128話 特異ゆえの苦悩

「エル」

「なによ」

「今日はね、おばさんからの届け物を渡しに来たのもあるんだけど、本当はもういくらかききたいことがあって訪ねたの。ここなら他の人に話を聞かれる可能性は少ないんでしょう?」


 お行儀は悪いけれど、近くにあった机の上に腰掛けた。空いている椅子は離れていたし、目撃者は彼女だけだから構うまい。

 いつ訊くべきかとずっと迷っていたことがある。


「あんまり妙な話題は止してよね。いまだって一応仕事中で……」

「エルはコンラート襲撃に使われた武器に関わってるよね」


 彼女の方は見れなかったけれど、ピタリと動きを止めたのはわかった。


「なんでそう思うの」

「だって最初に弓の話題を出したのは私よ? エルだって、本当は私が抱いてた疑惑に気付いてたじゃない」

「……言わなかったんだから、察してよ」

「察した。察したから……いままで黙ってた」


 否定ではなく疑問。だったら、答えはそういうことなのだろう。胸につっかえていた棒がパタンと倒れて、静かに息を吐く。

 ……考えなかったわけじゃない。エルが硝子灯といった便利機材を開発していたし、彼女の態度から疑問には感じていた。ただ彼女の返答次第では、私たちのいままでの関係が崩れてしまうかもしれない。それが怖かったから確信も持たず声にするような真似を控えていたけれど、限界を悟ったのは魔法院に続く新たな路を見てからだった。


「知って、どうしたいの」

「それはいまから決める。……賊に、いえ襲撃に関わった賊に武器を渡したのはエル?」

「いいえ。少なくともわたしから渡したわけじゃない」


 想定していた最悪の答えより、いくらかましな部類だったのは、幸いと言うべきだろうか。

 

「どんな風に改良すれば使い勝手が良くなるかは教えた。それがコンラートに使われるのを知ったのはあとになってから。カレンがいるって知ってたら、もういくらか使用を遅らせるくらいはやってた」


 エルは開発者だったというわけだ。本人もいくばくか気まずいのか、怒気はいくらか和らいでいる。

 

「コンラートは城壁が破壊された。魔法と言われていたけど、現代知識がある身だとどうしても、爆発物なんじゃないかって印象が強くなっちゃう。……火薬を作った?」

「やろうと思えばできたけど魔法の方が手早かったから……。でもそうね、それに類する物は作った」

「……コンラートに使われたのね」

「そう、ね。結果は上々だったって聞いた」


 この時、外で盛大な音に伴い建物が振動した。それはコンラートの時の破壊音に類似しており思わず立ち上がったけれど、すかさずエルが「大丈夫」と制したのである。


「院の外には響かないようになってる」

「エル、これは……」

「……実物を使った実験は控えろっていったのに、派手にやったわね」


 どこか他人事のような表情は、助手が言いつけを守らなかったことに対してであって、悲しみの色はない。

 火薬。……それに類するものを作ったと先ほどエルはいった。コンラートが実験台で、今日ここに彼女を必要とするお呼び立てがあったのは、そういうことなんだろう。

 ここでとうとう、私が平静を保つのが難しくなった。半ば頭を抱えるように上体を曲げて、声の代わりに深い息を吐く。

 コンラートに関して言いたいことはある。あるけれど、エルに向かって叫ぶ必要があるものなのかはわからない。この胸にある複雑な感情を言葉にするには幾らか日にちを必要とするだろう。

 だから考えるのは、伝えたいのは、それよりも明確な形になっている別のものだ。

 ……わかっている。

 こと現代の技術をこの世界で利用する点において、私とエルの思想は一致しない。

 彼女は生活を豊かにすることを目標に掲げていて、それはもちろん私だって反対しているわけではない。暮らしが便利になっていくのを否やと言えるはずがない。

 けれど、けれどだ。


「エル。いくらなんでも早すぎるわ」


 声はいくらか掠れてしまった。

 エルという存在が生まれ、シスに見つかった。技術を広める知識がある以上、これは避けられない事態ではある。


「早いことのなにが悪いの」

「性急すぎると言っているの。近代化を図るのなら、せめてもう少し時間をかけて進めないと、なにが起こるかわからない」

「なにがって、なによ」


 例えば発明に関する権利問題。一部はエルが魔法院に技術を渡したと聞いているが、このような問題が他にもあって、ひとり独占状態だとしたら、他の人はさぞ面白くないだろう。若くして長老に抜擢されたのも妬みやっかみの種だ。生活用品だけならまだしも、火薬となれば更なる問題が巡るだろうに。

 この点を指摘すると、エルは否定しなかった。


「あなた一人だけが先を進みすぎてる」


 エルははっきりと不愉快さを露わにした。言い争いは避けられない雰囲気だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 

「帝国にはわたしの知識に追いつけるだけの環境が揃ってるのよ」

「そうね。うちだってあなたの発明の恩恵にあやかってるもの。あなたが栄誉を得るのは開発者だから当然の話だし、文句なんかない」


 友人が遠くに行ってしまうようで寂しい気はするけれど、それがエルの望みだというなら応援したいと願っている。けれど事はそう単純じゃない。

 

「私はね、不安なの」

「……不安? なにがよ」

「あなたが先を進むごとに敵が増えていってる気がしてならない。ねえエル、あなたは私以外に、あなたの隣でその知識を理解してくれる味方はいるの」


 言葉にせずにいられなかったのは、彼女の他者に対する態度と、おばさんが語っていた心配事だ。この世界にとって人知を凌駕した発明の数々をしたからといって、ただ凄い凄いと称え終わる物語じゃない。どう足掻いても人間が絡む世界なのに、エルはひとりぼっちで、誰に振り向くことなく走り続けている。もし誰かが傍にいてくれるならと思っていたけど、先の問いにエルは答えられなかった。

 私は凡人だから、彼女がいくら天才と謳われて他人を凌駕するほどの実力を持っていても、多くの人々を相手に渡り合えるのか疑問に感じてしまう。

 何度でも言うが、生活の向上を駄目とはいわない。異を唱えているのは急激にそれを推し進めるエルの姿勢だ。


「さっきエルは私にどうしたいのと聞いた。私にも教えて。なにをそんなに急いでいるの」


 爆発性物質が生まれた不安は当然大きい。普及してしまえば戦の在り方が変わるだろうし、人も多く死んでいく。だけど先に目を向けるべきは目の前の友だ。

 私には彼女が焦っているように思えてならない。焦り故に孤独にならないかが恐ろしいのだ。


「周りを拒絶するばかりじゃなくて、もっと周りを見ることはできない?」

「……できない。わたしはもっと上り詰めたいし、周りののろま共に合わせて悠長に進むなんてことはできない」

「それじゃ誰もあなたを理解できない」

「……理解はいらない。ここでわたしが欲しいのは、わたしに従ってくれる人だけで……」

「それでやっていけるならいい。けど、そんなので平気でいられるほどエルは強くないでしょう」

「強いわよ、強くなれるもの」


 エルはこちらの言葉などまるで意に介さない。あきれ果てたといわんばかりにかぶりを振った。

 

「もういい。愚図に合わせて落ちるなんてたくさんだもの。わたしは他の連中とは違う」

「エル!」


 だめだ。それはだめなのだ。

 みんなが一を聞いて十を……エルみたいに百を知れるわけじゃない。少しだけでもいいから足元に目を向けないと、道に空いた穴に気付けないことだってあるかもしれない。一人のままでは、いつかエルが孤独になってしまう。人があっさり命を落としてしまう世界なのだ、私だっていつまで――。

 そのときだった。ひたり、とエルの瞳が私を捉える。


「わかったような口を利かないで」

 

 ともすれば呑み込まれてしまいそうな昏い目だった。 


「あんたにはわからない。親に売られて結婚したわけじゃない、好きでもない男の子供を産んで、人間扱いしてもらえなかったあたしとは違う」


 あたし、と彼女は自分を呼んだ。それが、彼女がエルネスタとして生まれる前の呼称なのだろう。身の上はぼんやりときいていたが、憎悪を向けられたのは初めてだった。


「あんたはぬくぬくと過ごして、馬鹿みたいな理由で死んだだけ。あたしみたいに旦那に殴られて死んだわけじゃない。人として生きることも許してもらえなかったあたしの気持ちはわからない。ここでやり直せたのがどれだけ嬉しかったか、あいつらを見返す力があって、どれほど……!」


 それはエルの過去生だ。私には到底想像できない世界で彼女は幸福を知らずに死んで、だからこそ過去を振り払いたい。

 彼女の言っていることはある意味純粋で、ひたむきで一途な感情だ。私は人並みの欲は持っていても、なにがなんでも駆け上りたいという気持ちはなかったし、彼女の激しい憎悪は理解はしてあげられない。

 だから私の回答はこれしかなかった。


「わからないわ。だって私はエルじゃないもの」


 手を取って「わかるわ」と悲しんで、一緒に落ちてあげるのは簡単だけど、寄り添ってはあげられない。

 この一言は、エルにとって拒絶だったのだろう。傷ついたような面差しは普通であれば引き下がる場面かもしれないが、終わらせるつもりはない。いま部屋からでることは、それこそ彼女を傷つけるだけでお終いだ。

 友人の服を掴む。本当は手を掴もうとして逃げられたのだが、鈍い私にしては上出来だ。


「もう話はないわ、帰って」

「だからって会話をしないの? エルを知りたいと思うのも許されない?」


 話をしようと決めたのは後悔からだ。私はよかれと思うばかりで会話を怠り、その結果兄さんと思想の違いを起こした。いま、その繰り返しを起こそうとしている。転生者同士、なにも言わずともわかり合えたならどんなに素敵だっただろうと夢見るけど、やっぱり私たちは別々の人間だ。


「私はエルじゃないし、エルも私じゃない。エルも私の全部を知らなくて、だからお互いを知るために口があって、声があるんでしょう。話してくれなきゃなにもかもは伝わらない」


 全てを話せとはいわない。せめて少しずつでもいいから、足を止めて周囲を見るための余裕をもってもらいたいのだ。


「私に優しくしてくれるみたいに、ほんの少しだけでもいいから、その気持ちを他の人に分けてあげて。ここはもうエルを傷つけるばかりの場所じゃないんだから」


 感情はもう支離滅裂。コンラートとエルの考えを聞くだけのつもりが、思いがけず口論に発展しかけて、そして終息を見せようとしている。

 ……正直、私が言い負かされるかもと考えていたから、エルから目を背けたのは意外だった。

 

「もし、もしも、わたしを理解したいっていうのならさ」

「うん」

「今後なにがあっても、わたしを天才と呼ぶのはやめて」

「わかった」


 泣いているわけではなさそうだが、酷く疲れている様子であった。


「……今日はもう話す気が失せた。会議が終わる前に帰って」

「わかった。仕事が終わったら帰ってくる?」

「…………たぶん」


 今日明日で解決する問題でもないだろう。顔を見せないように先を行くエルが部屋を出て、その後ろを私が追いかけた。廊下で待っているはずのジェフの姿はどこにもなく、もしかしたら待合室かもしれないと歩くのだが……。

  

「カレン」

「なに?」

「皆は……親や周りはわたしを天才と言うけど」

「うん」

「わたしは天才なんかじゃない。向こうであったものをこちらで模倣しているだけで、なにもかも自分で考えたものじゃ――」

 

 いつもの自信たっぷりの様子とは違い声は小さく、どこか苦しげだ。そこに存在していたのはエルにしかわかり得ない苦悩であり、私は初めてそれを耳にすることができたのだ。そのために一言一句逃すまいと耳を立てたのだけれど、その努力は虚しく終わった。


「おんや、みろよテディ。センセが出てきやがった」

「え、あ、本当だ!」


 曲がり角の向こうから、エルの助手である二人組が大きく手を振っていたのである。ほんの少し曲がっていたエルの背が真っ直ぐになり、気が張り詰めたのが後ろ姿でもわかってしまった。

 つかつかと助手達に歩み寄ったエルは不機嫌そうに二人に話しかけたのである。テディさんは緊張に体を強ばらせたが、サミュエルさんは堂々としたものだ。


「あんたら、会議はどうしたの」

「会議ですか。いや、結果はすでにたたき出してましたし? 話すことなさすぎて終わりましたよ?」

「はあ?」

「ハァ、と言われても俺らにゃどうしようもないですし。文句なら直接他の連中に言ってくださいよ。ぺーぺーの研究員なんかにどうこうできる権限なんてありゃしねーんで」

「サミュエル! お前言葉遣いを改めろって何度言ったらわかるんだ!」

「へいへいすみません俺が悪ぅごさいました。これで満足か? んじゃ終わりな……っと、ほら、噂をすればだ」


 ほれ、とサミュエルさんが後ろを振り返る。長い廊下の向こう側には誰もいなかったのだが、彼が振り返った矢先、ちょうど姿を見せたのは見覚えのある人物だ。

 並んで歩いていたようだが、それぞれが「おや」と言いたげである。片方は不快げに、片方は興味深げにだ。特に後者の方など笑顔になると、こちらめがけて歩いてくるから始末に負えない。


「これはカレン殿、魔法院でお会いできるとはなんと奇遇な」


 こんなところでリューベックさんに会うなんて完全に想定外。

 ちょっと前者の方。モーリッツさん助けて! あ、無視しようとしないで、こっちに声かけて!!

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