142話 参加の意味

「イェルハルド様、私も海の向こうの国には興味があります。そこでお伺いしたいのですが、向こうは小麦ではなく穀物の一種を食べると聞きました。それに豆を使った食文化が盛んだとも」

「これはこれは……。どうやら儂の想像以上に向こうの食文化に興味がおありのようだ」

「それはもう大いにございます」


 力みすぎて言葉遣いがおかしくなったが気にしない。イェルハルド氏に促され、ある一角に設置された席に座ると、ようやく緊張が解けてほっとした気持ちである。会場にはあちこちこういった席が設けられているが、若い人は積極的に他の人に絡んでいるし、皆交流に励んでいるから休む人は多くない。いてもイェルハルド氏のようなお年を召した方が殆どのようである。


「夫人……カレン殿のいう発酵食だが、そうさな。確かに向こうでは盛んだと聞く。こちらでは滅多に出回らんが、珍しい調味液や酒も貿易港の路地街でならいくらか手に入る。好事家には絶対に欠かせん場だな」

「まあ、では貿易港でなら入手できるんですね」

「もちろん。ただし狭い世界だ、ものがものだし足元を見られる場合が多い。儂のお勧めは生魚と……あとは豆を腐らせたやつだな。意外にいける」

「まぁ、まあまあまあ。それはなんて興味深い!」

「家人には下手物食いだと揶揄されたがね」

「お国によって食文化は異なりましょう。異国の文化を率先して体感されるのは素晴らしいと存じます。例え生であろうとも人が食せるのであればきっと問題ないでしょう」

「そうかね? 豆などいざ実物を見れば臭いに引かれてしまうのだが……」

「私とっっっても楽しみです」


 生魚は刺身。豆が腐ったと言うそれは納豆ではないだろうか。 

 イェルハルド氏の知る情報を探る限り、お茶は当然として米や味噌、それとおそらくだが醤油の存在が確認できた。

 もしこの誕生祭二部に参加できて何が一番良かったかと聞かれたら、私は間違いなくバーレ家ご当主との対談だと断言する。それほどに知りたくて堪らなかった情報である。

 こちらで生まれてから食し続けたパン、パスタ系、芋を練った物、あるいは茹で芋潰し芋の生活から解放されるかもしれないのだ。これを喜ばずと何処で喜べという。いまは米同様に芋の違いがわかるようになったし、身体はパンに慣れきっているが、脳はいまもなおにぎりと味噌汁を欲しているのだ。現代日本ほど洗練された味ではないだろうが、それでも期待せずにはいられない。

 私の反応が好感触だったからか、イェルハルド氏はどことなくご機嫌である。


「もし港に行く機会があれば言いなさい。いい店を知っているから紹介してあげよう」

「是非、ええ是非ともお願いします。……聞いただけでもわくわくします。どうしよう、帰ったらすぐに予定を立てようかしら」


 イェルハルド氏のご厚意には甘えさせてもらいたいが、そこでふと気付いた。


「あら。でもイェルハルド様。私、港についてはいくらか調べたのですが、特別な珍味を数多く扱っているとは聞いたことがありませんでした」

「数が少ないからだろうな。茶は昔よりも流通が増えたゆえ、いまでこそ気軽に振る舞えるが、他についてはこちらが積極的に取り扱う品でなし、表に出したところで気味悪がられる品が多い。なに、カレン殿だけではなく普通の者もあまり知らんよ。あれらは一部好事家のために仕入れているようなもので、店舗に並ぶのは仕入れのあまりだから店側は宣伝したがらない。しなくても顧客はいるから問題ない」

「せっかくの珍味を広めたくないと?」

「陛下の御代では安定した治世を送れているが、一昔前はひとたびし損じれば粛正の対象になりうる可能性があった。彼らなりの処世術だな」


 知る人ぞ知る、くらいの話なのだろう。

 紹介状といったのもこのためで、絶対数が少ないから一見さんは融通されにくく、入手し辛いのだと教えられた。

 珍味一つの入手がなんとも気の遠い話である。

 この話題はまだまだ可能性を秘めている。私は知識欲を刺激され、イェルハルド氏も大変気を良くしてくれたのだが、生憎本日は皇帝陛下の誕生祭。会場がどよめいたかと思えば美女の登場と同時に催しの始まりである。


「今年は歌の披露か。ふむ、やはり劇は避けたか」

「このような場で劇が披露された例があるのですか」

「ある。いまは亡き何人目かの妃殿が催されたのだがね、あまり良い評価は得られなんだ」


 歌の披露主は詳しくないが、どうやら帝都一の歌姫と名高い……皇帝陛下の新しい寵姫として知られる美姫による言祝ぎの歌らしい。美女の背後にあどけない少年斉唱団が立ち並び、移動してきた演奏団と共に歌唱が開始されると注目しないわけにはいかない。

 そういえば後数時間で二部は終わり参加者は引き上げるが、皇帝カールの妃が揃う後宮ではこの後もまだまだ宴が続くとか聞いている。気になったので質問すると、イェルハルド氏の答えは是だった。


「六妃より下は身分も関係なく、陛下の寵愛だけを頼りに後宮入りされている。入れ替わりも激しい故に、この日はなんとしても機会をものとし忠誠を示さねばならないのだろう。彼女らも大変なことだ」


 いささか憐れみさえ含まれる発言は、イェルハルド氏の隠れた本音だったのだろう。

 そう言われて歌声に耳を澄ませると、旋律の中にひとかけらの緊張と鬼気迫る凄みがあるようにも感じられる。


「そうそう。念のためだが、今宵はどこかで折を見て引き上げなさい」

「しかし、それでは……」

「二部にはこれといって締める言葉がない。帰る機会を失うほど出ていき辛くなるから早いうちに立ち去る方がいい。どの道、あの様子では陛下も長居はされないだろうから咎められはしないだろうて」

「陛下が長居されないと、なぜおわかりに?」

「勘だ。一応、長年お仕えしているのでね。あの方の気まぐれは知っているつもりだ。どうやら今日はすこぶる機嫌がよろしくない。儂を含め、陛下を知っている連中は気が気でないだろうよ。おそらく予定も大幅に変わっているだろうし、裏方は大慌てだろうさ」


 やれやれ、と肩をすくめそうな勢いでイェルハルド氏は言う。どうやら今夜の皇帝陛下はご機嫌斜めの方だったらしい。


「おそらくアーベラインの子息も機会を伺っていたはず。これから時間が経つほどに戻りにくくなるだろうし、なんなら儂が帰ったからと理由付けても良かろう」


 これはイェルハルド氏の言葉通りになった。歌の途中で皇帝カールは下がったのだが、彼はついぞ戻って来なかったのである。まだ会場は催しが続き盛り上がっているが、イェルハルド氏を含め、場慣れした幾人かの著名人はそうっと姿を消し始めた。このタイミングでイェルハルド氏も退場となり、入れ替わるようにモーリッツさんとニーカさんがやってきたのだ。


「殿下から許しが出た。夫人、今日はこのあたりで退散する」

「わかりました。殿下がお許しになったのであれば、やはり陛下は戻ってこられないのですね」


 こちらが事情を把握していたからだろう。モーリッツさんは驚いたようだが、すぐに頷いた。


「そうだ。おそらくこの後の予定も大幅に変わる、惰性で残っても意味はあるまい。夫人も興味のない連中と輪を作る気はなかろう」

「ええと、でしたらライナルト様に挨拶をして帰ろうかと思いますが、どうでしょう」

「不要だ。殿下はトゥーナ公と下がられた」

「あ。そう、ですか……」


 邪魔をするなと言いたいのだろう。

 ニーカさんは手回しが早いらしく、近場に部屋を確保しているようだ。着替えも持参しているらしく、さっさと宿舎に戻ると疲れ顔で告げられた。


「モーリッツを貸してくれて助かりました。それとこの間の踊りの練習もです」

「華やかな衣装もお似合いでしたのに残念です。個人的にはまた見られる日を楽しみにしています」

「気の置けない人達の集いでなら歓迎するのですが……」


 こうして彼女ともお別れし、予想とはまったく違う展開で会場を後にしたのである。

 帰りはモーリッツさんが同伴で送ってくれる予定だったが、これも途中で変更になった。それというのも、さあ馬車に乗ろうというタイミングで呼び止められたからである。


「カレン、こっちこっち」


 既に馬車に乗ったエルに呼びつけられたのである。既に馬車に待機する彼女はくつろぎながら手招きしたのだった。


「エル、どうしてここに?」

「一緒に帰ろうと思って待ってたの。ここでなら絶対に合流できるでしょ」


 なんと馬車と御者まで準備して待っていてくれたのである。


「……クワイックが一緒なら私は必要ないな。寄り道はするかね」

「面倒くさいですからしませんよ。カレンを連れてとっとと家に帰ります」

「そうか、ならば任せていいかね」

「もちろん。世界で一番安心できる護衛でしょ?」


 モーリッツさんは把握が早すぎる。馬車に乗る際は手を貸してくれたが、エルの自信みなぎる言葉で送迎を取りやめたようだ。モーリッツさんにはお礼を述べたが、彼の意識は既にエルにあるようで、出入り口に顔を寄せると声を潜めて言い放ったのである。


「クワイック、仕事はもう少し小まめに報告したまえ」

「わたしに課せられた任務が何かはご存知でしょう? これでもしっかりめにご報告してるんですよ」

「それでも遅すぎるのだ」

「善処はします。……これ以上は怪しまれますよ」


 この一言で、まだ何か言いたげだったモーリッツさんを下がらせた。エルの合図で馬車は動き始めるのだが……。


「エル、いまのって……」

「ん。もうちょっと離れてからね。それより誕生祭はどうだった。思ったより早く出てきたみたいだけど」

「……どうだったって聞かれたら良くはなかった。気にするなって言われても、何のために参加したのかわかんない」

「そりゃそうよね。あんたへの皇帝の態度で良くないのは察してたけどさ」

「普通だったら泣いて帰ってもおかしくないと思う。エル、ちょっと慰めてよ」

「はいはい、こっちおいで。……衆目の前で恥晒される気持ちはわかる」

 

 同じく皇帝カールの気まぐれで宮廷でソロ歌を披露させられただけに、同情してくれてるようだ。隣に位置替えすると、彼女の片手が頭を抱き込む。もう帰るだけなので髪が乱れたところで構いやしない。

 バーレ家当主と会い、皇帝カールがご機嫌斜めだった等の経緯を説明すると、彼女はさもありなんと頷いた。どうやら皇帝陛下のご機嫌で状況が左右されるのは珍しくないらしい。

 今日の感想だが、エルに告げたとおり良い気分ではない。少なくとも私を呼びつけた皇帝陛下に無視されるとは想像できなかった。もうちょっとなにかしらあるかなーと身構えてたから、拍子抜けしたのは否めない。

 いまこうして持ち直しているのは、目の前にいる友人達やイェルハルド氏のおかげであった。そうでなくては二度とパーティーになど参加するもんかと叫ぶくらいしただろう。


「ところで途中で行方を眩ましたけど、まさかずっと馬車でくつろいでたの?」

「まさか。テディに呼び出されたから仕方なく付き合ってただけ」

「テディさんに? そういえばサミュエルさんが何か言ってたけど、仕事絡み?」


 一部の際のサミュエルさんの台詞は気になっていた。ダメ元で聞いてみたのだが、長い溜息を吐いたエルはうんざりした様子であった。


「諦めてくれなかったから、最終宣告したというか」


 ……諦め?

 

「しっかりきっちり、そりゃもうばっさり振ってきたのよ。変に色恋持ち込まれて集中を乱されたんじゃ、今後の仕事に障りが出るからね」

「へ」


 素っ頓狂な声が出た。

 どうやらエルはテディさんに告白されていたらしく、一度振っていたようだ。しかしエル曰く、それ以来未練がましく仕事にミスが多い。今日も一部参加前に同伴を申し出されたのが彼女の逆鱗に触れたようで、彼にとどめを刺したと言われたのだ。


「え、彼ってエルを慕って助手になったのよ、ね?」

「そう。頭が良くて優秀なのも本当だけど、こんなことになるんなら助手にするんじゃなかったわよ。だけどあいついいところの息子みたいで、もう切るのは難しいのがやっかいで……。まったく、わたしはあそこで愛だ恋だの語りたいわけじゃないのよ」

「……あー」


 舌打ちするエルは真実うっとうしいと訴えているようで、その形相にテディさんに勝敗に傾きはしないと連想するのは難しくない。


「最終宣告って、どんなことを言ったの?」

「次に愛だの恋だの浮かれて失敗したら研究室から叩き出してやる。あんたの仕事は忌々しいけど全部サミュエルに任せて、新しいやつを雇う。あんたの仕事は雑用だけになるわよって」


 ……なるほど最終宣告である。詳しく問い詰める限り、どうやらテディさんは許容しがたい失敗を犯したらしく、そのせいでエルはご立腹のようだ。


「それにしてもわざわざ二部を抜け出してまで宣告してきたの」

「好きでそうしたんじゃないからね。どこかで休もうと思ってたら、二部に参加しようとしたあいつに出くわしたの」

「二部? だってテディさんってただの助手よね」

「いいところの息子って言ったでしょ。あいつの家柄で二部に参加できるとは思わなかったけど……。どんな手段を使ったかは知らないけど、その気もないのに会いに来ましたなんて言われたら気持ち悪くてしょうがないわよ。だからその気をなくさせてやろうと思ってね」

「あ、なるほどぉ……それは、ちょっと……うん」


 どうやらエルなりに苦労があったようで、聞く限りテディさんの擁護は難しい。鳥肌が立ったのか肩を撫ですさるエルに、ふと、ずっと気になっていた言葉を放った。


「エルはシスが好きだものね」


 珍しくも友人が露骨に動きを止めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る