第106話 貴人来襲

 

「ライナルト様だけ反対、ですか……」

「こんなことを知られてしまえば、皇帝は私を排斥にかかるだろうが……。ええ、それが私の本心だ」

「……シスを出してあげたい……とか、そういう親切心では……ありませんよね」


 利害の一致と言っていたし、同情したとかではないだろうなと知っていながら尋ねれば、案の定ライナルトは頷いた。


「親切心を起こしたくなるような人柄ではありませんからね。ただ、私はあれの帝国のおける有り様が気に入らないだけだ」

「有り様って?」


 帝国事情はまったくわからないから、質問ばかりになってしまう。けれどライナルトは嫌な顔一つせず教えてくれた。


「あれは皇帝やその後継と定められた者には従順だ、と言われている。膨大な力故に、箱がある限り代々の皇帝は外部の刺客に怯えなくて済む。その上、ある程度はなんでもこなせますから」

「……強いですね」

「昨今は力の陰りがみられるが、それでも充分強いでしょう」

 

 シスは捻くれているが、皇族に反抗したことはないらしい。ただ、それもすべて『箱』の効力のせいらしく、嫌々やっているのは周知の事実なのだそうだ。それが気に食わないのが歴代皇帝である。


「箱が壊れる以前はあのように姿を見せることはなく、皇帝の望むままに魔法を扱えていたとか」

「だから箱を修理したいと考えてるんですね……」

「その通り。ただあれは遙か昔の遺物です。研究は進められているが、その解明には未だ至っていないのが現状だ。故に、シスを封じ込めたとされる遺跡の掌握を急ぐのですよ」


 シスが目を覚ますまでは、建国の母システィーナに感銘を受けた稀代の魔法使いシクストゥスが自ら箱に入り、半精霊としての力を皇族のために捧げたと伝えられていたようだ。

 けれど蓋を開けてみれば、まるで大違い。箱でありその影であるシスは皇帝と直系の後継までは命に従うけれど、それ以外には気まぐれで反抗的。暇つぶしと称して分家や有用な配下を潰したことも多々あった。長年彼のやりように頭を痛めていたが、更にここ数十年の間で昔ほど大がかりな魔法を扱えなくなってきた。

 シス曰く、自身ではなく箱に限界があるのだと言ったそうだ。

 例えば遠く離れた国の様子を広範囲に渡って偵察するとか、国内の反政府組織を細かく探し出し壊滅させるだとか。

 ……ちょっと違うかもしれないけど、シスは電力、箱は電化製品と考えたらわかりやすいかもしれない。耐用年数を考えず、整備もなしに使い続けたら当然物は壊れはじめる。

 帝国が勢力を衰えさせず、数々の国を蹂躙し呑み込んできたのは『箱』の力もあったのだろうか。

  

「……半精霊」

「らしいですが、さて、真偽はどうやら。私にわかるのは、あれは人間ではないということだけだ」

「解明しようとは思わないんですね」

「半精霊が事実であったとして、暴いたところで協力する気のない者を傍に置く理由にはなりません。力尽くで従えるのは嫌いではないが、そもそもあれを従えたのは昔の人間だ。安全を約束された高みから座する輩が、我が物顔でシスを利用したところで己の実力ではない。やっかいなのは、連中が恥を恥とも思わないところですが……」


 ライナルトにしては珍しく雄弁で、己が心情を率直に語ってくれる。それが面映ゆいような、愉快なような。つい笑ってしまっていた。

 

「確かに、うん、それは箱を修繕したい方々とは意思を反しますね」

「そういうことです。……カレン、私はなにかおかしなことを言っているだろうか」

「いえ……つまるところライナルト様、それだけの理由で壊したいんだなぁって」


 ニーカさんも話していたが、彼女を起用してる点といい、実利主義というか……。この人は、自分自身の手で掴んだものを第一に考えるのだろう。


「誰かから譲られたものに意義は見出さないのですね」

「そういう生き方を否定はしません。ただ、私には合わなかったのでしょう」

「だからシスを追い出すのですね」

「言ったでしょう、嫌々随従する者に興味はない。出ていきたいというのならさっさと追い出せばいい。飼い続けたところで余計な恨みを買うだけだ」

「安全は買えるのに?」

「殺されるならそこまでだったということです。……カレン、わかっていて聞いていますね?」

「ふふ……はい、直接お聞きしたかったので」

 

 シスは人間が嫌いだと言っていた。ライナルトのような考え方の人は、同情で手を差し伸べられるより、よほど信頼できたのかもしれない。

 ……うん。周囲には敵を作りやすい人だが、私は彼の有り様は好きだ。おかげでファルクラムで手を取ったことを、この先も後悔しなくて済みそうである。


「よかった。あなたのそういう所が好きだと感じてたのは気のせいではなかったようです」


 後の問題は、我が家が彼の期待に応えられるだけの働きができるかどうか、なのだが……。こればっかりは私が早く経験を重ねて、実務の邪魔にならないよう努めるしかない。

 

「ところでライナルト様、意外と手がごつごつしてるんですね」

「一応武芸を嗜みますからね。最近はすっかり剣を振る機会も失せましたが」

「機会があったらそれはそれで拙いのでは」

 

 大きな手に守られながら水路を進むと、やがて遠くにぽつんと灯った明かりが視界に届いた。入り口には誰か立っており、こちらの姿を認めると灯りをぐるぐると回して合図を送ってくる。


「殿下! 戻られましたか……!」


 ライナルトの護衛官の一人だったはずだ。ライナルトを見るなりぱっと顔を輝かせるお兄さんである。

 

「いま戻った。こちらの様子はどうだ」

「ご命令通り、数名を残し退去してございます。アーベライン殿からは早くお戻りになるよう言付けを預かっておりますが」

「もう少ししたら戻る。それより通路の方だが……」


 繋いでいた手は離れて、先に私を部屋に押し込んだ。すでに地下室全体に灯りが入っていたから、ほっとできる安心感がある。


「引き続き我々で管理を行う。まだ外に続く道があるはずだ、捜索を急ぐぞ」

「……畏まりまして!」


 心なしか声が大きいのは、予想以上の成果があったからなのだろうか。

 ライナルトが戻ったと聞きつけたのか、ヘリングさんが上階から姿を現す。


「殿下、ちょうど良いところに!」

「ヘリング、どうした」

「は、それが……」


 ヘリングさんがチラリとこちらに視線を投げる。あれ、私? と思っていたら、なんと玄関側で私を心配した家人と押し問答しているらしい。


「殿下と屋内を改めている最中だと……なんとか時間を稼いでおりますが……」

「まぁ大変。ごめんなさい、すぐに行きますね」


 急いで上に駆け上がると、玄関でエレナさんアヒムが言い争いをしている。争い、というよりも中に押し入ろうとするアヒムを、エレナさんが押しとどめている状況だが……。

 アヒム、と声をかけると、見るからに殺気立っていた形相が少しだけ柔らかくなる。


「お嬢さん! こんな所でなにしてるんですか!!」

「ああええと、これには深い事情があって……」

「軍人まで巻き込んでやることですか、ほんっともう、どうして家でじっとしててくれないんですかね!」


 うわああまずい。ここのところ、ただでさえ叱られっぱなしなのに、これでは火に油を注ぐようなものだ。口を聞いてくれなくなったら困る!

 咄嗟の言い訳が浮かばず狼狽えていると、背後から現れたらしいライナルトが会話に割り込んだ。


「それについては私から説明しよう」

「ラ……イナルト殿下」

「護衛殿にはご足労おかけする。ひとまず落ち着ける場所に移動したいと考えるが、如何だろうか」


 アヒムは頬を痙攣させるものの、ライナルトの言に従わないわけにはいかない。大人しく引き下がってくれたことでこの場は収まったのだが、さて、ライナルトはなんと説明するつもりなのだろう。

 どうやら地下水路の探検はけっこうな時間を消費していたようだ。家に戻ったところで子供達率いるウェイトリーさんも帰ってきたが、我が家にライナルトの姿があることに酷く驚かれた。個人的に合うのは二回目だからか、比較的ヴェンデルは落ち着いていたものの、エミールに至ってはガチガチに身を固めたのである。

 そしてこの人数の多さから、当然客間では入りきらない。食堂に案内することになったのだけれど、エミールにこっそり耳打ちされた。


「こんな一般家庭に殿下を招いてもいいんですか、もっと改まった場所にするべきでは」

「んー。多少散らかってるのはしょうがないけど、そこまで気にする人ではないわよ」


 ウェイトリーさんがお茶を淹れ、ようやく場が整ったところでライナルトが口を開いた。


「さて、まずは宅の大事な主人を長時間お借りしたことをお詫びする。いくらか行き違いがあったとはいえ、ひとまず怪我などはなかったのはこの通りだ」

「そ、そうそう。この通りピンピンしてますから。ええと、ライナルト様? ひとまず私から簡単に説明した方がよろしいかと存じますが、よろしいでしょうか」


 行き違いってなんだろうと思いつつ、すべての説明を任せるよりはと申し出てみたのだが、あえなく断られてしまった。


「そう難しい話ではないので構わないでしょう。……私が足を運んだのは、最近空き家のはずの隣家より奇妙な物音がするとカレンから聞いてね。私が紹介させてもらった家でもある、一応をと思い確認させてもらった次第だ」


 あーっとそうなるか。でもエレナさん経由とかって話すよりは話はややこしくないからいいか。ここでヴェンデルがおそるおそる挙手である。


「殿下がわざわざ足を運ばれたんですか……?」

「私はどちらかと言えば目付役だ。元はといえば、偶然話を耳にした宮廷付き魔法使いのシクストゥスが興味を示したのだが……」


 ライナルトが行った説明は多少の改変がされているものの、屋敷の調査に来た、という辺りを主張するようだ。結論としては、騒音の原因は不明だったが、内部で身元不明の遺体が見つかったと説明した。

 遺体のくだりは一同ざわついたのだが、アヒムは別の点で眉を顰めていた。普段ならばライナルトに直接声をかけるなんてしないはずなのに、このときは違ったのだ。


「まさかとは思いますが殿下、それをお嬢様が見ては……」

「心配する必要はない。我らが遅れたのは、シクストゥスの悪戯でカレンが別室に閉じ込められていたせいだ」

「閉じ……込められた?」

「あれの悪い癖だ。おそらく遺体以外、なにもなかったのが不満だったのだろう。長年人の住まわぬお化け屋敷には華が必要だと、人を驚かせたるために……」

「それだけのために……?」

「それがシクストゥスだ。疑うならば、彼の数々の奇行を調べるといいだろう。皇帝陛下に負けず劣らず、面白い話がいくらでも存在する」

「いえ、殿下のお言葉です。疑いはいたしませんが……」


 私の救出に時間をかけたというのがライナルトの言だ。アヒムを屋敷に入れなかったのは、彼があまりに興奮していたので、危険を感じたエレナさんがせき止めたのだという流れになった。それで納得してくれるか不安だったけど、アヒムは自覚があったらしい。エミールがぼそりと呟いた。


「兄さんと姉さんのことになると、簡単に手を出すからなこいつ」


 ……たぶんあなたが同じ目にあっても、アヒムは怒り狂うと思うよエミール。

 ともあれライナルトはシスにほとんどの責任を押しつけるつもりのようだ。


「隣家には不審者が張り込んだ可能性もある。仮にも後見人として証を立てている身だ、今後は私が責任を持って管理を行うので安心してもらいたい」

 

 私は閉じ込められた以外は元気で怪我もない。アヒムはライナルトの手前もあってか、疑い気味ではあったが納得してくれたようで、なんとか一件落着である。

 それより深夜に聞こえる謎の声の正体が幽霊かもということで、ヴェンデルが大騒ぎを始めてしまい、それどころではなくなったのも大きいだろうが――。

 ライナルトは説明を終え、お茶を一杯飲み干したところで退散となった。

 しかしこんな嘘をどこからでっち上げたのだろう。気になったので帰り際にこっそり聞いてみたのだが、こんなことを教えてくれた。


「昔、ニーカがシスに遊ばれた体験談ですよ。あれで幽霊といったものが苦手でしてね。彼女の場合は、そのまま扉を割って出てきましたが……」


 ……もしかして、ニーカさんが中に入ってこなかったのって?

 ライナルトは薄く笑うと、迎えの馬車に乗り込んで帰ったのである。

 その日の夜は喧噪が聞こえてくることもなく、無事夜を越えることができたのだが、ヴェンデルと私には問題が残っていた。

 前者は単純に幽霊を怖がったこと。こちらは部屋にエミールとアヒムを呼び込んだことで解決している。

 後者については……実際に恐怖体験をした手前、後になって黒い影が悪夢となって私を襲ったということ!!

 シスの正体でびっくりしてたから色々吹っ飛んでたけど、冷静に考えると怖かったから、あれ!!! しばらく薄暗い部屋には入りたくない。

 色んな体験が波となって押し寄せたせいだろう。翌日になると再度熱を出し、ベッドでうなされる羽目になったのである。私の体、弱すぎである。

 ライナルトからお詫びの果物を頂いたので、それを食べて休んでいる時だった。

 ぐっすり眠っていると、額に誰かの手が当たっていた。冷たくて気持ちいいし、どこか安心できるような気がして、深い睡魔に身を任そうとしたときだった。


「妹御の具合はどうだ」

「待ってくれ。ここは妹の私室だぞ、君が入ってきては……!」

 

 …………ここにいるはずのない人の声だ。

 目を覚ませば、人当たりの良さそうな人相の男性が慌てた様子で立ち上がりかけている。


「……兄さん?」

「…………ああ、起こしてしまったか」


 夢ではない、本当に兄さんのようだ。しくじったといった面差しを隠さない兄さんは、すまない、と申し訳なさそうに謝った。


「起こすつもりはなかったんだ。ただ、お前が熱を出して倒れたと聞いていたから、様子だけは確認しておこうとね」

「……なんで兄さんが帝都にいるの?」

「それを話せば長くなる」


 起きたばかりのせいか、呂律が上手く回ってない。ぼんやりとした視線を彷徨わせたところで、扉の方にもう一人居ることに気がついた。そういえば、さっき声がしてた。

 誰だろうと目を凝らすのだが、そこで自分の目を疑うことになったのである。


「あー……これは、だね。カレン……」


 横で兄さんが言い訳がましく説明しようとしているが、そんなものは耳に入らない。

 いえ、だって、ありえない。

 どうしてヴィルヘルミナ皇女の姿が私の視界に映り込んでいるのだ。

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