第108話 道は違えど託すもの

「……兄さん、ファルクラムで私に黙って活動していたのは、それが理由?」

「気付いてたのかい」

「いいえ。この間皇女殿下にお会いするまではまったく。だけど、少し考えればわかることだわ」


 アヒムの過剰反応もそうだが、兄さんがヴィルヘルミナ皇女の元で役職に就くのに一朝一夕ではいかなかったはずだ。そうなれば、彼女と知り合ったのは……例えば、彼女がファルクラムに訪れてからではないだろうか。

 彼女はライナルトにファルクラムを取られたのが気に食わないはずだ。次のファルクラム総督として据えられるのが確定している子供の後ろ盾であるキルステン、そこを落とすのは考えられない話じゃない。


「……皇女殿下がファルクラムに初めて来られた時? それとも……」

「カレン、すまないがそういう話をするために呼んだのではないよ」

「兄さん!」


 じゃあ一体どういうつもりでこんなことを打ち明けたのだ。

 感情的になってしまう私を、兄さんは片手の平で制止する。アヒムに目配せをすると、彼は壁の方向を顎で指して頷き、人差し指で耳をトントンと叩くのだ。


「私が皇都に到着した以上、噂がお前の耳に入るのも遠くはないだろう。だから先に、私の口から話しておきたかったんだよ」


 兄さんもまた、喋りながら口の前で人差し指を立てる。

 ここまでされると、私とて二人がなにを言いたいのか理解できた。

 ……聞き耳を立てられてるのだろう。言葉に気をつけろ、と唇の形が忠告している。


「もうすこしゆっくり話をしたかったが。……カレン。私はね、できればお前にライナルト殿と手を切ってほしい」

「……無理な相談です。コンラートの後見人がどなたか知らないわけではないでしょう」

「いまならヴィルヘルミナ皇女殿下の庇護を約束してもらえる。お前さえ頷いてくれるのならね。その言質も取った」

「そういう問題じゃありません。あの方を後見人にするのは私が決めたのよ」

「わかっている」


 短いけれど、頑として譲らないときの声音だ。私だって初っぱなから言い争いなんてしたくないけれど、拳に力がこもるのは止められなかった。


「個人的な意見を言わせてもらおう。私はどのような形であれ、国王陛下を弑虐する形で国を奪った彼を信じることができない」


 ……はっきりと告げられてしまった。

 直接言われないから黙っていたけど、薄々そんな気はしていたのだ。兄さんの性格からして、あの日からライナルトを良く思っていないであろうことは。けれどそれがこんな形に繋がるとは思ってもみなかった。

 姉さんは難しくとも兄さんは……。キルステンがこちらに移ったあたりで席を設け、いくらかでも講和の機会を得ればいいと考えていた私は甘かったのだろう。


「兄さん、ライナルト様がいたからファルクラムは……」

「カレン、これは結果ではないんだ。もしかしたらこれが国、いや彼にとって最善だったのかもしれない、犠牲は少なかったかもしれない。集められた限りの情報で私とて色々知ったさ……だからそんなことは私とて理解している」


 或いは、兄さんだったら私と共に在ってくれるはずだと、心のどこかで信じていたのか。兄さんとて兄さんなりの意思があり、信念がある。ファルクラムの争いは終結したと、その心を見抜けなかったのは怠慢だ。

 

「ヴィルヘルミナ皇女と話したよ。これまでのことは殿下なりのお考えがあって動いておられる。ファルクラムがああなってしまったいま、彼に比べれば、彼女の信念こそが次代に相応しいだろう」

「……それは、兄さんだけでなく姉さんも同じ考えでしたか?」

「例え皇太子として擁立されたとして、今後も敵が多いばかりの彼の元でゲルダや、まだ見ぬ甥か姪が安全とは到底思えない」


 答えにはなっていないから、姉さんははっきりとした返答をしなかったのだろうか。どちらにせよ、確たる兵力や実権を持たない姉さんはキルステンの方針に従うしかないわけだけれど……。

 でも、そうか。いまの話で確実にわかったことがある。ヴィルヘルミナ皇女は皇位を諦めていない。

 

「皇女殿下のお考えを私は知りません。ですがそれは、少なくとも兄さんの考えを揺るがすほどのものだったのでしょう」

「せめて皇女殿下と話してみてくれないだろうか。お前がその気になってくれるのなら、機会を設けようと思うが……」

「でしたら兄さんも一度ライナルト様とお話ししてくださいますか?」

「……難しいことを言うね」

「はい、わざと意地悪を言いました」


 残念そうな、すでに覚悟していたような響き。

 ――だとしたら兄さんは、私の返答なんて予測していたのではないだろうか。


「……コンラートは、彼らにとって」


 あの長閑な、なんの罪もなかった土地が、皇帝とヴィルヘルミナ皇女の間でどういう扱いになっていたのか、兄さんは知っているのだろうか。

 聞いてみたい気がしたけれど、口を噤んだ。少なくともこんな場所で言っていい話題ではない。


「……知っている、と言ったろう。ヴィルヘルミナ皇女から直接聞いたさ」


 私の葛藤なんて兄さんにはお見通しだったようだ。優しい面差しに確たる意志を込める姿は、私の知るアルノー兄さんとは違い、血縁ではなくキルステン当主としての側面を向けられていた。


「……それをご存知でヴィルヘルミナ皇女に仕えるんですね?」

「そうだ」

「ではお聞かせください。コンラートの扱いについて、皇女殿下はなんと仰っておいででしたか」

「言葉らしい言葉は引き出していない。ただ事実である、と」


 そして、これ以上兄さんはなにも言わないし、声を出さない。

 ――まさか。


「……それだけ?」

「そうだ」


 思わず背を椅子に預けていた。さすがに涙を流すほどではないが、吐けたのは諦観のような長い息だけ。


「でしたら、ええ、尚更兄さんのお言葉には無理があります。ましてコンラートはあの方に命を救われたことでご縁を繋ぎました。今更後見人を変えたところで、人々はコンラートを恩知らずと中傷し、信用すら失うでしょう」

「皇女殿下はそのあたりも配慮してくださるだろう。帝都内では顔の利く御方だ、コンラートに有利な取引も融通できる。帝都内で彼がどれほど不利な状況にあるか、お前は知らないだろう」

「はい、あまり詳しくはありません」


 ここは嘘を言っても仕方ないし素直に頷くけれど、ぽっと出の皇太子の立場なんてある程度予測はしている。

  

「カレン、私の提案はコンラートを長らえさせるためだとは思ってくれないだろうか。せめて考えるだけでも……」

「私もそのつもりであの方の行く末を見据える道を選びました。それに……」


 うん。それに、だ。


「私が行く道は、私自身の目で確かめて決めます。この決定を覆すつもりはありません」


 そうしていいと、伯は言ってくれたのだ。

 散々悩み抜いて決めたいまだ。兄さんであろうと譲れないだろう。

 もし兄さんがコンラートが他国との取引材料に使われた件を知らなかったら、もしかしたら考えを改めてくれる機会になったかもしれない。だけど知っている上で皇女方を選び取ったのだ。


「……私もお尋ねします。兄さん、秘書官補佐を辞するつもりはありませんか」

「ない。……私もすでに決めたからね」


 だからこれ以上は先がない。もっと交わす言葉があったかもしれないが、おそらく互いの意志を変えるほどの決定打にはなり得ない。

 ……兄妹だから、姿を見たらそのくらいはわかるつもりだ。しばらく見つめ合った後、先に折れたのは兄さんだ。数度頷きながら力を抜き背もたれに身を預ける様は、さながら空気の抜けていく風船だった。


「……お前はこうと決めたら譲らない子だ。今のところは諦めるが、気が変わったら言いなさい」

「それはこちらの台詞です。兄さんこそ秘書官補佐を辞めるときは教えてくださいな」

「難しいだろうな。……そうそう、ここは仮住まいとして住ませてもらっているだけでね。家はもうすこし人気のある場所に移る予定だ」

「あら、では途中ですれ違った方々は……」

「同僚や皇女殿下の同士……といった方々かな。だから次に会うときは、もうすこし訪ねやすい環境が整っているはずだ。せめて妹としては遊びに来なさい」


 難しいことを言っているけれど、これが兄さんなりの精一杯の愛情なのだろう。聞き耳を立てられているというのにこんなことを平然と口にするのだから、ファルクラムにいた頃からすれば、段々と肝が据わり始めているのではないだろうか。

 ……そういえばライナルトも兄さんの動向を気にかけていた。もしかしたら、ヴィルヘルミナ皇女の動きを掴んでいたのだろうか。

 

「……短いですけど、今日の所はこれでお暇します」


 交渉は決裂となった。そうなれば、あまりこの場に長居はしたくない。下手な会話は兄さんを不利にするだけである。


「しばらく会えないと思っていたから、元気な顔を見られてほっとしました。……姉さんは元気です?」

「ああ、健康面で言うならもう問題ないよ。私が出立する前は美味しそうに食事を取っていた」

「……そっか。ならよかった」

「お前は自分の体を顧みなさい。帝都に到着してすぐは予想していたが、まさか二度も臥せているとは思わなかった」


 二度目の方は不可抗力です。

 見送りまでしてくれるようで、帰りは兄さんとアヒムが玄関まで出てきてくれたが、アヒムは心なしか悲しそうに目を伏せている。


「守ってくれようとしてたのに、ごめんね」

「……いえ」

「家族としての支援はできる限りしよう。なにかあったら私の元に来なさい」

「ありがとう。またね、二人とも」


 怒るのはともかく、悲しい顔はあまり見せない人だ。少し胸は痛んだが、もし情勢が悪化した場合、今後は人前で彼と二人きりになるのも避けなければならないだろう。そのため、帰りの馬車も断ってジェフと歩いて帰ることにした。


「ジェフ、待機中に変わったことはなかった」

「特になにも。使用人も水や食べ物を差し入れてくださいましたし、対応も丁寧でした」

 

 ジェフは私たちの間に流れていた空気を読んだのだろう。なにも聞いてこなかったが、どうも私が喋りたい気分だった。

 家までの長い道のりを、ぽつぽつと話し始める。事前に話をしていたから予想が確信に変わっただけだけれど、ジェフは静かに耳を傾けてくれた。


「カレン様は、ヴィルヘルミナ皇女との会談を望まなかったのですね」

「そうね、正直、それだけの覚悟はなかったというか。……兄さんが皇女に同意するだけのものはあるんだろうと思うけど。……ああー……でも少しは話を聞く姿勢を見せておいた方が良かったのかしら。勢いで出てきちゃったし、どこで知り合ったのか聞き出せば良かった」

「……ふむ、説得ではなく要求から入られた、さらに引き留めはされなかったと」

「ジェフ?」


 ジェフは首を傾げて腕を組む。兜で表情はまったくわからない。大分見慣れた光景だけど、端から見ればやっぱりどこか不思議で面白い姿だ。


「ならばカレン様の仰るように、貴女様が皇女になびくとは考えてなかったのでしょうな。加えて、ご本人は皇女付きといった破格の待遇を得ながらエミール様の返還を求められなかった」

「……そういえば言われませんでした」

「でしたらやはり、これでよかったのでしょう」


 ジェフは続ける。ウェイトリーさんには及ばないけれど、彼も宮仕えが長いだけあってこういったやりとりには聡い。どうやら私には汲み取りきれなかった思惑があるようで、彼はすぐさま見解を述べたのである。


「アルノー様は立場があるにも関わらず、わざわざ貴女様になにかあったら、と口にしていた。……私には、もしライナルト様の元にいられなくなった時の逃げ道を確保しておくというようにも聞こえました」


 そして吃驚したのは、兄さんと私が会話していた際、アヒムが彼に対して黙礼し、目で何か訴えていたことだ。ジェフはそれを「頼む」と受け取ったらしい。

 

「……じゃあ、皇女の信念に感じ入るところがあったって言うのも嘘?」


 ここ、兄さんの心を疑うようで申し訳ないけれど、若干期待したかもしれない。声は上ずったが、ジェフの答えはノーだった。

 

「そこは本当でしょう。アヒム殿から聞いていた兄上殿の人柄からして、嘘をつく御仁ではない。ですからご自身の判断を優先した上で、言外に今後の行く末も述べられていたのではないでしょうか」


 だとしたら相当わかりにくいメッセージじゃないか。そんな意思まで読み取れというのは酷だと文句を言うと、ジェフも頷いた。


「同意いたしますが、カレン様を信じた結果故かと。もしくはウェイトリー殿に相談すると見越した上でのことか。……何にせよ、エミール様がコンラートにいる以上、キルステン家自体は繋がります」


 ジェフが悪いわけではないけど、嫌な話に繋がってしまった。つまり、皇位がどちらに転んでもいいようにというわけだ。


「……なんですかそれ。兄さんがいてこそのキルステンなのよ」

「でしたら兄上の有事には、カレン様が助けて差し上げればよいのでは」

「ジェフも結構無理言うわよね!?」

「……失礼しました。ウェイトリー殿に影響されたのやもしれません」


 謝っても遅い!

 ――が! ……彼の言うことも、わかる。

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