144話 ただ見守る
家に着いたとき、エルは馬車から降りなかった。
小窓を開けて顔を覗かせる彼女は気分良さげに笑っている。
「エル? もう家に着いたけど降りないの」
「それなんだけど、ちょっと家に行って父さんと母さんにこの格好見せてくるわ。泊まりになっちゃうだろうし、あんたはそのまま休んでおきなさい」
「え、それじゃ帰りを待ってたのって……」
「母さんが着飾った姿も見たいって嘆いてたのを思い出しただけ。こんな機会滅多にないから、ひとっ走りしてお披露目してくる」
嘘ではないだろうが、おそらく私を送迎する意図もあったはずだ。素直に言わないのがエルらしい。
玄関には既にウェイトリーさんやジェフが待機しており、扉を潜るのを待ってくれている。
「おじさんとおばさん、吃驚しちゃうかもね。よろしく伝えておいて!」
学生時代から、エルはあまりお洒落に興味を示さなかった。勉強に打ち込む姿は、いま思えば着飾り方がわからなかったのかもしれないが、そんな表情はおくびにも出さない。マリーとお茶をした時に女子会をしたけれど、今後はもっと女子らしい催しを開いてもいいかもしれないな。
エルはさっさと家に入れと片手を振った。家に入るのを見届けてから出発するつもりなのか、彼女の指示に従うのだけれど、玄関が閉じられる間際にこう言った。
「それとさぁ」
「え、なに!」
この笑顔にはいい予感がしない。悪巧みを連想させる表情を隠しもしない様子でのたもうたのである。
「どうせ世間様からは悪女だ売国奴だの噂されて、評判なんてこれ以上どうしようもないんだからさ、いまさら誰を好きになろうがいいじゃない」
「ちょ……な――」
「好きだって思った人は素直に好きでいいのよ。心くらい自由でいなさいな」
「違うって言ってるじゃない!!」
ウェイトリーさん達の前でなんてことを言うのだ!
涼やかな笑い声と共に去る彼女は晴れやかな気分なのだろうが、残された方はたまったものではない。なにせ私の傍にはお出迎えの二人がいて、奥からは私の帰りを聞きつけたマルティナが不思議そうに佇んでいる。
顔から火を噴く思いだった。そんな聞かれたらいけない話ではなかったのだけれど、顔が熱くて彼らの顔を見ていられない。
だが流石は年長者達、伊達に年は食っていない。
「いやはや、若さとは良いものですなあ」
「自分が若い頃は気恥ずかしいものがありましたが、見守る側はなかなか新鮮ですね」
「おや。ジェフは見守る機会も多かったでしょう。それにまだ若い、年寄りめいた発言はよろしくありませんな。爺の立ち位置はまだまだ譲れませんぞ」
「初々しい春を見かけるなどそうそうなく……。そうつれないことをおっしゃらないでください。そもそも私には縁のない話ではありませんか」
二人ともさぁ!!
「こ、子供達はまだ帰ってないんですか!」
「門限にはまだ時間がございますよ。少し遅くなったとしても、エレナ様達なら問題ございませんでしょう」
「皆さんは休めました?」
「ええ、ゆっくりと休憩をとらせていただきました」
和やかに歩き出すのだから手に負えない。
ウェイトリーさんたち含め、使用人の皆さんは私が帰ってくるまで休めただろうか。
「転びやすいですよ、お気を付けて」
「ありがと」
会場ほど広くないからだろう。ジェフの手を借りて居間の椅子に腰を下ろす。着替えた方がいいのはわかってるのだけど、その前に一休みしたいのが本音だ。
「靴だけ脱いでいいですか……実は足が痛くて痛くて……」
「わたくしが脱がしますからそのままでいてくださいませ。無理に腰を曲げたら衣装が傷みます」
遅くまでマルティナがいる理由だが、住み込みの女性使用人さん二人はお休みを与えたので街に繰り出している。彼女がチェルシーの面倒を見てくれると申し出てくれたので、お言葉に甘えたのであった。弟妹さん達の面倒を見なくていいのか気になったが、叔母夫婦がいるし「一緒にいると口うるさくなってしまうから」との話である。
そのチェルシーは刺繍飾りに興味が湧いたようで、物欲しそうに髪飾りを見つめてくる。髪から外して渡すと大喜びではしゃぎだすのである。これにはジェフも大慌てだ。
「いけません。よだれがつきます!」
「いいのいいの、二度使うことはそうそうないでしょうから。それよりチェルシーが誤飲しないようにみていてあげてね」
「カレン様がよろしいのでしたら、あとでわたくしが髪にかざってあげましょう。……それと飾りが壊れる心配はないかと存じます。チェルシーはきらきらしたものが大好きですから、自分なりに大事にしておりますよ」
マルティナも弟妹の親代わりになっているおかげか、マルティナに対しても友好的である。靴が脱げると、ウェイトリーさんがお茶を差し出してくれた。へとへとだったせいか、この場で靴を脱いでも叱られないのがありがたい。
「お疲れ様でございました。ただいま軽食を用意しておりますが、誕生祭は如何でしたか」
「向こうじゃほとんど味なんてしなかったから嬉しい。誕生祭は……なんというか、皆さんや私の想像とは大分違ってしまったとしか……」
そしてこんなときばかり寄ってくる犬猫達。すんすんと鼻を寄せて匂いを嗅いでくるシャロが膝にまたがり、高い布地が猫毛まみれになるのである。手袋を外して撫でても逃げないし、これに抗う術を私は知らない。マルティナだけが「毛が……」と残念そうに呟いていた。
さて、まだマルティナがいるしどこまで話せるだろうか。考えながらお茶を啜っていると、思考を読み取る能力を備えているウェイトリーさんが切り出した。
「マルティナですが、わたくしの補佐として見習いで付けることにいたしました。契約書も交わしましたので、そのようにお取り計らいお願いいたします」
「決定ですか、思ったより早く決められたんですね」
「はい。ただしあくまでも見習い、家庭教師業務を優先してもらいます。……すでにヴェンデル様達が懐いておりますからな。やめてもらうわけには参りません」
マルティナの件だが、最終的にウェイトリーさんに権限を一任した。実際彼女を雇うとなったら面倒を見るのはこの人になるからである。
軽めに明かされたが、ウェイトリーさんの方針は厳しめだ。マルティナを雇うにあたって、まず文官業務と聞いたら通常は書類仕事を想像するだろうが、彼女の場合は経験が皆無であるのを忘れてはならない。
そのため彼女にはまず、うちの使用人さんに任せていたような使い走りや雑務を手伝わせる。我が家の内政に関わる仕事は触らせないし、ヴェンデルとエミールの家庭教師業務は継続してもらう。まずは試用期間を設け、その間に家庭教師の業務を滞らせたらこの話はなかったことになる。
更にはコンラート家がオルレンドル帝国で動きやすいように細かな法律、行事を頭にたたき込んでもらうのも同時進行だ。これらも順次テストを行っていき、ウェイトリーさんの合格が出なければクビである。
「ゆっくり育ててやりたい気持ちはありますが、本来求めていたのは経験豊かな文官でございます。人手不足の中で自ら売り込みをしてきたのですから、それだけの働きをしてもらいましょう」
厳しいようだがウェイトリーさんの下で働くなら必要事項である。当然仕事に見合う賃金は支払うのだから責任は重大だ。
マルティナはこれらすべてを同意、契約書に記名した。
仮に残念な結果になったとしても彼女を苛めるような真似はしないが、万が一彼女から我が家の秘密を漏らした場合はこの国に居辛くなるだろう。
無論そんな不誠実な人ではないだろうといった点も含めて決断したのだろうから、こちらとしてはウェイトリーさんの判断を信じるだけだ。
さて、長くなったけれどマルティナが我が家の一員になったのであれば渋る必要もないだろう。
「皆が思っているような結果にはならなかったといいますか……」
皇帝陛下の覚えはよくなさそうだった旨を伝えたのだが、ポカンと口を開けたのはマルティナのみだった。ウェイトリーさんは「左様ですか」の一言のみ。ジェフは……表情はわからないが微動だにしていなかった。
「皇帝陛下はともかく、他の方々にお声がけいただけたのであればそう悲観する必要もございませんでしょう。今後が気になるところではありますが、そこは動向を見守るほかございませんな」
「私は殿下がたの忠告が気になります。お呼び立てが起こるのは決定として、引き締めていかねばならないかと」
「皇帝陛下のお心が不透明である以上、わたくしは外に注意を払わねばなりません。ジェフ、その際は頼みましたよ」
動揺してないなこれ。地味にジェフは書類仕事も出来るし、手隙の際はウェイトリーさんを手伝っているから信頼も厚い。うん、頼もしい限りである。
このあたり、二人ともオルレンドルに思い入れがないのが反応の差だろう。マルティナの反応は平均的な帝国民のそれであり、地味にウェイトリーさんが彼女をそばに置こうと決めた理由のひとつでもある。
これは後から聞いたのだが、それっぽくウェンデルが懐いているからとは言ったのは理由の半分だ。
それというのも、我が家の人員は殆どがファルクラム出身であり、市井の様子を観察してるといっても対応が遅れる事態もまま発生する。元外交官補佐だったウェイトリーさんでさえ例に漏れなく、市民の生活や皇帝陛下に対する感情含め国民個人の関心や事情に明るいわけではないのだ。そういった点において、帝都で長年過ごした人物の常識や素直な反応が欲しい、とウェイトリーさんは述べたのである。彼女ばかりを気にするわけではないが、現地の人の反応を見つつ進めていきたいといわれ、反対意見が出せようか。
ウェイトリーさんは数度空咳をこぼしたタイミングで、うちの料理人さんが食事を運んできた。すこし出っ張ったお腹を揺らしながら茶目っ気たっぷりにお皿を置いてくれたのである。
「お待たせしました。お手拭きを用意していますので、素手で大丈夫ですよ」
「食べやすそうね。それに……温め直したの? ありがとう」
「いえいえ。宮廷なんかじゃ温かい料理なんて出なかったんじゃないかと思いましてね。火を入れ直してたんでお待たせしましたが、美味しく召し上がれるはずですよ」
お皿に前足を出そうとしたシャロやクロを制しつつ、嬉しいご飯の時間だ。物欲しそうな目をしているジルも……太っちゃうから駄目。
食べ終わったらお風呂に入って寝台に直行させてもらおう。今日はもうくたくたである。
「……ほんと、良かったのか悪かったのかわからない一日だった」
……で、終わればどれほど良かったか。
我が家の騒動は一日を置かずして再びやってきた。
寝る前には帰ってきた子供達を出迎え、疲労から倒れるようにシーツに埋もれ泥のように眠っていた矢先、唐突におこされたのである。
「カレン様、緊急でございます」
「なに……」
「眠っている場合ではございません。急な来客が――」
寝衣姿の使用人さんが起こしに来たのである。窓の外はまだ暗く、煌々とした月が帝都を照らしている時間帯だ。
「おきゃくさ、って、こんな時間に……」
「宮廷からいらっしゃったようで、ウェイトリーが対応しています。あたくしが着替えを手伝いますから、急いでくださいな」
焦りを隠せない使用人さんが着替えを取り出し、私の寝衣を無理矢理剥がしていく。強引極まりない手法だが、どちらも気にしていられない。
「は……きゅ……きゅうてい?」
「はい。ですから早くお目覚めになってくださいまし。……シャロ、そこをおどき。いまは毛を払ってる時間なんてないんだよ」
「あ、シャロ、シャロがいるの? どこ?」
「後回しにしてくださいまし。それと呂律がまわっておりませんよっ」
叱咤されつつ着替え、ぎしぎし傷む足を引っ張って階下に降りた。
この頃にはいくらか頭はまともになっていたはずだが、まだ疲労が抜けていない。
余程慌てたのだろう。首元のボタンもしめきっていないウェイトリーさんが対応していたのは執事風の男性で、私が入室するなり深々と頭を垂れた。
「コンラート夫人、夜分遅くに訪ねる無礼をどうかお許しください。私は皇帝陛下の身の回りのお世話を仰せつかっているマイヤーと申します」
名を名乗ると、持っていたハンカチを広げこちらに見えるよう示した。そこには王室を象徴する刺繍が刻まれており、身分に偽りはないと証明している。ウェイトリーさんがマイヤー氏に見えない位置で、こっそりと「偽りはない」と頷いていた。
「お疲れのところ申し訳ございませんが、私共と共に宮廷へお越し願えませんでしょうか」
「は……い?」
意味不明だった。深夜に叩きおこされた点を除いても、すぐに理解できないだろう。
「陛下が昨日のお詫びに、コンラート夫人と朝食を共にしたいと仰せでございます。ですが急な話でございますので、陽が昇ってから馬を走らせては遅いだろうと迎えにあがらせていただきました。無論、このような時間にお迎えにあがった非礼はわたくし共も重々承知しております。お詫びになるかはわかりませんが、ささやかながらお礼も用意してございますので、陛下が起きられる時間まで向こうで控えておいていただけたらと……」
「は、朝食……えっ、あの、なにかの冗談で?」
「いいえ、冗談ではございません。何卒ご理解いただければ幸いでございます」
マイヤー氏の声には必死さがにじみ出ており、よくよくみれば耳元にはうっすらと汗を滲ませていた。
あ、これ現実だ。
完全に眠気が吹っ飛んだのであった。
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