第90話 新しい家

 意外に感じるのだが、ジェフリーにとって顔を隠す兜は効果があったようで、兜を被せる前と後では明るさが段違いに違った。初めの方こそ遠慮が勝っていたのだが、すでに出発してしまった後である。ジェフリー本人にもこれは仕事だと言い聞かせると頭の切り替えができたようで、早速ヒルさんやハンフリー、それに雇いの護衛達と情報をすり合わせようと積極的に動き出したのである。

 彼が動く間、基本的にチェルシーは私たちの目の届く場所に休むことになった。どうやら彼女は男性が苦手なようで、特に声を荒げられるとパニックを起こしてしまうが、女子供に対しては無邪気に笑っていることが多い。落ち着いているときの彼女は基本的に寝ているかぼうっと虚空をみつめているか、手遊びをしているかのどれかである。知能に関してはこちらの言葉をなんとなく理解している程度、舌っ足らずな発音のため本人がまともな言葉を喋ることはない。

 兜を被っている際のジェフリーは、面倒見のいい人格だった。おそらくこちらが地の性格なのだろう。元王子の養育係なだけあってヴェンデルやエミールのことは小まめに気にかけてくれている。護衛達とうまくやれるか心配だったが、三日も経つ頃には一緒にたき火を囲む程度には仲良くなっていた。これがあのジェミヤン付きの実力か、コミュ力の差を見せつけられた気分である。

 

「カレン様もジェフ殿を見習ってはどうでしょうか。人の懐に飛び込むうまさは勉強になると思いますよ」

「ウェイトリーさんんん……」

「代理とは言えコンラートの筆頭に立たれたのです。相手を選ばず取り込む術は必要ですよ」

「だってぇぇ……」

「いつまでもわたくしが傍に在るわけではないのです、これも修行ですよ」

 

 最近ウェイトリーさんの教育的指導が増えてつらい。

 なお、彼の正体について知っているのは私、アヒム、ウェイトリーさんの三名だけに留めている。折を見てヒルさんくらいには話しておくつもりだ。彼は変わらず「ジェフ」という名前を通しており、私もそう呼んで留めている。なので以降彼のことはジェフと呼ばせてもらうけれど、お互いファルクラム国内の件については何も話していない。

 や、ジェフ本人は話そうとしたのだ。もしかしたら恩義を通そうと考えたのかもしれないし、私が彼に声をかけた理由を察したのかもしれなかった。けれど彼がジェミヤンの名を出そうとすると声を詰まらせる。兜越しに酷く辛そうな感情が伝わってくるから、それ以上はいいと止めたのだった。


「あなたはジェフで、私が道中で雇ったしがない旅人です。それ以上はいいでしょう」


 いいのか、と問われたらそりゃあよくはない。真相を知りたい気持ちはあるが、無理に聞き出すものでもないだろう。

 しかし彼の態度からして、どうやらジェミヤン殿下に対する忠誠に偽りがあるようには思えない。やはり問題はダヴィット殿下の方だったのだろうか。考えても詮ない話ではあったが、楽しみが食事だけの道中は色々なことを考えてしまうものである。

 楽しみ、といえばアヒムやヒルさんたちも割合暇を持て余している。彼ら、打ち合いをするのが好きなようで、その中にジェフが入り込む機会が増えた。御前仕合で見せた実力通りの腕の持ち主だったが剣を握るのはやめたようで、代わりにごつい手斧を腰に下げることとなった。剣が斧になっても強さは変わらないのか、アヒムが舌を巻いていたのが印象的である。

 そういえば一度気になっていたことがある。休憩中、ジェフにこっそりアヒムのことを尋ねていた。


「ねえねえジェフ、アヒム達とよく試合をしているみたいですけど、実際のところアヒムってどのくらいの強さなんです?」


 なお、呼び捨ては雇い主なのだからジェフ「さん」はやめてくれと言われた結果である。

 この質問に対しジェフは腕を組むと、しばらく考え込むような仕草で動きを止めた。兜は彼の性格を明るくしたが、同時に表情をまったく読み取れなくしてしまったのが難点である。


「まだ数度しか刃を交えていませんが……判断力もありますし、それに伴うだけの腕もある。構えが正規と我流が混ざっていますが気になるわけでもない。教えた人間が良かったのもあるでしょうが、本人自体に才能があったのでしょうね」

「わ、じゃあ結構強いの?」

「ならず者程度なら軽くいなせるでしょうし、そこらの騎士よりよほど強い。もしファルクラムで家柄が伴っていたのなら宮仕えもできたでしょう」

「へー……なんだか意外」

「ご存じなかったのですか?」

「アヒムって兄の護衛だし、私といるときに誰かと対峙したなんてことないから」


 以前シスが乱入した際に剣を振ったことがあったが、あれすら誰かと仕合ったわけではないので、彼の実力が測れるわけではない。そもそもアヒムは私が子供の時から剣技をひけらかすのが好きではないのだ。ジェフもその点は理解しているようで、彼やヒルさん達に対峙するアヒムは真っ直ぐに打ち合っているが、おそらく小手技を多数隠しているだろうと感想を述べたのである。

 しかしそれについては気にすることはない、とも言われた。


「あの手の人間は手の内を見せたがりませんから、そう不思議な話でもありません」


 アヒムについて面白い話が聞けたのは収穫だったかもしれない。

 国境門を越えてからは衛兵隊長が忠告したとおり、朝夕の寒さとの戦いになった。道中森に囲まれた道を抜けたのだが、冷え込み方が段違いである。薄毛布で凌ぐには厳しい寒さが毎夜訪れ、加えてすれ違った商人が語るにどうやら旅人が熊に攫われたらしい。無残な姿で発見された上に、通り道の近くだと忠告されたので全員が緊張に背筋を伸ばす羽目になった。荷馬車だから少し無理をして進むことも可能だったけれど、もしこれがチェルシーを連れたジェフだったら道行きもままならなかったはずである。あの衛兵隊長、もしかして彼らを通さなかったのは、二人が無事に通過できるか危ぶんでいたからではないだろうか。ジェフも同じことを考えていたらしく、ある朝など冷え切って体温が戻らないチェルシーの手をさすりながら「いつか礼をしなければ」と呟いていた。

 なお、私たちが道中遭遇したのは野犬の群れのみである。しかしそれもあっさりとしたもので、雇った護衛達は各々淡々と仕事をこなし、何事もなかったような顔で護衛に戻ったのでこちらが拍子抜けしたくらいであった。おそらく野盗にも目を付けられたはずだが、護衛が多いので諦めたのだろう、というのがジェフの意見である。こういう点、アヒムやヒルさん、ハンフリーは家仕えだし、国外の世界に明るいジェフの意見は参考になる。

 移動にほとんどを費やした毎日。日数をかけて馬車を進めていると、とうとうオルレンドル帝国の首都が姿を現し出す。

 見渡す限りの湖に囲まれた、巨大な円形の城壁。あちこちに見張り塔が備わっているのだが、その中央にそびえ立つひときわ巨大な塔がある。それこそが帝国を象徴する存在、至高の冠を頂く皇帝のみが登ることのできる「目の塔」だと教えてもらった。

 湖沿いの道を荷馬車は進むのだが、陽の光をキラキラ反射する湖が眩しく、ただの城壁でしかない石造りの建造物をこれでもかというほど際立たせる。荘厳ささえ覚えさせるようで、思わずため息が漏れ出ていた。

 ここでウェイトリー先生による、若者達への授業の時間である。

 

「帝都を取り囲むほどの湖って、こんなのよく建造できましたね」

「昔はそれほどでもなかったのですが、ひときわ優れた建造技術を持っていた一国を吸収したのがはじまりですな。三十年ほど前は区画を広げる工事をしていたようですが、それも完了しているようですな」

 

 ヴェンデルがキョトンとした顔で質問する。

 

「帝都って円状にできているんじゃなかった?それを広げてたってこと?」

「左様です。集めた資財と再利用した資材で、ひと区画ごとに徐々に広げていく。中に入ればわかりますが、帝都内は昔の城壁の名残も残っておりますよ。うまく利用して商業区や住居区といった形に分けておりますね」

 

 ただ住居区に商業施設がないわけではないし、その逆もしかりだ。単に店の数が多かったり、職人が多く住んでいるからといった理由でなんとなく棲み分けられたのが、いまに繋がっているようだった。

 

 「ファルクラムとは違い、集合住宅の数もとても多い。ファルクラムでも観光客向けの街路があったでしょうが、あれがそこら中にあると考えてくださった方がよろしいでしょうね」

 

 うへえ、とエミールが辟易した声をあげる。好きなように歩けない人混みは苦手だとぼやくような子なので、想像するだけでうんざりしたのだろう。

 さて、いざ帝都の門を潜ろうという瞬間にさしかかると、私たちのような大所帯は当然入り口で足止めを食らう。用意していた書簡を隊長格の人に渡すと、中身を開いた瞬間にクワッと目を見開かれたのである。

 

「し、しししばらくお待ちください!」

 

 慌てふためき仲間の元へ駆け寄って、しばらくするとどこかに向かって兵が駆けていった。

 

「いまアーベライン様の元へ走らせておりますので、ご苦労おかけしますがもうしばらくお待ちくださいませ」


 あまりにびっくりされるものだから、アヒムとこっそり話し合ったものだ。

 

「やっぱり先に早馬を走らせるべきだったんじゃないですかねえ」

「でもお家を案内するだけって言われてたし、あんまり大仰にもされたくないじゃない?」


 門番の水分が流し尽くされるか心配になってきたころ、ひときわ立派な黒馬に跨がってやってきたのは、なんとモーリッツさんご本人である。

 

「物見よりそろそろ到着しそうだと話を聞いたので伺った。ご壮健そうでなによりです、コンラート殿」

「モーリッツさんもお元気そうで安心しました。まさか直接お迎えいただけるとは思わなくて、こんな格好で失礼しました」

「ファルクラムからの客人です。殿下からもくれぐれもと仰せつかっておりますので、無礼はできますまい」

 

 彼はこちらを見かけるなり馬を下りて恭しく挨拶をしてくれたが、ご壮健そうでの下りはこれっぽっちも感情が籠もっていないので、お世辞なのは明らかである。

 やー。この人は相変わらずだなあ。モーリッツさんは随分出世したのだろうか、いくらか装いが立派になっていたし、お付きの方々もどこか身なりが綺麗である。しかし本人の性格はそんなものでは変わらない。長々とお喋りをする気はないようで、私の後方をじろりと一瞥したのであった。

 

「報告によればキルステン家の方々もいらっしゃるようだが、同じ邸宅で問題ないだろうか」

「一応そのつもりです。家の規模によっては別に宿をとってもらわないといけないと思いますが……」

「その程度でしたら問題ないでしょう」

 

 さっさと馬に跨がってしまったのだからそっけない。ま、帝都にきたからといってにこやかに挨拶してくる方が気持ち悪いので、モーリッツさんはこれでいいのだろう。モーリッツさんのお付きの方々に軽く会釈して、コンラートの人たちには彼らに付いていくように指示を出す。

 モーリッツさんは何故か外に馬を出すと、また街道沿いに向かってぐるりと移動を始めた。時間をかけて移動すると、今度は人気のない別の門が見えてくるのだが、そこの門番に柵を上げさせ、荷馬車を中に通すのである。

 わざわざ別の場所から入った理由はすぐに知れた。先ほどの門からのぞいた活気ある街並みとは違い、こちらは簡素で街並みも整った住宅街である。しかも一戸ずつの規模が大きく敷地も広い。ファルクラムで言うなら特に上流階級の人々が住まうような街並み、といえば伝わるだろうか。道ばたに均等に植えられた木々と花壇。時折ベンチが並んでいて、地面は石の色で並び替えられた文様が描かれている。定期的に並んだ外灯が……。

 

「……まって外灯? いちいち毎夜火を点けるの?」

 

 その高さ、成人男性の身長を優に上回っている。あれに毎夜火をともすのも手間だろうし、なにより硝子に囲まれているのでどうやって灯りをつけるのだという疑問が湧いた。ウェイトリーさんが帝都を訪ねた頃にはなかった物のようである。

 こちらの疑問などおかまいなしにモーリッツさんは馬を進めていく。やがて到着したのは、一つの屋敷であった。

 馬車を降りると、柵門を越えるより前にその建物を見上げる。

 

「…………えぇ?」

「なにか問題でも」

「モーリッツさん、本当にここなんです? なにかの間違いとかでは?」

「生憎とそういった冗談は好まない。ここが貴女方の住まいとして宛がわれる邸宅になる」

「ちなみに屋敷を選別されたのはどなたでしょうか」

「私だが?」

 

 Oh......

 そうか。モーリッツさんが選別したのか。

 そういえば金貨五千枚ぽんと支払うような人だった。総督代理にはあまり大きくない家でお願いしますとでも付け加えておくべきだったのである。

 思わず外人風になっちゃうのは仕方がない。

 豪邸がそこに建っていた。

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