119話 教える人には恵まれている

 悲鳴を聞きつけたジェフが飛び込むのと、私の叫びは同時だった。


「シス!?」

「やぁ、こんにちは……うわぁ、犬!!」


 ジェフはシスを見るなり警戒を解いたけど、ジェフを追ってきたらしいジルを見るなり、今度はシスがぎゃあ! と叫び出す。


「ちょ、ちょっと犬、犬はあっちにやっておくれよ! 犬は駄目なんだって!」


 言うなり浮いて飛び退くし、ジルは毛を逆立ててシスにわんわん吠えまくるし、場は混乱を極めている。


「あっエル……」


 それにエルはシスを蛇蝎の如く嫌っているはずだ。以前のことを思いだし、更なる騒動の発生を止めるべくエルを止めようとしたのだが、意外にも彼女は落ち着いている。それどころか、ちょっと唇を尖らせて髪の先端を摘まんで弄るだけで、文句はひとつも出てこなかった。


「……エル?」


 どこか微笑ましく、可愛らしいとさえ感じる仕草。エルのこんな姿を見るのは初めてのような気がしてつい声をかけると「なに」とぶっきらぼうな返事だ。


「えっと、シスがいるけど、いい?」

「別に。……ここで騒ぐほど間抜けじゃないわよ。ほら、ジルを落ち着かせてあげなさいよ、興奮しっぱなしで可哀想でしょ」

「さっすがエル、私のことをよくわかって……」

「ジルが可哀想だからね!」


 ……なんだろう、エルの様子がおかしい。いつになく落ち着かない様子だし、シスの方を見ようとしないし。でも……あ、いや、それどころじゃない。

 ジルが鳴き止まないせいか、ジェフがジルを抱えて出ていくとシスも一安心したようで、そこですかさず腕をとっ捕まえた。


「シス、なんか皇帝から誕生祭の招待状が来たの! なんで!!??」

「あー……そうなの?」

「そうなの? じゃなくて……!」

「ヤツの行動なんていちいち観察してないよ気持ち悪い。君が対象になったのは……大方いつもの気まぐれじゃあないか。可哀想に」

「そういうのはいいから、お願いだからなにか知ってることがあれば教えてもらえないかしら」

「知らないよ。いちいちあんなのを見てたら気分が悪いだろ。というか、だ」


シスは器用にも宙に浮いたまま横になる。まるでそこに寝台があるかのように転がると、目線を合わせながら尋ねたのだ。


「お嬢さん、もしかしてと思うがカールのやることなすこと全てに理由があるなんて考えてるのかい」

「……違うの?」

「違うね。あいつは天性の気まぐれやで、傲慢で、他に類を見ない性悪だ。平民だろうが貴族だろうが気が向けばなんだって与えるし、同じように好きなだけ奪う。あいつなりの理由はあっても、基準が理解できるやつは同じような頭のおかしいやつでしかない」

「カレン、同意するのはなんだけどカール皇帝に関してはわたしも同感」

「……エルまで」

「君は後宮のど真ん中で歌わされたんだっけか。ひとりで伴奏もなしに大声で」


 なにその嫌がらせ。シスの言葉にエルは苦々しそうに顔を背ける。

 

「やめて、思い出したくもない」

「いいじゃないか、それですむなら可愛いもんだ。それにあそこにいる連中は君が歌おうが踊ろうがどうも思っちゃいない。一度で済んだのならなによりさ」

「そういう問題じゃない、忘れたいの」


 つまるところ、彼ら曰く「皇帝の行動に理由を求めるな」である。嘘を言っている様子もないし、これ以上はエルが本当につらそうなのでよしておこう。

 ところでどうして名前を呼んだら現れたのだろうか。この質問には、難なく答えられた。


「別に、こっち方面を見てたら名前を呼ばれたから」


 シスのことだから、見てた、はただの見てたじゃないんだろうなあ。

 ともあれシスからはなにも聞き出せそうにない。結局、面白がるヤツを一人呼び込んでしまっただけだ。


「とりあえず事情を話してみなよ。面白そうならいくらか協力してあげよう」

「それはいいんだけど……」


 思い出したけれど、ウェイトリーさんはシスのことを詳しく知らないのだ。そのせいで宙に浮いて自由気ままに振る舞うシスの動向を注意深く観察している。


「ウェイトリーさん、しばらく席を外していただけますか。少し大事な話があるので」

「……かしこまりました。では、なにかあればお知らせください」


 エルは……どうだろう。目配せすると軽い調子で肩をすくめられた。


「知ってるから大丈夫。……というか、カレンがそこまで知ってたことの方がびっくり」

「君たち友達なんだろ。その辺話してなかったのかい」

「だからってあんなこと簡単に話せるかー!」


 ここでようやく、私とエルの情報共有が果たせたのである。で、やはりというか、エルはシスのことを全部知っていた。予想を超えたのは、皇帝の許可を得て『目の塔』に立ち入っていたことだ。簡単に入れる場所じゃないってきいてたから、つい……。


「院の上部層は早いところ箱を修復しろってせっつかれてるし、大体この件で頭を悩ませてるからね。わたしはこっちにきてすぐに見せられた」

「そんなに早い段階で?」

「おやぁ、カレンお嬢さんは知らない?」

「知らないって?」

「…………シス」


 エルの声音が低くなる。私には向けられたことのない重圧は見ているだけでも黙り込んでしまいそうだけど、シスはそんなことおかまいなしだ。


「院は上に立つ特別な魔法使いに長老の称号を授けてる。普通は年期を経た特別な人物しか長老になれない所を、エルは史上最年少で長老入りを果たした」

「聞いたことなかったけど!?」

「公にさせてないの! 面倒でしょ!」

「異例の昇格だからね。帝都育ちじゃない上に、使えないやつは上司だろうと遇しない性格だ。院内派閥を嫌がってる上に、どこにいっても立場を奪われるんじゃないかって目の敵にされてる。エルに強力な後ろ盾をつけたくないのさ」

「あんたに性格がどうだの言われたくないんだけど!」


 実際、これまでに複数の魔法使いを蹴落としているのだとシスは語る。

 ああもう、それなら完全に合点がいった。敵が多すぎて困るから、両親を守るためにうちにきたのか。それにしたって水くさい、エルが昇格したのならお祝いだってしていたのに。


「話してくれたらよかったのに、その様子じゃお祝いとかなにもしてないんでしょ。嬉しくないってわけじゃなさそうだし、ぱーっとやりましょうよ」

「……だって」

「だって?」


 エルは不貞腐れたように顔を背ける。

 

「……話して、態度が変わったら嫌じゃない」

「やだ、エルが素直」


 え、うそ、なにその理由。帝都にきてからこちら、色々あったのか捻くれて憎まれ口ばっかりのエルが途端にとっても可愛く見えてきた。堪らず抱きしめるとぎゃあぎゃあ騒ぎ出すけれど、こうなってはただただ素直じゃないの一言である。


「いずれ宮廷付きも近いと噂されている期待の星、まさに栄華の道だ。ライナルトといい、カレンお嬢さんはお友達に恵まれてるね」


 シスが言うと褒めてるのか嫌みなのか判断がつきかねるが、ここは素直に礼をいっておこう。どうも彼相手に真面目になるだけ無駄な気がするからだ。エルはこの話題を引きずるのが嫌だったのか、頬を赤くしながら話を切り替えだした。


「とりあえず二部の出席は決定としてさ。わたしも出ることになってるし、二人で行けば問題ないでしょ」

「あ、エルも出るんだ。だったら心強いけど……付添はどうしよう。エルは決まってる?」

「付添?」

「出席には必要じゃないの?」

「そりゃ夫婦だったら必須だけど、カレンは寡婦でしょ。人除けが欲しいならいるに越したことはないけど、基本的には連れていなくても問題ない」


 詳しく聞いてみると、どうやらファルクラムとはいくらか事情が違うようだ。独身なら単身参加も問題ないようで、その点一安心である。


「付添に選ばれたら堂々と二部に参加できるわけだし、あわよくばと狙ってお誘いはあるだろうけど、断れば問題ないでしょ。大体皇帝からのお誘いって話なら、上になるほどよほどの馬鹿じゃないと同行を申し出ない。下心じゃなくて、純粋な親切心とやらで受けたお誘いなら特にね」

「あれ? なんだ、カールの愛妾候補として呼ばれたんじゃないの」

「違う!」

「違う、馬鹿!」


 私とエルの声が重なった。冗談でも聞きたくない話だ。


「なんだ。最近妾が二人減ったから補填かと思った。それなら面白くなると思ったのに、がっかりだ」


 本当にこの人外は……。けれど、彼にまで性悪と言わしめる皇帝はどれほどなのだろう。

 しかし実父問題といい、色々ありすぎて事態の収拾が付かなくなってきた。そしてなによりエルに話を聞くにつれて、先ほどから頭の中を占めている、とある問題が焦りを加速させる。


「ああ、もう誤魔化しきれないか……」

 

 そう、以前はライナルトのおかげで逃げきれたけれど、私は踊れない。

 黙っているのは無理。なんだかエルとシスがじゃれだしたので、ウェイトリーさんを呼び戻すと素直に説明したのだが、これにはエル共々はっきりと呆れられてしまった。ひとり腹を抱えて笑っているのはシスで彼は相変わらず浮いているけど、ウェイトリーさんは賢明にも突っ込まないようだ。


「なんと……まさか踊れないとは……」

「いまからきっちり詰めて練習して……間に合うでしょうか……」

「マルティナが宮廷で通用する踊りを履修してれば良いのですが……。来月とはいえ日が足りませんな。これより衣装合わせといった準備もございます。仕事は肩代わりできますが、西ブルハーンとの商談だけは顔を出していただかなくてはなりません。厳しいですがやるしかないでしょう」

「はい、すみません……」

「謝られるのでしたら、宮廷での作法を予習しておいてくださいませ。ファルクラムとはいくらか事情が異なってくるでしょう」


 申し訳ない……。ウェイトリーさんが頭を悩ませていると、横からエルが口を挟んでくるのだけれど、流石は私の友人。痛いところをズバリと言い当ててくる。

 

「……カレンさぁ、見ていて不安になるくらい運動駄目じゃない? 音楽と相手に合わせて踊るなんて芸当できるの?」

「運動駄目って、走るのくらいできますけど! そこまで言う!?」

「言う。大体走るのと踊るのは全然違うし、即席でできるなんてもんじゃないでしょ。自覚があるから不安そうなんじゃない」

「れ、練習すればなんとか……」

「……大丈夫かなぁ」


 お願いだから不安そうにしないで、肝心の本人が一番不安なんだから……。よりによって一番誤魔化しがきかないところでこんなことになるなんて、誰が予想できたのか。


「明日マルティナが顔を出します。その際に確認するとして、練習相手はわたくしも務められますが、一番はジェフでしょう」

「お、なに、ごつい見た目と違って振るまいがお上品だなと思ってたけど、あの謎兜さん踊れるの?」

「ジェフはあれで様々なことに精通してございます、エル様」

「へー……意外」


 感心しているエルはさておき、ウェイトリーさんはどんどん予定をくみ上げているようだ。毎度ながら頼りになるのだけれど、明日からスパルタが待ち受けていると思うと非常に恐ろしい。


「はいはい。カールに悟られない範囲で私も付き合ってあげるよ。これでも教えるのは上手い方だから安心してくれていいとも。ついでに隣の夫妻も声をかけるといい。ヘリングやエレナも一通り踊れるはずだ」


 この際頼れるものはなんでも頼りたい。シスは面白がっているのもありそうだが、報酬に食事を要求してきたので真面目に教える気はありそうだ。シスの場合はただで手伝ってあげる! といわれるよりは気が楽だ。

 エルも「ふぅん」と呟くと、控えめに片手を挙げた。

 

「……じゃあわたしも不安だし付き合う」

「君はそろそろ院に詰めなきゃならないんじゃなかっ……」

「家でも仕事はできるし、必要なのは助手に届けさせるわよ! わたしだって足運びとか確認したいし!」

「それより、エルは踊れたんだ……」

「練習したんじゃないか。彼女、大体なんでもできるからね。そりゃ長老達に疎まれるってものさ」

 

 エルの場合は他の理由を含んでいそうだ。というか、さっきからエルの様子をみていると……もしかしてと、ある予感が湧き上がってくる。

 練習計画もみるみるうちに練られていって、当日の夜にはエレナさん達の快諾も得られたのだけど、練習にあたってニーカさんも参加させてくれとお願いされた。どうやらニーカさん、今回は招待者として参加するらしいのだ。いままでもお声が掛かっていたらしいが、なんと彼女、言い逃れしては遠方に馬を走らせ、参加を躱し続けた猛者だったようである。


「殿下がこっちに戻ってきちゃったから、逃げることができなくなっちゃったんですよね。だから先輩も練習しなきゃいけないんですけど、練習に付き合ってもかかとが高い、歩きにくい! って怒ってばっかりで……」

 

 なんて親近感を覚える人だろう。

 彼女ほどの人が踊れなかった事実が意外だけれど、仲間が増えて嬉しいのは事実。相談したマルティナには来月の誕生祭出席をひどく驚かれたものの、基本的な動きであれば教えられるはずだと了解を得られた。ウェイトリーさん、マルティナ、ヘリングさんにエレナさん。すでに踊れるエルに、自称教え上手のシスがいればなんとかなるはずだ。

 練習当日になると一階食堂のテーブル類を片付けて場所を作ったのだけど、エレナさん達がニーカさんを連れてくるまでの間、ウェイトリーさんが持ってきた書類片手にやらねばならないことを頭の中で指折り数えている。

 ただでさえライナルトとヴィルヘルミナ皇女の対立でキルステンとの仲も不安なのに、大雑把に分類しても西ブルハーン商会との契約とこれにともなう諸々、バーレ家との会談に、カール皇帝の誕生会と衣装合わせが割り込んだ。

 いまは合間に練習して……とにかく直近でやることが多すぎる。他に忘れていることはないだろうか、なにか絶対抜けている気がするのだけれど……。そんなとき、ばたばたと廊下を駆けて人が飛び込んでくる。

 

「大変です!!」

「今度はなにー!?」


 叫んだのはハンフリーだ。後ろからヒルさんが顔を覗かせるが、どちらも焦りを隠せていない。


「ファルクラムから届く予定の荷が……!」

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