第86話 お父さんのかくしごと-後-

「こ? 候補? お、お父さん? いま候補が二人っておっしゃいました?」


 意味がよくわからなかった。

 思わずいままであまり口にしていなかった呼び方までぶり返してしまったくらいである。いや浮気は知ってましたしその結果が私だからともかく?

 別に男性がいたにしても候補が二人?


「一人はお前も知るあの男だ」

「う、うん? えっと……いえ、まって、それはおかしくないですか。だって証拠がみつかってて、向こうも母さんとの過ちを認めたわけですよね。それに私と先方の特徴がいくらか似通ってて……」


 身体的特徴で言えば髪の色だとか、どことない顔の造形だとか。ある程度は母さんの特徴を受け継いだから、瓜二つというわけではないのだが……。

 パニックになった私が確認するたびに、父さんは相づちを重ねる。文のやりとりも、庭師の息子である実父(仮)が肯定した事実もすべて認めたのだ。

 そして質問をすべて吐き出し終えると、さらなる爆弾を投下した。

 

「その身体的特徴があったから、私もいままで疑っていなかった」


 …………もうなんて言ったらいいのかわからない。

 そう呟いたときの父はげっそりとやつれきったようにすら感じられたし、私が悪いわけではなかったが、なんかごめんなさいという気持ちすらわき上がってきた。


「詳しく話すとなれば、私たち夫婦の失態まで聞かねばならないが、聞くかね?」

「……父さんはそれでよろしいのですか」

「母親の話だ。知りたい、というのであれば話さねばならないだろう。あの頃は……黙っているしかなかったが、いまはお前自身が社会的身分を獲得した立派な大人だ。それにキルステンは親戚筋に遠慮する必要がなくなった」


 そっか。キルステンは一応大家であるさるお家の遠縁だったものね。父さんと母さんはそのご縁で結婚したわけで……。いまじゃどちらかといえば、彼らの方がキルステンに気を遣わねばならない側に逆転した。

 ああ、どうしてこの人が始終辛そうなのかわかった気がした。

 この人が女性として愛したのは母さんだけだったが、母さんはただ妻としてはいられなかった。綺麗に言ってしまえばそういうことだ。


「あの、いまからとても失礼な質問をするけど怒らないでほしいの。でも一度あることは二度というし……」

「構わない、言ってみなさい」

「いままで少し疑問に感じていたのですけれど……エミールは、違いますよね?」


 その一言で、父さんは私の言わんとするところを理解したらしい。瞠目した後、静かに言った。

 

「正直なところ、いまとなってはエミールですら私の子であるのか疑わしい。幸い、そんな声は出てきていないがね」

「……ええと、それは」

「わかっている。そこはどうでもいい、エミールを帝都に出すのは追いやるためではないし、手放すつもりでもないのは誤解しないでくれ」


 そして、他の兄姉には他言無用だと念を押されてしまった。雰囲気的にうっかり喋ってしまったような感じであったし、本当に参っているのだろう。


「喋らないのはお約束します。私たちにとってもあの子は大事な弟ですし、いまさら血の繋がりがどうと言われても困りますから」

「ああ、助かる」

「ですけどいまの話って、もしかして離縁を決められた理由……証拠でも出てきたのですか」


 返事がない、ってことはもしや図星だろうか。

 しかしいまの話が事実だとすればエミールのショックは相当なものだろう。どうしてあんなことを聞いたのかといえば、エミールがとりわけ私たちの中でも、特に父さんや母さんの特徴を両方受け継いだ兄さんや姉さんに比べたら、性格はともかく、微妙に顔立ちと言った特徴が違うためだ。

 ……いや、DNA鑑定がある世界じゃないのだし深く考えるのは止めておこう。父さんはエミールを我が子として扱っているし、お互いちゃんと大事にしあっている。いま余計な詮索は野暮というものだろう。


「……すみません、変なことをききました。私のことを教えてもらえますか。父親候補が二人とはどういうことでしょう」

「そう、だな。まずお前に聞きたいのだが、実父のことはどれくらい知っている」

「あの人ですか。……実はほとんど話したことがないんですよね」


 引き渡された、といっても十四の時点で先方にはすでに家庭があった。ちょっときつめな性格の奥さんに性格も不明な息子さん。実父(仮)のお父さんは不倫の件が衝撃だったのと周囲の目に耐えきれず庭師を引退、田舎に引っ越したのである。

 で、実父の奥さんの性格がきつかったのは突如湧いて出た私の存在があったせいかもしれないが、当然仲良くできるはずがない。必要最低限の会話だけして一人暮らしを決行した次第だ。


「なんというか、気弱ですけどどこかずる賢いような、悪巧みができても軽犯罪がせいぜいの、小悪党って印象でしたけれど」

「……その物言いは直しなさいと何度も教えただろう」

「やだ。他じゃそんなにいいませんよ」


 苦笑を抑えきれない父さん。そういえば昔はこんな風によく叱られていた。

 ともあれ、私の実父に対する印象はその程度だ。顔立ちはいいのだがうだつの上がらないような、人付き合いの意味ではずっと父さんの方が好感が持てるだろう。それくらいの、なんで貴族の奥方である母さんの目を引けたんだろうと首を傾げたくなるような人である。

 父さんは深く息を吐くと、やがてスッと背筋を整えた。


「では彼……彼らロレンツィ一家がいまどこにいるかは知らないな?」

「……まったく。引っ越したんですか?」

「ベルナルドは帝都に行った。彼の奥方はご子息を連れ、田舎の実家に戻ったとの話だ」

「行き先が違うんですね。離縁でしょうか?」

「そうだ。近年、夫婦仲が良くなかったらしい。が、ここはお前には関係ない話だ。気にする必要はない」


 ……などと父さんは仰るが、夫婦仲が拗れたのは明らかに私が原因ではないだろうか。いえ、だからといってなにかできるわけではないのだけど。

 しかしそうなると実父(仮)ベルナルドはいまは独り身というわけだ。


「……いえ、まって。なぜ帝都なんですか。確か庭師の息子だったはずですよね。父親の仕事を継いでうちに務めて、それで母さんと出会ったわけで……」

「違う。順序が逆だ」

「逆?」

「アンナと流れの旅人だったベルナルド、そしてもう一人の男が一時の熱に浮かされ過ちを犯した。……それからベルナルドだけが怪我で旅を続けられなくなり、父親の元に帰ってきた」

「え、あ……?」


 へ?

 実父(仮)が旅人? いや、続けられなくなった、ってことは元旅人か。いやいやいや、まって、話に全然追いつけない。私はあの人をただの庭師の息子と思っていたけど、実際は違ったということ!?


「ベルナルドが旅人をしていたのは大分昔の話だ。条件類も一致していた。……だからあの手紙もベルナルドに宛てられたものだと思っていたが。……いや、それよりも間違いを正そう。認めたくないが言わねばならん」


 勘違いをしていた、と父さんは息を吐く。


「いつからかアンナは私以外の男性に目を向けるようになった。それがどんなきっかけだったかは……わからない。少なくともゲルダが生まれるまでは違ったと信じたいが」


 姉さんが生まれて後、夫婦仲が悪化した時期があった。父さんは仕事に追われ、家庭を顧みる余裕がなかった頃だという。

 業を煮やした母さんが子供らを置いて出ていってしまった。本当に近しい侍女だけを連れて実家の別荘に行ってしまったようだ。兄さんと姉さんを置いていったのかという疑問が残るが、そこは当時の母さんしかわからない状況と心境だろう。

 ――で、その当時、母さんが護衛にと雇った傭兵もどきの旅人が実父候補の二人だったというわけだ。

 しばらくして父さんの元に戻った母さんは妊娠していた。父さんの子ができていたから帰ってきたといって、父さんも母さんが帰ってきて心底安堵した。

 その一方で、旅をしていたベルナルドは怪我を負い旅を続けられなくなった。親を頼って実家に戻り、親の仕事を手伝い始めたのだ。そこでかつての火遊び相手に再会したというわけだ。

 もの凄く穿った見方をすれば、演出によってはドラマになりそうな話だろう。ただしこれを放送するには、妻の夫や義実家がとんでもなく非人間的な連中だったと演出せねば視聴者の同意は得られまい。

 そこからは父さんの憶測だが、たぶん二人はお互いのことを黙っていた。ただ、母さんはある相手のことが忘れられず手紙をしたためていたようだが……。


「その手紙の宛先が、もう一人の?」

「そうなる。ベルナルドは手紙の存在を知らなかったが、あれはアンナが相手に向けてしたためただけの、出すに出せなかった手紙だ。あの時は……身分故に渡せなかったのだろうと考えていたが」


 状況が一変したのは私がコンラートに嫁いでからだ。

 突然ベルナルドが訪ねてくると、父さんに金を強請った。当然ながら要求をはね除けたようだが、ここでベルナルドは己が内にしまい込んでいたネタを投下したのである。


「当時、自分の他にアンナと関係を持った男がもう一人いたと。……どちらかといえば、その男の方にアンナは入れあげていたとな」


 いまさらになっての強請だ。不審に思った父さんが調べると、ベルナルドは奥さんに離縁を切り出された直後だったようだ。別れはほとんど避けられないようで、しかも私の件で立場がないためか、お金はほとんど奥さんに握られている。

 世間体の悪い中年男が一文無しで放り出されてはお先真っ暗だろう。後先なく捨てる物がないとなれば、自棄になってなにをするかわかったものではない。二度とファルクラムに戻らない、私に関わらないのを条件に金を渡したのだという。

 父さんの言い回しはかなり婉曲だったが、要約すれば以上の内容となる。

 そこまで聞くと、なんとも苦々しいものが胸を走った。


「あの……ごめん、なさい」

「うん? なにを謝る」

「だって、それ、あの人が……」


 彼が話を流布してしまえば、キルステン同様、あるいはそれ以上の笑いの種となるのは私だ。いまの話、どう考えても父さんは事態を穏便に収めるよう動いてくれていた。


「ああ、そんなには気にしなくていい。キルステンに関与する話でもあったし……私にはこのくらいしかできないから」


 いま、私の心の中では罪悪感が嵐となり心中が荒れに荒れている。聞かされていなかったとはいえ追い出されたからという事実を前に、この人と対峙するのを避け続けていた。事態が穏便に収まるよういまだ奔走し続けてくれていたのだと知ってしまうと、申し訳なさと見る目のなさに頭を打ち付けたくなってくる。

 ――実父に関わりたくないという思いがこんなところで裏目に出るなんて。

 これ以上話を聞くのが忍びない。父さんはすでに諦めモードというか、淡々と話をしてくれるけれど、決して気持ちの良い話ではないはずだ。

 けれど、けれどこれは聞かねばならない。


「…………帝都に行く前に、ということは、関係あるんですよね。帝国」

「そうだな」


 ですよねわかってた。候補その一が帝都に行ったんだもんね。


「おそらくベルナルドは兄弟を頼って帝都に渡ったはずだ。なにをしているかはわからないが、あの性格だからな。お前が帝都に渡る以上話しておかねばならなかった」

「です、よね」

「それにベルナルドはともかく、もう一人のロレンツィが向こうで居を構えている以上は知っておいてもらわねばならん。ベルナルドにはお前に関わるなと言いつけたが……信用ならないというのが本音だ。知っておかねば対応できないだろう」


 後々思うのだが、この時の私は相当頭の巡りが悪かった。

 自分に関する話だったせいだろうか、父さんが言った「ベルナルド"だけ"が怪我で旅を続けられなくなり」という台詞を聞き落としていたのである。


「もう一人の、ロレンツィ?」


 頷いた父さんは、じっと私の様子を探っていた。もしかしたら倒れやしないか探っていたのかも知れない。


「残った候補はベルナルドの兄にあたる男で、名をベルトランドという。……いまは帝国で軍人をしている」


 もうやだお家にかえる。

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