145話 無邪気は時に危うく

「あ、ああのええと!? へ、陛下のご要望ならば仕方なきお話とは存じますが、それにしたってこんなに早くですか」

「陛下がお目覚めになるお時間は私共にもわかりません。日の出とともに起床される日もあれば、昼過ぎまでお休みになられることも。無論公務が控えている場合はその限りではありませんが、本日早く起きない理由はございません」


 完全ランダム性らしい。なんて迷惑な話だ。


「朝食前には散策をされる場合もございます。であればお客様と面会を希望される可能性も大いにございますので、コンラート夫人にはお時間まで宮廷で待機していただくのが一番ではないかと……」


 マイヤー氏はまさに平身低頭といった様子だが、私が首を縦に振るまでは引き下がらないのは明白で、こうなってしまえば了承以外に道はない。


「……あまりお待たせしませんから、準備にお時間いただけますか。それと私の護衛を連れて行くのをご了承ください」

「もちろんでございます。ただ、陛下は本当に何時に起きられるか……」

「わかっております、ご心配には及びませんから。ウェイトリーさん、私準備してきますから……」

「かしこまりまして」


 重い身体を引きずって自室に戻り、洋服棚を開いた。すでにシャロの姿はなく、何処に行ったか不明である。悔しい思いを引きずって支度を済ませたときには、準備万端なジェフが待機済みである。


「執事殿は外の馬車で待機しております。馬車飾りの紋飾りを見る限り、宮廷からというのは間違いないでしょう」

「ありがとう。ウェイトリーさん、ところでジェフが準備済みみたいだけど……」

「緊急でございますから、念のため上流の作法に通じているジェフをお連れください。ヒルの意見も同じでございます」


 ジェフは兜を被っているから、宮廷のような場所になるとどう見ても不審者になるのだが、ウェイトリーさんは身の安全を優先したようだ。しかし皇帝陛下のお呼び出しに当たりこれで許してくれるのか。

 ウェイトリーさんはしれっと言ってのけた。


「執事殿にも確認してございます。大分渋っておられましたが、説得に応じてくださいましたので問題ございませんでしょう」


 家令殿は抜かりがないのであった。


「ウェイトリーさん、朝になったらこのことをお隣に知らせてもらえませんか。エレナさん達に知らせたからといってどうなるともわからないのですが……。あ、いいえ、ライナルト様には伝わるのかな。大袈裟かもしれないけれど、念のためね」

「朝といわず、出発後には殿下の元へハンフリーを向かわせるつもりです。殿下でしたら気にかけてくださいますでしょう」

「あはは……そうだといいのだけど」


 現時点じゃ皇帝陛下からのお呼び出しがあった程度だものなあ。

 自信のない呟きに、数秒口を噤んだウェイトリーさんだが、すぐに次のように述べていた。


「僭越ですがカレン様が考えられている以上に殿下は我が家に気を遣ってくださっていると存じます。前日の忠告含め、決して大袈裟とは言われないでしょう」


 後ろから使用人さんが厚手の外套を羽織らせてくれる。彼女もこんな時間に起こしてしまったのに、心配そうな表情を浮かべていた。


「お偉い様方には失礼ですが、若いお嬢さんを夜中に呼び出すなんて怪しいったらありませんよ。なにかあったらジェフを呼んで助けてもらうんですよ。いいですか、身を挺してなんてことを考えちゃいけません。そんなことしたって亡き旦那様が嘆きになるだけですから!」

「なんてことを言うのです。外には執事殿が……」

「ウェイトリー。こんな時間に呼び出された挙げ句、いい歳した中年男と一緒に過ごさなきゃならない怖さが男にどれだけわかるってんだ。あんたらは男だから呑気にしていられるんだよっ」


 こちらは女性ならではのご意見である。充分気をつけますと約束し外に出たのだが、すでに馬車の扉は開いていた。準備に焦らされた執事殿に促され乗り込んだのである。

 扉が閉まり馬車が走り出す最中、小窓から外を眺めて気付いた。隣家、つまりエレナさん夫妻のお家だが、二階の部屋の一室から外を窺うように人影が立っていたのである。明かりがついていないのでわかりにくかったが、間違いなかったはずだ。

 ジェフに伝えると、よかったと胸をなで下ろされた。


「あのご夫妻ならばもしかしたら気付いてくれるやもと思っていました。すぐにウェイトリー殿と連絡を取ってくれるかもしれませんね」

「……大事にならなきゃいいけど」

「我が家にとっては一大事でしょう。備えてなんの問題がありますか」


 大事にならざるを得ないのはライナルトのみならず皇女、さらにはエルまでもが忠告するような人物が相手だからなのだけれど、正直何が起こるのかはさっぱり予想できない。

 ただ、一つだけわかるとしたら……。

 

「充分にお気を付けください。不安にさせたくはないのですが、これはよろしくない。嫌な予感します」

「奇遇ね、困ったことに私も一緒。……睡眠を邪魔されたから、だったらいいのだけど」

「もしそうだったら帰ってから乾杯して寝ましょう。明日は一日なにもしなくても、私が許します」

「……洋服買いに行きたいわねぇ。エルと、あとチェルシーの分も一緒に」

「お言葉ですが、カレン様はチェルシーに甘すぎます。……いえ、駄目と言ってるわけではなく、お心遣いは嬉しいのですがもう少しご自分の装飾品でも増やしてください」

「充分すぎるほど持ってますってば」

「ファルクラム貴族のご婦人の三分の一も所持していないとウェイトリー殿が嘆いていましたよ」


 だってそんな使わないし、金品を置きまくっても泥棒の格好の餌じゃないか。まあ家が空っぽになるなど滅多にないし、エルの特別セキュリティもあって不審者なんて入れないだろうけど……。

 団欒を交わす一方で、ジェフの声にはいつにない緊張が漂っている。

 雑談で気を紛らわせている間に、馬車は再び宮廷へ。昨日も訪れたはずの建築物は深夜の雰囲気も相まって華やかさとは遠いけれど、重々しい荘厳さが圧となって肩にのし掛かってくるようだ。

 下ろされた先では既に幾人かの侍女が待機しており、恭しく頭を垂れていた。もしかしたら何処か変な場所に連れて行かれるかも、なんて不安は杞憂だったようだ。


「陛下はまだお休み中でございます。コンラート夫人には個室を用意しておりますので、そちらでお休みください。侍女も用意いたしますので、御髪や衣類を整えるのにもご利用ください」

 

 執事殿の案内で部屋に案内されるのだが、これがまあ、私が今までみた中で一番上等な待合室だ。部屋全体に敷かれた絨毯、金銀細工入りの調度品、鏡台の前には香水は化粧品と言った一揃えと至れり尽くせりである。

 急いでいたから鏡台があったのは助かったが、侍女には部屋から下がってもらった。


「適当に髪を整えちゃうから適当に座ってて」

「何かお飲みになりますか。一通りは用意されているようですが」

「お水あるかしら。寝起きだし変に味がついたのは避けたくて……」


 女性の身だしなみを整える部屋だからだろうか、本当はジェフの入室は断られたのだけれどごり押ししたのである。


「私は扉に立っています。見ないようにしますから、お疲れなら少しでも眠ってください」


 髪や身だしなみを整えた後はこのように申し出てくれたのでお言葉に甘えた。寝台はなかったけれど、ふかふかの長椅子があったのだ。服に皺がよらないよう横たわってみたのだけれど、奇妙な緊張感が身体を支配して全く眠れない。

 沈黙を友にした時間だけが過ぎ、空が白み始めた頃に変化が訪れた。


「陛下がお目覚めでございます。お客様方におかれましては、別室で待機をお願いしておりますので、移動をお願いいたします」


 ここで奇妙な言い回しに気付いた。彼はいま「お客様方」と言ったのである。

 客人は私一人ではなかったのか。疑問は移動後すぐに解消された。

 随分広めの部屋だった。長椅子や机がいくつか置かれた談話室のような部屋に、数名の男女が座っていたのである。

 驚いたことに貴族ばかりではなかった。私を除くと十代から二十代程の男女で、それぞれ三名の計六名だろうか。どうやら護衛を連れているのは私だけのようだ。

 意外なのは貴族以外の人も混じっていた点だろう。礼服を着ていたけれど、服に着せられているのは明らかでどう見ても浮いている。強ばった表情で背筋を伸ばしている人も少なくなかった。

 その中で物怖じせず話しかけてきたのが若い女性である。年は同じくらいだろう、この人だけが小洒落た装いも慣れている様子で、場慣れしている様子である。


「まあまあ、もしかしてコンラート夫人でいらっしゃいますか」

「は、ええ、そうですけれど……」

「やっぱり! 昨日は簡単なご挨拶だけで終わってしまいましたから、是非一度お話ししたいと思っていましたの! 会えて光栄ですわ」

「ああ、ええと……気を悪くなさらないでくださいね。昨日は多くの方にご挨拶したものですから……」

「気になさらないで、夫人の人気を考えれば当然です。私はエリーザです、トゥーナ地方の小さな貴族なのですけれど、こちらには越してきたばかりで!」


 異様にテンションが高い女の子は、こちらを知っているようである。彼女に促されるまま席に着いたのだけれど、お喋りに興じるのは私たちだけのようだ。

 エリーザと名乗った少女だが、彼女やたらとこちらに好意的である。これだけキラキラした瞳を向けられると忘れようはずもないのだが……と、思いだした。


「もしかして、昨日二部にいらっしゃった……」

「覚えておいでですか! はい、昨日は陛下のご厚意を賜い二部に参加させていただきました」


 彼女、昨日の皇帝陛下の「演出」で感極まって泣いてしまった人である。どうしてこの場にいるのか不思議だったのだが、理由はすぐに知れた。


「私のような地方貴族がどうしてとお思いでしょう? 実はこちらに来たばかりの頃、道すがらお困りだった旅人をお助けしたのです。そのご縁で陛下には目をかけていただけるようになりまして……」


 彼女はどうやら感激屋のようで、深く尋ねなくともあれこれお喋りしてくれる。

 ここまで言われたら私も、そして後ろで待機しているジェフもピンときているはずだ。どうやら皇帝陛下は行商人や旅人に扮し、人助けした人をこうして呼び出しているようだ。話を聞くにエリーザは誕生祭とは無縁の小貴族だったようだが、突然招待状が届き、しかも資金を援助されたのもあって、しきりに皇帝カールを称えている。彼女が私に好意的なのは、どうやらこの場にいる全員に対し仲間意識を持っているからのようだった。


「……その、エリーザさん。もしかしてこの場にいる全員……」

「どうぞエリーザとお呼びくださいな。ええ、皆さんにお話をお聞きしてわかりました! この場にいるのは陛下に選ばれた素晴らしい人格者でいらっしゃいます!」


 エリーザは大喜びしているが、中にはこちらをチラチラ窺っている人、明らかに敵視している人もいる。もう嫌な予感が拭えきれずにいて、彼女のように無邪気に笑うのは不可能だ。


「家族や婚約者もこの上ない名誉だと、陛下のお心遣いに感激しきりです」

「そ、そうですか。ご家族のみなさんも……そう」

「お恥ずかしい話、私は夫人を存じ上げなかったのですけれど、皇太子殿下や皇女殿下と懇意にされているとお聞きしました。外国から来られたばかりでしょうに羨ましい限りです」


 この少女からは人の毒を知らない無邪気さを感じた。きっと家族に大事にされて育ってきたであろう姿は微笑ましいが、このような場では無防備な雛にしかうつらないのが不安である。はしゃぐ姿に待機していた給仕がひとつ咳を零した。


「エリーザ、いまは朝になったばかりです。いま喋りすぎては皇帝陛下にお目見えする際に疲れてしまうかも。それに皆様方も少し休憩したいかもしれません」

「あ、やだ。私ったらつい……」


 皇帝カールがなにを考えているのか、いよいよ本気でわからなくなってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る