143、恋のはなし
言葉のニュアンスを読み取れない彼女ではあるまい。
「は? カレン、ちょっと」
「え、なぁに?」
「いや、なにっていまのはやめてよ。変に誤解するじゃない」
「誤解って、べつに誤解してないつもりだけど」
「してるわよ、ここでシスの名前が出るって変に疑わしいじゃない」
「疑わしいもなにも、エルはシスが好きでしょう」
「あいつに私は騙されてこんな目に遭ったのよ」
「そうだけど……。でもいまはどういうわけかシスのこと気にかけてるじゃない。私、てっきりそういう意味だと思ってたけど違うの」
私の言葉は本当にそのままの意味である。エルは気付いているだろうか、普段飄々とした彼女があきらかに狼狽えているのだ。
「わたしがそんなわかりやすいはずが……」
おや、エルが気付いていなかったのは珍しい。
彼女の態度は非常にわかりやすかったし、その例をいくらか挙げていくとエルは次第に頭を抱えだした。
例えばこちらでシスと会ったときの態度、彼を拒まなかった様子、彼に対し幾ばくかの理解を示していた点などきりがないではないか。なにより他者に対して厳しいエルが、あの『箱』に対してだけは態度を軟化させている。何かないと思う方がおかしいではないか。エルは「ああ」と絶望的な呻きを漏らす。
「ばればれだったんだ」
「うーん、でも私くらいしか気付いてなさそうだから、そんな落ち込まなくても……」
余程ショックだったようで、自信のないフォローを入れる。しばらく悶々としている様子だったが、開き直るのは早かった。
「……男の趣味が悪いのはわかってるわよ。わたしだって、なんであんなのをって思ってるけど」
「なにも言ってないじゃない。どうしてシスなのかはわからないけど、きっとエルにしかわからない良さがあったんでしょう?」
粘るかと思われたが存外あっさり認めた。こころなしか頬を赤く染めたエルには、テディさんを語っていた際のような物々しさはすっかり消え失せている。
エルがあの人外を気にしだした理由は、想像よりもずっと簡単だった。
「あいつは本当に気に食わなくて、いつか絶対わたしや親に手を出したことを後悔させてやるって決めてたけど……」
帝都に来てもその感情は変わらなかったが、こちらで生活するにつれて身の回りは忙しくなった。新しい環境に馴染まないといけない点にも加え、人間関係に苦心したのである。一を聞いて十を知る彼女にとって、周囲の歩みは遅すぎた。一を聞いてもせいぜい五までしか頭を巡らせられない周りは亀の歩みに等しい。初期頃は説明に奔走する日々、更には嫉妬や羨望に阻まれ思うように行動もできなかった。
……こちらにしてみればエルの説明の半分でも理解できる人なんて充分偉人の領域だが、そこは特殊能力をもつエル故の苦悩なのだろう。話の中でエルは段々と周囲の理解を諦めはじめた風にも感じられる。その中で唯一彼女の行いを認め、類い希なる才能を哀れんだのもシクストゥスだった。
「可哀想に、人が過分な才を持ったところで在るのは孤独だけだ。人は孤独じゃ生きて行けないのに、君に手を差し伸べられる人間なんて万に一人いるかどうかだ」
彼女を見出したのは他ならぬ『箱』だろうに、彼は堂々とのたもうた。無論腹を立てたエルだが、この頃になれば嫌でも認めざるを得ない。
ファルクラムと違い帝都はチャンスの塊だった。才さえあれば上への最短の道を開ける、権力に頼る必要もなく自らの手で力を掴めるのだ。もはや祖国に戻る選択肢は存在しなかったのである。
そして力の扱い方を覚えると同時にシスの異質さ、孤独への理解を深めた。周囲へ自身の有用性を見せつけた彼女は『箱』の真実を知り、シスへの不確かな感情を自覚したのである。
この感情は魔法院ひいては皇帝が掲げる『箱』の再封印への反目にもなった。長老達は皆この目標に向けて研究を進め、少しずつ成果をあげていっているが、エルは再封印を拒んだ。代わりに『箱』を破壊したいライナルトの計画に『魔法院の長老として』正式に乗ったのである。反逆罪になると知っていながら一枚噛むと決めたのだ。
「あれ。元々エルってシスやライナルト様繋がりで帝都に行ったのではなかった。なのに目的は知らなかったの?」
「入りたての新入りにそんなこと話すわけないじゃない。私の場合は察してたけどあえて黙ってたと言った方がいいかな。長老になる際は部下でもなくなったんだけど、縁は取っておきたいから見逃すってつもりで。……ほら、相手の弱みを握れるし、その時は帝都がどうなろうが興味なかったから」
あくどいけれど、それがうまい処世術なのかもしれない。
ライナルトと組んでからは、魔法院側に怪しまれないよう注意を払いつつ、箱の破壊方法を探していたそうだ。だから、とちょっとばつが悪そうである。
「いまカレンのところに住んでいるのも、その一環というか……」
「あ、なるほど。地下水路を使って塔に通ったりした?」
「そう。あの遺跡、どういうわけか全容が把握し辛いから現物を見る必要があったんだけど、塔の立ち入りには皇帝の許可が必要だし、そんなことしてたら目を付けられるばっかりだから難しくて……」
「エルにそう言わせるって余程の技術なのね」
「いまじゃ到底作れるような代物ではないでしょうね」
エレナさん達が家を管理していた甲斐はあったようだ。裏で捜索を続けてるのだろうなと思っていたけれど案の定で、彼らに協力したエルは秘密裏に帝都外へ繋がる路も見つけ出したらしい。仕事が早いと感心しきりだったのだが、おそるおそる問われた。
「カレン、怒んないの?」
これはもう答えは簡単。
「怒らない。だってそれがエルの役目だったみたいだし、うちを選んだのも信用できるからでしょう」
「都合がよかったから、でもあるんだけど」
「だとしても、エルと一緒に住めるのは楽しかった。……無理に怒らせようとしなくてもいいってば」
むしろうちのセキュリティを物々しくした理由といい納得が勝ってしまったし、エル相手に何を怒れというのか。裏切られたとすら感じないと伝えれば、複雑そうに呟かれた。
「……家の防護機構をもう少し複雑にしておく」
エル相手だから怒らないのであって、心配するレベルではないと思うのだけれど……。
しかしエルってば、かなり混みいった事情まで説明してくれた。嬉しい反面、私が聞いてしまって良いのか複雑な心地である。
もちろん彼女がライナルトに味方してくれるのは嬉しいのだが、ここでひとつ疑問が湧いた。どうしてエルは箱を壊すのに積極的なのだろう。もちろんシスを好きになったから、は承知しているが、そこは『箱』を壊さずともお付き合い? できるのではないか。
ライナルトの依頼を受け、いまこうして秘密を漏らした件を含めて尋ねると、渋りもせず教えてくれた。
「……あいつ、他に好きな女がいるわけよ」
「は? あいつって、え、まさかシス?」
「それ以外にいるわけないでしょ」
これは初耳である。人間嫌いだと公言してならないシスに好きな人間の女性がいるとは意外なのだが、エルは悩ましげに溜息を吐くばかりだ。
曰く、その女性はすでに亡き人物らしい。
「あいつは気紛れだけど、時々、思いだしたように昔話をするの。……わたしをみてると昔を思い出すって言ってさ」
その中でシスに忘れられない人がいるのだと悟った。恋する女ならではの視点なのか、それともシスがわかりやすいためなのかは不明だが、ともあれその女性は現在においてもシクストゥスの心を掴んで離さないのである。
「見てたら嫌でもわかるのよ。こいつ、いつまでも昔の女の影を引きずってるって」
驚いたことエルは彼に恋心を告げている。……と驚天動地もかくやの告白をされたのだが、吃驚するどころではなかった。それというのもエルが素直な気持ちを吐露したにも関わらず、肝心のシスが無反応だったのである。
喜怒哀楽のどれもなかった。人の形をした人外はただ「そうなんだ」としか語らず、エルの想いにも無関心だったのだ。
「元々不毛だってわかってたわよ。だからせめて拒むなり、戸惑うなりしてくれたらこっちだって諦められたのに……」
「……まさかそれで終わったの?」
「それでお終いよ。あいつはわたしの方なんて見てもいなかった。それどころかなにか昔を思いだしたみたいで……。あ、こいつ昔の女を思いだしてるなってわかっちゃった。目の前のわたしを無視するなんてって腹が立って」
「立って?」
「なにがなんでも箱をぶっ壊して、嫌でもこっちにあの腐った目を向けさせてやるって決めた。あとは殿下と協定を結んで箱の研究よ」
……告白はともかく、そこから導き出される結論がなかなか過激なような?
まさか決め手がエルの恋心だなんて思いも寄らないじゃないか。
「……あ、そっか、なら」
ああ、だけど友人の決意を聞いて、少しだけほっとしている自分がいる。
「なによ」
「な、なんでもない」
安堵のせいか声が漏れていたみたいだ。耳聡く聞きつけたエルが怪訝そうになり、誤魔化そうとするけれど、声が上ずってしまい更なる疑惑を呼んだのだ。
「たいしたことじゃないの、気にしないで」
「いーや、いまのは絶対なにかある系の台詞だった。ちょっと、何を心配してたのよあんたは」
「だから……」
「はあ? わたしがここまで話したのに、自分のことは話せないって言うの」
それとこれとは話が違う。ただ、私たちにしては珍しく色恋話になって……おかしな気持ちだった。馬車内に漂う空気に飲まれたのかもしれない。
「エ、エルってライナルト様が好きなのかなって思ってたから、違ったんだなって……」
「はぁ!?」
「あ、わ、わかってるってば! 自分でも変なこと言ってるのは!」
あり得ない話かもしれないとは知っている。だけどただ……ただ、頭の片隅では可能性を無視しきれなかったのだ。
「いやいやいやいや、そんなすっ飛んだ話ってある? なんでわたしが殿下なんかに惚れなきゃなんないの。わたしそこまで男の趣味悪いつもりないけど!?」
「シスだって大概じゃない!」
「そこもわかってるけど! いまそれはどうでもいい、それよりなんでそんな変な考えに至ったのか言いなさい!」
「だって、あの、そのエルってどうみても主人公だし……」
さっぱり意味がわからない、そんな顔をされた。
それはそうだ。エルはこの手の話に縁がないから理解できないのも仕方ないが、でも私は違う。
……転生したときに記憶があったように、異世界転生の物語が好きで読んでいたから知っている。何度も思い返した話だ。
物語において主人公にあたる人物は大抵彼女のように秀でた能力を持っていて、そして立派な身分の皇族に縁があるのだと。
対して私ときたらどうだろう。自分を客観的にみても、せいぜい主人公の友人がいいところの、好感度参照か攻略ヒントを出すのが精々のモブでしかない。
だから、もしかしたら私の知らないところでエルとライナルトに縁があるのではないかとどこかで考えていた。ただの杞憂とわかって、自分自身驚くほどに安心してしまったのである。
もちろん、現実はそんなことないってわかっている。端役だろうが生きる権利はある、私が自分を悲観する必要なんて何もない、のだが――。
「エル、今日の私は、この衣装は似合っている?」
「ん? え、そりゃ当然似合ってるわよ。あんた可愛いもの、並みの女じゃ勝てないくらいの可愛さはあるって保証してあげる」
「……ありがと。うん、私も悪くないって思ってはいるんだけどね」
こんな変な質問をしたのは、気付いてしまったからだ。
今日に向けて頑張ったのは自分のためでもあるし、人に言葉を求めるためじゃないのはわかっているけれど、今日の誕生祭で気付いてしまった。
私はたぶん、彼から一言もらいたかった。
着飾ったドレス姿が似合っていると、そんな他愛のないお世辞でもいいから一言ほしくて、厚かましいけれど心のどこかで期待していたのだ。別に衣装じゃなくても他の言葉なり、だが……。
……我が儘である。とんでもなく子供っぽい自分がここにいるので、心を持て余している最中なのだ。
「……もしかしてカレン、ライナルトが」
「違う」
「ええ、そこで否定する……」
「ばか。身分だって違いすぎる」
否定するとも。だって私には彼と並べるほど胸を張れる人物ではない。良いところで精々目をかけてもらえるのがやっとの、珍しい動物程度だって認識はしているし、望んだところで高望みにしかならない。
「や、だったら釣り合うようにしたらいいじゃない」
「別にそんな……。だって、エルが思ってるようなことじゃないし」
「はー? じゃあなんでそんな顔してるのよ。あ、わかった。なんっっか会場で微妙な顔してると思ってたけど、あれ全部殿下絡みか」
この時の私ははっきりと顔を顰めていたと思う。いつぞやと同じように、逃がさないとばかりに詰め寄られた。
「なに考えてたの、素直に言いなさい」
有無を言わさない迫力があった。ここまで話してしまったのだ、勢いに負けて口にしていたのは、もしかしたら彼女に訊いてもらいたかったのかもしれない。
「……深いことを考えてたわけじゃなくて、ただ、隣で堂々と話せたらいいなって……それだけ」
「あ、なにそんなこと? ……なんだ、じゃあ誰にも指図されたくないってわたしと似たようなものじゃない」
そんなこととは何だ。トゥーナ公爵と違い、私のような貴族の端くれがライナルトの隣に堂々と立てるわけないのである。だというのにエルときたら、人の悩みを「そんなこと」ですませてしまう。これだから才能でのし上がれる人は!
「だったらやってみなさいよ。そこでウジウジしてるより、やれることやった方がずっと建設的じゃない」
「軽く言うけどねえ!」
「言うわよ、だって馬鹿らしいじゃない。ったく、わたしたち変なところで似たような状況になってるわね。やっかいさではあんたの方が上だけど」
「い、いやだから、私のはエルみたいに可愛いものじゃなくって」
「まだ言ってる。ああ、だったらそれでいいわよ、そういうことにしてあげる」
「エル! だから!!」
けらけらと笑い始める姿は学生時代を彷彿とさせるようで、無邪気そのものだ。シスの名を口にしていた時のしおらしさはどこへ行った。
「あんたが本気でやる気で、それでもひとりで達成するのが難しいならわたしが力を貸すのに、なにを迷う必要があるって言ってるの!」
彼女を取り巻く環境は複雑だけれど、こんな風に容易くいえる彼女は無敵。やっぱり『主人公』はエルで、羨ましいなと少なからず感じてしまうのである。
「わたしを誰だと思ってるのよ、昨今帝都に現れた稀代の魔法使い様よ」
天才と呼ばれるのは嫌だといっておきながら、自分で言ってたら世話ないだろうに。
けれど不思議だ。不敵に笑うエルをみていたら、いままで抱いていた心の靄が晴れるようで、途端どんな顔をしたらいいのか迷ってしまう。
「泣かなくていいのに」
「泣いてないってば! エルまでそんなこと言うのやめてよ!」
この時の私は確かに彼女に救われたのだ。
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