帝都編 栄光の代償

113話 馴染んだ生活

 つっっ……かれた……。

 景色を眺めていたヒルさんが声を上げる。


「カレン様、帝都が見えて参りましたよ」

「もうそんなに近くまで来たんですね。……固い寝床ともこれでお別れね」

「今夜からは布団の上でぐっすり寝れますぞ。それにうまい飯にもありつけるはずです」

「飯、そいつはいいですね!」

「馬鹿者、お前が浮かれるのはまだ早い!」

「飯を楽しみにするくらいいいじゃないですか~。固い干し肉生活も飽きちゃいましたよ」


 ヒルさんが飯、といえばハンフリーが弾かれたように顔を上げる。私同様、彼もきっと道中の簡素なご飯に飽きていたのだろう。

 なにせ引っ越しの時と違い、今回の旅程はとにかくスピードを重視している。道中気遣いをしなくてはならないお年寄りや子供がいないため、荷馬車ではなく馬を採用したのだ。おかげで往復時間はかなり短縮されたけど、その分寝床や食事といった荷物が犠牲になった。得たのは乗馬スキルの上達とキャンプの知識、早着替えといった技。そしてお尻の皮が剥けるという残念な結果である。帰ったら手入れしなきゃ……。

 このときばかりは私も久々の軽装と頭巾で頭を覆い、他に雇った数名の護衛含め、一同の中に埋もれるように移動している。ぱっと見ただの旅の集団にしか見えないし、おかげで守りやすいと評判であった。


「ヴェンデル達は学校でうまくやれてるかしら」

「ファルクラムでの事情が特殊だっただけです。エミール様もいらっしゃいますし、元々人懐こい子ですから大丈夫ですよ」

「そうだといいのだけど……」


 状況としては、ただいまファルクラムからの帰りである。

 それというのも兄さんがヴィルヘルミナ皇女側についた件から始まるのだが、ライナルト側に協力を約束した身としては、皇女の暗躍に気付けなかったのは非常に痛かった。その責を取ってライナルトやモーリッツさんには謝罪をして、直接向こうの様子を確認しにいった帰りである。今回はウェイトリーさんはお留守番で、こちらから私が連れて行ったのはヒルさんやハンフリーだけ。流石にジェフをファルクラムに入れるわけにはいかないために取った措置であった。

 全部話すのはウェイトリーさんに会ってからだけど、ひとまず簡単に述べると、行って正解だった。大事には至ってなかったものの、ヴィルヘルミナ皇女側が貴族に向けて地道に働きかけをしていたようで、向こうに到着するなりコンラート家秘書官のオーバンとバラケを連れてあちこち会談である。状況的にはまだ火種にすらなっていない段階で、大事になる様子ではなかったから引き上げてきたが、総督府とは綿密な連携を取っていかねばならない。そういったことを含めて話し合いを終わらせてきたのだった。

 向こうはまだ国王崩御の混乱が納まりを見せていないからこれだけで済んだ、というのが正解だけど、向こう二、三年間は特に気をつけねばならないだろう。


「現大公様にもよろしくと言われてしまったし、ねぇ……」


 数度しか会っていないから気付かなかったが、大公家の若き当主は殊の外、ライナルトへの思い入れが激しいようだ。今回もずいぶん張り切っておいでだったし、実際彼の活躍あってヴィルヘルミナ皇女の攻勢は抑えられているようなものだ。そのことはライナルトによく伝えておかねばなるまい。

 ……ご本人もそれがわかっててこちらを接待してきたのだろうし。

 と、そろそろ正門を潜ろうかというときだった。相変わらず正門前には兵が控えており、門前では様々な人がたむろしているのだが……。


「あら……。ちょっと待ってね」

「カレン様?」


 その門の近く、離れた場所で膝をついて上体を丸めている人がいた。馬を降りて近づいても振り向かず、胸の辺りを抑えている。


「もしもし、大丈夫ですか」

「あ、あぁ……すみません、胸を患っているのですが、咄嗟に……」


 黒髪に白髪が交ざり始めた頃の、柔らかそうな面差しの男性だ。服装からして行商人だろうか。誰もこの人に声をかけなかったのは、行商人といえど装いが薄汚れ貧しそうだったからだろうか。足下には使い込まれたであろう鞄が転がっている。


「大変。宿は取っていますか、それかお連れさんはいらっしゃる?」

「連れが、一足先に宿に入っております。私は、落ち着けばすぐに……」

「でも苦しそうですよ。一人で歩けないのでしょう、送りますから宿を教えてもらえますか?」

「は、はい……すみませ……」


 ぜぇはぁと荒く息を吐いて、優しげな顔立ちもいまは苦しそうである。


「ハンフリー、肩を貸してあげてもらえる?」

「おまかせを」


 帝都に入ったところで雇った護衛や馬は一旦お別れ、先に男性を宿に送っていくことになった。今回同行してもらった人達は前回の引っ越しの際に雇った一行と同じ集団なので、金払いについては信頼されているのだ。後日報酬を渡す話で纏まっていた。

 ハンフリーに支えられた男性だが、やはり行商人のようだ。顔に痣があったので理由を聞いてみると、私たちが声をかける前、他の商家に邪魔だと押しのけられてしまったらしい。商店街付近に来るとハンフリーから離れ、胸をなで下ろしていた。


「ありがとうございます。おかげさまで大分楽になったようで、ここから先は一人で歩けます」

「宿までお送りしなくても大丈夫ですか。それにお医者様にも看てもらわないと」

「なんなら自分が宿までお連れ様を呼びに行きますが……」

「いえ、いいえ。見たところ皆さまは旅のお帰りなのでしょう。旅のご一行のようですが、やんごとなき身分の御方のご様子。貴方もこちらのお嬢様の護衛でしょう。私はもう大丈夫ですし、お手を煩わせるわけにはいきません」


 私やハンフリーの申し出も断り、何度も頭を下げてくる。本人が大丈夫だと言うので帰ることにしたが、最後に名前を聞かれた。お礼をしたいと言われたのである。


「このような身なりですが、彼方此方に顔が利くのです。どうかお名前を……」

「ええと、困っていらしたようだからお声をかけただけですので、気になさらないで」


 手を貸したのはハンフリーだし、送ったのも途中までだ。大したことはしていないと断れば、どうも感情が豊かな人なのか大仰に感激されてしまった。


「なんと親切な方々だ。おお、この寂しい世の中で貴方がたのような美しい人達と会えるとは……でしたら尚更、お名前を頂戴できませんか、親切な御方。私の心にその名を刻んでおきたいのです」

「あ、あはは……」


 芝居がかった動作にヒルさんやハンフリーも驚き気味だ。行商人というならいつか縁も生まれるだろうか。名前だけ教えると「なるほど!」と頷かれた。なにがなるほどなんだろう。


「本当にありがとう。善き方、善き行いをされた御方には、いつか幸運が巡ってくるでしょう」


 行商人さんの名前も頂戴してお別れしたのだけど、道中、どうにも収まりがつかずに首を傾げていた。

 ――なにか引っかかるのだけど、それがうまく言葉にできない。


「カレン様?」

「いえ、どうされましたか」

「あ、なんでもないの。……気のせいよね」


 普通に話しているときはなにも感じなかったが、あの弾むような声音、どこかで聞いた覚えがあるような……。ううん、でも絶対初対面だったし……。気にしてもしょうがないか。ただ、気になる点があったのはハンフリーも同じだったようだ。


「ただの行商人にしてはやたら手が綺麗でした。もしかしたら結構良いところの金持ちかもしれません」

「そうなの?」

「賊に狙われるのを恐れて、貧しい格好をする行商もたまにいるんです。顔が利くってのも嘘じゃないかもしれませんね」

「そうだとしても、いまはファルクラムと帝都で手一杯だけどね」


 ……お礼、断らなければよかったかな。

 過ぎたことを悔やんでも仕方がない。それより先を急いだからお昼ご飯を食べていないし、お腹もぺこぺこだった。

 そのあとは早足で久しぶりの我が家に帰ったわけだが、日中にもかかわらずヴェンデルやエミールが教科書を広げて勉強に励んでいたのである。

「おかえり」と迎えてくれる彼らの足元には新しい家族である犬のジル。離れたテーブルの上に耳をぴんと立てた猫のシャロが座っている。

 ……ちょっと離れた間に大きくなったなぁ。あ、シャロに警戒されてる。名付けてすぐにファルクラムに発っちゃったからな……。


「ただいま。ところで二人とも学校はどうしたの」

「しばらく休みだよ。先生方が休暇期間に入ったから、再開するのはもうしばらく経ってから」


 春休みというやつか。ただこちらは生徒を休ませるためというより、先生達のリフレッシュ休暇の意味合いが強いらしい。近況を尋ねたが二人とも学校でうまくやっているようだ。ヴェンデルの表情が明るいし、無理をしている様子はない。

 尻尾をゆさゆさと揺らしながら近寄ってくる犬っこの頭を撫でつつ一息つくのだが、ここで居住まいが悪そうに立っていた女性がおずおずと声を上げた。ファルクラムを経つ直前は、やらねばならないことをとにかく突貫で済ませていったのだが、この人の件もそのひとつである。


「カレン様、ご無事にお戻りになったようでなによりです」

「ありがとう、マルティナ。だけどそう畏まらないで。しばらくしたらウェイトリーさんがお茶を運んできますから、一緒にお茶にしましょう。あ、私たちはご飯を食べますけど……」

「わたくしのことは気にせずお食べになってください」


 明るい赤毛をきっちりと結い上げた眼鏡の女性はマルティナ。年は二十五で、ヴェンデル達の家庭教師として雇った女性である。外国出身だがこちらに居着いて長いらしく、学や作法に通じている。ヴェンデル達が休みに入ったし、昼間からウェイトリーさんが招いたのだ。

 彼女は商家出身になるが、あまり堅苦しい先生だとヴェンデルが逃げ出すだろうし、できれば柔軟な対応ができる先生がいいということで採用した。


「エミール、わたくしには目がないとおもっているのでしょうがズルはいけません。さ、隠した答案を渡してくださいまし」

「あ、ばれた」

「ばれた、ではございません。姉上様の前でなんということを……」


 不在の間に順当に馴染んでくれてるようだ。けっこう綺麗めの人なのだが、これで苦労人らしく、採用にあたってはひどく驚かれ、何度か確認されてしまった。ウェイトリーさん曰く、家庭教師に美人は向かないから、らしい。理由は「器量が良すぎると家人の目に留まる可能性がある」からなのだそう。

 故あって親とは離れ、一人で年若い弟妹を養っているようだ。

 ヴェンデル達は基本学校に通うからマルティナの役割は少ないが、雇った理由は復習予習のためだけではない。彼女、市井出身にしては珍しく楽器ができるので、エミールに教えてもらうためでもあるのだ。

 この他には住み込みの料理人やウェイトリーさんのお手伝いをする秘書を新しく登用している。私の手助けをしてくれる秘書に関してはこれから探していく予定だ。

 庭に出ていたジェフとチェルシー、ベン老人といった人達もちらほらと顔を見せ始めた。特にチェルシーは、私の顔を覚えていてくれたようだ。無邪気に両腕を広げる姿は、初めて見たときと違い幸せに満ちている。


「ああ、やっぱりうちのご飯が一番美味しい」

「ありがとうございます。そろそろお戻りになられると聞き、腕によりをかけました」


 お昼もとっくに過ぎていたのに、わざわざ給仕に顔を出してくれた料理人もにっこりである。こちらに関してはウェイトリーさんと多少揉めたのだが、多数の国を渡り歩いてきた元旅人を採用した。三十代だし若すぎると声があったけれど、ほとんど押し通したのだ。

 なにせ美味しいは日々の活力のための大事な要素である。

 移住してわかったが、私は帝都向けの味付けの方が性に合っているが、お子様達や使用人組はファルクラム寄りの方が好み。つまり両方の味付けを把握できる人がベストだったのである。貴族向けに特化した盛りや味付け等は、これから学んでもらう。本人も意欲的なので問題ないだろう。

 エミールが数字に苦戦するのを眺めつつ、差し障りのない範囲でファルクラムの近況を説明する。


「カレン、お姉さんは元気だった?」

「ええ、お腹も大分大きくなってたから、そろそろ生まれるのではないかしら。あなたにもよろしくねって。エミール、あなたにも……」

「……その様子だと他に言伝がありますね?」

「姉さんおよび父さんから、もし成績を落とすようなことがあればファルクラムに戻すこともあり得る、だそうです。……だから遊びほうけないようにね?」


 本当にそんなことをするとは思えないけど、エミールに釘を刺したいのだろう。

 けれど父さんなら本当に実行に移すと思ったのかもしれない。エミールがしょんぼりと落ち込んでペンを取ったところで、ジルが頭を擦りつけていた。シャロは私を警戒して動かないが、近寄ったヴェンデルからは逃げようとしない。拾ったのも面倒見ているのも二人だから、特に懐いているのだろう。

 おのれ、見せつけるようにいちゃいちゃして。シャロなんて私が名付けたのに……あ、でも羨ましくない。羨ましくないからね。私だって面倒見る時間さえあれば……。


「お二人とも、カレン様が羨ましそうですよ。後ほど撫でさせておあげください」

「ウェイトリーさん、そういうのは言わなくていいんですよ?」

「あまりに羨ましそうにされておりましたので。それよりも、戻って早速で申し訳ありませんが、今日中にライナルト様かモーリッツ様の元へ報告に上がった方がよろしいかと存じます」

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