第91話 オルレンドルの街並み

 まず目立つのは庭。

 ファルクラムの貴族の屋敷もまず庭ありきの奥に屋敷がそびえ立つ建築様式だったけれど、ここはその庭の広さが段違い。柵門を越えると中央に道があるのだが、その両サイドに堂々と鎮座する女性像! よく手入れされた庭は春を目前にしてそれぞれの花が色とりどりのドレスを纏い着飾り目を楽しませる。白いテーブル席でお茶会も完璧。奥にどんと建つ主役は庭に負けぬ立派なたたずまい!

 周辺はどこもそんな感じのお屋敷で閑静な住宅街。それは、それはもう! 金持ちになったらこんな家に住んでみたいナンバーワンを飾ってもおかしくないお屋敷! 

 ……なんだけど!!

 年少二人が「おお」と喜ぶ中、スッと思考が現実に帰った。


「モーリッツさん」

「なんだ」

「このように素晴らしい住まいをご用意していただき、わたくしただいま感謝の念にたえません。いまは涙も引っ込むくらい驚いているのですけれど……」


 アヒムやウェイトリーさんによれば、このときの私は感謝どころか半分キレ気味の目をしていたらしい。そんなはずはないので彼らの目の錯覚だろう。私は口元を隠して立派にしおらしい態度を取っている。


「――ファルクラムから移ってきたばかりの新参者がこのように立派なお屋敷をいただくわけにはいきません。お気遣いはとても嬉しいですが、どうか他の方々に配慮した家をご用意いただくわけにはいかないでしょうか」

 

 ええ、と残念そうな声を上げるエミールとヴェンデル。

 だまらっしゃい子供達。こんなお家に住んだら維持費がどれだけかかると思っているのか。ライナルトから補助金という名のお金はもらっていれど、現状大した事業もやっておらず、なんとか黒字に傾いているコンラートがこんな家に住んだところで宝の持ち腐れである。大体、この家よく見たら別宅まであるじゃない。そんなところに誰が住むのか。人の住まない家の傷みがどれほど早いと思っている。

 そんな気持ちを抱えて入居を拒んでいると、モーリッツさんのお付きの方がそっと上官に声をかけた。


「アーベライン様、こう言われてますし、やはりもう一軒の方をご紹介した方がよろしいのでは――」


 もう一軒あるんじゃないか! なんでここを最初に持ってきた!?

 モーリッツさんは心なしか残念そうな息を吐くと「こちらへ」と誘導を再開する。今度は城壁の外に出るといったことはないようだ。もう一軒の区画には大量の荷馬車が進入するのはよろしくないようで、荷は護衛の方々に任せて待機である。最低限の人間で住宅街をぞろぞろ移動すると、やがて別の門を抜けて閑静な住宅街から少しだけ騒がしい地区へと移動する。

 家と家の感覚は狭く、先ほどの荘厳な高級住宅地とは比にもならないけれど、こちらも二階三階建ての家々が並ぶ住宅街だ。

 案内されたのは、三階建てのお屋敷だった。先の豪邸と比べれば部屋数は劣るが、それでも十分立派な屋敷の部類である。

 築何年だろう。そこそこ年数は経っていそうだが、この地区全体が昔から存在しているような感じ。その雰囲気を損なわずに暖かさを残している趣がある。道路からちょっと階段を上がってすぐに両開きの玄関があるのだが、そこが広めのホールになっている。上流階級の家はまず庭ありきといったファルクラムとは違い、外見はぱっと見地味な印象だけれど中はよく掃除されていたし、ほっと一息つけそうな柔らかさがあった。

 どうやら裏手に庭があるらしく、そちらは雑草が好き勝手に遊び散らしていたけれど、広さは十分。どうやらこのあたりの家は裏手に庭を構えているようだというのも景色から推測できる。窓の数からしても連れてきた使用人に護衛、それにアヒム達の滞在も問題ない程度の部屋数も揃っていた。


「殿下からはどちらの家でも構わないとのお言葉を頂いている。……どちらにするかね」

「まあまあ。悩ましい気はいたしますが、身の丈を考えれば私たちにはこの家でも十分なくらいです。モーリッツさんのご配慮に感謝いたします」


 ファルクラムとかに比べたらお隣と近い気もするが、それは私の感覚が貴族に染まっているからであって、普通に住む分にはしっかり距離も離れている。管理費的にもこっちだわー……なんてことは言えないが、にこにこ笑顔の私にモーリッツさんは書類を差し出した。


「受領の署名をこちらに。後日部下に取りに伺わせる」


 どうやら詳しい案内まではしてくれないらしい。忙しい人だろうし、ここまで来てくれただけでも感謝すべきなのだろう。お辞儀で見送る私に、去りかけのモーリッツさんがくるりと振り返る。


「しばらくはゆっくり過ごされるといい。帝都での日々が貴女にとって良い経験となるようお祈り申し上げる」

「あ、ありがとうございま、す……?」

 

 ……な、なにもない状況でモーリッツさんが労いの言葉をかけた。

 私もびっくりしたけれど、お付きの方々も驚かれてるよ?

 大した返事もできない間にモーリッツさんは姿を消してしまい、私もヴェンデル達に呼ばれてそれどころではなくなった。

 待機している荷馬車から荷を運び終える頃には、あたりはとっぷり暮れている。翌朝にはそれまで世話になった護衛に後金を払い、家を散策したりとこれだけでも一日潰れたのである。


「カレン様、両隣の家がわかりました。左は空き家、右は少しお年を召したご夫婦がお住まいです」

「あ、やっぱりもう片方はいないのね?」

「そのようです。なんでも空き家になって随分長いとか。近隣の方に話を聞きましたが、外国人に偏見を持っている感じではなさそうですな。気の良いご夫妻だそうで、子供好きだと聞いております」

「モーリッツさんが選んでくれた家だから変なところじゃないとは思ってたけど、それを聞けてよかった。ありがとうウェイトリーさん」

「いえいえ。それで、挨拶がてらなにか品を持って行くと?」

「ええ、お隣だけは私が直接出向いていこうと思って。だったら手土産くらいは必要でしょう? ついでに街並みも見てきたいし……」


 引っ越しの挨拶はともかく、菓子折を持って行くのは完全に日本人としての風習かもしれない。私が出向こうといったのは――まだ他の地区を見てないからなんとも言えないが、最初に紹介された家ほどではないとはいえ、ここも結構お値段の張りそうな家であり、そんな家に家を構える人々が住まう程度に相応しいくらいの住宅街である。

 ほどよく年季の入った家々からして、このあたりに住まうのは昔から家を構えている人だろうと踏んだためだ。いやらしい言い方をすると心証を良くしておこうといった算段であった。

 

「そういえばアヒムの姿を見ないけど、みなさん出かけてしまったの?」

「皆さまお揃いで街の視察に出かけられました。我が家からも秘書官が何名か随従しております」

「……じゃあアヒムはいないのね。ウェイトリーさんには家の中を見ておいてもらわないといけないし、ヴェンデル達もあとで出かけるんでしょう?」

「そうですね。エミール様とお二人、学校近辺を見ておきたいとおっしゃっていました。ヒルに現地の案内人を雇ってから行くよう言い含めておきましたので問題ないはずです」

「案内人なんているの?」

「出立前に信頼できる商家に頼んでおいたのです。長い付き合いですし、手配しておいてくれるとの話でしたので間違いはないかと」


 そうなるとヒルさんとハンフリーが二人の護衛につくことになる。ふむ、と考えて両手を組んだ。隣への挨拶はなるべく早く済ませておきたい。昨日はやたら荷物を運び込んでいたし、この家に誰か越してきたのかも気になっているだろう。


「……ジェフを借りてもいいかしら。他の人に彼女の面倒をお願いすることになるけど構わない?」

「頼んでみましょうか。おそらく彼女の世話も問題ないでしょう。ビル相手なら大分懐いているようです」


 ウェイトリーさんは他の使用人も付けたかったようだが、私が断った。使用人達には荷出しや掃除をやっておいてもらいたかったし、ただでさえあまり人を連れて来られなかった。私は店に行くだけだし、ウェイトリーさんの負担を増やしたくなかったのである。

 そして話に出てきたジェフだが、こちらの申し出により引き続き我が家に滞在してもらうことにした。二人に貸せるだけの部屋は充分あったし、それまでの彼の人柄を鑑み、純粋に彼の腕前を買ったという理由もある。この申し出の際はジェフ自身、妹の面倒を見られる環境で働けるのは助かる話だったので安心した様子も見受けられたくらいだ。彼女の面倒を見る分の金はいくらか引かせてもらうが、それでもちゃんとした給金は約束したので、これにて契約完了である。

 そしてそのジェフだが、買い物に行くという私の話にもあっさり頷いた。


「わかりました。お供致しましょう」


 外に出る限りは必ず兜を身につけてもらうのを条件付けさせてもらったが、本人も兜の重要性は理解しているので問題なさそうである。

 ……というか、食事も口元だけずらせばいいように地味に改造しているし、もしかしなくても兜のことかなり気に入ってるよね?

 彼の格好は結構目立つのだが、果たして大丈夫だろうかという懸念は街に下るに当たってすっかり払拭された。


「あ、大丈夫だわこれ」

「カレン様?」

「なんでもないです」


 さて、まずオルレンドル帝国の首都についての概要だが、本当にざっくり述べてしまうとバームクーヘンの縦切りである。食べやすい形で切ってある扇形のアレを想像してほしい。あんな感じの巨大バージョンでおよそだが区画整理されている。中央の空洞部分が皇帝の住まう区画で、同時に政治塔ともなっていて一般人は立ち入り禁止。各区に軍の詰所があり、帝都の外側にも軍の駐屯地があったりと様々だが、内部に関してはこの説明で事足りるだろう。

 そして他民族を取り込んできたとあって、当然人の数も多い。アパート形態の集合住宅も多く、狭い一室で一人暮らしなんてことも珍しくない。外側の城壁沿いには安宿も無数に並んでおり、旅人や傭兵向けの酒場も多いようだ。そういった区画になるべく外からの人を集めやすくしているのだろう、帝都で一番活気がある場所といっても差し支えないかもしれない。

 私がオルレンドルに来て一番驚いたのは服装の違いだろうか。

 異文化も盛んに取り込んできたからだろうか、ファルクラムと違って腕や脚を堂々と晒す女性が多い。所謂短パンやキャミソール、それに似た格好をしていても往来する人が気にする様子はなく、彼女らも堂々と談話しているし、ファンタジー小説で見かけるような鎧を纏った傭兵やずるずるの外套を羽織った人も見かける。奇っ怪な格好をしている人も多いからジェフの装いが目立つことはない。遊びに出たお嬢さんとその護衛としてみられるのがせいぜいだろう。事実、人混みに紛れてしまえばこちらに注目する人はいない。早くも私の懸念は払拭されたのだった。


「人が多すぎますのに、護衛が自分一人でよかったのでしょうか。もっと人員を――」

「大仰にするのは好きじゃありません。……いいじゃないですか、ここじゃ私たちのことを知ってる人なんてほとんどいませんよ。それに街を回る衛兵さんも多いですし、治安はよさそうよ」

「大通りはそうでしょう。決して小道に行こうとはしないでください。なにがあるかわかりません」


 そういうわけで、私としては実に何ヶ月ぶりかの、のびのびできる時間である。ジェフという護衛がいるという意味では本当の自由と言い難いが、それでも周りの目を気にせず、そして敵意を気にせず歩けるのはありがたかった。それに意外とジェフはこちらの我が儘も聞いてくれるし、護衛にするには最適なのだ。ヴェンデルやエミールを相手にしている姿を見て感じたのだが、元々あのジェミヤン殿下に仕えていただけあって、心の許容量がびっくりするくらい広い。他の護衛と仲良くなれたのもこのあたりが関係しているのではないだろうか。


「お風呂屋さんもけっこう見かけるわねえ。聞いてたとおり、お風呂を沸かす手間はなさそう」

「ウェイトリー殿の話ですと、湯屋は国が運営しているのでしたか。その割に小規模の店がいくらかあったようですが……」

「個人湯屋もあるのかしら。なんにせよ、お風呂に気軽に入れるっていうのは嬉しいわ」

「そう、でしょうか」


 ジェフが困ったような反応をするのは、アヒムと一緒だ。彼とお風呂の話題になった際もなんとも言えない表情で眉根を寄せていたのである。


「だって帝都の風呂って、武器も持たず身一つで湯船に入るんでしょう。しかも複数人と! 想像しただけでぞっとしますよ、おれは」


 ヴェンデルやエミールも所謂銭湯という風習がないせいか、なんとも微妙な顔をしていたものだ。唯一経験者であるウェイトリーさんのみが「意外と気持ちいいものですぞ」と述べていたくらいである。ジェフもアヒムと似たような感想なのだろう。あと兜。

 なお、新しいあの家はなんと風呂施設完備済みである。個人宅でも風呂を備えているのは相当珍しいようだが、共同風呂になれていない私たちのためでは、とはウェイトリーさん談だ。そんな特別仕様の屋敷でもお湯が出てくるお風呂は一部屋しかないので、時間帯で利用者を分けねばならないと相談中である。

 銭湯の風習はともかく、ファルクラムから来た面々はお湯を沸かさなくていいお風呂、そして手押し圧力式で簡単に水がくめる井戸の仕組みに感動中である。あちこちに点在している街灯同様、お湯のくみ上げ方法について気になる点があるのだが、それもいずれ判明するだろう。


「下水道も整ってるし、本当、住むには便利な場所なのね」


 私的にはなによりお風呂が一番捨てがたい。昨日の気軽に入れるお風呂も最高だったが、実は広いお風呂も楽しみなのである。

 ジェフと雑談に興じながら大通りを進んでいくと、やがて可愛らしい飾り付けで彩られた店に到着した。傍には通りに面していくつか席が設けられており、ご婦人やおじさま方が思い思いの時間を楽しんでいる。ウェイトリーさんに教えてもらった良いお値段のする菓子屋なのだけれど、どうやら喫茶形式でお茶も提供しているようだ。

 開け放しの扉を潜ると食欲をくすぐる甘い匂いが鼻腔をくすぐった。見栄えするよう並べられた焼き菓子が目を楽しませたし、その彩りと種類は豊富で、一つ一つお菓子を選びながら注文していくお客さんの顔は楽しそうだった。

 店員さんは忙しそうだし、私も店を見回りながら箱詰めを見て回っているときだった。一つ良い感じの詰め合わせを見つけて、自分用に買って帰るか考えていると、横に人が並んだのである。

 顔は見なかったけれど、ちらりと横目で視線を流すと、上物の絹と宝石類に身を包んだ女性だった。邪魔をしてしまったかと避けようとしたところで、声をかけられたのである。


「見た目と一緒で相変わらず地味な菓子が好きよね」


 聞き覚えのある声だ。

 しかし最近聞いたような声ではないし、記憶を探りながらそのご婦人に向かって顔を動かす。胸元を半分以上露出させて形を強調させるような官能的な胸元、栗色の髪を結わえているが、一房空いた首元にかかるように流している。きっちり化粧をした垂れ目がちな目元に既視感を覚えて穴が空くほど見つめてしまった。


「……ちょっと、なにか言いなさいよ」

「…………ええと、その、申し訳ありません。どちら様でしょうか」


 尋ねると、女性は器用にも右の目尻をピクピクと痙攣させて、皮肉なことにその姿と記憶がやっと一致した。

 ……え? うそ、ほんとに?


「……マリー?」


 なんとファルクラムにある実家キルステンの本家、ダンスト家のご令嬢マリーであった。

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