114話 広がる噂
ウェイトリーさんにしては急な話だ。確かにライナルトの所へいくつもりだったけど、予定を確認する必要があったし、明日早朝くらいかと考えていたからだ。
「ヒルさん、ハンフリーもお疲れ様。あとはジェフを連れて行くから、二人はゆっくり休んでてくださいな」
「カレン様もお疲れ様でした」
「ヴェンデル、エミール! マルティナに迷惑をかけないようにね」
はぁい、なんてのんびりした声が重なって返される。二階に上がって向かったのは、客間をひとつ改装した簡易談話室だ。そこに私、ウェイトリーさんとジェフとが入り、それぞれの位置につく。ジェフは主に出入り口で聞き耳を立てている者がいないかの警戒のようだが……。
「お疲れの所申し訳ありませんが……」
「食べたらそれなりに元気が出たから気にしないで。それより、なにか急な用事がありましたか?」
「急……ええ、というより確認に近いのですが……。まずは重要ではない方のご報告からいきましょう」
重要ではない方――?
どういうことだろうと耳を傾けると、まずは事業の進捗である。将来的に葡萄酒といった嗜好品の輸出を考えているけれど、これは未来の話。ひとまずの対策として、持ち運びのしやすい香辛料の類を貿易することで話を進めていたのだが、思わぬ所で足止めを食らっているようだ。
「ファルクラムが帝国領となったことで往来がしやすく、また今後街道もいっそう整備されるという見込みでしたが、これは当然帝都の商人も同じ事を考えていたようで……」
どうやら相手が悪かったらしい。帝都内で幅を利かせている大手商会が各方面に渡りを付け、すでに輸入体制を整えつつあるという。ただ向こうもこちらに配慮はしてくれるようで、これにコンラートが加わることは難しくないが、利益分は見込みを大幅に下回るというのだ。
「大手に本気になられると介入が難しいですね。新参者のコンラートが加わって良いというのも、けっこう破格の待遇なんでしょう?」
「そうですね、やはりライナルト様の庇護下にあり、ファルクラムで顔が利くというのが大きいでしょう」
「簡単に話は進まないと思ってましたけど、やっぱりという感じねぇ」
「いまから他の商会と渡りを付けるのも難しいでしょう。わたくしとしては今回は条件を呑み、いまは他との繋がりを強化していく方針でよろしいかと存じますが……」
「そうね、他に方法はなさそうだけど、返事はいつまでに?」
「もう少々猶予がございます。わたくしの一存では決められないと話をしてありますので」
「でしたらあと数日は待ってもらいましょう。向こうもコンラートが加わるのは悪い話ではないはず、急いで飛びつきたくはないの」
わかってはいたけど、新天地で事業が簡単に進むことはないようだ。キルステンといった他家の参入が危ぶまれるけど、数日で事態が急変するとは考えにくい。商会もいまはまだ、ライナルトのご機嫌を取っておきたいはずだ。
……事業って難しい。
他にも階下では話せないような報告の類を行ったが、私からもファルクラムの現状についていくらか話をさせてもらった。
「姉君はお元気でしたか」
「ひとまずは、といったところ。……私はちょっとしか顔を合わせてないけど」
向こうは会おうとしてくれたのだが、私が断ったのだ。いまは大事なときだから、私と会うことであまりストレスを抱えさせたくない。兄さんに関する話や、今後のキルステンの動向については父さんと話を済ませてきた。
「兄さんったら、ヴィルヘルミナ皇女との密談は父さんにも秘密にしていたみたいね。キルステン前当主としては兄さんの方針に従うそうです」
ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ、教えてくれてもよかったんじゃないかという気持ちがあったけれど、悲しそうな父さんの姿で仕方ないか、とも思ってしまった。父さんも複雑なのだろうし、子供達に対する愛情は変わりない。いまは兄妹のいざこざよりも、初孫へ集中して欲しいところだ。
多分お詫びの意味も込めてるのだろうが、浴びるようなお土産が後日届くはずである。
「それとコンラート領の様子も軽くみてきました。伯やスウェン達のお墓を別の場所に移して、それと伯のお部屋に残っていた物もいくらか持ち出しました」
「左様ですか。やはり、ラトリアが入る予定はかわらず?」
「残念ですけれども……」
ファルクラムだが、元々大国ラトリアの侵攻が噂されていたのは変わりない。表向き、他ファルクラム領の安全と引き換えにコンラート領を引き渡すという形で纏まりつつあり、それに先駆けてひとっ走り行ってきた。元コンラート領主地は不気味に静まりかえったゴーストタウンと化しており、野生動物と夜盗以外は近寄らない場所へと変じていたのである。立地的に再利用されているのは見えていたから、潰されてしまう可能性のあるお墓の場所を変えてきたのだ。
屋敷の方は予想通り、夜に乗じて侵入した盗人に荒らされていた。人の住まなくなった家は荒れ果て、思い出がなければ一晩も過ごせなかっただろう。ヒルさんやハンフリーもそれぞれの家や、家人の墓を巡ってきた。ハンフリーに関しては、苦い思い出があるので居住まいが悪そうだったが……。
「ヴェンデルには黙ってたけど、向こうであの子が可愛がってた猫を見つけたのね」
「なんと」
「無事に逃げ延びてたみたい。痩せ細ってたけど、なんとかやってたみたいで」
……悩みに悩んだのだが、一匹だけのようだし、番がいるようにも見えなかったので連れ帰ることにした。警戒心の塊になってしまったので捕まえるのに苦労したが、猫の方が私を覚えていたのが幸いである。馬では到底運べないから、お土産や伯の荷を積んだ馬車と一緒に来るはずだと伝えると、ウェイトリーさんは殊の外喜んだ。この人も結構動物好きなんだよね。将来、シャロやジルがぷくぷくと肥えそうでこわい。
「お伝えしてあげないのですか、きっと泣いて喜ばれるでしょうに」
「檻で運ぶし、馬車での移動に耐えられるか不安なの。ぬか喜びさせたくないから……」
だから到着までは黙っておく。本当はヒルさんやハンフリーも話したくて仕方なかったはずだ。
「……なにはともあれ、国元の方は落ち着きそうでなによりです。内乱など起こっては目もあてられませんからな」
「ええ、細かいことはまた後で話しましょう。話の腰を折ってすまないけれど、それでウェイトリーさん、悪い方の話って……」
「コンラート家、というよりはカレン様のご出自に関してですね」
「……え、それ?」
渋い顔のウェイトリーさんと違って意外に感じてしまったのは、いまさら私の出自が何の関係があると感じてしまったからだ。だってそうでしょ、こんなこと言ってはなんだけど、母の不義にしたって相手ははっきりして――。
「最近、カレン様のお父上がバーレ家の養子、ベルトランド・ロレンツィではないかと噂されております」
あ゛っ。
「……お心当たりは……あるようですな」
……実父の件、ウェイトリーさんには話そうと思って、結局黙ってたんだよね。
「あ、あの、まって、黙ってたわけじゃないのよ。大体確定した話ではなかったし、公にするつもりなんて――――待って、どこからそんな噂が出回ったの」
待て待て待て。私がこの話をしたのは、出発前に一人だけだ。他には誰にも話していないし、不用意に嗅ぎ回ることもしてな……。
「噂の出所は不明です。しかし、関係者の間でこの話が出始めたのは事実。それというのも、アーベライン様の方から噂が真実かどうか尋ねられてきましてな」
「も、モーリッツさんが?」
「カレン様、どうやらバーレ家というのは過去将軍も輩出したことのある名門軍人家のようです。そこに養子に迎えられたとなれば余程の御仁なのでしょう」
「…………そうなの?」
「はい」
えっそんなの聞いてない。
重々しく頷いてくるウェイトリーさん。あっでもそうでもなければモーリッツさんが尋ねてくることなんてないかぁ。
「いつでも門は開いておくので、戻られ次第訪ねて欲しいとも言っておいででした」
「あっそれはもう……はい……」
戻ってきたらとっとと顔出せってことですね。それはウェイトリーさんにも言われますわ。
「ひとまず詳しい話をお願いできますか。子細を知らなくては、わたくしもお答えしようがありません。心当たりはないと考えておりましたが、そのお話が真実であれば今後の対応も変わってきます」
「はい……すみませんでした」
こうして実父問題に関して、洗いざらい喋る羽目になってしまったのである。ウェイトリーさん、お説教でもしたい心境だったかもしれないが、ひとまずは城へ向かうのが先決だと思ったのだろう。繊細な問題だから今日はジェフの他にウェイトリーさんを連れて行く。馬車を手配する間に私は支度を済ませるのだが、城へ向かう前に待ったをかけた。
「その前にバダンテール調査事務所へ向かってくださいな。大丈夫、時間は取らせませんから」
「クロードの所へ? カレン様、何故……」
「事情は道中説明します。いまは噂の出所を確認しなくてはならないの。お願い」
バダンテール調査事務所、クロード・バダンテール。
ファルクラム王国元外交官で、いまは調査事務所を営んでいるウェイトリーさんの元上司兼友人である。
事情があると踏んだのだろう。ウェイトリーさんは調査事務所へ先に向かうことを了承してくれたが、その理由を説明する。
「コンラートは人が足りなくてバタバタしてたでしょう? 実父がどちらか確定してなかったし、クロードさんにベルトランド・ロレンツィ兄弟について調査をお願いしてから帝都を出たの。だからごめんなさい、ウェイトリーさんに話すのは結果が出てからのつもりだった」
「なんと。そのようなこと、いつの間に……」
「空いた時間を狙って、本当に少しの間にね。あ、ジェフを責めないでね。事務所にいったのは口止めしたし、依頼の内容自体を聞かせてないの」
だから私の事情をすべて把握しているのはクロード・バダンテールただ一人だった。実のところ彼が訪ねてきたあの日、手渡された名刺はまさに渡りに船だったのである。
そのクロードさん、実父候補であるベルトランド・ロレンツィについては噂なりとも知っている様子だったのだ。だけどバーレ家についてはなにひとつ聞いていなかったのである。
だから私が知る限り、噂の出所に関してはクロードさんしか思い当たらない。そう話すのだが、噂の出所がクロードさんというのは、我が家の頭脳は疑い気味である。
「たしかにクロードは金にがめつく口の調子も軽い男ですが、人の私生活をみだりに明かすような馬鹿ではないはず。仕事として請け負った以上、踏み倒しさえしなければ秘密を守るはずです」
「あとは誰かに秘密を漏らされたとか、可能性の話。クロードさんでないと確信できれば、あとはどちらから噂が零れたか明白でしょう?」
「確かにそうですね。ですがもしクロードが原因であれば迷惑料をむしり取ってやりましょう。あれにはそれが一番堪える」
流石友人、相手の嫌がることを熟知している。
馬車は妨害されることもなく、慌ただしい様子である建物の前に到着したのだが、そこは大通りに面した立派な三階建ての集合住宅である。一階部分の数部屋分をくり抜いた形で「バダンテール調査事務所」の看板が掛かっていた。
受付に話を通すと、慌てた様子のお姉さんが中へ案内してくれる。探偵一人に助手が一人が私の抱く典型的な印象だけど、バダンテール調査事務所においては所長であるクロード氏を筆頭に、複数人の探偵や助手が集まった集団である。
この建物自体がクロードさんの所有物件で、二階三階部分は貸し出すことで家賃収入を得ているのだから抜け目がない。
「クロードさん、失礼します!」
「ああ、数日内に来られると踏んでいたら案の定か。お待ちしていたよ、カレン殿」
皮張りの長椅子に腰掛けたご老体。相変わらず黒に金の刺繍と飾りをふんだんに盛り込んだお洒落紳士っぷりである。気取った様子で足を組んで、その様子は余裕たっぷり。まったく動じていない姿に拍子抜けしてしまった。
「……そのご様子では、なぜこちらにお伺いしたのかもうおわかりなので?」
「勿論だとも。そして私が依頼人の秘密を漏らすような間違いを犯すはずもない。ただ――」
ただ、なんだろう。
クロードさんはにっこり笑って指をパチンと鳴らすと、案内役のお姉さんに「四人分」と告げたのである。
「焦りはいつだって人の思考を掻き乱す。感情に身を委ねる前に、まずは一杯の茶で心を満たし、己を振り返るところから始めるべきだ。責務を背負った若人なら特にね」
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