118話 不可解な好意

 良いことも悪いことも含め、違和感は数日前から始まっていた。

 前者から始めていこう。まずエルが我が家に泊まりに来た。しかも大荷物を抱えてやってきたのには吃驚したが、生活費を入れると言ってくれたので問題はない。どうやらうちから院に通うらしく、泊まりというより宿舎扱いのような気もするが、それはそれで構わない。うちの使用人さん達に了解をとってみたけれど、エルのことを話すと速攻オッケーだったからだ。それというのもエルの引越祝い、陽の届かない地下と階段に置いたから受けが良かったからなんだよね。


「実家はどうしたの、近くに住んでるんでしょ。お父さんとお母さん心配してない?」

「近所のおばちゃんみたいなこと言うね」

「心配しただけなのに……」


 エルが両親大好きだから気になったのだ。喧嘩でもしたのかと聞くと、違う、と首を振られた。


「お世話になるから話すけど、いまでっかい案件とかを抱えてるから帰りたくないの。……あと、これは他言無用よ? 院に入ってからは、周りには両親と不仲だって話してある、だからうちの親のことは周りにいわないで」

「なんでそんな面倒なことを……」

「わたし相手に、うちの両親に利用価値があるって知られたくない。連中に弱みは見せたくないの」

「そんなに警戒しなきゃいけない相手なの?」

「当然、院は派閥の嵐みたいなもんよ。自己顕示欲の塊みたいな連中だし、わたしの足を引っ張りたい連中なんてそこら中に転がってる」

「……その理屈でいうと私は?」

「あんたはまだ大丈夫よ。周りの連中がしっかりしてるし、やっぱり平民と貴族じゃ手の出しやすさが違う。迷惑はかけるけど、その分は守ってあげるから」


 頼もしい言葉である。

 ……断る理由もないから拒否することなんてないんだけどさ。

 ところで「でっかい案件」とはどんな仕事なのだろう。以前ぼかされた内容含め、機密事項は承知の上で聞いてみるとなんとも言えない微妙な顔をされた。


「近々誤魔化せなくなるだろうから……いずれ話すけど、いまは言えない」

「ん、じゃあ待ってる。話せるようになったら教えてね」

「……ごめん」


 キルステンに戻って以降、エルとは距離が空いてしまっていた。だから頼ってくれるのも、近くにいてくれるのも嬉しい。

 ……だって私、友達が少ないからね!

 最近はお隣のエレナさんやヘリングさんが訪ねてくれるようになったから、増えた方ではあるんだけど!

 それとエルだけれど、もうライナルトの所属ではなくなったらしい。院に入るに当たってなにかあったらしいが、とにかく命令を聞かなければならない立場ではなくなったそうだ。なら前回のモーリッツさんの言葉はなんだったのかというと、付き合い自体は継続しているので色々取引しているようである。


「あんたが思っている以上に偉くなったのよ」


 などと供述しているので、エルが言うからには本当にお偉いさんの立場なのだろう。これに伴い、部屋に設置した金庫には絶対触れるなと厳命されている。

 さて、悪い方……嫌だけれど、悪い方のお話だ。

 こちらはまず変な予兆から始まった。

 エルだけれど、院に出社時間というのはないようで、私も仕事がなかったのをいいことに、この日は二人でだらだら過ごしていた。文字通りだらだらである。お互いだらしない格好で寝台や長椅子に横たわって本を読んだり、適当にお菓子を摘まんだりとまさに夢の好き放題。罪悪感すら伴いそうな時間の中、突然扉をノックされたのである。


「カレン様、大変です」


 ウェイトリーさんの声音が慌てている。着替えて下に降りたのだが、興味本位でエルもついてきた。「どの立場でもないから他言はしない」という約束を取り付けてあるので、そのあたりは大丈夫だし、ウェイトリーさんも咎める様子はない。それよりもいつになく焦っている様子で、席に着くなり開口一番で伝えられた。


「フゴ商会が潰れました」

「はい?」


 まさかの出来事に素で聞き返していた。エルが不思議そうな顔で首を傾げる。


「フゴ商会って、帝都でも有数の商家じゃなかったっけ」

「左様でございます。本来潰れるはずのない大手商会であり、コンラートも一枚噛ませてもらう予定の相手でした」

「ありゃ……そいつは市場が荒れそう」

「半日にして、すでに混乱の様子を見せております。それでカレン様、貿易の件も流れたことになるのですが……」

「……はい」


 フゴ商会とは以前ウェイトリーさんと話していた、ファルクラムと帝国間で香辛料を貿易するに当たって、すでに手を打たれていた商会だ。向こうとこちらの利害が一致して、ちょうど契約書を交わした直後である。幸いお金のやりとりはまだ発生していなかったし、香辛料も動かしていない。なので損害はゼロに等しくはあるのだけれど……。


「ちょっと待って、なんであんな大手が一気に潰れるんですか。それこそあり得ないでしょう」

「それがどうも、責任者である会長に反逆罪の疑いが掛かったようで……証拠も見つかったと」

「後継は!? いたでしょう、副会長のウラール氏が」

「同罪により家族共々……会計士といった重役はすでに収監されたか、逃げたとも……」

「……どうにもならないの?」

「反逆罪の疑いだけならともかく、収監されたとなれば……それに目撃情報によると、帝都騎士団第一隊が動いたとの話があります」

「あ、そりゃ無理ね。皇帝に盲目的に忠誠を誓って自我なんて感じないような連中だ」

「エル様の仰るとおり、噂の真偽がどちらであろうとも、皇帝陛下の命である以上難しいでしょう」

 

 動いたのはヴィルヘルミナ皇女やライナルト傘下の者ではなく、皇帝直属の特別忠誠の厚い一団であるという。フゴ商会は砂漠を越えた向こう側の国に薬物や武器を不正に卸し、あまつさえ反政府組織に武器を売ったということで、それが罪に問われたようだ。現在砂漠向こうの国とは仲が悪いし、皇帝に目を付けられた以上、復活の目はないだろうとの見解だ。

 けれど本当の問題はここから。事態の混迷は更に広がりを見せるのである。

 フゴ商会は残念だが、ここで市場と同じように騒いでいるわけにはいかなかった。お金に不自由してるわけではないけど、やっぱり厳しいものは厳しいのだ。


「また新しい取引先を見つけないと……。いえ、それよりは自分たちで開拓するべき? どう思います、ウェイトリーさん」


 ここまでが昼過ぎの話。

 翌日の夕方になると新たな報告を持って、ウェイトリーさんすら困惑を隠せずに現れた。


「フゴ商会の計画していた取引類ですが、別の商会が同じ計画を進めていたようで、すでにあちこちに声が掛かっております」

「……たった一日で? いえ、それはともかく痛いですね」


 そうなるとコンラートの介入は相当難しくなるだろう。ただ、あまりに都合良く別の商会が動いていたのは気になるが……。


「それで、その貿易を担う中心の商家や人物なのですが……」

「……どこかにお会いできるようないい伝手はありそうですか?」

「いえ、そうではなく」


 珍しくウェイトリーさんの歯切れが悪い。本人も未だ信じられないといった様子で、重々しく口を開いたのである。


「……当家の名が連なっています」

「そう、ではそのお家に面か…………」


 ん?


「ウェイトリーさん、いまなんておっしゃいました」

「帝都とファルクラム間で行われる巨大貿易を担う事業計画に、すでにコンラートの名が連なっております」


 理解に十秒と少しを要した。

 言葉の意味をうまく飲み込めなかったのだ。


「ウェイトリーさん?」

「はい」

「その、新しく香辛料貿易を担う商会はなんてお名前?」

「西ブルハーン商会でございます」

「そちらも大手よね。フゴ商会と並ぶほどの、いえそれよりも大きな」

「左様です」

「面識はなかったわよね?」

「まったく、ちっとも、一切ございません。亡き旦那様とのお取引も、わたくしの知る限りはありませんでした」

「何故?」

「…………わかりません」

「なにかの見間違いという線は……」

「五度見ほどさせていただいた上で、西ブルハーン商会にも問い合わせました。間違いではございません。その上で、近々カレン様とお会いしたいとも会長直々にお言葉をいただいております」

「は――?」


 なんで?


「念の為、わたくしもお尋ねしますが、カレン様。どこかでブルハーン商会と縁を作ったといった覚えはございませんか」

「ない、ないです! そんな縁があったらとっくに話してます!」


 お手上げである。私やウェイトリーさんではさっぱり理解が追いつかないので、ヴェンデルやエミール、挙げ句は使用人さん達にまでブルハーン商会に知り合いがいなかったかを確認したが、全員お手上げだ。エルは仕事柄どの商会のことも知っていたが、コンラートを紹介してはいないという。ならばとお隣に突撃し、ヘリングさん達に事情を聞いてみたが、彼らもフゴ商会が潰れたのは意外だったようだ。これに関してはライナルトやヴィルヘルミナ皇女の関与も薄いはずだと断言したのである。


「帝都騎士第一隊自体、陛下の命令でなければ動かない連中です。殿下やヴィルヘルミナ皇女では動かすことができません」

「それにフゴ商会って、バッヘム一族とも仲が良かったですからね。潰そうとしたらまずうちの参謀が落ち着いていられません」


 曰く、モーリッツさんですら寝耳に水だったようで、朝から慌ただしく動いていたようだ。なので彼らの見解としては、完全に皇帝の独断である。痛手を負った家々も多いようで不満の声があるようだが、皇帝が直々に動いたとあっては手出しが難しく声を上げられないようだ。

 そういうわけで、知り合い等の線はすべて消えていった。

 あまりに不気味すぎて断りたい気持ちが強かったものの、すでにコンラートの名前が挙げられてしまっている。フゴ商会が潰れるのは決定的で、今後ブルハーン商会の権威は増すばかり。ここで断ってしまうと、帝都で商売をできる芽はほぼ消えることになる。将来性を考えれば受けるしかないとの結論に至るのに、そう時間は掛からなかった。 

 日を置かずブルハーン商会と会食を行ったが、その中に知った顔はいない。けれども先方は始終にこやかであり、原因を探ろうにも腹の内を読ませない技術は相手の方が長けている。会長が情報を漏らすことは一切なく、それどころか「うまくやりましたな」と意味深な言葉をもらったくらいだ。末永いお付き合いを望まれた次第だが、心のもやもやは膨れるばかりである。

 だってモーリッツさんにも話を聞いてみたけれど、逆に「なにをした」と疑われたくらいで誤解を解くのが大変だったからだ。事情を理解してくれた後は、なにかあったら教えると約束してくれたけれど……。

 気味の悪さが晴れないのは、事が大きくなっていく最中、コンラートが利益を得るばかりだったからだろう。うまい話に裏があるもので、ウェイトリーさん共々警戒を続けている最中、一通の招待状が届けられた。

 玄関を叩いたのは、どこぞの高貴な人に仕えていそうな軍人である。一目でわかる仕立ての良い外套付きの衣類に、育ちの良さを窺わせる佇まい。これぞ騎士様! と叫んでしまいそうな出で立ちの男性だった。


「我が主より預かって参りました。どうぞお受け取りください」


 涼やかな顔立ちが見惚れてしまいそうな美丈夫だ。まるで絵物語ねえ、なんて感心していたのもつかの間、封筒の裏にあった封蝋でなにもかもが凍り付いた。

 見間違いなければ帝国皇家直々の封蝋で、中身の招待状に記された招待者の名は――。

 のぞき見していたエルによれば、男性は件の帝都騎士団第一隊の副長だったらしいから、差出人は言わずもがなである。

 当然狼狽えた。狼狽えない方がおかしい。


「あの、失礼ですがどういうことでしょう。我が家のような他国の一介の貴族には……」

「我が君より、お会いできる日を楽しみにしているとのことでした。女性の身支度には入り用だろうということでしたので、支度金はこちらをご利用ください」


 質問に答えてくれない。

 馬車から持ち出し置かれた袋は一抱えくらいだろうか。重い音を響かせた中身を、はじめは金貨かと思ったけれど、ゴミを詰めるように宝石類が入っていたので、価値としてはそれ以上である。売りさばけということだろう。


「お待ちください! 理由をせめて教えてくださいませ。このような……」


 うまい話……いや不気味……気持ち悪い、じゃなくて!!

 

「陛下に温情をかけていただけるような貢献を成した覚えがございません!」


 我ながら悲鳴に近い叫びだった。だって皇帝でしょ。悪い噂しか聞かない、そしてなにより女性好きと変な噂しか聞かない、あのカール皇帝!

 支度金ってなに! まさか……と思うでしょ。やだ、それはやだ!!!

 よっぽど焦っていたのがおかしかったのだろうか、男性はくすりと微笑をもらしたのだが、その中にはほんの少しだけ温かみが含まれていた。


「心配には及びません。主は烈火の如く激しい一面をお持ちではあるが、此度は違う。貴女の行いにいたく感動され、その善行にただ報いるために此度の招待状を送られたのです」

「善行?」

「……それでは、私はこれにて。我が君のみならず、私もお会いできる日を楽しみにしています」


 そういって手を取ると唇を落としていったが、甲に口付けなんていつぶりだったっけ!?

 こうして嵐は過ぎ去っていったのである。

 残ったのは一財産築けそうな金銀宝石と招待状。そして頭を抱える私やウェイトリーさんに、そんな私たちを眺めながら棒付き飴を舐めるエルであった。袋に手を伸ばし、中身を改めながら「本物だ」と感心している。


「どうしてそう厄介を呼び込めるの、なにか変なのを引き寄せる匂いでも発してるんじゃない?」

「人を虫みたいにいわないで!」

「そうね、虫の方がまだ寄ってくるものを選べるわ」

「こっちは真剣なんだけど!?」

「知ってる。だからわたしは落ち着いてるんじゃない。それで、あの色男に好意を持たれるような覚えは?」

「私が知りたい!!」


 なぜ、なぜ皇帝に目を付けられたのだ。

 ……答えを知っていそうな人……いや箱? がいたはず。


「ちょっとカレン、そんなに慌ててどこに行くの」

「シスに会いに行く!」


 シスが駄目ならライナルトだ。こうなったらなんとしてでも原因を探り当てなくては、気味が悪くて仕方がない。

 上着を取りに行こうと立ち上がったところで、不意に後ろから声が掛かった。


「呼んだ?」

「わーー!?」

「おわっ」


 いるはずのない人物の声に私が悲鳴を上げ、その悲鳴にびっくりしたエルが飴を落とした。

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