第81話 遊び遊ばれるだけの仲
ライナルトと話をするのは嫌いじゃない。長話でも苦痛に感じることはなかったけれど、忙しい身である人を拘束するのも悪いだろう。
「休息中にお邪魔し続けるのも申し訳ないですから、そろそろお暇させていただきますね」
そう伝えると、ふと、ライナルトは真顔になった。
「その前にいいだろうか。貴女にお伝えしておきたい話がある」
「なんでしょう」
「先ほどの祝辞だ。貴方が本心でどう思われているかはともかく、私はファルクラム領にラトリアが居座るのは好まない」
嬉しい言葉だった。だが、勘違いしてはいけない、とこれまでで培われた経験が告げている。
「……それは、ライナルト様が私たちに同情してくださっているから、ではありませんね」
「そうお思いになりますか」
「ええ、だってライナルト様が親切心だけで私達を助けてくださるような方なら、きっとこんな形でお喋りしているなんて、なかったはずでしょう?」
否定はなかった。それが答えのようなものなのだろう。
「私は好んでいまの立場にあるが、身分というものはままならないものですね。……その通りだ。仔細は省かせてもらうが、私としてはラトリアに大森林を越えられるのは好ましくないと考えている」
「……はい」
「故に、だ。十年以内に連中を大森林の向こう側に追い返すことを約束しよう。もしその時までにコンラートが私にとって有益であることを示してくれるのであれば、あの聡明な少年に、領地をお渡しできるだろう」
「まあ、私たちに二心はありませんよ。ご心配なさらずともコンラートはライナルト様に付きます。この状況で、いまさら鞍を変えようとは思っておりません」
「そう邪推しないでもらいたい、利害は一致していると言いたいのだ」
「そのお言葉を信じさせてもらいたいところですが……。そこまでコンラート、いえ、ウェイトリー達を買ってもらえるのなら、ありがたい話です。私、本当に彼に頭が上がりません」
「それを本格的に示してもらうのはこれからですが。ともあれ、安易に自身を驕られない点は、貴方の美徳だと思っていますよ」
…
……これ、勘違いしそうになるけど、ライナルトはあくまでも「コンラートの忘れ形見」であるウェイトリーさんといった人材を買っているのであって、それを仮にとはいえ従えることができる私はおまけなんだよね。
下手なこというと恥をかくところだったなあ、とひとりごちる。
「お心を砕いていただけるのは嬉しいですけれど、すこし不思議でもあります。ライナルト様も信頼できる部下はいらっしゃるでしょうに、こう言ってはなんですが、思ったよりコンラートを重用してくださるのですね」
「おや、貴女が私を後見にと望まれたのでしょう」
くつくつとライナルトは喉を鳴らす。彼の言うことはもっともなのだけれど、いまのは掛け値なしの本音でもあった。
「無論、私の意を汲みとってくれる者は多くいる。手足になってくれる者もです。だが、だからこそ彼らは私の手元に置いておきたい。ファルクラムに残しておくにはもったいないでしょう」
「……そうおっしゃるということは、やはりファルクラムを離れ、帝都にお渡りになられるのですね?」
「それが必定でしょう」
「ああ、そういえばいつかも何れこの国を出ていくと口にしておられましたね。これは質問した私が野暮でした」
「些末な会話だったでしょうに、よく覚えておいでだ」
感心したように呟くのは、はてさて本心なのだろうか。
しかし、なるほどー。いまの話から鑑みるに、ライナルトはこちらにあまり部下を残したくないのだろう。彼の陣営の末席に加わったばかりのコンラートにここまで言ってくれるのであれば、余程である。しかし帝国内部図が少しながら見通せた現状、彼の対抗馬が生まれながらの皇位継承者である皇女だと踏まえれば納得だ。
……ふむ。
多分、予想通り勢力としてのライナルト陣営はまだ強い方ではない。それは今回のように国一つ分の土産を作る必要があったこと等から推測できる。
……普通だったら皇女に付くのが賢いやり方なのだろうが、残念ながら心情的に、そして実状的にもそれは難しいだろう。大体、皇女ヴィルヘルミナが滅びゆく国の小貴族に忠誠を誓われたとて何になる。
そういう意味では、もしかしたら私は運が良い方なのだろう。いや、良いのだと信じたい。既に売りつけた後ではあるが、いまのライナルトには私達でも利用価値を与えることができるのだから。
「帰るつもりでしたが、少々気が変わりました。ライナルト様、まだお時間よろしいのでしたらお喋りに付き合ってくださいませ」
「カレン嬢がお望みになるのなら」
「では……ひとまずは、そうですね。そちらにおかけになっていただけます?」
突然の申し出だが、ライナルトが嫌がる様子はない。
「うん? ……座ればよろしいと?」
「はい、ダメでしょうか」
「……そのくらいなら構いませんが」
私はソファに座った彼の後ろに回りこむのだが、特に警戒された様子はなかった。
「お髪に触りますね。別に悪さはしませんから、ご安心を。……あ、もちろんご不快でしたらやめますけれど」
「構いませんが、何故髪を?」
「……いつだったか、髪を直してもらったことを思いだしたので……それだけですけど。ところで櫛はお持ちではありません?」
「どうぞ。少し古いので扱いには気をつけて」
ほんとに持ってたよ。
普通ならライナルトのような身分の人が持ってるわけないと考えるのだけど、以前のこともあったし、多分持ってるかなーと思って聞いてみたら、上衣の内ポケットから木櫛取りだしたのである。
ライナルトから渡されたのは、よく手入れされた、だがどこか安っぽく目の荒い木櫛だった。私が掴みやすいくらいだから、手の小さな人か、あるいは子供が持つのにちょうど良いくらいだろう。
大人しく座ってくれるあたり、なんだか大きな犬みたいだなあとぼんやり思うのだけど、もちろんそんなことは口にしない。
ライナルトのつむじがよく見えるのだが、髪結いをする職人さんや侍女はこんな眺めなのだろうか。
「面と向かって口にするのは……思うところがあるのでこんなことをしているのですけど」
「なるほど。面と向かっては言い辛いと」
「お察しいただけてなによりです。あとは、単にこの綺麗な御髪に興味があったのですけれど。やだ、本当にさらさら」
「一応気を遣っているつもりですよ。……カレン嬢の行動は時折、本当に難解を極める」
「そうですか? 私、結構単純だしわかりやすい方なのですけれど」
一房、ライナルトの長い髪を掴むと手の内でほどけていく。絹糸にも勝るサラッとした手触り、枝毛一つない毛先は栄養が行き届いている証拠なのだろう。もしかしてお風呂上がりに精油でも塗り込んでいるのだろうか。彼が自分でやっているなら笑えてくるし、ほかの誰かに手入れさせているなら、偉そうに座る姿が容易に浮かんでくる。
「誤解のないよう先に申し上げておきますけれど、一度あなたに付くと申し上げた以上、それを覆すような真似はいたしませんと、私もお約束します」
ライナルトは帝都に行く。ちゃんと話せる機会はなくなるだろうから、ここで言いたいことをいっておいてもいいだろう。……でも、これから話すことをウェイトリーさんが知ったら叱られるかな。
「ですが、正直に申し上げると……あなたを信じようと決めたものの、時折これでよかったのかと迷うときもあります」
それは本当に隙間を縫ってやってくる。例えば私の前で死んでいった女武官を前にしたときや、例えば赤毛の凛々しい軍人を前にしているとき。脳の外側をふっ……と、なくなった笑顔が去っていく。
ライナルトの髪を丁寧に櫛でといて、なんとなく三つに分けた。
「ですから本心かと問われたら……この気持ちは複雑というのでしょうね。うまく言葉には言いあらわせません。なにせ人が死にすぎました。そのうえ国の基盤はいままさに破壊されようとしている。姉は夫を亡くし、将来は不安だらけです」
で、私にできることといえば三つ編みくらいだろうか。私なりに丁寧に三つ編みに編んでいく。遊んでるのかって? もちろん遊んでいるのだ。
すこし、すこーしだけキツめに編んでいく。これがいまの私にできる意趣返しだ。ちょっと痛いくらいなのに、ライナルトの頭は微動だにしないのが些か憎らしい。
「……愚痴をお許しくださいね。私は誰かのように突出した才がない凡人です。特段頭が良いわけでもなく、武勇に優れているわけでもない。偶然、縁が生まれてコンラートの顔になっただけの人間ですが」
……転生してるのになぁ。どうしてこう、誰かを動かす特別な力や才能が与えられなかったのだろう。そういう意味では、特大の魔力や才能を認められ帝国にスカウトされたエルや、自らの望みのためにこの国を乗っ取ったライナルトの方がしっかり主人公をしている。彼らがヒーローか、アンチヒーローかは置いておいても、物語の主役を張るには十分だろう。
これまで散々感じてきたことだが、きっと私は世界の主人公になるような人間ではない。才能がどうとか嘆いておきながら、それだけは自分でもよくわかる。
事実、別に誰かを率いて指揮したいなんて思っちゃいない。私は私にできる範囲の人が平穏であってくれればいいし、そのために降りかかった火の粉を払うだけ。いまはその規模がすこし広がって、こんなことになっているけれども、つまるところそういうことだ。
とても簡潔に纏めてしまえば、凡百なのだ。彼らのように人生の分岐路を「この道で合っている」と己が選択を振り返らず進むのは、やろうとしても難しい。生まれ変わる前、自分が読んでいた、よくある転生ものの物語としてはコミカルさも足りないだろう。
けれどこれは結局、私の人生だ。誰に読ませるわけでもない、私の歩みなのである。
「……凡人なりに、出来得る限り、自分が納得できる道を進みたいとは願うのです」
何が正しい、何が間違っている。そういうのはきっと、どこからでも声が上がってくる。
だったらせめて、私が後悔しない選択をするだけなのだろう。
「ですからね、いまの私に裏切りという言葉はないのです。あなたが私たちに報いてくれるのなら、誠実に働かせていただきましょう」
「いまの、という言葉は不安が残りますね」
「それもライナルト様次第だからです。でも、私たちだっていつあなたに見限られないか不安なのですからお互い様ではないですか」
「おや、それは心外だ。私はできる限りなら貴方に親切にしたいと思っていますよ」
三つ編みを作り終わったのはよかったが、最後、結び終わりを固定する紐がなかった。ちょっとだけ振り返ったライナルトは私の手から髪を奪い取ると、お世辞にも出来が良いとはいえない三つ編みに口角を持ち上げた気がする。
「私の方がうまくできますね。カレン嬢はこういったことは不得意なのかな」
「得意、とは言えませんね。刺繍なんて特に大敵です」
一度ひよこの刺繍を縫ってみた時なんて、コンラートの皆さんからなんとも微妙な笑顔を頂いたことがある。……ただそれは美意識の違いで、現代日本だったらかわいいって言われてたはずである。たぶん。
「……前々から思っていましたけれど、ライナルト様は私共によくしてくださいますよね」
「おや、お気づきになられた」
「元々ご縁があったとはいえ、こうして御髪を触らせていただけるのは余程なのかしらと、たったいま……。でも、そうですね、だからこそ不思議です。ライナルト様に親切にしていただけるようなことをしていましたか」
ライナルトは髪を解こうとはしなかった。人の不器用っぷりが余程おかしいのか、肩は小刻みに揺れているように感じて、一歩下がった。
「カレン嬢とて親切にしたい相手が一人二人はいるでしょう」
「は、あ……。それは当然、いますけれど」
空いた方の手がひらひらと宙を舞った。
「それと同じだ。サブロヴァ邸で貴方と話をしたことで、私は貴方に親切にしたいと感じた。そしてそれがいまも続いているというだけだ」
そんな面白い話をしてたっけ?
あの時、彼となにを話したか、もう詳細までは覚えていない。
「……よくわかりませんが、わかりました。では、その良好な関係を崩さないように尽くさねばなりませんね。あ、櫛、ありがとうございました」
「どういたしまして。ところでカレン嬢、紐は持っていませんか」
「すみませんが持って……いえ、待って、何故紐ですか」
櫛を内ポケットにしまうライナルト。髪を掴んだ手は、いまだ三つ編みが解けないように結び終わりを固く握っている。
ライナルトは答えない。しょうがないと言わんばかりに立ち上がると、別室に向かって歩こうとする背の服を掴んだ。なんとなく、なんとなくだが悪い予感がする!
「ま……! そ、その髪でどこに行くおつもりですかっ」
「面白そうなので……」
「いやー!」
ぼろっぼろの三つ編みを固定するつもりだこの人。やめて、二人だけだからライナルトで遊べたのだ。この人にこんなことしたなんてモーリッツさんにばれたら怖い!
「やめてください、ライナルト様で遊んだなんてばれたら私が叱られます」
「おや、もしや私は遊ばれてしまったのですか」
「ごごごごめんなさい! あ、ああもしかして髪引っ張ったの、やっぱり怒ってたんです? 出来心、出来心です!」
「出来心、とは?」
「力加減ちょっと……え、違うんです? それじゃない?」
ちらりと振り返った顔が、スウッと目を細めていた。あ、これわざと髪を引っ張ってたのはばれてなかったっぽいぞ。やぶ蛇である。
「だってなんにも反応しなかったんですもの!」
「なに、私は気にしませんよ。少しばかり頭皮が痛かったですが、偶には遊ばれるのも一興。すべてはカレン嬢が不器用故致し方ないというもの、責める心は持ち合わせませんよ」
「あー! ごめんなさいぃぃぃ……!」
帝国の皇太子で遊んだなんて知られたらなんて言われたものか……! 出ていこうとするライナルトを必死で引っ張って、説得することおよそ十分! 最終的に髪から手を離させることで三つ編みをほどき、きったない三つ編み姿のライナルトを披露する事態を避けることができたのであった。
ライナルトには揶揄われた気がしてならないが、別れ間際にはいつも通りの微笑で対応された。
「これから忙しくなる身故、こうして貴方と話をすることもしばらくないでしょう。どうか元気で過ごしていただきたい」
「過分なお言葉ありがとうございます。ライナルト様もお身体に気をつけてお過ごしください。公人として、私人としてもご無事を祈っております」
「部下を手元に残したいとは言ったが、信用できる者はいくらか置いていく。私からもよくよく言い聞かせておくから、なにかあれば彼らを頼るとよろしいだろう」
「きっとご相談させていただくことも多いでしょう。よろしくお願いします」
最後だけは外面を取り繕って退室したのだが、城を出る頃には別種のため息を吐くようになっていた。
……納得できる道を進みたいと言ってしまったのだ。そろそろ人に頼るばかりではなく、私自身がコンラートの顔として立たねばならないだろう。さしあたってはとあるけじめを付けるべく、ウェイトリーさんに日程を整えてもらうために歩き出した。
「振り返らずに進むのって、なんでこんなに難しいのかしら」
国王陛下並び王妃殿下の崩御、並びにファルクラムの支配体系が大きく変化し、政権交代の運びとなった報せが国中を駆け巡ったのは、それから二日後だった。
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