129話 エルの疑問

 私のこと明らかに気付いているのに無視して帰ろうとするモーリッツさん。逃がすわけにはいかないと声を張り上げた。


「モーリッツさん! こちらにいらしてたんですねっ。あっリューベックさんすみません、私モーリッツさんに用事があるのでこれで失礼しますね」


 エルの手を引っ張り、ほとんど早足でモーリッツさんの方に向かうのだが、なんとこちらに振り返ることなく歩いて去ろうとするのである。逃げ切る構えなのかもしれないが、そうはいくものか。エルは大人しくついてきてくれるし、戸惑う補佐官さんたちを突破して、ここぞとばかりに話しかけた。


「モーリッツさんが魔法院に来ることなんてあるんですね。意外なところでお見かけしたから、びっくりしてしまいました」

「……なにか御用か、コンラート夫人」

「やだ、用というほどではないのですけど、知った顔を見かけて無視するなんてできなくて。しかもそれがモーリッツさんなんですから、なおさらです」


 チラリとこちらを振り返った表情は不機嫌そうだが、この人は大体がこんな感じである。いまに限っては裏のない、みたままの感情なのだろうけど、怖じ気づく必要はない。様々裏はあるかもしれないが、なんだかんだでこの人のことは結構好きなのである。

 

「私は用などない。雑談目当てならばリューベック副長がよろしかろう」

「今度一緒にお出かけするじゃないですか。そのことについてとか……」

「ほう、アーベライン殿はカレン殿と親しくていらっしゃる」


 リューベックさんが追いついてきた。なぜ諦めてくれないのか、固まった笑顔で「ええまあ」とお茶を濁すのだけれど、明らかにモーリッツさん側からの雰囲気が変わった。


「親しくなどない。仕事上夫人とは顔合わせをしなくてはならないだけだ」

「そうでしたか。彼女が貴殿をみるなり去ってしまったので、軽く嫉妬してしまいました」

「リューベック副長は邪推が好きとお見受けするが、些か失礼ではないかね」

「邪推などと、とんでもない。アーベライン殿を羨ましいと言ったのですよ。私など未だ名前ですら呼んでもらえないというのに、貴殿は親しげに名を口にしてもらえるではありませんか」

「苦情ならば夫人に言われるとよろしかろう。私の関与するところではない」


 振り返らないモーリッツさん。それを追う私と、私に引っ張られるエルの後ろからにこにこ顔のリューベックさん。全員して入り口まで一直線なのだが、ひたすら友好的なリューベックさんに対し、モーリッツさんは素っ気ない返事を返すばかりだ。それぞれのお付きの方がどこか諦めているような雰囲気を見受けるのは、もしかしたら私と遭遇するまで、ずっとこんな風に話していたのかもしれない。どこまでも冷たいライナルトの補佐官に食いつく副長の姿は、穿った角度で見ればひたむきと呼べないこともないだろう。

 モーリッツさんは断固否定するだろうが二人で盛り上がっているし、途中で離脱してしまおうかと思ったのだけど、道中でジェフを見つけてしまい逃げるわけにもいかなくなった。それというのも、ジェフが相手をしていた相手が私にとって見過ごせない人だったためである。これで堂々とリューベックさんから離れる口実ができたわけである。


「――ご歓談を邪魔してなんですが、知り合いがいましたのでここで失礼しますね」

「歓談……?」


 エルの呟きはともかく、彼らに断って場を離れる。すると向こうも私に気付いたようで、淡い笑顔と共に迎え入れてくれた。


「兄さん」

「カレン。……久しぶりだね」

「兄さんがここにいるなんて思いもしませんでした」

「それは私の台詞だよ。……いや、違うな。勝手に彼を借りて済すまなかった。断じて妙なことは聞いてないから、そこは信用してもらえると嬉しいよ」

「付いていったのは自分ですので」


 ジェフがぽつりと補足する相手は、ヴィルヘルミナ皇女第二秘書官補佐となった兄さんである。皇女派の人が来ているとエルはいっていたが、兄さんとは予想外だった。エルもこのことは知らなかったようで、意外そうではあったが挨拶をかわしている。


「皇都での噂は聞いている。だが貴女に対しては皇都で活躍される話よりも、長らく妹が世話になっていたという印象が強くてね。挨拶が遅くなって申し訳ない」

「いえ、わたしも……カレンには仲良くしてもらってますから」


 マリーが話していたように、いまの兄さんの態度には余裕が生まれている。血色も良いようだし、少なくとも心情的には順風満帆のようだ。軽く話を聞いてみると、どうやら他の方のお付きで同行したようで会議に参加したわけではないらしい。私が来ていると小耳に挟み会おうとしたわけだが、エルと話し込んでいると知るとジェフを呼んだらしかった。


「アヒムはいないの?」

「今日は別件で離れているよ。お前を気にしていたから残念だ」

 

 積もる話はあるけれど、いまはつかの間の再会だ。兄さんも一人ではないし、話し込んでは向こうに迷惑が掛かるだろう。

 

「兄さん、ごめんなさい。会えてとても嬉しいのだけど、ここでは……」

「ああ、少しだけでも顔が見れて安心した。気をつけて帰りなさい。それとエミールにも勉強をしっかりしなさいと伝えてくれ」

「伝えておきます。最近気が緩んでるみたいだからちょうどいいかも」

「ゲルダの方ももうそろそろだ。変化があったら伝えるよ」

「楽しみにしてる」


 久しぶりの再会だったからか、子供の頃にそうしたように頭を撫でられた。あたたかい手の平が頭から頬へと流れていく感触はくすぐったく、そして悪い気分ではない。お互いいまなら話し合いもできそうだが、向こうはどう思っているだろうか。


「……カレン、ちょっとお兄さん借りてもいい?」

「え? あ、うん、兄さんがいいならどうぞ」

「キルステン卿は如何です。時間がないようでしたら、後日改めてお伺いしたいのですが」

「貴女のご要望ならばいくらでも都合をつけましょう。他の方も否とはいわないでしょうからね」

「個人的な用事なので、そう気負われずとも大丈夫です。それじゃあちょっと向こうで話しましょう。……カレン、送れなくて悪いけどここで」

「気にしないで。……またね」

「……ん」


 エルはなにを思ったのだろうか。突然の指名に兄さんや他の方々も吃驚状態だが、個人的、と言えど魔法院長老のご指名を断る選択はないようだ。

 つまりここでエルとはお別れ。

 リューベックさんたちに遭遇するまでの空気はどこへやら、なんだか複雑な気持ちでいっぱいだが、文句はいっていられない。兄さんと別れると、なるべくゆっくりと玄関口に向かったわけだが、すでにモーリッツさんの姿はなかった。代わりにいたのは、馬を待機させた騎士然とした美丈夫である。

 彼を無視するのは、当然できない相談である。笑顔が強ばるのを自覚しつつ挨拶する他ない。


「リューベックさん、慌ただしくてごめんなさい。まさかここでお会いするとは思わなくて、つい驚いてしまい失礼な態度を」

「ああ、ご婦人にはよくあることですね。気にしていませんよ。それよりここでお待ちしていたのは他でもありません。もしお時間がおありのようなら食事でもどうかと思ったのですが」


 ここは私が先手を打つことができた。彼が待機していた時点で若干予想できていたためである。

  

「申し訳ないですけれど、これからどうしても外せない用事がございまして、食事は遠慮させていただきます」

「それは残念だ。ではどうぞ気をつけて。陛下の誕生祭にてお会いできるのを楽しみにしています」

「そ、そうですね。仕立屋のお礼も改めてそのときに……」

「礼でしたら、どうぞ当日は一曲お付き合いください。貴女とは一度語らいたいと思っていたのです」


 地雷踏みましたねわかります。

 当日は逃げ回らねばなるまいと心に誓うのだけれど、ここは笑顔で濁すだけにしておく。彼から害を加えられたわけではないので、露骨に嫌うのも悪いかなという気持ちもあったからだ。

 彼は馬で帰るようで、騎乗した後ろ姿は正しく騎士様なのだけれど……やはり直接対峙していた際の違和感は心に残る。


「……どうにもあの方は苦手」

「珍しいですね。カレン様は誰とでも差し支えなくお付き合いされると思っていました」

「笑顔は得意な方なんだけど、リューベックさんだと、どうしても強ばっちゃうのよね」

「鍛えるしかありませんね。それよりも、私の口から申し上げにくいのですが、謝罪ばかり口にされるのは気をつけられた方がよろしい」

「……気をつけます。注意助かるわ、ありがとう」


 よく言えば愛想が良い、悪く言えば優柔不断。このあたりは日本人気質だろうか。時間が経った今となっては、日本人なんて言葉も自信を持って言えなくなってきているけれど……。まったく、謝罪癖が再発してきている。アヒムにも言われていたから気をつけないと。

 馬車に乗り込むと、ジェフはあの場から離れた理由を改めて説明した上で、兄さんとなにを話していたか教えてくれた。どうやら本当に私とエミールの様子を確認していただけらしく、元気だと聞くとほっとした表情を見せたようだ。バーレ家の名は一度口にしたが、自身から質問を止めにしたようである。


「バーレの名を出せば秘書官補佐としての立場が出てくるからでしょうね。カレン様がここに来たのは本当に予想外だったのでしょう。本日は単純に様子見といった具合です」

「そう……」

「カレン様の方こそ大丈夫でしたか」

「私? え、どうしたの急に」

「エル様と何かあったのでは」


 ――……。

 時々忘れそうになるが、ジェフは元王子付きだっただけあって、人の感情を読むのに長けている。ただ彼の場合は話を聞き出そうというのではなく、必要であれば話し相手になるというだけ。「なんでもない」といえば放っておいてくれるし、実際この時も詮索はしてこなかった。

 助手さん達の遭遇やリューベックさんの出現でごたついてしまったが、エルとあんな話をしてしまって――。


「カレン様」

「はいっ!」

「馬車を止めます」


 御者に合図を送ると馬車が止まるのだが、立ち上がったジェフがある方角を指さした。ある一画に馬車が止まっているのだが、開け放しの扉の前に見覚えのある軍人が立っている。

 モーリッツさんの部下だ。魔法院でも彼のお付きとして傍らを歩いていた。

 すでにこちらに注目していた男性が目礼すると、馬車の中へ視線を送る。中に入れという合図に従い入らせてもらうと、中では案の定モーリッツ・アーベライン氏が待機済みである。私の登場と共に読んでいた本を傍らに置いたのだが、見間違いなければ巷で人気の冒険活劇のはずである。

 

「私に用はないとお伺いしたのですが」

「あれの前で話したいかね。見間違いでなければ、私に助けを求めていたようだが」

「……モーリッツさんのご配慮に感謝します」

 

 あれ、とは勿論リューベックさんのことである。向かいに座っても馬車の扉が閉じる気配はなかったし、また外に人通りはない。


「バーレ家のお話でしょうか。それでしたら、こちらはいつでも対応できますけれど」

「そうではない」

「では、なんの御用でしょう?」

「コンラート夫人、君は踊れるようになったのかね」


 次の言葉を紡ぐのに失敗した。

 どこからだ。何処から漏れたその情報は。もしかしてエレナさん? それとも意外に仲良しっぽい旦那さんの方?

 神経質そうなつり目がじろりとこちらを睨めつける。眉が短いせいか、初対面の人は威圧されてしまうだろう。慣れてしまえばどうということはないが、慣れるまでが大変そうだと改めて思い知らされる。


「バダンテール氏に依頼するつもりのようだが、もしもの場合はと殿下に託されたのでな。私にとっては如何ほどに下らん理由でも、殿下が気にかけるのであれば対処せねばなるまい。そのつもりがあるのなら早めに調整してくれたまえ」


 ライナルトだったかぁ……。

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