116話 すれ違い

 はー……なるほどね。私が考えていた以上にバーレ家の影響というのは大きいらしい。


「これを機にバーレ家に介入して、ライナルト様のお力になるようにしたいと……」

「もう少し物言いを考えたまえ」

「あ、はい。すみません……」


 そういえば兄さんにも気をつけるようによく言われてたか。モーリッツさんはすでにお茶を飲み干しており、難しげに眉を寄せるばかりである。


「事情はわかりました。でもモーリッツさん、私が世情に疎くて申し訳ないのですけれど、皆さまが思われているよりも不利なのですか?」

「……やや不利ではある、というくらいだ」

 

 隠し立てしても協力は得られないと考えたのだろう。渋々放たれた言葉は、だからこそ現状を物語っているようだ。


「無論、ライナルト様があのように不抜けた連中に負けるとは思っていない。あの方とて無策で愚者を演じているわけではないからな」

「愚者ってなんでしょう?」

「……皇太子となったのを良いことに遊び惚け、皇子たる務めを放棄しているという噂だ。聞いたことはないかね」

「すみません、さっぱり」


 ほんとごめんなさい。だからそう重っ苦しい溜息を吐かないで。

 ああでも、そう言われてみればモーリッツさんの言葉にも少し頷けるところがある。本来忙しいはずのライナルトが市井に降りてお化け屋敷を探索したり、一人で出かけたりなんて暇はなさそうだ。

 ……でも何故そんな面倒なことをしているのだろう?

 

「……ライナルト様のことだから、またなにか悪巧みをされていそうですけれど」

「コンラート夫人、君は我が君に思うところでもあるのかね」

「とんでもない、ただの感想ですよ。私がライナルト様の悪口を言うはずないでしょう、心外です」


 私があまりに無知を晒したからだろうか。モーリッツさんは懇切丁寧に現状を教えてくれるのだが、これまでの中で一番この人と時間を共有したのではないだろうか。普段のモーリッツさんならここまで親切にしてくれるわけはないので、それだけバーレ家の申し出は重要なのだろう。

 帝国は元々ヴィルヘルミナ皇女が皇位につく予定だったから、ライナルトの登場は本当に番狂わせだったというか、場外からの乱入もいいところだったのである。ヴィルヘルミナ皇女を快く思わない勢力はライナルトについたが、その内を纏めている最中なのである。当然これだけではヴィルヘルミナ皇女には敵わないため、モーリッツさんとしてはバーレ家を引き込みたいというのが本音のようだ。


「はあ、ですけれど、実父……かもしれないベルトランド・ロレンツィ氏はバーレ家の家督相続には積極的ではないと聞きます。そこはよろしいのですか?」

「構わない。私たちに必要なのはバーレ家への足がかりと興味を引くことだからな。例えバーレ家自体がつかなかったとしても、ロレンツィ率いる兵力は重要だ。……それと、かもしれないとはどういうことかね」


 うむ。父さん達だってベルナルドが秘密を漏らさなければ知る由のなかった話なので、逆に知っていたら驚きである。

 さて、いくらか情報を引き出せたあたりで私もモーリッツさんと情報共有である。

 父親はロレンツィ兄弟のどちらかであり、私も知ったのはここ最近だということ等をだ。実父候補が二人という点にはモーリッツさんも驚いたようだが、それ以上の言葉は紡がなかった。


「ところでどうしてライナルト様経由でお話があったんでしょう。……あ、後見人だから?」

「そうだ。我が君を差し置き君に話をするわけがなかろう。……君は本当に大丈夫かね」

「ご心配なく。急な戻りで疲れているだけですので、また明日からは多少なりとも頭の回転は元通りです」

「急な呼び立てに対する詫びはしよう。だが事の重大さは理解してもらいたいものだ」

「承知しております。ですから急いでお訪ねしたんじゃありませんか」


 今日はモーリッツさんが話しやすいおかげで、円滑に進んでいくなぁ。


「そういえばロレンツィ率いるとおっしゃいましたけど、それほどに影響があるのでしょうか」

「そのあたりは君の補佐官や相談役にでも確認したまえ。……それで、バーレからの要請だが、私から返事を伝えても構わないかね」

「ええ、私としても先方の用件が気になりますので……」

「承知した。では日にちは追って連絡しよう」

「お願いいたします」


 モーリッツさんの用件はこれで終わりのようだ。立ち上がろうとする前に、ふと気になったことを聞いてみた。


「ヴィルヘルミナ皇女側はどんな様子ですか」

「どんな、とは? 聞きたいことは具体的に述べたらどうかね」

「……例えば私の兄といった具合ですが」

「第二秘書官補佐だったか。さて、秘書官ともなると活躍などほぼ耳にすることはないが、醜聞が届いてこないとなればうまくやっているのではないかね」

「そう、ですか」

「血を分けた身内とて思想が同じとは限るまい。理想が違えば立ち位置も変わるもの。すでに家を分けた身であればなおさらだ、そう気にするものではなかろう」


 これがモーリッツさんのスタンスだ。故にこの人はファルクラムにおけるコンラートの動きに対し口を挟んでも、兄さんがヴィルヘルミナ皇女についた件には怒りを見せる様子はない。噂ではモーリッツさんの実家、帝国の金庫番たるバッヘム一族も派閥が別れており、肉親で血で血を洗う争いを続けているらしいので、このあたり実にドライである。


「……あ、もしかしていま慰めてくれました?」

「くだらん。私が君を気にかける理由がない」

「はい、ありがとうございます」


 これ以上なにか言われないうちに退散しましょ。扉に手をかけようとしたところで「待て」の一声が掛かる。


「夫人、君はエル・クワイックと友人関係にあったな」

「そうですけど……」

「会えたらこちらに顔を出すよう伝えてくれ」

「畏まりました。必ず伝えておきます。それとファルクラムの件は追って報告を提出いたしますので、ご確認くださいませ」


 ……はて? モーリッツさんほどの人なら使いを走らせれば済む話ではないだろうか。私に伝言を頼む理由はなんだろうかと思うけれど、ここは素直に頷いておくだけに留めよう。ついでに、とモーリッツさんは別件も申しつけてきた。


「近くに殿下の執政館がある。そろそろお戻りだろうから、挨拶してから帰りたまえ」

「わかりました。用件は以上でしょうか」

「そうだ」

「では失礼いたします」

 

 毎度このくらい気軽に話せたら楽なのだけどなぁ。

 ところですれ違った文官にやたら同情的な目を向けられたのだが、何故なのだろう……と思ってたら、ウェイトリーさんたちと合流してから判明した。私が急な呼び出しを受けたのと、相手が相手なだけに若い娘では荷が重いと同情されていたようだ。


「結構和気あいあいとお喋りできたから大丈夫よ」

「左様ですか。アーベライン殿は分け隔てないのは良いのですが、お若いお方に対しても威圧的に受け取られてしまう御方、カレン様が気にしていないのであればなによりです」


 流石に何度目かになれば慣れますって。それにモーリッツさん、ライナルトへの思い入れが強いだけで、根っから悪意がある人ではないのだもの。


「それと、私はライナルト様に挨拶してから帰ることにいたします。付いてきてもらって申し訳ないけれど、クロードさんと一緒に帰ってもらっていてもいい?」

「畏まりました。アーベライン殿の文官といくらか話もできましたし、こちらは問題はございませんよ」

「クロードさんもそれでよろしいですか。お時間あるようでしたら、お聞きしたいこともありますしうちで食事でも如何でしょう」

「それはありがたい。是非相伴に預からせていただこう」


 ライナルトの所まで一緒に行くとはごねないらしい。てっきり付いてくるものと構えていたから内心驚いていたのだが、クロードさんには見抜かれていたようだ。若い頃はさぞもてたであろう顔立ちを、ニヤリとあくどい笑みで歪ませたのである。


「なにごとも程度が肝心なのだよ、お嬢さん」

 

 とんだお爺さんだが、味方である分にはいくらか頼れそうである。ウェイトリーさんが睨みをきかせてるし、この二人、帰りの馬車で舌戦を繰り広げるんだろうな……。

 そのあたりにいた文官に話を通して馬車を一台融通してもらい、私とジェフの帰りの足は確保できた。ウェイトリーさん達と別れをすませ、教えてもらったライナルトの執政館に向かってもらう。以前案内された建物とは違い、こちらは人の往来が多く、馬車を降りるなり背筋を正さねばならない緊張感が漂っている。

 待合室で待機すること十数分。名前を呼ばれると再びジェフを残し、ライナルトの待つ部屋へ向かうのだが、真向かいからやってくる一行に気付いた。

 先頭を歩くのははっと目を奪われるような美女。私もつい目を奪われたけれど、以前遭遇したマリーとは比べものにならない艶やかさである。豊かな黒髪に身体のしなやかさと肢体を強調した衣装は、胸元や太股といった箇所に細かく透けたレースが使われており、その人の魅力をこれでもかというほど引き出している。意志の強い目元に艶やかな口紅は、まるでファッションショー並みのモデルのようだ。嫉妬より憧れが先立つような女性は珍しいが、この女性はまさにそれ。派手な衣類に中身が負けていないのだ。一瞬目が合うと、にこりと口角をつり上げ微笑まれた。

 ――なんだろうこの派手な人。

 少なくともそこら辺にいるような、簡単に手が届く女性じゃないのだけはわかる。

 私の前を歩く案内人が脇に逸れるとこちらが道を譲る形になるのだけれど、ここで文句を言うほど愚かじゃない。案内人がそうするのなら、きちんとした理由があるのである。

 何故か女性は驚きに目を見張るのだが、笑みは穏やかなものに変じて通り過ぎていく。

 うーん、嫉妬のしの字もでないくらいの美女。美人は見慣れているつもりだけれど、あそこまで派手な人は初めてみた。帝都の女性は華やかで目が肥えてしまいそう。

 女性は残り香を残していったが、そのやんわりとした匂いはしばらくの間残っていた。


「こんにちは、いえそろそろこんばんはでしょうか、ライナルト様。お久しぶりです」

「ファルクラムから戻られたか。久しぶりですね、急な旅だったようだが、息災だっただろうか」

「お陰様でなんとか、というところでしょうか。お変わりないようで安心いたしました」


 窓を開けたライナルトの部屋も同様だ。女性の残していった香水の香りがほのかに鼻腔をついていた。

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