第85話 お父さんのかくしごと-前-

 コンラートの話し合いだが、兄さんからの要請は結論まで時間を要しそうな案件だったものの、ヴェンデルの将来的な話を交えると、秘書官一同及びウェイトリーさんの意見は帝都への移住に傾いた。

 いじめへの心配がなかったとはいわないが、彼らがまず案じるのはコンラートという名の会社の存続だ。縁を作るのであれば帝都への移住は望ましく、どのみち誰かを向こうに派遣しておく必要があった。ファルクラム内だけの活動が駄目とはいわないが、今後経済的にもどう揺らぐかわからない現状、どちらにも拠点を作っておくに越したことはないという話になったのである。

 

「向こうに渡るのであればわたくしも同行したいところです。アーベライン殿がなんとおっしゃるかが不安なところですが……」

「私やウェイトリーさんが国内にいないのは問題かしら」

「不満はあるでしょうが、あの方の人となりを考えるに、立ち回りを間違えずに仕事をこなせば文句は出ないでしょう。あとは現地……総督代理殿の説得次第といったところですが、なに、その程度ならば問題ございませんよ」

「あら、ではお任せしてもよろしい?」

「無論ですとも。説得はわたくしが出張らずとも、秘書官のオーバンやバラケだけで十分でしょう。なにせあの方は文官にしてはいささか無骨ですからな。口周りではわたくし共に利がありましょう」

「自信があるのはけっこうですが、ご本人には聞かせられない評価ですね」

「いえいえ、とんでもない。あの御仁にはわたくしなりに好感を抱いている証だとお思いください。目が届きすぎる方などは好かれにくいものです、その点アーベライン殿は良い方を推薦してくださいました」


 散歩に行ってくる、程度の気楽さで説得は可能であると断言したウェイトリーさん。一緒に帝都に渡るつもりがあるようだが、皮肉なのか本心なのか、最近のこの方はいまいち判別が難しい。先ほど名前が挙がった秘書官オーバンや護衛のヒル、あと庭師のベン老人によれば「旦那様のおかげで大分柔らかくなりましたな」とのことから、外交官時代は結構な性格をしていたのかもしれない。それと最近は私にもびしばしと仕事を振られている。

 なお、ここでファルクラム総督代理等の名にアーベラインもといモーリッツさんの名が出たのは、彼の副官にあたる方が総督代理として椅子に座っているためだ。部下といっても四十代中頃、上官より年上なのだが忠誠はかなり厚く誠実な印象である。ウェイトリーさんが評したのは、元は武官故の気質のせいだろう。真面目で公平さを保とうとする人となりは好感を持てるが、いざ暴動が起きれば剣をとるのに躊躇ない人物だ。


「ライナルト様には私から手紙を回しておきましょうか。……駄目とは言われないような気がするから、大丈夫だと思いますけれど」

「ええ、そちらはカレン様から送られた方がよろしいでしょうな。お願いいたします」

「で、肝心のヴェンデルですけど……」


 元はといえばヴェンデルの問題から発展した話だ。当の本人に首を縦に振ってもらわねばならないのだが、まさか当人に「あなたがいじめられていそうだから引っ越すわね」なんて言えるはずない。

 幸いにもコンラート家の事情と兄さんからの要請という二つの建前が揃ったことで、ヴェンデルは悩みつつも了承してくれた。


「アルノーさんからは視察っていわれてるけど、うちとしては移住で考えてるんだよね。どっちにするつもりなの」

「そこは様子見次第かしらね。どっちが都合がいいか……になっちゃうけど、あまり移住を繰り返しても勉強に身が入らないでしょ? 私たちも人との付き合いが発生してくるだろうし、足下を固めるためにも二、三年は向こうに残ると思う」

「あ、そっか。……だったらあんまり物を残していきたくないなぁ」


 ……そのくらい経てば流石に情勢も落ち着いてるだろうから、妥当かと思われる数字である。

 ヴェンデルとしては家族の遺品はなるべく持っていきたいので、あれこれ頭を巡らしているのだろう。荷は後で送ることもできるとウェイトリーさんに言われて安心したようである。

 しかし、ふと不満……いや不安だろうか。心配そうに視線をそらした。ヴェンデルもコンラートにいた頃よりだいぶ大人びた言動をとるようになってきたが、こういったところはまだまだあどけなさを残している。


「……でもさぁ」

「ん?」

「二、三年って軽くいったけど、カレン、ほんとにそれでいいわけ」

「え、なにかあったかしら」

「だって、こんなことにならなきゃうちを出る予定だったじゃないか。あらためて言われるとやっぱりさ。……助けを求めた手前、僕はうれしいけど、カレンはうちに縛られることになるし……」

「あらー……」

「……ちょ、なにその態度」


 いや、ちょっとヴェンデルの気づかいに感動しただけなのだが……。最近のヴェンデルを考えれば、周りに目を向ける余裕が生まれたのは素直に喜ばしい。


「まあまあ、怒らないでちょうだいな。ウェイトリーさんにも心配されたことあるけど、別に縛られるなんて思ってないし、いまはコンラートや兄さん姉さんが心配でそれどころじゃないわ。これで出て行ったら目覚めが悪いし、私を薄情者にしないでちょうだいな」

「でも……」

「カレン様に出て行かれましたら、いまのコンラートはたちまち瓦解しますな」


 ぼそり、とウェイトリーさん。


「……ウェイトリーさんがまとめ役になったら?」

「ご冗談を。わたくしでは格が足りず、また幼いヴェンデル様では顔役を張るにはまだ不十分です。もしコンラートから出られる際は事前の申告と十全の準備をお願いいたします」

 

 ちょっとけしかけてみたらこれである。ちなみにお互い言葉遊びをしているだけなのであまり深い意味はない。

 ヴェンデルはこれで納得してくれたのだが、数日後になると別の問題が浮上した。

 キルステンの末っ子、私の弟エミールである。

 それこそエミールが世話を焼き可愛がっているヴェンデルから話を聞いたようで、なんとエミールも帝都への留学を希望した。鼻の穴を膨らませて飛び込んできたエミールは、キルステンの将来と兄を補佐する立場の人間として、いまより広い世界に飛び込みたいと語ったのである。


「キルステンの移住を待っていたら遅れるばかりです。ついでだから姉さんのところに居候させてください」

「居候って……エミール、あなた姉さんはどうするつもりなの」

「皆がいるから大丈夫です! 僕も甥っ子か姪っ子は楽しみですが、だからといって勉学をおろそかにはしたくないんです」

「そんなこと言われてもあなたまだ親の監督下にある年頃だし……。兄さん……ではなく、父さん達の了承を得ないと」

「許可を取ればいいんですね。わかりました!」


 そう言って引き返した翌朝である。なんとエミール、本当に父さんに許可をとってきた。


 「嘘でしょ!?」


 思わず叫ぶ物の、自慢げに胸を反らす弟の表情は自信たっぷりで、嘘ではないことが伺い知れる。またその証拠に、父さんが私と話したがっていると伝えてきたのだ。


「大事な話だから一人できてほしいってさ。兄さんに同席してもらってもいいけど、繊細な問題だから一人がいいだろうっていってました」

「む」


 父さんがそこまで言うなら余程だろう。翌日都合をつけると早速キルステンに赴いたのだが、父さんから話が通っていたのか、待たされることなく奥の部屋に案内されたのである。

 どうやら私の到着を待つ間、伯父となにやら言い争っていたようだが、伯父は私の顔を見ると複雑そうな表情で黙り込み、父さんに部屋を出て行くよう伝えられたのである。

 しかし、と残ろうとする伯父はちらちらと父さんの顔色を窺うのは、父さんの顔色があまりにも悪かったからだろう。兄さんをみているからわかる。いまにも倒れそうな、沈痛な面持ちは滅多に見せることがないものだった。

 伯父が出ていって二人きりになると、私すらも挨拶より先に体調を心配してしまったほどだ。無表情を装うから誤解されがちなのだが、兄さんは父さんに似ている。即ち、兄さんの情の細かさは父さん譲りであり、キルステンでいえば一番繊細な心の持ち主であるというのを思い出したのであった。


「……大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。気にしないでくれ」


 ……久方ぶりの会話がこれである。

 キルステン前当主は兄さんよりもさらに神経質そうな細身の男性だが、年の割に精悍な顔つきをしている印象だ。あの日以来、なにを考えているかすっかりわからなくなってしまった人だからか、その先の話題が浮かばない。それは父さんも同様なのだろうか。今日は被っている仮面を取っているというような……昔のような人間らしさがある、といっては不謹慎だが、私に対してなくなってしまった情が垣間見えるのである。


「……元気にしていたか、とは愚問か」

「あー……はい。兄さんから聞いてるでしょうけど……」

「ああ、アルノーやエミールが教えてくれる。時折、ゲルダもな」

「……姉さんとも会ってるんですか?」


 兄さんやエミールはわかるが、姉さんを意外に感じてしまったのは、姉さんから両親の話をきくことがないからだ。そういえば母さんとはいまでも没交渉だときいたし、妊娠に際しても母さんではなくアヒムのお母さんを頼っているのでお察しなのだが……。


「私とは顔を合わせないわけにはいかないのでな。アンナとはいまだに顔も合わせていないが、こればかりはあの子次第だろう」


 アンナ、とはこの人の妻。つまり大元の元凶である母の名前である。昔は名前一つ呼ぶのにもこの人の愛情深さが知れたのだが、いまはその声音に見る影もない。


「……エミールの件だが」

「そうでした。エミールの帝都行きの件、本気ですか?」


 互いに雑談に興じる相手ではないためか、話題はさくさくと、そして必要最低限の会話で成されようとする。……お互いして腹を探り合っているというのが正しいのかも知れないが、そこはうん。長い間直接対峙しなかった気まずさ故というものだ。


「本気……だな。もとより情勢が落ち着けば、帝都に留学させるよう勧めるつもりだった」

「エミールを?」

「そうだ。あの子はアルノーよりも人との交流に長けている。国内に燻り続けるよりも、外国で見聞を広めた方が将来の役に立つだろう」

「……兄さんよりも、ですか」

「当主としてはアルノーで間違っていない。向き不向きというものだ」

「は、あ……。そこはキルステンの判断ですので、私がどうこう口を挟むつもりはございませんけれども。……だからついでに留学させようと?」

「エミールはお前になついているからな。……少なくとも、我が家にいるよりは良い環境で学べる。仲の良い弟分もできたと聞いているのでね」

「ええ、ヴェンデルとは仲良くさせてもらっています。ですからエミールを預かるくらい問題ありませんけれども……」


 ……自分の家庭のことを言い過ぎでは? と思ったけれど、それは父さんも同じ気持ちだったらしい。静かに、諦観にも似たような長いため息を吐くと、長い沈黙の後に呟いた。


「お前にとってはいまさらだろうが……アンナとは離縁することにした」

「へぇ……って、え?」

 

 そこは流石に意外だった。何故なら本当にいまさらの話で、離縁するなら私が十四の頃にしているんじゃなかろうか、というのが素直な感想だったためである。そうしないのは外聞や家々の繋がり、エミールの母として、それになにより父さんが好いた人だったからだろうといった事情が絡んでいると考えていたからなのだが……。

 こちらの思いは父さんも承知しているのだろう。いよいよ本題を切り出した。


「わざわざお前だけを呼んだ上で応えてくれたのだ。内容についてはある程度承知しているのだろう。……帝都に向かうのであれば、これだけは話しておかねばならないと思ってな」


 私の実父のことだ、と告げられ、何年越しかの元凶がいまになって襲来しようとしているのを実感した。

 父さんは今度こそ沈痛な面持ちを隠さない。組んだ両手を額に押し当て、呻くような声を吐き出した。


「お前の実父だが、候補が二人いる」


 頭の中でクエッションマークが飛び交った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る