第109話 ただ守るためだけに

 兄さんはヴィルヘルミナ皇女を支援する気でいるが、皇位争いはどちらが勝利しても生き残れるよう模索しているのだろうか。ジェフの言葉を信じるなら、兄さんが命――いや、当主でいられなくなってしまった際は、コンラートに預けられていたエミールがキルステンの跡継ぎとなることで、キルステンは繋がる。

 期待通りヴィルヘルミナ皇女が皇位を継いだとしても、兄さんは私たちを助けるつもりなのだろう。


「兄さんも無茶するなぁ」

「カレン様が思うよりも、兄上殿のお立場は悪くないかもしれません。なにせ皇女にかなり気を遣われているように感じます」

 

 第二秘書官補佐の立場も最たるものではないか、ジェフは推測する。

 そもそも外部の貴族を内に置くだけでも相当なものだ。だがメインである一番の秘書補佐では人々の反感を買うし目をつけられやすい。その点次位の二番秘書補佐なら、ファルクラムに次代総督後見人を据えるにしても悪くない地位だし、おそらく当たり障りのない立場に据えたのではないかと見解を述べたのだ。

 なんてことになったんだ、盛大に嘆いてみたいが、実は兄さんのことをそう言えた立場じゃないのも事実だ。なにせこういった事態は覚えがある。兄さんと姉さん、そして私の立場を入れ替えれば、今回の件は私が兄姉にやったこととほぼ同じだからだ。

 ……こういう気持ちだったんだろうなぁ、なんてしんみりしても今更だろうか。


「そういえば、仮住まいの屋敷も立派だったし、ヴィルヘルミナ皇女の同士も多いと言っていたような」

「顔合わせも兼ねているのでしょうな。私が聞く限り、皇女の信奉者はなかなか苛烈な御仁も揃っていると耳にした覚えがあります。国外の貴族をそういった場に招くのは余程なのでは?」

「…………ごめん、兄さんが評価されてるのは嬉しいけど、少し複雑です」

「善し悪しを簡単に呑み込んでしまうには、カレン様はお若すぎる。そういったのは年寄りに任せておけば良いのです。大事なのは耳を傾け、道を見据えること、それだけですよ」

「その道が難解なのですが……。気をつけます」


 そこでジェフは立ち止まり、あぁ、と小さく呟いた。同じように空に目を向けると、雲一つない透き通った青が広がりっている。まったく見事な快晴だが、ジェフの呟きには万感の想いを込めた憂いがあった。


「あの方のお耳に届くだけの声が私にもあったのなら、今頃はもっと違った結末もあったのでしょうか」


 ジェフの言う「あの方」が誰のことかはすぐに想像がついた。区画が変わると、大通りよりはやや人の少ない道を選び、こう尋ねたのである。


「もしお疲れでなければ、遠回りしても構いませんか。……聞いていただきたい話があるのです」

「もちろんお付き合いしますけど、無理はしなくていいのよ?」

「私が聞いていただきたいのです。それに、チェルシーは貴方がたに懐いている。薬まで処方してもらっている以上、黙り続けていては失礼にあたるでしょう」


 それに、と寂しそうに漏らすのだ。


「私もいい加減認めなくてはならない。私が殿下をお恨みしていたことも、あの子が正気に返ることはないという現実も」


 ジェフは彼と妹の身になにが起こっていたのかをぽつぽつと語り始める。

 それは、両親を早くに亡くした兄妹の話であった。


「チェルシーは気立ての良い娘でした。ご覧いただければわかるでしょうが、あれでなかなか器量が良く、良家から縁組の相談もいただいたほどでした」

「人気があったんですね」

「いまはもう覚えている者も少ないですが、私と同じく城仕えしていたのです」

 

 ファルクラムだと、礼儀作法を身につけさせるためと娘を城仕えさせることは珍しくない。早くに親を亡くしていたジェフも妹を推薦して城に送ったという。


「妹自身は城仕えになど興味はありませんでしたが、推薦した私に恥をかかせるわけにはいかないと笑って城に入りました」


 真面目な気質だったのか、よく働き周囲の覚えも良かったようだ。この頃のチェルシーは住み込みで働いていたようで、たまに会いにいくと明るく未来を語っていたという。仕事に働き甲斐を見出したらしく、改めて勉強に力を入れていた。文官になれたらと夢見ていたようだ。


「遅まきながらの夢だけど、と本人は照れていましたが……。私もチェルシーが夢を持ってくれたのが嬉しかった。私たちは早くに両親を亡くしていましたから、チェルシーは家のために余所に嫁ぐべきではなどと考えていましたので、生き甲斐を見出してくれたのが誇らしかったのです」

 

 ところが、である。

 ジェフ、いやジェフリーが第二王子であるジェミヤン殿下の命で数日王都を離れていた。戻ってくると、チェルシーが怪我をしたと知らされたのである。

 その日のことを彼は忘れない。

 チェルシーの部屋に駆け込んだジェフリーが目撃したのは、痛々しくも笑う妹の姿である。彼女は必死に誤魔化そうとしていたが、同室だった女性が内密にと教えてくれたことで事実が判明した。

 暴力である。

 ジェフは淡々と語ったが、当時の彼は頭が真っ白になった。安全なはずだと送り出した先で妹が痣を作り、腕を折ればそうなるだろう。その上、当時のチェルシーは兄であるジェフリーのことすら怖がる傾向を見せた。幸いにも性的な暴行はなかったようだが、兄ではなく男として怖がられたことで、嫌でも妹がどのような目に遭ったのかを思い知らされたのである。


「ただ、チェルシーは決して犯人を言おうとしませんでした。目撃者もおらず……当時の私は犯人を懲らしめると息巻いていたので、暴力沙汰が嫌いだったあの子の耳に届いてしまったのかもしれない」


 彼女は一旦休職。実家に戻ることになり、ジェフリーもなるべく実家から城に通えるよう計らってもらえた。この時のジェフリーにはジェミヤン殿下が懐いていたこともあり、上の覚えも良かったのもあった特例だろう。彼の状況を聞きつけた王妃の計らいもあって定期的に女性の医師を寄越してくれたようだ。一月も経つ頃にはチェルシーの痣もすっかり消え、笑顔を取り戻しはじめた。城仕えは辞めると宣言し、社会復帰に向けて取り込み始めていたある日のことである。

 チェルシーがおかしくなった、と報せが飛んできた。

 突然の出来事だった。

 彼女を発見したのは、通いの家政婦である。出迎えがないことを疑問に感じ入室した時には、すでに正気を失ったチェルシーが口を開きながら窓の外を見つめていたのである。

 その時にはジェフリーのこともわからなくなっていた、拙い言葉で感情のままに泣き笑いする童になっていたという。

 二度目の混乱だった。

 ただ、今度はジェフリーも困惑に飲まれるばかりではない。彼女を医師に預けると復讐すべく調査に乗り出した。

 

「……その、彼女に変わった様子はなかったのですか」

「その日までは、なにも。徐々にではありますが私にも近づくことができるようになり、朝も手ずから食事を用意してくれたほどでした。私が知っているのはそれくらいでしたが、医師に聞いても同意見でしたね」


 医師も親身になって彼女の相談に乗っており、そのおかげで元気になっていたという。傍にいるといってもジェフリーも忙しい身、仲良くなっていた医師の方が彼女に詳しかったくらいだ。


「家政婦さんからはなにか証言はでましたか」

「それが、なにも。前日も変わりなく普通だったと……。ああ、その方は古い付き合いのあるご婦人で、昔から親交の深い方でした。間違ってもチェルシーに害を加える方ではありません」

「なら、どうして……」


 彼女の傍には水の入った杯、強い作用をもつ薬物。周囲は自殺に失敗したのだと考えた。この頃にはなにも言わず城を去った彼女に不名誉な噂が流れていたし、将来に絶望したのもやむを得ないとの結論で落ち着いたのだが……。


「納得はできませんでした。確かに城内では働けなくなったが、チェルシーは文官となる夢を諦めていなかった。王都は難しくともどこかの領地で働ける場所があるはずと言っていたのですから」


 それに、とジェフリーは零す。淡々と語っているけれど、爪が食い込むほど手の平に食い込んでいる。


「これは、最後まで周囲には黙っていましたが、どう考えてもチェルシーが自殺をする理由がなかったのです」

「……なにを?」

「チェルシーは子を身篭もっていました」


 流石にこれには、なんと反応を返したらいいのかわからない。


「なにもわからなくなってしまったチェルシーの足下に……痕跡が」


 絨毯に子が流れた痕跡がはっきりと残っていたという。

 妊娠の傾向を見せなかったがチェルシー。彼女が腕を折った日、暴行を受けた形跡はなかったようだから、おそらく妊娠自体は事件以前のものだ。

 以降はありえない。チェルシーは男性を恐れたし、実家に戻ってからは家を出入りしている人物はチェックしていたので、不審者は入りようがない。

 ……こんな言い方は申し訳ないが、それはもしや妊娠が発覚しての……とは思ったが、これは聞かずともジェフリー自ら否定した。それがよくよく彼女との会話を思い出すに、社会復帰を決めてからのチェルシーは母子だけでやっていけそうな土地を探していたのではないか、と至ったのである。

 例えばジェフリーの助太刀を必要としなくても済むように、とか。女性が多く働き口を得ている領地の策定とか。

 ジェフリーは王都から離れたい気持ちからくる選択だと考えていたが、もしチェルシーが妊娠を自覚していたのなら腑に落ちる。犯人の名を挙げようとしなかったのも、襲われた状況をぼかしたのも、相手を庇っての行動かもしれない。そう考え、彼女と同室だった女性に問いただすと、気まずそうに教えてくれた。

 たしかにチェルシーは事件数ヶ月前から浮かれることが増えた。彼女が買わないような装飾品を持つようになったと答えたし、実際棚からは練絹に包まれた宝石が見つかっている。

 ただ、同僚が彼女を問い詰めなかったのは、チェルシーが教えなかった以外にも理由がある。こういったことは侍女間では希にある話らしく、所謂秘密の恋というやつらしい。身持ちが堅く、しっかりしていた彼女が浮かれるほど恋しているのなら、きっと良い相手でも現れたのだろうと考えていたそうである。

 

「……私はそんな話を知らなかったので……。信頼のおけない兄だと思われていたのかもしれません」


 乾いた笑いをひとつ。それからの経緯を教えてくれた。

 とにかく、チェルシーは将来に絶望していなかった。それどころか母と子だけでやっていく心積もりだったから、自殺を図るはずがない。ジェフリーは彼女を看ていた医者などに話を聞いて犯人を突き止めようとしたが、そこでしくじった。

 彼が調査していることが王妃の耳に入ったのだ。


「大事な家族が傷つけられた痛みは察します。だがこれ以上城で不要に動き回り、お前を敵視する者が出るのなら、ジェミヤンの教育係から外さざるを得なくなりますよ」

 

 彼の動きを良く思わない人達がいる、と忠告されたのである。王妃に窘められ調査は水面下で行うことにしたが、この助言が意外なところで進展を見せた。教育係として仕えていたジェミヤン殿下の兄、ダヴィット殿下の配下の内の誰かがチェルシーの恋人ではないかと掴んだのである。

 ただ、そこから先がどうもうまくいかない。チェルシーの恋は本当に秘密だったらしく、証言が得られないのだ。チェルシーと同室だった侍女も遠方に嫁ぎ先が決まってしまったので、連絡を絶たれてしまった。

 彼の信条に反するが、賄賂等駆使して容疑者を絞った頃には、該当しそうな人物は家を継ぐため領地に下がってしまった後である。


「ただ、もしダヴィット殿下付きの方であれば相当な身分の方ですから、慎重に動かねばならず……」


 けれど確たる証拠もないまま、わだかまりを残して十余年。諦めが彼から勢いを殺し尽くそうとしていた時、思わぬ方面から情報が入ってくる。

 ローデンヴァルト候の次男、ライナルトである。

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