第84話 お兄ちゃんのかくしごと

 私の入室タイミングは、ちょうど兄さん達にお茶が配られ始めたタイミングだった。椅子には兄さんとアヒムが並んで座っている。礼儀作法に厳しいなら主従が…と声があがるところだが、彼相手にそんなこというのは野暮である。ウェイトリーさんもそのあたり覚えてくれたのか、最近は彼一人で現れても顔パスで通してくれるくらいだ。

 

「兄さん、ちょっと痩せた?」

「うん? そんなはずは……」

「ありますよ。いろんな所から泣きつかれて、その対応に毎日大騒ぎです」

「おいアヒム」


 兄さんが咎めるも、アヒムはカップ片手に話を続ける。

  

「……三ヶ月経ってるのにまだ落ち着かないの?」

「なに言ってるんですか。強がってたり現実が見えてない連中が今まで通りばかすか金を使って、資産が目減りしてくるのはいまからですよ」

「もしかして、借金の申し込みでもあった?」

「そりゃもう飽きるくらいに。つっても旦那様が一喝で追い返されてましたが。……その様子だとお嬢さんのところも?」

「残念ながらね。……うちだって余裕があるわけではないから、基本はお断りさせていただいてるけど」

「そりゃそうでしょうよ。この時期になって焦り出すなんて見通しが甘かったって宣言してるようなもんだ。目が利く人間なら初期頃に対応に乗り出してますからね」

 

 姉さんの実家であるキルステンはファルクラム陥落の煽りを免れた一家のひとつである。


「お嬢さんから叱ってやってください。律儀にどうしようもない連中の相手をしているから時間が足りなくなるんだって」

「……兄さん」


 お人好しにも程があろうに。つい咎めがちになった視線から逃げるように咳払いで誤魔化された。

 

「アヒムは大袈裟に話すのが好きなだけなんだから、私のことは気にしないでおくれ。それよりも、最近はどうだい。うまくコンラートを統率しているようじゃないか」

「私は椅子に座って指示するだけの立場だから、ほとんどウェイトリーさん達の手腕よ。それに元々コンラートの人たちは耳聡い人が多いから……」


 元の質が高いから、伯がいなくともなんとか形を保てているといった点が大きいだろう。


「最近は、この騒動に伴って現役を退かれた人も一気に出たようだけど……」

「お年を召した方々が多かったから、色々堪えたんじゃないかしら。……って、兄さん、疑ってるところなんだけれど、そこは本当に関与していませんからね」

「あ、ああ。変な言い方になってしまってしまったか。すまない」

「まったくもう。私がそこまで腹黒い人間に見えますか」


 伯の弟妹であるギード氏、グリーム夫人について言及したかったのだろう。あの日以降、彼らは表舞台から退き、各々の跡取りが家の顔を務めるようになったと改めて挨拶に来られた。

 彼らとしてはヴェンデルの心証が悪くなってしまった二人を退けた方が良いと判断したのだろう。確かに、ちょっとそれっぽく、印象悪いよねって雰囲気は出したけど……。

 あら? やっぱり私のせいになるような……。


「アヒムはなぁに? なんかとっても物言いたげな目をしているけれど」

「そんな刺々しくしないでくださいよ。日に日に綺麗になっていくお姿に見惚れただけですって」

「まぁお口がお上手。その器用さをもう少し兄さんに分けて欲しいところだわ」

「おれも常々努力してるんですが、どうも生徒が不勉強者でして。教師として嘆かわしいったらない」

「冗談言え。お前に習うくらいなら肖像相手に愛を謳った方がずっとましだ」

「おお冷たい。おれほど坊ちゃんのために親身になる男もいないっていうのに」


 私の知らないところでなにかあったらしい。

 妹の前とあってかすぐに気を取り直したようだが、婚約を破棄されて以降女性の影が見えないのも事実である。この状況じゃ相手を選ぶのも難しいのだろうけど、周囲はさぞ気を揉んでいるだろう。もっとも、いまはそれどころではないのだろうが……。


「姉さんはどうしてる?」

「……ああ、最近は食欲も増えてきて、お腹の子共々元気にやっているよ。お腹も目立ってきて、流石に大変そうでね。アヒムの母上がつきっきりで見てくれているよ」

「お袋も毎日張り切って楽しそうにやってます」

「近頃はお前のことも気にかけていて……」

「いいのいいの、無理させないで。無事に生まれるまで私は会わない方がいいってわかってるから」

「カレン、ゲルダは……」

「わかってるから、大丈夫。姉さんの立場を考えれば当然だもの。別に喧嘩したわけじゃないし、落ち着いたらちゃんと顔を見せるつもりよ」


 私は、あれから姉さんとはあまり顔を合わせなくなった。ここ二月ほどは足を向けなくなったといってもいい。代わりにヴェンデルが様子を見に行ってくれてるので、姉さんの状態は知っているつもりだ。

 こうなった原因は、姉さんの夫である国王をライナルトが殺害し、私がそれを知っていたのにも関わらず彼に与したからである。おそらく大公あたりだろうが、彼らからライナルトが陛下を殺害したことが姉さん達に伝わってしまった。国の中枢に関わる立場だから、話が漏れるだろうとは踏んでいたが、問題は私、ひいてはコンラートが彼に関わっていたと知られたことだ。貴族が領地や財産を取り上げられる中で、利用価値のあるサブロヴァ、その実家であるキルステンはともかく、没落目前と噂されていたコンラートが彼の恩恵を受けるのはいささかタイミングが良すぎた。大公らが怪しみ、そこから姉さんに伝わると……あとは、元々姉さん達には彼との関わりを伝えていたのもあって、という流れだ。

 そして姉さんに「陛下を殺した犯人が彼だと知っていた?」と聞かれたらいいえとは言えない。結果として、姉さんから私は距離を置いたのである。


「距離をあけたほうがいい時もあるわ。いまはたぶん、時間が必要なんだと思う」

「……もしなにかあれば言いなさい。こちらからできる限りの助けは出す」

「ありがとう。そちらの方もなにかあったら教えてね。すぐには難しいけど、できることはあると思うから」


 しんみりした話は置いといて、まさかこれが本題ではあるまい。

 兄さんもわかっているのか、視線に求められるように主題を口にした。


「帝都からゲルダに使いがきたんだよ」

「使い? こちらにはなにも……」

「ああいや、ライナルト殿からではなく皇帝陛下の名前で来られたから、お前も知らなかったのは無理ないと思う。それか報せが遅れているかだよ」

「……皇帝から?」


 となると、ライナルトの父親というわけか。しかし姉さん宛にとはどういうわけだろう、続きを待っていると、兄さんはいっそう悲壮な表情で口をへの字に曲げた。


「これは将来的な話なんだがね……。子供が無事生まれたら、帝都で十五までは育てさせよとのお達しだ」

「……向こうで教育を施すということ?」

「そういうことだろうね」


 ……考えられない話ではなかった。ファルクラムで教育を受けさせるだけでは、彼らにとってはなにかと危険だろう。問題は姉さんなのだが……。


「姉さんはなんて言ってた?」

「いい顔をしなかったのは確かさ。けれどゲルダが同行してはいけないとは言われなかった。行くなら一緒のつもりだよ」


 それはそうだろうね。どのみち生まれてくる子が成人するまではライナルト麾下の人がファルクラム総督の名を冠することになるから、その子がファルクラムにいなくても問題はないだろう。


「私が心配しているのは、噂に聞く皇帝の好色ぶりなのだが……。いまはそれよりも気にかけねばならないことがある。お前に相談したいのはここからだよ」

「……お聞きしましょう」

「将来、情勢も知らずに帝都に移住するのは避けたいんだ。我が家も今後のことを考えると帝都と繋がりを持っていた方がいいとの結論になってね。……ゲルダ達を住まわせる地も見ておきたい。そのため一度帝都に行っておこうと思うのだけれど、カレン、そのために帝都を視察してくれないか」

「私が? 兄さんではなくて?」

「行きたい気持ちはあるよ。だが父上が手を貸してくださるとはいえ、子供が生まれるまではあまり離れたくないな。それにこちらからは私の秘書官とアヒムを行かせるつもりだから、正しい情報を持ち帰ってくれるだろう。それにお前の意見が加わるのなら、私たちも安心できる」


 兄さんからこんなことを頼まれるとは意外だった。ヴェンデルのこともあるし、渡りに船といったところだが……。なぜいま、そして私なのだろうか。疑問はお見通しだったようだ。


「無論、うちの中でも帝国と繋がりのあるお前を向こうにいかせるのは反対だという声はあったよ」

「……素直に教えてくれるんですね。そんなこと言ってよかったの?」

「こんなことを頼むのだから、そのくらいは教えるさ。……それでね、やはりコンラートを良く思わない人は多い。私はお前が二心を抱くとは思わないが、周囲の感情を考えると、ここでひとつゲルダの為に働いているという姿を見せておきたい」

「お嬢さんがファルクラムのために動くってことが重要ですからね。……ゲルダ様達のために動くって大義名分だ、すこしはしかめっ面した連中の心証も和らぐでしょう」

「……変な企みをしてるんじゃないかって疑われてそうだけれど、そこはいいの?」

「疑惑は諦めてください。そいつはもうお嬢さんが奴さんについた以上、どこにいたってつきまとう噂だ」


 周囲への点数稼ぎと言ったところか。そこはあまり気にしないが、姉さんのために働くのであればやぶさかではない。

 しかしコンラートはファルクラム国内の情勢を逐一報告するという役目もある以上、勝手に離れていいか判断がつかない。コンラートの人たちにも相談してみる、と返事を保留したところで話題を変えた。この二人にならヴェンデルの状態を話しても問題ないだろう。

 なるべく言葉を選んで説明したつもりだが、アヒムの方はいじめという単語に露骨に反応した。スウェンには別宅を貸していたほど可愛がっていたから、コンラート兄弟には思うところが大きいのだろう。

 夕刻を過ぎると、兄さんは用事があると帰ってしまったのだが、アヒムが残った。どうやら夕食の相伴に預かるつもりらしい。そこは一向に構わなかったのだが……なんだか兄さんがやたらと慌ててたのだけど、あの不可解な慌てっぷりは何だったのだろう。


「……それにしてもアヒムが視察を任されるようになるなんて、随分すごくなったのねえ」

「その辺りはおれも思うところがあるんですが……仕方ないでしょうね。坊ちゃんの一番の側近ですし、日頃一緒にいる手前、おれが色々と手を回すことも多いですから。……身分のわりにはいい飯食わせてもらってますよ」


 しれっと言い切るものである。でも普通の護衛だけなら「色々」はあまりやらないと思うのだけど、そこは黙っておこう。しかしわざわざ彼が残ったのは何故だろうか。思い出話に花を咲かせにでも来たわけじゃあるまいに……などと内心首を傾げていると、人気の少ない所に手招きされたのである。


「わざわざすみませんね。できればなんですが、坊ちゃんの話は受けてやってもらいたいんです。なんとかコンラートの人間を説得してもらえませんか」

「兄さんの頼みだし善処するつもりだけど……どうしたの?」


 念押しするためだけに残ったのか。アヒムは真剣な眼差しで、私にファルクラムを離れろ、と告げたのである。

 

「この国はまだ緊張状態にあるからですよ。一時期大人しかった連中でも、落ち着きを見せれば尻尾を見せてくる頃合いで、そういう噂もいくらかあがってる。どこに誰の耳があるかわからないし、馬鹿がなにかやらかさないとは言い切れない」


 私を怖がらせたくないと兄さんは判断したようだが、そのあたりアヒムの方がいくらか現実的なのだろう。事実、ライナルトに関わるのをあれだけ怒っていたアヒムだが、いまでは兄さんよりもさっくり受け入れている感じがある。

 

「そう。そんな噂が……。ああでも、そうね、明らかに被害者の姉さん達よりは、恩恵にあやかってるコンラートが狙われる確率の方が高いものね。私が矢面に立つくらいで済むならそれでいいけど、ヴェンデルがいるし……」

「誰がいいもんですか馬鹿。……坊ちゃんのあれはほとんど身内に向けた建前ですよ。兄としてお嬢さん達を逃がしたい気持ちがあるってこと、知っといてやってください」

「うん、きちんと胸に刻んでおきます。ありがとう」


 持つべき者は愛しの兄といったところか。

 しかし、と苦労の多い青年を見上げる。……あ、下睫毛長い。


「でも、アヒムって本当に苦労人よね。気が利きすぎるっていうのも考えものじゃない?」

「……はっはっは。おれが苦労してんのは、ほとんどあんたら兄妹のせいだってことをお忘れですかねこの頭は」

「あっごめんなさいごめんなさ……痛い痛いっ」


 側頭部に拳がぐりぐりと……!

 ぎゃあ、と漏れた悲鳴に通りかかったヴェンデルが飛び込んできたのは数分後の話であった。

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