137話 まるで貴公子然としていても

 相変わらずあの笑顔は苦手である。

 だというのに相手はお構いなしで、しかも明らかに私よりも身分が上っぽいお嬢さんお姉様の誘惑をはね除けながら来るのだから最悪だ。

 正直このまま踵を返したいが、あからさまに避けてもどうにもならないのはわかっている。エルの言ったとおり、ここは頑張る……もとい腹を括るところだ。


「エル、隣にいてくれると助かる」

「当然。それにわたしにとっても見過ごせないのが後ろにいるからね」


 彼女の言葉の意味はすぐに知れた。まっすぐに歩いてくるのは一人だけではなかったのである。


「カレン殿、ようやくお会いできた」

「お久しぶりです。それと……サミュエルさんも」


 なんとエルの助手のサミュエルさんがリューベックさんと一緒だったのである。一体どういう繋がりか、エルも声にはしないが不審がっている。サミュエルさんは自身が注目を浴びていることに気付いたのか、苦笑しながら首を横に振った。

 

「どうぞお気になさらず。俺がここにいるのは偶然ですよ。どこぞの長老が数え切れないくらい恨み買ってるんで、失礼をお詫びをしてたんですわ」

「彼から挨拶をされていたところで、貴女がたをお見かけしたのです。しかしエル殿がこうして公の場に出られるとは……」


 やってきたのはもちろん……リューベックさんである。

 エルの姿が意外だったのか目を丸めていたが、対してサミュエルさんは、こう言うのもなんだがちょっと品のない感じの笑いだ。

 これに対し、エルはやはりというかそっけない。というか一切揺るがない。


「サミュエル。あんたがどこでなにをしようが勝手だけど、仕事以外でわたしに関わるなと言わなかった?」

「おお、怖い怖い。師のために頑張る健気な弟子なのに、肝心の師が厳しくて泣いちまいますよ。そんなだからテディも」

「サミュエル」

「……はいはい」


 テディさんの名前を出した途端、明らかに声の調子が下がった。なにかあったのだとわかる一幕だったが、追求している余裕はない。なぜなら二人の邂逅は、残念ながらおまけに過ぎないからだ。

 エル達の会話の傍ら、リューベックさんには挨拶がてら手を持ち上げられる。手袋越しの口付けの動作、よく恥ずかしくないものだ。


「本日はてっきり護衛の方に回っているものとばかり思っていました」

「そちらでも構わなかったのですが、仕事では自由にできる時間がありません。家のこともありますので。それに一曲お願いしたいと話したでしょう?」

「……マア、そうでしたっけ」

「そのようにつれなくされようとも、私は覚えていますとも」


 私が見慣れているのは勤務中の姿だが、今日はモーリッツさんと同じく正装仕様である。わざとらしくすっとぼけてみても、やはり鉄壁の微笑は崩れない。ここにいるのが楽しくて嬉しくて仕方なくて極まりない。そんな印象を受ける笑顔だけれど、なにが楽しくてここにいるのか、私には到底理解できそうにない。

 仕方ない。戦法を変えるかあ。


「……嘘です。お申し出もお礼をしたいといった気持ちも嘘ではありませんが、生憎本日はモーリッツさんに付添を頼んだのです」

「存じています。まったく、人というのは噂に食いつきやすい」

「あら、ご存知だったので」

「あの堅物氏がこういった公の場に女性を連れるのは珍しいのですよ。ご存じない?」

「いいえ、珍しいというのはわかります。それはもう充分に」


 誰にでもあの態度なら、さぞ着飾り甲斐がないだろうからね。


「……ですがお優しい方ですので、一曲披露した後にすぐ別の方の手を取ったとあっては些か見境がないと思いませんか。ましてご不在の合間になんて、さしもの私も心が痛みます」


 あの人なら「好きにすればいいのでは」で終わらせそうだけど。いや絶対終わらせるだろうな。できなかった話をしてもしょうがないが、そういう点では、風除けとしてならクロードさんの方が良かったのだろう。

 そういうわけで遠回しながらモーリッツさん待ちですと言ってみたのだが、リューベックさんは何故か頷くのだ。


「なるほどなるほど。おっしゃりたいことはよくわかりますよ。相手はあのバッヘム領袖の一派ですからね、礼を失すると不安になるのも仕方がない」

「はい。そういうわけで……」

「ですが彼はしばらく戻れません。貴女のような魅力的な女性をお待たせするのも、あまりに失礼というもの。なに、暇つぶしの一曲。貴女と踊りたいと所望する男の手をとる程度、なんの問題がありましょう」


 涼やかな笑顔でそう言い切りやがったのだ。

 聞き間違いはなかった、固まった笑顔で数秒考える。


「……しばらく戻れないと?」

「はい。彼はいま大事な客人を相手にしております。私の知り合いですが、氏にとっては大事な貴人でもあります」

「聡いリューベックさんでしたら、いつモーリッツさんが戻ってきてくれるのかおわかりになりますか」

「少なくとも貴女の気が変わる頃には解放できるかもしれません」


 失礼だとはわかっていたが、しばらく黙り込んでしまった。口の端はつり上げたままだけど、上手い言葉が見当たらなかったからだ。

 視界の端ではエルがあからさまに引いていたから、気持ちは同じなのだろう。


「正直驚いています」

「なにに、でしょうか」

「帝国からすれば、たいして取り得もない田舎者にリューベックさんのような方が目を向けてくださることがです」


 ああ、嫌だな。彼の手を取るのは仕方ないけど、いま向こうでは彼が麗しい公爵の手を取っているのだ。できればそれを見なくていい場所で立っていたかった。


「信じていただけないでしょうが、私はいつでも本気です。ですがもし真心を疑われるのだとしたら、私の信心が足りないのでしょうね」

「……一番信じがたいお言葉が聞こえた気がします」

「何故でしょう、そんなつもりはないのに皆がそう言うのですよ」


 エルのお陰で苦手意識は少し取れたはずだから、失敗はしないはずだ。リューベックさんの手を取って、脱したはずの集団の方へと足を向けた。エルが小声で「いってらっしゃい」と言ってくれたのが幸いだろうか。

 細かいことが苦手そうな見た目にそぐわず、リューベックさんは先導が上手だった。


「お上手ですね」

「カレン殿は些か緊張されているようですが……」

「踊りは苦手なんです。間違って足を踏んでもお許しくださいね」

「こういった場で女性を喜ばせるのは男の役目です、いくらでもお任せください」


 動じないなあ。

 いまは自分で踊っているという自覚があるから、エルの手は借りていないはずだ。踊り始めも失敗しなかったし、いまもかろうじて身体は動いてくれているけれど、ほとんどリューベックさんのカバーが上手いお陰である。

 モーリッツさんより体格がいいからか、どうにも大きいという印象が否めない。ぬぼっとしているというか……。彼が合わせてくれるから、わりと踊りやすいんだけどね。体格違いといえば、一度ライナルトと合わせてなかったらうまくいかなかったかも。


「貴女はご自身を田舎者と言われたが、地方だからこそ原石が埋まっているのです。その美しさは埋もれてよいものではありません」

「埋もれているつもりはございません。ただ、もしそう見えてしまうのでしたら私を輝かせてくれた夫を惜しんでいるのです」

「御夫君を惜しんでらっしゃるのですね。いまもなお貴女の心を掴んで離さないとは驚嘆に値すべき愛ですが貴女はまだお若いでしょう。新しい出会いを求めたとして、周囲も許すはずだ」

「残念ながら、二人といない方でしたので」


 そしてリューベックさんの攻撃も終わらない止まらない。

 極力感情は殺し、耳に入る先から右へと流す努力をしているけれど、よくもこう――ええと、これ口説かれてるんだよね? 口説き文句が出てくるものだ。


「意識がこちらに向いていない。なにを考えておいでですか」


 そして逃げ場もないときたもんだ。素直につらい。


「先ほども申し上げたじゃありませんか。我が家にあなたが目を向けるほどの価値があったのかと」

「それはそれは……なんとも寂しいことを言われる」


 一曲自体はそう長いものじゃない。それからしばらく手を合わせ続けたが、彼は無駄に長引かせるような真似はせずに解放してくれたのである。だが離れる間際はこうも言われた。


「私が注目しているのは他ならぬ貴女自身だ。いまは理由を伏せさせてもらうが、どうかそこは誤解なきようにお願いしたいものです」


 これにて二曲目終了である。たくさんの熱視線を浴びるリューベックさんは颯爽と去るわけだが、一方の私はエルのもとに帰る頃には疲労困憊である。彼女に追い払われたのか、すでにサミュエルさんの姿もない。エルには人が寄り付こうとせず、ある意味特殊な空間が出来上がっていた。

 

「……おつかれ」

「うん。あ、補助ありがとう」

「どういたしまして。普通に見る分には問題ないと思ったけど、こういう場じゃ指先まで間違いなかったかあら探しする、口さがない輩が多そうだからね」


 自身で踊ったのは間違いないが、間違えかけたときや手先が緩みかけたとき、強制的に動きが直されていた。


「随分熱心に口説かれてたけど、少しは惹かれるような台詞はあった?」

「離れてたはずだけど、口説いてたってわかったの」

「そういう雰囲気は見てるだけでも伝わってきた」


 そっかー熱心だったかー。言葉は流していたし、特に目立つ金髪の誰かさんを見ないように気をつけていたからそこまでは注目できなかった。

 休憩がてらエルと話し込んでいると、ほどなくしてモーリッツさんが戻ってきた。こちらを一目見るなり言い放った「ご苦労」の澄まし顔といったら、しばらく忘れられそうにない。


「ちょっとモーリッツさん。こちら苦労させられたんですけど」

「それはこちらの台詞だ。夫人のために余計な工作を食らったのだからな」

「ちなみにどういう方とお会いしてたのですか」


 嫌そうな顔をしていたが、観衆から距離をとったところでしつこく粘って聞き出した。なんでも親類や顔なじみの重客だったらしいが、ほとんどが軍家繋がりであったらしい。疑問には感じていたようで、リューベック家関係だと理解したのは遠くで私と彼が踊っている姿を見たときだそうだ。


「……二人とも仲いいわね」

「虫唾の走ることを言わないでもらえるかね。エル・クワイック」

「でも私モーリッツさんのこと好きですよ。モーリッツさんも気さくに話してくれるじゃないですか。あれって親しみの表れだと思うのですけど、どうでしょう」


 言葉どころか汚物を見るような目で睥睨された。

 できればこのままモーリッツさんを囲んで楽しく団欒といきたいところだが、もちろんそうは問屋が卸さない。エルは二部まで休憩室に下がるようだが、もうしばらくと引き留めてもその意志は変わらないようだった。


「見世物になるのは嫌なのよ。最低限会わなきゃいけない連中には会ったし、出てきただけでも良しとして」

「うん、表に出てくれてすごく嬉しいし、きっとエルのこと見る目を変えてくれる人もいるんだろうけど、まだ他の人とは話せてないし……。あ、ほら、私と一緒なら挨拶に回っても問題ないんじゃないかしら。これが終わったら時間を作るから」

「休まず動いてどうするのよ。それはまた今度ね」


 せっかくのチャンスだ。世間から抱かれているイメージを払拭して、他の人と縁を結ぶ良い機会だと考えたのだが、ちょっと早かったようである。これに関してはもうしばらく、エルには時間が必要なようだ。 

 さて、小休止を挟んだ私とモーリッツさんは挨拶回りである。なにせ帝都内の著名人が参加してるし、特に商会関係にはきちんと顔を見せておかないと。

 なし崩しとはいえバッヘム一族のモーリッツさんが同伴なのだから、たかが挨拶と言っても威力は絶大のはずである。


「そういえばモーリッツさんって、バッヘムじゃなくてアーベラインと名乗ってらっしゃいますよね。どうしてですか」

「個人の事情だ。話すようなことではない」


 さっきの一言が余計だったか、ちょっとそっけないモーリッツさんである。彼はとある方向を注視するのだが、それはある人物の機を伺っていたためらしい。


「ようやく殿下の手が空いたようだ。行くぞ」

「えっ」

「なにか不都合が?」

「いいえ、なんでも」

 

 ……直属の部下だものね。挨拶しないわけにはいかないか。

 覚悟を決めて人混みを縫ってライナルトのもとに行けば、やはり彼の傍らにはあの美しい公爵の姿がある。仲睦まじくしっかりと腕を組んでいるのだが、動きにくくはないだろうか。


「殿下、並びにトゥーナ公。ご機嫌麗しゅうございます」

「来たか。一向に顔を見せないから嫌われたと公爵と話していたところだ」

「遅参、お詫びのしようもございません」


 素直に頭を下げるモーリッツさんに並び頭を下げておく。そこに鈴の音を転がすような笑い声をしのばせるのは、ライナルトの隣にいた麗しき公爵だ。

 

「つまらぬ世辞に飽いて話し相手を探していたと素直に言えばいいものを。ああそれに、そこのお嬢さんがヴァルターに捕まっていたのもしっかり見ていてよ」

「ご存知でしたか」

「あの物騒な男が気味悪く微笑んで踊っていれば当然でしょうよ。そうそうよろしくねコンラート夫人。あたくしはリリーと呼んで頂戴な」

「そのように恐れ多い……。ですが公爵がわたくしの名前をご存知とは思いませんでした」

「あら? 新顔、それでいて可愛らしい女の子ときたら覚えない手はありませんのよ」


 艶然と微笑むと、公爵が持っていた扇子に顎を持ち上げられる。


「礼節をもって接してくれる子は大事にしているの。貴女、あたくしと初めて会ったときも礼儀を忘れなかったでしょう」


 このとき、私は過去の自分の行動を最大限に褒め称えた。公爵の言葉は彼女と初めてすれ違った際のことを指しているのである。もしあの時、彼女を誤解し、ほんのわずかでも嫌悪を示していたら、微笑みかけてもらえなかっただろう。


「新しい貿易にも明るいと聞きます。うちの領民も味気ない料理には飽きていたところだし、新しい刺激が欲しかったの。せっかくの縁だもの、これからは仲良くしていきたいわね?」

「トゥーナ公にお声がけいただけるとは光栄です。ご期待に添えるよう尽力いたしましょう」

「他のお誘いを避けて貴女にお声がけしたの。絶対でしてよ?」

「もちろんです。既にファルクラムに拠点を構えているのが強みでございますから」

「それを期待してお話ししたのよ。ああ、フゴ商会は潰れてしまったし、信用できそうなところを探していたから良かった。ライナルトの直下なら大丈夫でしょうよ」


 こちらも思わぬ朗報にびっくりながらの対応である。うちの方も貿易といっても、帝都での卸先を選定していた。トゥーナ公と取引できれば、ライナルトの後見を得ている点を除いても帝都での地位は強固なものとなるし、僥倖といわざるを得ないだろう。

 ……こうやって取引先を確保できるのが、社交界の良いところであり悪いところなのだろうなあ。

 直に話す限りトゥーナ公は見た目がかなり派手派手しく、高嶺の花といった印象を受けるが好人物ではあった。ちょっと、いやかなり近しい距離で話しかけられる点を除けばだが……。

 

「リリー。貴女ばかり話しているようだが、これでは私が口を挟む余地がない。いささか不公平ではないかな」

「口数の多い男は魅力に欠けてよ。顔がいいのだから大人しく黙ってなさいな」


 この場で助け船を出せるのは一人しかいない。トゥーナ公が一歩引くと、ようやくライナルトに向き合ったのであった。

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