138話 知りたいのに


「リリーは気にしないでもらいたい。少しでも目に留まるとすぐにこうだ」

「とんでもない。お声がけいただき光栄でした。――殿下、この度は陛下の誕生祭を無事迎えられたこと、誠に喜ばしゅうございます」

「父も喜ぶだろう。今日は楽しんでいってもらいたい」


 モーリッツさんがしないから一瞬忘れかけたけど、形ばかりだがお決まりの挨拶ってやつである。


「だが貴方も二部があるだろう。あまり無理をし過ぎないことだ」

「挨拶回りがすんだら休ませていただくつもりです」

「その方が貴方のためでもあるだろう。今日は誘いも多いだろうがモーリッツをうまく活用されるといい」

「活用なんて恐ろしいことが言えるのはライナルト様くらいです。私がそんなことを口にすれば、たちまちご機嫌を損ねてしまうのですから」


 二部参加者は通しの参列になるから疲労が濃くなる。希望すれば部屋を借りることができるので、エルが休むといって下がったのはこのためだ。ここで公爵の興味がモーリッツさんに移ったらしく、新しい玩具を見つけたチェシャ猫のように絡んでいった。

 ライナルトは首を振るばかりで、モーリッツさんを助けるつもりはないらしい。肝心の部下の方も誰かに助けを請うことなく淡々と対応するだけだった。


「ところでまだ具合が優れませんか」

「あら、どうしてでしょう」

「まともにこちらを見てくださらない。先ほどからずっとだ」

「……気のせいでは。それか緊張のせいです。帝都はファルクラムよりも華やかですから、先ほどから眼がちかちかしてたまりません。場に怖じ気づいてしまってるのかも」


 細かいことに気が付く人だ。

 ここまでくるとライナルト相手には嘘だとばれていたかもしれないが、場所だけに深追いされないのは幸いだった。公爵やモーリッツさんの攻防を眺めるのだが、公爵も大概めげない人であるのがわかる。


「これから二部が控えてますから気後れしてるんでしょう、きっと。でももう少ししたら場になれます、ですから大丈夫。お優しい言葉をありがとうございます、殿下」


 礼をいってみたが、ライナルトはいまいち信じていないようだ。

 

「もし不安でしたら兄君と会われるといい。知り合いに会えば多少は気が安らぐ」

「兄もここに?」

「ヴィルヘルミナの相手を務めている。あれを相手によく働けると感心していますよ」

「……気持ちは複雑ですが、殿下がそうおっしゃってくださるのなら会いに行こうと思います」

「兄妹として会うのになんの問題があります。私は当然として、ヴィルヘルミナも文句は言わないはずだ。あれで私と違い優しく、情に厚い一面もあるのですから。私はそんな妹を好ましいと思っていますし、我々も仲違いをするばかりではないと皆に知ってもらいたいのですよ」

「あら、仲違いなどと、なんてひどい誤解」

「まったく困ったものだ」

 

 深々と切れ上がったまなじりを涼やかにさせているのだろう。声には含み笑いを零したような響きがあった。

 カール皇帝の誕生祭だから、当然ヴィルヘルミナ皇女も参加している。ただ私たちは派閥を分けてしまったから、兄さんへの挨拶は少し悩み所だったのだ。

 けれどライナルト自ら仲違いするばかりではと言った。公には仲の良さでもアピールしたい意図があるのか、ならば挨拶くらいは問題ないだろう。

 ……そういえばアヒムは参加してるのかな。


「先ほどリューベックの長男の手を取られていましたね」

「やだ、ご覧になっていたのですか」

「カレン。貴方は見つけやすいのだともう少し自覚した方がいいのでは。いえ、それよりも今度彼についてどう思われたか聞かせてもらいたい」

「流石第一隊の副長ですとお話しすることがたくさんです。……お優しい方ですし」


 もちろん嘘だし、ライナルトもニュアンス的に「優しい」なんて信じていないだろう。この場合はなにを探られたかどうかを聞かれたくらいに考えるのが吉である。

 会話はここらが限界か。帝国皇太子とトゥーナ公との会話を望む人は多く、公爵がモーリッツさんに飽きたところで顔合わせは終了を迎えた。


「探せばニーカも見つかるはずだ、会っていかれるといいだろう」


 そう言ってライナルトとは別れ、私とモーリッツさんは挨拶回りに奔走である。途中年配のご婦人相手にグラスを傾ける調査事務所所長を見かけたが、ご老体がこちらに話しかけることはなく、器用に片目をつむることで挨拶としたのだった。

 一体何人と顔を合わせただろう。フゴ商会、貿易関連の中小商会、モーリッツさんの親族もとい公庫関連、ヴェンデルやエミールが懇意にしている友人両親、学校長。それから意外だったのは魔法院関係の魔法使いだろう。後者は完全にエルに纏わる事情で、こちらは私とエルが懇意にしていると聞きつけたゆえの結果である。また彼女がこういった公の場に姿を現すのも珍しかったためか、その若さに驚く人も多かったようだ。

 絶え間なく話し続けたせいで喉はカラカラ。いい加減挨拶回りを切り上げようとしたところで、一人の美女が真っ直ぐに向かってきた。


「この際お前でも構わん。頼む助けてくれ」


 鬼気迫る表情でやってきたのはニーカさんである。普段はきっちり結わえた赤毛をおろした彼女は、いまや一輪の華だ。艶やかな赤毛が波打ちながら背中に広がり、薔薇を模した飾りつきの燃えるような衣装に身を包んでいる。

 幾分きつめだけれど、美しい顔立ちに華やかな装いが似合っている。

 つかつかと靴を鳴らして寄ってきた彼女は、モーリッツさんを見るや助力を請うたのだ。


「カレン殿もお久しぶりです、以前はお世話になりました」

「はい、お久しぶりです。なんだか大変なご様子ですけど、どうされました」

「お気遣いいただいて申し訳ない。……実は困ったことになっていまして」


 などと挨拶も適当に事情を説明された。

 うんざりした面持ちの彼女は、男から声をかけられるのを止めたい、と述べたのだ。


「休憩室に行けばよかろう、逃げるならあそこが最適だ」

「お前は馬鹿か。出席した以上、一曲なりとも踊っておかんと言い訳が立たん。だというのに出ている顔ぶれはロクなのがいない。適当に見繕うにも周りの男共ときたらどうだ。歯の浮くようなお世辞とくだらん詩ばかりで自分の口でものを言えん輩ばかりだ」

「嘘くらい使え、なんのための口だ」

「ところがしつこさだけは一人前でな。簡単に引き下がるような輩ばかりならお前などに助けを求めるはずないだろう」


 要は架空の「お相手」も身分が証明できないから引き下がらないのだ。余程疲れているのか、小声ではあるがほとんど感情もむき出しに、そして率直な意見をモーリッツさんにぶつけるのである。


「お前くらいの身分の男が一番役に立つ。この間シスの後処理を手伝ってやったろう、その借りを返せ」

「いま言われても困る」

「いましかないんだ。いいか、ここで、借りを、返せ」


 瞳の奥に稲妻が走っている。彼女はご丁寧にも語句を区切りつつ強調するのだが、モーリッツさんも引かない。

 私はというと、ニーカさんがここまで必死な姿を見るのは初めてで新鮮な気持ちだ。エレナさん達が知っている彼女は、こちらが素なのだろう。


「借りを作ったのは認める。だが生憎と、私はこの通りコンラート夫人の同伴をになっているのでな」

「あら、ずっとくっついていないといけない……なんて決まりはありません。どうぞ踊ってきたらよろしいのでは? 私もちょっと会いたい人がいますし、終わったら休憩室に下がりますから、そこで合流してもよろしいですし」


 人を射殺せそうな殺気を向けられた気がしたが、視線を避けてとぼけてみせる。

 だってニーカさんが必死なのだもの。モーリッツさんには申し訳ないが、私が彼を引き留めているなんてことは言えないのである。

 この言葉を聞いたニーカさん。大きく息を吸うと、さっと私の手を取られた。


「ありがとう。本当にありがとう。この恩はいつか必ず返します」

「いいえ、踊るのはモーリッツさんですから」

「待て、私は……」

「行くぞ風除け。女っ気がない噂をここで役立てんでどうする」


 そう言うとモーリッツさんの手を取って消えていくのを見送るのだけれど、ところでこのダンスのための音楽っていつまで演奏しているのだろうか。

 モーリッツさんが不在ということは、当然私も一人。心細くないかと問われたら嘘になるが、彼がいないからと困るわけではない。

 だって当初の目的がリューベックさん除けだったのだ。ところが目論見は外れて踊るはめになってしまったし、ならばと思って利用させてもらった挨拶回りもひとまず終了だ。

 要は二部まで自由行動なのである。

 大人しく二人を待っていても良かったけれど、先も述べた通り会っておきたい人がいる。さて目的の人はどこかと移動しがてら見回っていると、本日何度目か数えきれないお声がけにあうのだ。


「そこのお美しい方、よろしければこちらでお話など如何です」


 普通ならにっこり笑ってさようならだが、愛想を振りまくだけで終わらなかったのは理由がある。声には馴染みがあったし、無視なんてできない人が声の主だったからだ。


「アヒム、どこかにいると思った」

「うん? 驚かないんですね」

「兄さんが出席されてると聞いたから、あなたがいないわけないって。有権者であれば大抵は参加できるのだから、どこかで会えるはずと思ってたの」

「おれは有権者じゃありませんけどね」

「騎士称号をいただいたのは聞いてるのよ。マリーが風貌だけは立派になったってこのあいだ言ってた」

「あのお嬢さん、人のことそんな風に言ってたんですか……」


 久方ぶりの再会を果たしたのは、兄の乳兄弟であり、私にとっては幼なじみのアヒムである。見慣れた姿とは違い、いまや護衛とはほど遠い身なりとなっている。髪を撫でつけ礼服に身を包んだ姿には不思議な魅力がある。

 アヒムはちょっとだけ困ったような微笑を湛え、片手を胸に当てて見せた。


「貴族の真似にしちゃうまくできてると思いませんか」

「真似どころか以前のあなたが想像できないくらい立派な姿だわ。そうね、あえて言うなら話し方さえ違ったらかしら」

「お嬢さん相手にいまさら気取っても仕方ないでしょ。お探しはアルノー様ですか」

「そ、ヴィルヘルミナ皇女殿下と一緒と聞いたから皇女殿下にも挨拶がてらと思ったけど、お見かけしないの」

「そいつは残念でしたね。いまはちょいとお取り込み中というか……」


 アヒムは困ったように頬を掻いて、ある一角へと視線を向ける。その先には大きな窓に面したテラスがあるのだけれど、そこを背にし、なにかを守るように凜とした雰囲気の人々が数名立っていたのだ。

 もちろんそこにヴィルヘルミナ皇女と兄さんの姿を見つけたわけではなかったが、ピンとくるものはあった。一瞬どう声にすべきか悩み、一息ついて頭を落ち着けたのである。


「外れてたらごめんなさいね。まさか皇女殿下と一緒に?」

「……皇女殿下が疲れたと言われまして」

「わかった、深くは問いません」

「助かります。あとで伝えておきますから、二部には間違いなく話ができるはずです。ですけどいまよりゆっくり過ごせるそうですから、そちらの方がいいかもしれません」

「あ、私が二部に出るって知ってるのね」

「当然でしょう。噂を聞いた翌日なんて青い顔で出てくるもんだから、皇女殿下もびっくりだ。胃薬を処方されてましたよ」


 ここまで来るとおのずと答えを言ってるようなものだけれど、口にするのは野暮だろう。

 ……いえ、うん、皇女の噂についてはいくらか仕入れているのだ。だからその可能性は考えなかったわけではない。あえて突っ込むような真似はしないし、少なくとも今日は情報を持ち帰るだけに留めるべきだ。

 これで兄さんとの挨拶は不可能になったわけだが、昔なじみと再会できたのなら、それはそれで積もる話も出てくるのだ。

 特に人が行き交う場所だったから込み入った話はできなかったが、アヒムの状況は教えてもらうことができた。こうして一部に参加できているのは騎士称号を授かったからとは述べたが、経緯は教えてもらえなかったのである。その事情はこうだ。


「大したことはしてないんですよ。おれは護衛で、アルノー様は護衛対象。そんでもってその主たる皇女殿下も当然お守りする範囲になるわけです。……偶然、皇女殿下の護衛が少ないときでして」

「命をお守りしたのね」

「そういうわけです。おれはちょいと怪我を負ったくらいですが、それがいたく感謝されたようでして。……相応しい働きには相応しい身分をってことで、せっかくなんで身分をもらいました」

「……大事だったんじゃない?」

「わかりますか。ファルクラム貴族ならともかく、ただの平民なんで実は結構大変でした」


 これは驚きだ。護衛絡みだとは予想していたが、知らぬ間にドラマが展開していたようだ。


「あ。ちょっと待って、怪我はもう大丈夫なの?」

「そっちはまったく問題ないですよ。他の連中に比べたら五体満足ですし後遺症も……っと」


 突如口を噤んだアヒムだが、当然理由がある。酒杯をもった壮年の男性が近づいてきたからだ。


「ご歓談中失礼する。もしやファルクラムからいらしたコンラート家のカレン殿だろうか」


 黒髪に白髪を交えた、細面の男性であった。穏やかな風貌だが眼には力があり、礼服を着た細身の身体からはにじみ出る貫禄が備わっている。

 私がカレンだと名乗ると、相好を崩して言った。


「これはこれは、一度お会いしたいと思っていたのです。私はヴィルヘルミナ皇女殿下の第二秘書を務めるレイモン・バイヤール。アルノーの上役を務めているといえばおわかりいただけるだろうか」

「まあ、バイヤール伯様。お噂はかねがね耳にしていました。兄が大変お世話になっていると聞いております」

「世話になっているのはこちらの方だ。貴女のことは彼からよく聞かせてもらっていてね、アヒムが貴女と話しているのをみてもしやと思ったのだ」


 朗らかに話すバイヤール伯にアヒムが目礼する。


「兄が私をどのように声に出しているのか気になるところですが、こうしてバイヤール伯にお会いできたのは幸いでございました。実はヴィルヘルミナ皇女にご挨拶をと思ったのですが、生憎機を逃してしまったようで……」

「一部は参加者が多い関係上ひっきりなしに話しかけられて余裕がないですから、二部の方がゆっくりできていいかもしれませんな。アヒムから一言はいるでしょうが、私からも殿下とアルノーに伝えておきましょう」

「ありがとうございます」

「とんでもない。皇女殿下は外国の風習にも興味をもっておりましてな。ましてアルノーの妹君であればいつでも席に着く用意があるでしょう。無論、貴女に纏わる噂は関係なしにだ。これを伝えねば、私こそ皇女殿下に叱責されるでしょう」


 バイヤール伯は表情がくるくると変わる人だった。皇女の秘書官に就いているのだから相応の身分を携えているはずだが、決して権高ではない自然な品格を持っている。バイヤール伯は兄さんのみならずアヒムの働きぶりや、会ったばかりの私を褒めてくれるのだが、大仰にならない程度の気持ちいい話し方であった。


「あの、こんなことをお尋ねするのは失礼かと存じますが、兄は皆さまとうまくやれているのでしょうか」


 こんなことを質問したのも、この人柄ゆえだったのかもしれない。バイヤール伯はにっこり微笑んだのである。


「彼の登場は皇女殿下にいい意味で変化をもたらしてくれたのです。貴女の兄君は立派に皇女殿下を支えられていることを、どうか知ってもらいたい」

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