帝都編

第83話 保護者の憂い

 ファルクラム陥落の動乱から三ヶ月経った頃、私は一つの悩みを抱えていた。

 冬の寒さもすっかり衰えを見せた春の季節。時刻は夕方頃、朱の空が建物を赤く染めあげる時間帯である。


「ただいま」


 帰宅の挨拶をしに部屋を訪れたヴェンデルを笑顔で出迎える。


「おかえり。学校はどうだった」

「ん。まぁまぁ」


 少年はひらひらと手を振って、早々に部屋へと引き上げてしまう。ヴェンデルの姿が見えなくなってから、周囲に人が居ないのを確認して入室してきたのはウェイトリーさんだった。


「……どうでした?」

「ハンフリー達に確認して参りました。やはり、芳しくはないご様子です」

「では、やはり……?」

「身体的な暴力はないようですが、無視や悪口が続いてるご様子ですね。最近は教科書や筆記用具を隠されたりなどしていたりと、悪化の一途を辿っております」

「改善される余地はない?」

「残念ながら……」


 ウェイトリーさんと顔を見合わせ、どちらからともなく重いため息を吐いた。

 現在手の中には目を通さねばならない報告書や帳簿があるのだが、それらが一切頭に入ってこない。それもそのはずで、この問題は一つ屋根の下で寝食を共にしているヴェンデルに絡む話だからだ。

 目下、私やウェイトリーさんの頭を痛めているのは、学校に通い始めたヴェンデルがいじめに遭っている、という問題だ。


「やはり学校を変えた方がよろしいのではありませんか。市井の学び舎のままでは、いらぬ誤解を招くままです」

「ヴェンデルがスウェンの通っていた学校を望んだのよ。上流の学校に変えようといっても、頷きはしないと思う」

「ヴェンデル様のお気持ちは理解しています。しかし、いまのままでは……」

「……その前に、話を聞きに行ったヒルさん達は他になんて言っていたの?」

 

 ヴェンデルが学校に通い始めたのは二ヶ月ほど前から。本人たっての希望で、スウェンの後を追って市井の学び舎に通い始めた。貴族の子弟が通う学校が良いのではという意見がなかったわけではないが、いまのファルクラムでは貴族社会の繋がりを求めた学校はたいして意味を成さない。ならば本人の好きなようにさせようと考えた結果だ。

 いくらか心配はあったのだが、本人が楽しそうにしており、友達もできたと言っていたので安心していたところ、ある日を境に学校の話題を避け始めた。まず異変に気付いた護衛のハンフリーがウェイトリーさんに進言したのが始まりである。


「……懸念していた話題ではあったのだけどね」


 いまのファルクラムは情勢が乱れている。治安が悪くなったわけではないが、市民の心情が乱れているのは事実だろう。政権交代に伴い、皆が少しずつ現状を受け入れ始めているというのが現状である。


「カレン様、あまり気を揉まれては……」

「そういうわけにはいきません。原因を作ってるのは私ですから」

 

 ヴェンデルがいじめに遭う原因は、言葉通りずばり私である。いや、正確には私というか、晴れて帝国皇太子として認められたライナルトを後見人に持つコンラートが対象なのだが、その点を突き詰めると、やはり直接的な要因となったのは私だろう。

 ファルクラムは、いまや正式に帝国の領土として存在を変えた。わずかに生き延びた王族は、姉さんのお腹にいる子を筆頭にライナルトの保護下にあるが、これは国の象徴としての存続を許されているというだけの状態。一応の面目を保つためか、将来的には生まれてくる子供にファルクラムの監督役を任されることが決まっている。表立って反対意見が上がるわけではないけれど、このことを良く思わない人々の影響が学校に表れている、と表現したらいいだろうか。あとは、ファルクラム国王陛下の第二妃であった姉さんはともかく、真っ先に甘い汁を吸うことになったコンラートへの様々な感情が絡んでいる。


「政権交代にしては随分穏やかに事が進んだ方だとは思いますが、やはり厳しいものがございます」

「……これくらいで済んで良かったと?」

「そうは申しませんが、本来なら領地に引っ込むか、新しい土地に引っ越してもよろしいくらいだと考えます。そのくらいには、あの方はよくやられたと考えますよ」

「王室あってこそ甘い汁を吸ってこれた貴族だものね。だからといって、あれだけの家々を潰して回るとは思わなかったけど」


 あれからライナルトがファルクラムで行った政策だが、彼が真っ先に手をつけたのは、ファルクラム国内の権力の大多数を占めていた貴族の摘発だ。ライナルトはそれまでの間にため込んでいた不正の証拠を掲げ、今後の安全を保つためと称して、数多の貴族から利権を取り上げた。彼の目を逃れたか、或いはもとより彼に協力を望み出ていた者は土地を取り上げられることはなかったが、それ以外は容赦なく領地の縮小を迫られたのである。

 彼が行った政策は以下が挙げられる。

 貴族絡みで行った政策は決して少なくないのだが、その中に、これまで貴族が占有し市場を掌握していた商売権を市民に分譲するといった内容も含まれている。ライナルトは市民や商人が市を活性化させることを強く推奨し、これにより市民は自由に市を開くことが可能になった。店を開く者はいくらかを国に納めなくてはならないが、その金額は法で定められている額を超えることはない。少なくともこれまで貴族に支払っていたご機嫌取り等の裏金を踏まえると、かなり安くなったと聞いている。

 他にも細かい変更点があるのだが、そこは割愛しよう。商売の仕方については帝国のやり方をかなり踏襲しているらしく、時間をかけて国を掌握できるように変えていくつもりなのだと予想している。

 次に武官や文官。彼らに対しては相当寛大な処置を施した。国からの粛正を食らった貴族らが彼らを雇えなくなる分、帝国への仕官を受け入れる用意があると声明したのである。退役を望む者には退職金を支払うが、これにより彼らの名誉が傷つけられることや、罰が与えられることもない。

 王城付きであった者に対しては、条件付きではあるが一時離脱からの復職も認めるものとして一時支度金といった制度も入ったようだ。この効果は存外大きかったらしく、ほとんどの兵はこのまま帝国所属兵としてスライドするようである。

 無論、この条件をのめない者は王城を去るしかなかったようだが……。いまはまだ伏せられているが、将来的に王城は閉じられる予定らしいから、必要以上の人を置きたくないのだろう。城の一部を開放し、自由に観光できるようにするといった話も聞いている。 

 上の交代による混乱はあったものの、大公達の差配がよかったためか、街並みや市民の生活が変わることはほとんどない。……なかったというより、逆に市民の視界が広がり、生活水準が向上するような政策を取っている。

 一時物価が上がりもしたが、それもすぐに元通り。王が亡くなった悲しみはあったものの、ライナルトは遺された王室を厚く遇している。それに彼が王の仇である『逆賊』を討った効果もあったためだろうか。大公達も彼を支持していたし、さほど波風がたつことなく、彼らは彼らなりに生活を受け入れはじめているといったところだ。

 事実が広まってしまえば暴動待ったなしだが、いまのところ、そんな話が広まっている様子はない。

 ……これにはコンラートを含めた、大公達の目が光っているのもあるのだろうけど。

 市民は普段と変わりない生活を送っているとして、一方の貴族側。これだけの話を聞くとただ貴族が割を食ったように思える。事実その通りなのだが、どうやらライナルトも鬼ではなかったらしく、収入源を失った貴族に対してもいくらかの保証は残されている。流石に突然お取り潰しとなれば反目は免れ得ないだろうと考えたのか、彼らは国から年いくらかの金を受け取れる。旧ファルクラム貴族であるなら年いくらかのお金をただで差し上げますというシステムができているのだ。この金額、私からすると結構な額じゃないかと目を見張ったのだが、ウェイトリーさんの意見は違った。曰く「質素に暮らすには差し支えない額だが、これだけでやっていくのは、贅沢に慣れきった貴族には到底足りない金額」とのことだ。彼らが廃れていくのは時間の問題だろうとも予測している。

 とにかく、ライナルトは特権階級にこれでもかというほどてこ入れをしたのだ。それ以上の金が欲しくば働け、ということなのかもしれない……という見方をしたのだが、うちの相談役もといウェイトリーさんはもう少し突っ込んだ見方をしていた。

 

「ファルクラムの社会はすでに出来上がっておりましたから、介入するには破壊するのが手っ取り早かったのもあるのでしょう。なにより公権力のもとに不正を暴けば、彼らの財産は国のものとして徴収できます」

「……不正を暴くという形にしてしまえば、人々の反感も買いませんものね」

「そうです。そして国庫を潤すのに、彼らがせっせとため込んできた財産以上のものはございません。文句が出るのは否めませんが、彼らに対してもいくらかの保証はしているわけですから……」

「ほとんど混乱もなく、滑らかに進んでいきましたよね。あれって、やっぱり以前からこういう形にするのを想定していたのでしょうか」

「で、ありましょうな。徴収した土地はさっそく手が入っていると聞きますし……」

「鉱山夫を集めているという話でしたっけ。……ファルクラムは実りが多い裕福な土地ですから」


 そしてライナルトからいくらか譲ってもらったローデンヴァルトの土地は、いまは葡萄畑として収穫できるよう整備中である。

 財産は巡り巡って、領の整備や人々に使用される。

 彼の思惑通りこの国は少しずつ変わり始めているのだが、早々変われないものもある。


「散歩に行って来ます」

「では、人を……」

「庭を散策するだけだから大丈夫ですよ。外には出ません」


 外は少し肌寒いが、春の陽気はいくらか心を落ち着かせてくれる。庭師のベン老人の手入れもあってか、コンラート邸の庭はかつて過ごしたあの懐かしい土地を彷彿させるような素朴さを蘇らせつつあった。


「……これ以上の介入は、事態を悪化させるだけよねぇ」


 いじめの問題に話を戻そう。実はヴェンデル絡みで、この状況になる前に一度だけ私が介入した。

 ヴェンデルが入学したての頃、あの子が気付かない所で悪巧みがあったと、昔の私の担任から報せが入ったのだ。内容は……子供のいじめにしては質が悪く、また実行されれば彼らの親にも責任が追及しかねない内容だったために、保護者間で話し合いが行われた。結果としては担任の言うとおり、ヴェンデルに害のある「いじめ」だったために発生を阻止。悪巧みを企んだ少年少女らには二度とあの子に近寄らぬよう約束させた。それが漏れている様子はないのだが……。


「どう考えても、これで止まりはしないでしょうね」


 学校には子供達なりの社会が存在する。間違っていれば正すのが大人の役目といえど、それは教師の役目。無視、悪口の段階で私が乗り込んでしまうのもヴェンデルの心証を悪くするばかりだ。というか乗り込んだが最後、周りの大人は彼を守るために尽力するだろうから、子供達の評判はもっと悪くなるのが想像できる。

 担任に相談はできるだろうが、正直、帝国の恩恵を受けるばかりのコンラートの跡取りが妬みを買わないというのは、悲しいかな無理がある。


「……悩む」

  

 ヴェンデルは強い子だし、亡くなったスウェンのこともある。自ら学校を辞めるとはいわないだろうが、だからといって傷つかないわけではない。あの子を信じて状況が打開されるのを信じる、というのも保護者の立場としては難しい。なぜならこれは普通のいじめと違い、子供達には「帝国に与した裏切り者の家の子」という大義名分が若干ながら備わっているためだ。ヴェンデル自身も賢い子だから、彼らに下手に手を出せば己の評判が悪くなるのを知っている。なにより伯やエマ先生が施してきた教育を考えると、この情勢で彼らに仕返しするような子ではない。

 このまま恩師達の子が苛められるのを、指をくわえてみているというのも歯がゆいわけで……。

 花壇に埋もれている雑草をブチブチと抜きながら、愚痴るように呟いていた。


「……こういうのを親のエゴっていうのかしら。いえ義理の息子だけど」

 

 こうなってくると、私にできることは少ない。

 ……以前、私がコンラートの後見人を求める際にキルステンではなくライナルトを選んだ理由を覚えているだろうか。私は自分がキルステンに恩を作る以外に、もう一つの可能性を考慮していた。

 キルステンに縛られるとなると「これ」は難しいだろうと、なんとなく想定し、念のために繋がりを求めておいたのだが……。いや、でもこれはヴェンデルがいじめに遭うというより、ヴェンデルや私たち含め、いずれ国内で巡るであろう誹謗中傷や、もしかしたら発生するかもしれない内乱とか、コンラートの崩壊もあったし周囲の気遣いで居辛くなってしまう……。そういった状況を想定していたのだ。その時のための逃げ道として考慮していた「もう一つの可能性」である。


「……キルステンだけだと、帝国に移住なんて難しいものなぁ」

 

 拠点の移動……とまではいかないが、情勢が落ち着くまでの一時移転だ。まさかこんなに早く引っ越しを考えなければならないなんて思いもしていなかった。

 ヴェンデルに意見を聞いてみなければならないし、決まったわけではないけれど、ウェイトリーさん達に相談だけはしてもいいだろう。確か貿易に際して向こうの情勢を知りたいといっていたし、管理している葡萄は将来的に葡萄酒にして出荷する予定がある。うちと交易してくれそうな商家を見つけたいし、職人の勧誘も必要と話していたから悪いばかりではない。


「ま、新しい土地なら苦労も多いけど、キルステンやコンラートのことを知っている人も少ないだろうから……」


 いつかの私のように、周りの大人に気遣われながら生活しなければならないような時間は減るはずだ。

 ……コンラートのお仕事をするようになってから、独り言もすっかり増えてしまったなぁ。

 ビル老人が手入れしている花壇は土自体が柔らかくふかふかで、雑草もたやすく根っこから引き抜けるから、つい熱中してしまうのである。花壇の清掃に一役買っていると、使用人からお客様の来訪を知らせてきた。

 この時間、特に面会の約束もなしに来訪を許可しているのは一握りの人間だけである。

 ちょうどいい、兄さんにも一応話をしておこうかな。

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