117話 変化していく心

「お客様がお越しだったのでしょう、お邪魔ではありませんでした?」

「うん? ――ああ、彼女ですか。たしかに重鎮だが、客の一人ですから気にされずとも構いません」

「お綺麗な方だったなぁと思いまして」

「確かに、リリーは色々と派手な人だ。貴方ならばいずれ紹介することもあるでしょう。彼女とは今後も長い付き合いになるのでね」

「……珍しい。仲がよろしいのですね」


 部下といった身内には見えないけれど、ライナルトが他の人を名前で呼んでいる。しかもそれが女性で、さらには親しげだったのでつい口にしていたが、どうも聞かれていたらしい。

 

「顔自体は合わせて長い、気安くなることもあるでしょう。向こうもそれを見越してきたような感じはありますが……今日とて面会の予定もないのに訪ねてきましたからね」

「そ、そうですか、お疲れ様です」


 しかしこう言ってはなんだけど、あの外見でリリーという名も少し、いやかなり可愛らしい。――と、あまり突っ込みすぎた質問はおいといて、私も自分の役目を果たさなくてはならない。簡易ではあるがファルクラムでの報告と、そして労いの言葉をもらって一応の収束となる。


「重ねまして、せっかくお目にかけていただいたのに、大してお役に立てず……」

「情報戦で及ばなかったのは残念だが、その件についての謝罪はもうもらった。大事になる前に収まったのはコンラートの功績だろう。ヴィルヘルミナと兄君の連携が上手であったのを念頭に置いてもらえたのならば、今後はうまくやっていけると期待する」

「ご期待に応えられますよう、尽力して参ります」


 このように飴と鞭もある。仕事の面では一部厳しいが、お見逃しいただけるだけありがたいと考えるべきだろう。

 ヴィルヘルミナ皇女側の働きに関しては、本当は兄さんについてもいくらか掴んでたような感があるけれど、それを面と向かって聞くほど間抜けではない。意地悪をされているのではなくて、本当に拙ければ彼らとて事前に忠告を寄越す。それをしなかったのなら、そこまで危機的とは見なしていなかったか、コンラートの力量を測ったか等が考えられる。向こうではモーリッツさんが手回ししてくれたのか、総督府の協力を取り付けるのも早かったから……そういうことなんだろうなぁ。

 いやいや、感謝こそすれ恨みなんてしない。いくら多少なりとも人生経験があるといっても、私の前身はあくまで雇われる側の一般市民だった。言い方は変だが王侯貴族……大企業の経営者目線となると勉強不足もいいところ。こういった気遣いや手腕は見習っていきたい。ライナルトやモーリッツさんもそのつもりで力添えしてくれた……と捉えたいところだ。


「以降、謝罪は不要だ。また必要とあらば別の任を任すこともあろう。それまでにコンラートには体制を整えておいてもらいたい」

「畏まりました。寛大なお心に感謝いたします」

「追って詳細を確認することもあるだろうが、ひとまずはこれで終いとしよう。遠征から戻ってすぐの報告ご苦労だった」

「はい」

「あとは父君の件だが……」


 ですよねわかってました。説明に入ろうとしたが、いい、と片手で制された。


「今日は不要だ。モーリッツから聞くことにしよう」

「ご報告のつもりで参りましたが、よろしいのですか」

「二度手間となるだろう。バーレを組み入れたくはあるが、急ぐ話ではない。……さて、あとは個人的な興味に移るのだが――」

 

 切り替えも早いんだよね。ライナルトの感情はわりと読みやすいと思っていたけど、怒りを引きずらないというか、こういう点は彼がわからなくなるときがある。

 ……そもそも怒ってなかったな。

 私は見たことないけれど、ライナルトが怒る時ってあるんだろうか。あの女性のこともだけど、ライナルトについて詳しいわけじゃないし。


「カレン?」

「あ、ぼうっとしてて……ファルクラムの様子でしたか」

「お渡ししたローデンヴァルト領地の状況だったが……。いや、今日はこれまでとしよう」

「え、あ」

「長旅で疲れているのだろう、あまり無理をしても身体に障る、よければまた機会を設けるので、そのときにでもお伺いしよう」


 大丈夫だと言ったが、ライナルトは気にするなの一点張りだ。気を遣わせてしまったのが申し訳ない。よく休むようにと言い含められ外に出たのだが、入り口を潜ったところで呼び止められた。


「コンラート夫人、どうかお待ちいただきたい」

「ニーカさん」


 ちょっと慌てた様子で呼び止められる。早足でやってきた彼女は挨拶もそこそこに、ライナルトからの伝言を伝えていた。


「殿下から、よければ近々お食事でも、とのことでした。申し訳ありません、伝え忘れていたようで急ぎ言伝を」

「あ、はい。それでしたらご都合は合わせますので是非に、とお伝えください」

「ありがたい。ではそのように伝えさせていただきます」

「ニーカさんもお疲れ様です。でも、ライナルト様が伝え忘れとかあるんですね」

「本日は公爵の他にも予定外の客人が多かったですから、お忙しかったのかと。間に合って良かったです」

「公爵?」

「ご存知ありませんか。夫人の前にお会いされていたので、お見かけになったと思いますが……」

「へ? ……え、ああっ!?」


 え、うそ、あの人公爵!? ……公爵夫人じゃなくて公爵!!


「あっ、な、なるほどっ。そういえばそうですね、ええ、公爵様でした。すみません、やはり疲れが溜まっているようですから、ご挨拶もろくにできませんけれども失礼させていただきますね」


 こんな往来で聞き返すわけにもいかず、不思議そうなニーカさんには作り笑いで誤魔化して帰ったのだけれど、我が家に戻った先、クロードさんにはこんな風に言われた。


「執政館のど真ん中で聞き返さず帰ったのは正解でしたな。あのご婦人は宮廷でも有名な人だから、知らないと大声でのたまっては恥を晒すのもいいところだ」

「あ、ああやっぱり有名人なんですね」

「悪い意味での噂の方が絶えないが、確かに有名ですとも」


 晩餐にお誘いしたのはこちらである。私が帰るまでの間は団欒していたらしく、ヴェンデル達の話し相手をつとめていたようだ。近くにチェルシーが座っていたが、外見とは裏腹に幼子のような仕草を繰り返す彼女に気を悪くした様子もない。

 柔らかなソファに腰掛けながら、そばに近寄っていたシャロの額を爪先でマッサージしているのだが……。待って、なんでシャロから近寄ってるの。私なんて警戒されて全然来てくれる様子すらないのに。

 この時間、マルティナは家に帰ったようである。夕餉の準備が整うまでの間、クロードさんは普通ではあまり知り得ない情報を教えてくれた。


「リリー・イングリット・トゥーナ公爵。南東地方の大領主、かつカール皇帝の姪で広大な土地を有していましてな。滅多に帝都に顔を出す人物じゃあなかったはずだが、この情勢ではそうもいかなかったとみえる」

「それはやはり、ライナルト様とヴィルヘルミナ皇女の?」

「当然そうなりますな。彼女は有名だが、それはまさに様々な意味で名が知れ渡っている。おそらく次期皇帝の見極めにきたと考えるのが当然かと」


 立場的には現状中立らしいが、ライナルトの執政館にいたという話には、器用にも片眉だけを上げて反応を示した。


「ほう! あの大富豪……やはり噂は本当だったのだろうか」

「クロードさん、お一人で驚かれても私にはさっぱり追いつけません。コンラートの相談役を名乗られたのですし、ここはひとつご教授いただけませんか」

「ふむ。ではカレン君のためにこの老骨めがひとつ教えてさしあげよう」


 いつのまにか親しげな呼び方に変わっているが、構うまい。厄介なお爺さんだが、こういう人は使いようなのである。職業柄世情に聡いようだし、いっそ引き入れるのもひとつの手だろうか。我が家の頭脳たる家令に反対を食らいそうな考えだけど、少なくともこの場にいるウェイトリーさんは静かである。

 ところでクロードさんから聞いた美女の正体、皇帝の姪である以上に、私の想像を遙かに超えた重鎮であった。

 トゥーナ公。クロードさんが述べた通り大金持ちで元軍人、かつあらゆる商売に手を伸ばし成功を収めているが、その一方でスキャンダルが絶えない。不純異性・同性交遊をはじめとして、麻薬パーティーや夫の連続死など絶えず悪い噂が流れている。


「あの自治領は薬物の生産も盛んでね、カール皇帝は彼女の奔放さを許しているが、次代皇帝によっては厳しい制限を食らうだろう。いかなトゥーナ公爵といえど慎重になるのだろうさ」

「は、ぁ。……すごい方だったんですね」

「カレン君、失礼は働かなかっただろうね。公爵は派手な見た目だから、知らない人には高嶺の一夜の華と間違われることが多い」

「だ、大丈夫です。失礼はなかったかと……!」

「ならよかった。無礼を働くとどんな目に遭うかわかったものではない。外国人ならばなおさら間違うだろうし、実際つまはじきにされた例もあるから気をつけるといい」


 あ、あっぶな……!

 あのとき「まあ私に道を譲れっていうの!」なんて叫んでたら恥どころか不興を買うところだったのである。やらないけど!


「クロード、先ほどやたら驚いていたが、噂とは?」

「はいはいそれか。いや、大したものではないが、皇妃の昼会に、殿下が公爵を伴って現れたと小耳に挟んだのでな」

 

 この頃になると徐々に料理の皿が並びだしている。帰還お祝いとお客様の歓待も兼ねてとっておきの葡萄酒が振る舞われたのだが、ファルクラム産のお酒を開けたのは正解だったようだ。クロードさんは芳醇なお酒の香りに双眸を細め、懐かしさを込めながら語るのである。


「元々皇女は潔白を好む姿勢があるから公爵とは折が合わんとは聞いていたが、ぽっと出の皇太子に付くと考える者は少なかったのだよ。ましてや皇帝が発言をひっくり返すことなど珍しくも……それがわざわざ腕を組んで現れたと聞けば疑いたくもなる。今日の用件を含め、これは来月の夜会で情勢が拮抗するかもしれん」

「クロード」

「失敬、子供達もいたな」

「僕はクロードさんの話をそのまま聞きたいな、情勢を知れるのは嬉しい」

「同じく。僕……あ、いや、私も同じです」


 不安を煽るような台詞をウェイトリーさんは咎めるが、殊の外ヴェンデルやエミールの興味を引いたようである。クロードさんはうっすらと笑みを浮かべ、子供達に向かって僅かにグラスを掲げた。

 なお、エミールはいまの一人称が恥ずかしくなってきたのか、最近『私』に変えようと目下努力中である。私的には『俺』の方が似合いそうな体つきになってきたのだけど……。


「来月に夜会が?」

「皇帝陛下の誕生祭で国中が騒ぐのですよ、ファルクラムとは規模が違う」


 この日は飲めや歌えの大騒ぎになるようだ。宮廷では昼会をはじめ、夜など前半の一部、後半の二部と別れて深夜までお祝いするらしい。一部は大勢の客を招くが、二部は限られた著名人のみが参加を許される催しになっているようだ。

 

「ああ、つまり勢力争いも兼ねていると」

「私も一度だけ参加したことがあるが、純粋な気持ちで参加するなら一部だけで充分ですな。憧れる者も少なくないが、楽しむための催しにしては悪意が強すぎる」


 コンラートも、参加制限が特に設けられていない一部の参加は可能だろうが、二部はまず参加すら許されないだろうといった話を聞くことができたのである。

 クロードさんは話し上手で、共に食卓につく分には楽しいお人であったのだが、このとき私は自分のしくじりに内心舌打ちせざるを得なかった。

 何故って、バーレ家ひいてはベルトランド・ロレンツィについて詳細を聞くつもりでいたのに、ヴェンデルやエミールがいては話もできないからである。

 これについては後日お話することで事なきを得たのだけれど、バーレ家問題とはさらに別の問題が浮上し、我が家は大変な混乱に陥った。


「……あんたなんでそんな面倒なことになってるの?」

「わかんない。これは本当に意味がわからない……」


 なお、呆れる我が友エル・クワイックを招いた現在も絶賛混乱中である。

 頭を抱える私の目前には一通の招待状。

 次月行われる誕生祭、その二部の招待状だが、招待の主はライナルトではない。

 ――オルレンドル皇帝カール・ノア・バルデラスである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る