でしたらご存知でしょう。わたくしは夫を亡くしたばかりでございますし、義息子もおります。とてもではありませんが……」

「実子ではなかろう。余はコンラート夫人がなぜ夫を亡くしたか、その原因もすべて知っているぞ。その上でそなたを選別したのは余なりの気持ちであると理解できぬか」


 ……いや、それは。


「お待ちください。いまのは……」

「あ、あ、ああ、あの」


 震える声で割り込んだのはエリーザだった。さすがの彼女も状況が理解できたのか真っ青になって、はくはくと唇を開閉させている。


「へ、陛下、あの、わた、わたし婚約者がいて、ちが、あのこん……! いまして……!」

「ん? ああそのことなら知っているが」

「え」

「無理を通すのはこちらだからな、婚約者には別の娘を宛がってやるとしよう。そなたにはそこにいるバルドゥルの後妻にどうかと思っているからな。屈指の名家であるし、両親も嫌とは言えまいよ」

 

 少女は真っ青どころか土気色に近い白になった。皇帝は陽気にも近くに佇んでいた隊長……バルドゥル氏に語りかけるのだ。


「なあ、よかろうバルドゥル」

「陛下。私はすでに子がおります」

「妻はおらぬだろうが。三人に先立たれたとあれば寂しかろう」

「陛下」

「なんだ」

「四人でございます」

「そうか、すまなかったな」


 わはははは、と豪毅な笑いが一帯を支配するが、笑っているのは一人だけだ。招待客全員から血の気が失せており、中にはエリーザのように声すら出なくなってしまった子もいる。給仕がこころなしか同情気味なのは気のせいだろうか。

 ひとまず、ひとまずだ。

 なんとしてもこの場を切り抜けねばならない。明確な了承を避けて帰宅、いやこの際ライナルトの元に逃げ込ませてもらうのだ。コンラートの後見人は彼にあるのだから、これを盾に、それと誕生祭の支度金も全て返金して……!

 皇帝に楯突くのは承知の上で顔を上げたときだ。

 扉の向こうが騒がしくなり、人が乱入してきたのである。


「……テディさん?」

 

 エルの助手である彼がどうしてここにいるのだ。

 ふらふらとおぼつかない足取りの青年だが、不思議とリューベックさん達といった護衛の人々は動かない。声が届くか届かないかの距離で立ち止まったテディさんはゆっくりと顔を上げ、そして皇帝カールを真っ直ぐに見つめたのである。


「父上」


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