第80話 興味を持たれた

  

「……教えてください。今後、あの土地はどうなりますか」


 あの土地、はもちろんコンラートのことだ。この意味がわからないライナルトではあるまい。あえて質問したのは、いくらか解せない点があったためだ。彼もわかっていたのだろう、膝の上で両手を組み目を細めた。


「あれがファルクラムに対する示威行動だったこと、いまなら理解もできます。けれどあそこまでする理由が……いまだにわかりません」


 その上で、もう一点気になるところがある。両国共にファルクラムという国を滅ぼすつもりだったとして、何の益もなくラトリアが動く理由がわからない。


「彼らはなにを条件に帝国に手を貸したのか、いまのあなたならご存知なのではないですか」


 返事を待っていると、ニーカさんがなにかを持って戻ってきた。ライナルトはこの質問が意外だったようで、驚きに目を見張りつつ、彼女から差し出された書類を受け取る。


「……以前から感じていたが、カレン嬢は本当に良い着眼点をお持ちだ」


 なぜか褒められた。茶化さないでほしい、と言いたいところをぐっとこらえる。


「コンラートが消失してそれほど経っていないというのに、あなたの年でそこまで考えられるのは驚きだ」

「お褒めいただき光栄です。そう言っていただけるのでしたら、きっと亡き夫の教えがいまも私を生かしてくれているのでしょう」


 実際、あの人がいなければいまの私はなかっただろう。いまこうしてある私たちの関係は、私がコンラートに嫁いだからこそ成立する関係だ。ライナルトはひとしきり賞賛の言葉をくれたが、これは良くない話の前ぶりだろうか。ひとしきり笑い合うと、ライナルトはニーカさんから受け取った書類に目を通し……テーブルに裏返して置いた。

 

「コンラートの件だが、もう少し置いてから話すつもりでした。……貴方がたにとっては不本意な結果になるが構わないだろうか」

「……その様子では、良い報せではないのですね?」

「その通りだ。そしてこれは皇帝とラトリア国王の間で交わされた約束になる」


 そこでライナルトから聞かされた話は、コンラートの所有していた土地を返還するのは厳しい、という現実だった。


「今回の遠征で見事ファルクラムを帝国占領下に置いた場合、山脈側から広がる森やコンラート領および、いくらかの領地は大半はラトリア占有となる。それが今回の協力に対するラトリア国王の求めた見返りであり、皇帝はそれを了承した」


 これはライナルトもヴィルヘルミナ皇女から聞いた話である。そして、この条約があったからこそコンラート辺境伯の命が狙われたのだろうとも付け加えられた。

 その話を聞いた瞬間の感想は、ふざけるな、である。


「カレン嬢、話を続けてもよろしいか」

「……あ。はい、どうぞ」

 

 正直、たまったものではない。侵略者によって勝手に決められた話であの人達は殺され、大勢が死んだのだ。頭の中で皇帝に対するあらゆる罵倒が駆け巡ったけれど、隠した拳を握りしめることで表面上だけは平静を装った。


「条約には見届け人も必要でしょう。ラトリア側には帝国の者がいたと、そう思ってよろしいでしょうか」

「おそらくは」

「……おそらく? 確かではないのですか」

「そう剣呑にならないでほしい。コンラート領について教えて差し上げたい気持ちはあるが、この話を進めていたのは皇帝でしてね。私もなんとか聞き出したといった具合だ。裏を取るには時間が必要でしょう」


 つまり、ライナルトも彼らを探っている最中なのだ。ライナルトが皇女を信用していないのは明らかである。


「ただ、カレン嬢の疑問はわかるつもりだ。辺境伯一家を狙うにしても領民を悉く殺害するのはやりすぎだ」


 などと、ライナルトは私の気持ちを代弁した。やはりあれは彼らからみても行きすぎた殺害なのだろう。

  

「伯へ恨みがあった、というのはないのでしょうか。昔は戦にでも出られていたようですし……」

「さて……それもないとは言い切れないが、私にはコンラート伯が誰に狙われていたかまでは知る由がない。故に私の所感になるのだが、あれはどちらかといえば効率的に住民を減らしたかったようにも感じられた」

「……はい」

「加えて防壁は破壊され、建物には火を付け重点的に破壊している。あれでは復旧に時間を要するだろう」

「ラトリアがコンラート領を欲しいというなら、あの場所は砦を建てるにしても最良の土地のはず、ですね」

「その通り。他の場所が悪いとは言わないが、わざわざ別の場所を選ぶ理由は薄い。その上で述べさせてもらうと、帝国からラトリアへの嫌がらせではないだろうか」

 

 帝国とラトリアが共謀してファルクラムをおとすが、その大半を担うのはあくまでも帝国だ。ファルクラム争奪の暁には、約束通りラトリアに土地をくれてやるが、簡単にくれてやるのは面白くない。コンラート領が自分たちの手に渡ることはないのだし、ラトリアに再利用されるくらいなら壊してやろうという意図だろうと教えられた。


「貴方には酷な話だろうが、十分あり得る話だ。ラトリアと帝国の関係は良いとは言えず、これまでの両国の関係を鑑みてもその可能性の方が高い」

 

 ……嫌がらせ、ときたもんだ。しかしコンラートを襲ったのはラトリア側のはずだ。襲撃犯自ら不利になるような真似を許すかと疑問がわくが、ライナルトは難しくないと言い切った。


「ラトリア側に用いられたのは正規兵ではなく雇われの者達だった。多少監視なりついていただろうが、であれば金を握らせるなり、騙すなりするのは容易でしょう。もちろん、これも憶測に過ぎませんがね。ですので鵜呑みにされない方がよろしい」


 これに返せる返事はない。

 どのくらいの間、黙り込んでいただろうか。ライナルトはこちらが持ち直すまで待っていてくれたようだが、私はといえば、乾いた笑いを零すのがせいぜいだった。


「ライナルト様が、裏も取れていない情報をお話ししてくれるのはこれが初めてですね」

「……そうだろうか」

「はい、少し意外でした」


 なにせこれまで腹の内を晒してもらえることはなかった。

 帝国やラトリアに対し思うところはある。あるけれど、明言を避けさせてもらう。いまうっかり喋ってしまったら、女性らしからぬ暴言を吐いてしまいそうで恐ろしいからだ。だから私情は避ける。それにいま気にしなくてはならないのは別のことだ。


「ですけど……ええ、正直に言ってしまいますね。その報告を、ヴェンデル達になんと告げたらいいのかわかりません」

「それについては、こちらからいくらか提案が」


 そこで裏返された用紙を表に返し、こちらに差し出した。


「これは?」

「後見人の正式な手続きがまだだったでしょう。頼んでいたものが出来上がったので持ってきてもらったのだが、それを確認いただきたい」


 言われたとおり内容を改めるのだが、中身としては以前お互いに確認したとおりのものだ。そこは問題なかったが、コンラートの収入源である土地といった財源の管理については……。


「管理する土地もないのにこれでは……」

「ええ。ですのでひとまずはローデンヴァルトの管理する領地のいくらかをコンラートに融通しましょう」

「……え?」

「ローデンヴァルトは今回の件で土地と財産をいくらか取り上げる予定だった。それをコンラートに分配することで、とりあえずは凌げるでしょう」


 できるなら、私たちにとって親しい人が眠る土地の方がいい。心境的には新しい土地を与えられるからといって手放しに喜べる話ではないけれど、ライナルトの提案は、すべての領地を失うことが決定付けられたコンラートにはありがたい話だ。しばらくは伯の残してくれた財産でやりくりするつもりであったものの、情勢が落ちついたら無事だった他の村々からの徴収を再開しようと考えていたからだ。その収入がなくなるのはかなりの痛手だったし、心情的に納得できるような問題ではない。

 しかし実家であるローデンヴァルトの規模を小さくして、彼は大丈夫なのだろうか。心配になったけれど、ライナルトは顔色一つ変えていない。


「こちらは助かる話ですが……」

「当然、ただではありませんが」


 ですよね。うん、予想していた。でも「見返りなしに無料で土地を差し上げます」と言われるよりは気が楽である。


「大公達の統率が思ったより取れていましてね。今は予想よりも貴族の動きが大人しい。ファルクラムから帝国への体制移行も滞りなく進むのでしょうが、おそらくその状態が長く続くことはないでしょう」


 ライナルトは折を見て帝都に移動する。今後ファルクラムには政務官が赴任するが、それだけでは監視が行き届かないであろうことも説明されたのである。


「仔細はそちらの家令……いや秘書官が同席される際に話させてもらうのだろうが、コンラートにも国内の動きを見ておいてもらいたい」

「……問題があれば報せればよろしい?」


 監視役のようなものだろう。同時にコンラートが政務を担うことはないとも言われた。これは念のため釘を刺された感じだろう。

 それでも破格の条件だろう。これをのまない手はなかったし、どのみちウェイトリーさんとも相談してライナルト側に付くのは決めていたが、即答は避けた。ライナルトもそれで構わないと言ったのである。


「その条件を呑んでくださるのであればいくらか土地をお譲りしよう。もちろん、断られたからといって後見人を断るような真似はしないのはお約束する。土地の融通はできないが、暮らすに差し支えないだけの金銭も補償する」

「わかりました。家人と検討してみます」


 こうまでしてくれるってことは、彼なりにコンラートには思うところがあったということなのだろうか。金銭の補償までしてくれるのは、皇族としての外聞もあるからなのだと……。


「カレン嬢?」

「……あ、すみません。いまになって、皇族の方の庇護を得るのだなと思って、ことの大きさに吃驚してしまって」

「いいことばかりではありませんよ。信用できない者も増えるばかりだ」


 ふっと笑ったライナルトの微笑は……なんだろう、なにを思ったかわからない。彼は壁際に立っていたニーカさんへ振り向くと問いかけた。


「ニーカ。この通り、忘れていなかったことは理解してもらえるだろうか」

「はい。閣下には大変失礼をいたしました。忘れていらっしゃらないようでなによりです」


 なんのことだろう。するとライナルトは呆れ笑うように語るのである。


「後見人の件、正式な手続きを急げとニーカから度々進言されていましてね。忘れていたわけではないのだが……」

「お言葉ですが、閣下にしては珍しく行動が遅うございました」

「わざとではないと言っているだろうに。……ご覧の有様ですよ。大方、貴方を連れてきたのもコンラートを心配してのことでしょう」


 ニーカさんが私を連れてきたと聞いた時、すぐにピンときたそうだ。彼女にしては珍しく強引だったのはそういうことらしい。本人はそれ以上の明言を避けたのか、今度こそ退室しようとしたのだが、そこで意外な割り込みが入った。

 ドアがノックされたのである。慌てたような男性がライナルトの名を呼ぶと、驚くべき来訪者の名を告げた。


「ヴィルヘルミナ皇女がこちらに向かっておいでです。止めてもお待ちいただける様子がなく……! 閣下、急ぎ支度を」


 してくださいませ、とは続けることができなかった。なぜならヴィルヘルミナ皇女はすぐそこまで迫っており、周囲の制止も虚しく彼女は扉を開けてしまったからである。


「失礼する。……どこにいっても貴兄の身の回りは質素だな」


 その声と入室は同時だった。初登場時とは違い、いかにも面倒くさいといった様子を隠そうともしないヴィルヘルミナ。当然部屋にいる人物、すなわち私とも目が合う。

 声にはしないが、一瞬だけ目を見張る動作は少しだけライナルトに似ていた。


「ヴィルヘルミナ。客人がいると近衛は伝えたはずだが」

「私としたことが陛下からの伝言を忘れていたのさ。文句なら聞かんぞ、私を使い走りにする陛下をお恨みするがいい」


 よし、ここで明らかに邪魔なのは私だ。すぐにお暇しようと席を立ったのだが、ライナルトに止められてしまった。


「カレン嬢、申し訳ないが別室でお待ちいただけるか」


 いえいえここで帰らせてもらいます、と言いたいところだが皇女の前で声を出すのは憚られた。頭を下げて退室するところで強烈な視線を感じて視線を向けると、興味津々、といった瞳がこちらを見つめていたが、それも僅かな間だった。


「ああ、サガノフは残れ。戦女神と名高い貴女とは一度仕合ってみたかったのでな」


 いくさめがみ。

 おお、ニーカさんったらそんな風に呼ばれているのか。彼女らしい称号じゃないか。今度エレナさんに詳しく聞いてみよう。


「それから、そこのお嬢さん」


 私?

 なぜか私が呼び止められた。ヴィルヘルミナが口を開こうとしたところでライナルトが止めに入り、彼女が「へえ」と面白そうな声を上げる。


「いや、邪魔をして悪かったねと言いたかっただけさ。失礼した、行ってくれて結構」


 今度はあっさり追い出されてしまったのである。

 足の軽い皇女様は皇帝の伝言を持ってきたとのことで、ライナルトとの話は長引くものと覚悟していたのだが、その覚悟は十分後くらいには裏切られた。こころなしかうんざりした面持ちのライナルトが私の待機する部屋へ入ってきたからである。


「お疲れでしたら、無理をせずお休みに戻られても……」


 ところが部屋に戻る気はないらしく、外の空気が吸いたいからということで窓を開けていた。ほんの僅かな間にライナルトをここまで疲れさせるとは、いったい皇女はなにを話したのだろうか。


「カレン嬢は楽しそうですね」

「え? そ、そんなことないと思いますけど」

「笑っていましたよ」


 そんなことはないと思うのだけど……。でも、いつもすまし顔のライナルトが苦労している姿は悪くなかったかもしれない。


「ヴィルヘルミナ皇女殿下は、なんというか独特なお方ですね」


 一歩間違えると舌を噛みそうな名前なのだけど、誰か彼女の名前を間違えたことはないのだろうか。それに、と彼女について言葉にしようとして口を噤んだ。

 ライナルトに屈むようお願いすると、素直に耳を傾けてくれた。そこに内緒話をするように手を添えてそっと囁くのだ。

 

「でもちょっと可愛い人ですね」


 怖い人と評すると思ってたのだろうか、ライナルトは穴が開きそうなくらいこちらを見つめるものだから、しばらく視線を交差させた。

 もしかしてあの時、ライナルトが皇女を止めたのは私が彼女に良い感情を抱いていないのを危惧したからなのだろうか。……そんなに意外だろうかと思ったけれど、いや、そうかもしれないな。


「ええ、たしかにコンラートは皇女に因縁がありますし、あの方々の行いを許すことはできませんけれど、家令に軽率な行動は控えろと言われておりますので」


 内心は怒りが沸いている。腹立たしいことこの上ないし、許されるならぶん殴ってやりたい気持ちがないわけではない。あの皇女を殴って死した者が帰ってくるなら喜んで殴りに行くけれど、残念なことにそんな都合のいい話はない。そんなことをしてはヴェンデル達の立場が苦しくなると理性が留めてくる。

 彼女に対する感情は複雑だ。どうして良いかわからない部分も多いけれど、先ほど妙にはしゃぐ皇女を可愛い人だ、と感じたのも事実だった。

 多分、そう考えられるようになったのは伯やウェイトリーさんの影響が大きいのだろう。あの陥落からいくらか時間が経っていること、忘れがちだが年齢を重ねているというのもあるかもしれない。あの人は本当に、どこまでも私の人生に影響を与えたようで頭が上がらなかった。

 …………やっぱり、コンラート領は取り返したいなぁと考えていると、不意にこんなことを言われた。


「貴方といると疲れを忘れそうになるな」


 ……彼も結構変わってるよね。

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