第110話 うらばなし

「ジェフはライナルト様の出自をご存知だったのです?」

「いいえ。お名前を存じていただけで、詳しい話は。そもそもライナルト様に関しては、国王陛下を初めとした方々に忌避される傾向にあった。自然、皆の口も重かったのです」


 どうやらジェフも、あの頃のアヒムと一緒で知っていたのは帝国方に血縁者がいるということだけだったらしい。そしてライナルト本人は形式的に立場を与えられただけ、城内では冷遇されていたようだから、たいして気に留めていなかったようだ。

 

「帝国と繋がりのある人物を置いておくことすら違和感しかなかったのですが――。いまにして思えば国内に留めておいた国王陛下のお立場としては理解できます。正直、なぜ私などに声をかけたか、初めは身構えるだけでしかありませんでしたが、あの方が私にくださったのは、なによりも求めていた情報だった」


 彼がジェフリーに寄越したのは当時チェルシーの恋人と思しき男と、その協力者達の名前である。


「ただ……最初はその言葉を信じられず、追い返してしまいましたが」


 実のところ、この時点でチェルシーの恋人に関しては私の中で候補が挙がっている。そしてこういうときは嫌な予感は当たるもので、想像通りの名をジェフリーは吐いたのだ。


「女性関連では良い噂は聞いておりませんでした。しかし、よりによってダヴィット殿下がチェルシーの恋人であったなどと、信じられるはずがなかった」

「……そう、ですか。ダヴィット殿下が」

「そのご様子では、納得できる部分がありましたか」

「ない、とは言えません。あの方は、その、かなり……」

「左様でしたか。私は……噂ばかりで、実際に殿下のそのような所は一度も……。それに、我々の前では殿下は寛容な御方でした。誰彼の親や家族が病気と聞けば恩赦を与え、恩には厚く遇された。……そういう一面しか見なかったのです」


 それは私の知らないダヴィット殿下の一面だ。けれどジェフリー自身も彼と対峙するときは女性の影はなかったから、と認めている。


「まさか殿下が一介の侍女を相手にされるとは、そしてしっかり者のチェルシーが殿下相手に心を奪われるとは思いもしなかったのです」


 ジェフリーにとってショックだったのはそれだけではない。それだけなら、彼の殺意はひとところに向かうだけでよかった。

 もたらされたのは手ひどい裏切りだ。


「……チェルシーに薬を渡したのは妃殿下の寄越した医師でした。そしてそれを、妃殿下のみならず、ジェミヤン殿下もご存知だった」


 いつから王妃やジェミヤン殿下が真相を知っていたのか、それはわからない。けれどジェフリーにとってなにより耐えきれなかったのは、彼らから与えられた心遣いが嘘で塗り固められていたという現実だ。

 彼の周りの人々は、家族の窮地にジェフリーがどれほど悩んだのかを知っていた。彼女を見捨てられなかったばかりになくなったジェフリーの縁組、妹に対する不名誉な中傷、介護初期に病人の世話などしたことがなかった頃、本当はチェルシーを見捨てようと思った、と弱音すらもらしたのである。


「いま思えば、周囲からの気遣いには、私に対する後ろめたさがあったのでしょう。特に殿下は――そうだと断言できます。最後は甘言に負け傲慢に振るまうばかりの御方でしたが、あれで弱い子なのです。……本来は……私といった教育係達の生まれ月を忘れず、決まって祝いをしてくれる優しい子だった」


 ジェフリーはジェミヤン殿下が相当若い頃から剣を教えていたから、その分思い入れも強いのだろう。ジェミヤン殿下は兄と違ってとにかく神経質で気が弱く、所謂コンプレックスの塊だったそうだ。あくまで外部の人間でしかなかった私には、ジェフリーの語る両殿下像には違和感を感じるばかりだ。

 ともあれ、教育係として勤めてきたジェフリーにとってライナルト側からもたらされた真実は驚きの連続だった。真偽を確かめるべく接触を図ったところ、彼らはかつて王妃から派遣された女医を確保していたのである。その医師はすでに王妃と距離を取って久しいらしく、指に血の滲んだ包帯を巻きながら泣き腫らした顔で真実を語った。


「チェルシーと親しくすることで、殿下との仲を口外しないか監視していました。報告するだけで良いからと言われて……チェルシーは良い人だったけれど、妃殿下は侍女が殿下の子を産むなどとありえないとお怒りでした。わたしは降ろすよう説得したけど……」


 チェルシーは子供は産む、絶対に口外はしないし、殿下や王室に迷惑はかけないと断言してしまったそうだ。

 そこで王妃に報告した医師は、こんな命令を受け取った。


「チェルシーに堕胎薬だと言って薬を渡しました。飲まないようなら、兄が無実の罪で投獄されるだろうと脅して……。でも、あれは、妃殿下から渡された薬は、本当にただの堕胎薬だと思ってた! あんな風に人を壊すものだと知ってたら……」


 中身を改めてはいけないと言われた医師は、その命に逆らう勇気がなかった。これが医師が王妃から距離を取った理由である。

 こうしてジェフリーは真相を知ることとなった。そして同時に、ライナルトは彼が尤も欲していたものも寄越した。

 チェルシーの気を落ち着けるための薬である。ヴェンデル達が処方したもの同様に彼女の心を落ち着けるためのものだが、効き目はこちらの方が断然良かったらしい。調べたところファルクラムでは入手が難しく、値が張る薬だったようだ。


「……ライナルト様からの要求は?」

「要求と言うよりは、甘言です。ダヴィット殿下へ復讐を望むのであれば協力する、と」


 ライナルトがただでそんなものを渡すはずがないからと聞けば、予想は当たっていたようだ。

 ただ、彼らの予想とは大きく違える結果になったのは、ジェフリーがジェミヤン殿下を裏切れなかったという点である。少なくともそのときだけは、だが。


「チェルシーも大事です。ですが王族殺しは大罪な上に、ジェミヤン殿下の兄上を手にかけるなどと……迷ってしまった。それに殿下には剣を教えた日々があったのも事実。すぐに拳を振りかざすような真似、私にはできなかった」


 ただ、それも最初だけだった。一度チェルシーが落ち着きを取り戻してしまうと、次の薬を求めないわけにはいかなくなったのだ。大金を積んで薬師に渡りを付けることが、ライナルト方との繋がりを保つきっかけになったのである。ライナルト、もといモーリッツさんには足下を見られて、普通に城の行き来するだけでは知らないような道筋や裏道の話をしたようだ。殿下付きだったジェフリーは、普通の貴族では出入りを許されないような城内奥の構造まで把握していたのである。


「軽率だったのはわかっています。あの時の私は情報を渡す意味をあえて考えないように――いえ、たぶん……心のどこかに在った、行き場のない怒りを晴らしたかったのでしょう」


 自らの行いを振り返るジェフの声は憔悴しているようだった。

 ダヴィット殿下へ抱く復讐心が燻り続けていることを見抜かれていた。告発せず、沈黙を貫いたのがその証拠である。

 さて、ジェフリーが抑えていたダヴィット殿下への復讐心とジェミヤン殿下への複雑な忠誠心。大きくバランスを崩したのが御前試合である。

 結果としてダヴィット、ジェミヤン両殿下が亡くなったのだが、試合時の不自然な停止。あれはなんだったのか尋ねると、これにはジェフも十数秒ほど黙り込んだ。


「……笑い声が聞こえたのです。耳を塞ぎたくなるような、人をあざ笑う男の声が」


 それはジェフリーの知るどの人物の声とも違った。次の一瞬だけ身体が動かなくなり、相手に殴り倒されていたという。

 ……そういった不可思議なことができそうな人物の心当たりは置いといて、だ。

 ジェフリーは試合に負けた。

 あの時は本気で勝つつもりでいたらしく、負けた事実が認めきれなかったそうだ。そうこうしているうちにジェミヤン殿下が槍に身体を貫かれたのだが、この瞬間にあらゆる感情が爆発した。

 自覚せざるを得なかったそうだ。彼はとうとうジェミヤンを嫌いになりきれなかったのだと。


「あの方は弱い。どうしようもなくお心が弱かった。そんな殿下を知っているのは自分のような身近な存在の人間だけでしたから……。城内の情報を漏らした身でこんなことを言う資格はないのかもしれませんが、あの時はチェルシーに続きジェミヤン殿下までも、と」


 本来ならば殺害までには至らなかったのかもしれない。けれどこの時、ジェフリーの頭にあったのは「復讐」の二文字である。時間をかけて燻ってしまった想いを呼び起こされたことが、剣を取った原因である。

 あとは私も目撃したとおり、ライナルトが彼を止めた。ジェフリーにとって驚きだったのは、ライナルトが彼を助けたことである。

 傷に魘され起きたジェフリーに、彼は呆れ顔でこう言った。


「貴公、もう少し慎重に動けないのか。あと一歩遅ければ死んでいたぞ」


 まるで猪のようだ、と動物に例えるも怪我の治療をしてくれたようだ。なお、このときに顔の治療は断っているのだが、ふくれっ面で文句を言う色男の姿があったらしい。この時、色男が御前試合で聞いた声の主だと気付いたそうだが、質問は許されなかった。

 なお、色男の特徴を聞いたのだが、これはシスで間違いないようである。なにがただの見物人だ、やっぱり手を出してるじゃないかあの男。


「ただ、どうもライナルト様とは意見が食い違っていたように思います。根拠はありませんが、あの青年は酷く叱られていましたので」


 その後は人目のない場所へ輸送されたが、それは処刑台に向かうためと勘違いしていたそうだ。死を覚悟したジェフリーに渡されたのはチェルシーの身柄と宝石が入った袋である。

 この時彼を逃がしてくれたのは、ライナルトの部下ヘリングさんである。


「言わなくてもわかってるでしょうが、二度とファルクラムには踏み入らないでくださいよ。戻られてしまったらお二人とも手にかけなくてはならなくなる」

「どうして私たちを逃がしてくれる。そんなことをしたら貴方がたが危ないだろう」

「ええまあ、貴方や妹さんに似た体格の人間を探すのは大変でしたが、おかげで我々の手間が省けた。……予想とは大分違う終わり方でしたが、宝石はその礼ですよ」

「そうではない。私のような人間を生かすなど……」

「どのみち王室はお終いですよ。もしまだファルクラム王家に忠誠心とやらが残っているのなら、尚更いまのうちに去った方がいい」


 二の句が継げないジェフリーに、それをもって何処へなりとも行け、と放逐しようとした。無論、最初は簡単に納得できなかったが、ヘリングさんは真面目な顔で言ったそうだ。


「行け、といってる内にいった方が妹さんのためですよ。どういうわけかライナルト様が貴方を気に入り、剣を取ってまで助けたからこそいまがあるが、貴方の口を封じたい人間は大勢いる」

「君は違うのか」

「閣下の命を優先するだけです。ああ、もし働き口がなくなったら、訪ねてきてください。貴方のような腕利きは歓迎します」


 宝石だけでは立ち行かないだろうと、硬貨やチェルシーの薬に馬まで用意立ててくれたのである。どうやらジェフの語る「恩人」とはヘリングさんのようだった。

 ファルクラムを追い立てられたジェフリー。もはや引き返すわけにもいかず、僅かな縁を頼って田舎まで逃れたが、あとはウェイトリーさんの予想通りである。村人からチェルシーが疎んじられたために、あえなく出奔というわけだ。

 一通り話し終えると、ジェフは大きな息を吐いた。幸せを逃してしまいそうな溜息だ。


「私は迷うばかりで、結局大事なことは何一つ決められなかったのです。この話をしようとして口を強ばらせたのは、私の愚かさと弱さをを知られるのが怖かったためだ」

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